シャーペンの芯
どうかお気軽にお読みください。
「下川さ〜ん。シャーペンの芯1本頂戴」
「1本なんて、すぐなくなってしまうから3本くらいどうですか?ペンに入りますよ」
「サンキュー」
いちいち手がかかる。と、幸奈は思った。本当ならば、1箱渡して、この件から手を引きたかった。
だが、それはできない。
「下川さ〜ん。消しゴム頂戴」
「この前、手前の引き出しにしまうところを見ましたよ!河田さん!」
河田が引き出しを開けると、使いかけの消しゴムが2〜3個出てきた。
消耗品をいっぺんに渡せない理由はこれだ。
彼の机の上は、常に混乱している。
整理整頓が全くできないようだ。
だが、仕事はきれいだという評判だ。
確かに、ノルマを順調にこなしている。だが、上役たちが目をつけているのは、トラブルが起こったときの、穏便で、速やかな対処のしかただ。そのため、顧客から信頼も厚い。
「ねぇ。下川さん。外回り同行してくれない?」
「えっ?えぇ?」
どうせ、またサボるのだと幸奈にはわかっていた。
行先は、les quatre saisonsという紅茶専門のカフェである。
幸奈にはお茶とケーキをごちそうしてくれるが、彼はお茶だけである。
「ほら、下川さんには、ばれちゃってるから、共犯にしちゃえば、俺も安全じゃない?」
「は、はぁ」
幸奈は河田を見る。身に着けているスーツ、高級ではないが、チェーン店の激安ものではなさそうだ。ネクタイはブランド物だが、悪目立ちすることなく、全体のコーディネイトはバランスがとれている。
「俺さ、酒もたばこもやらないから、服だけは、ちょっとね……」
河田は口癖にように言っている。
「あ、あとさ、管理してる食堂のナプキンの廃止だけど、課長にいったらOKだって。手間もコストも省けて目の付け所がいいって。下川さんの提案だって言っといたからね」
それは、幸奈が河田の前任の担当営業に言い続けて、取り合ってもらえなかった案件だった。得意先にアンケートをとったところ、『特に必要がない』という回答が大半を占めていた為、提案をしていたのだ。
メイド服のウエイトレスが注文をとりににくる。
「あ、俺、タルボ農園の夏摘み。彼女はケーキセット。今日のケーキは何?」
苺タルトだとウエイトレスが言うと
「じゃあそれで」
と、さっさと注文をすませる。
「あの子かわいいですね」
「そう?彼氏がいるらしいよ。俺と違って国立大」
「あら、まだ学生でしょ!なんの結果も出してないじゃない」
言ってから、幸奈は自分の口調の強さを後悔した。
「学歴は関係ない?」
河田がちょっといたずらっぽく言う。
人間は学歴ではない。そんな言葉は、あまりにもきれいごと過ぎると幸奈は思う。現に、職場には学閥があり、認められつつある河田を、いまだ揶揄する社員はいる。
「下川さんって、はじめから俺に優しかったよね」
「あら、私、河田さんに優しくした覚えありませんけど」
「そうだね。下川さんは、誰にでも礼儀正しくて、親切で、丁寧で、そして口うるさい」
「口うるさいって……」
幸奈はむっとした。
「ごめん。ごめん」
河田は笑った。
「ケーキが来たよ。メイドさんが驚いてる」
ウエイトレスは、厨房に戻って、ギャルソン風のもうひとりと、こちらを見てなにか楽しそうに話している。
だが、それは嫌な感じではなかった。
「今度の土曜日、また、ここに来ない?もっと、ゆっくり話そうよ」
「えっ?」
「じゃあ決まり!」
あっけなく話が決まってしまったが、あらためて誘われるのは初めてだった。
幸奈は2人のウエイトレスが、嬉しそうにこちらを見ているような気がした。
読んでいただいてありがとうございました。