10
家に着くのに数分と要らなかった。いつもなら空から眺める森を楽しめるのであるが、今日はそんなことはなかった。なぜか高速飛行するヴィオレットさんに合わせて風魔法を使うのとしがみつくことで精一杯だった。一体、彼女に何があったんだろうか。
「おや、思ったよりも早かったね」
魔法の実験をしていたのだろうか。杖と本を持ったシルヴィは、ヴィオレットさんの手から降りる俺にそう言った。
「ただいま帰りました。ヴィオレットさんありがとう!」
『ふん』
そう言って飛び立とうとするヴィオレットさんをシルヴィさんが呼び止める。
「ああ、まてヴィオレット。ここ最近メルの会話が君の賛美ばかりでウザったいんだ。一度で良いから彼のお礼を受けていってくれ……そうだな食事とかで」
『さ、賛美だと』
若干引きながらヴィオレットさんは言う。
「ヴィオレットさんの賛美は否定しませんけど……そんなに言ってますかね?」
「言ってるだろう。どうやってお礼をすれば良いかな、マッサージとか体大きすぎて自分には無理だよね、なん二時間おきに話されてみろ。君の頭はヴィオレットでいっぱいなのではないかと疑いたくなる。羨ましいなぁヴィオレット。メルにそんな思われて」
『べ、別に……』
「思えばヴィオレットの対応も最初から……いや、この話は止めよう。ともかくヴィオレット、今日の料理当番はメルだ。最近のメルの料理はすごいから君も舌つづみを打っていくと良い」
「でもシルヴィさん、自分が料理を振る舞うのは全く構わないんですけど、ヴィオレットさんは満足してくれますかね? ええと、味的な意味でも量的な意味でも」
パッと見て人間を数十人は食べられそうなほどの巨体だ。彼女を満足させるような量を用意出来ると言えば否だろう。そもそもであるが、普段ヴィオレットさんは食事をせず、大気中のマナを得て動いているらしいが。
「なに、大丈夫だ。味も良いし、量はヴィオレットが人化すれば良いだけの話しだろう?」
ええっ、と思わずヴィオレットさんに振り返る。彼女はなぜかプイと視線をそらした。
『必要が無いからしていないだけだ』
俺が振り向くとヴィオレットさんはそう返事をした。シルヴィさんもそうだが、どうして何も言ってないのにそう求めている答えが出てくるのだろうか。そんなに俺はわかりやすいのだろうか?
「じゃ、じゃあ。良ければなんですけど、ヴィオレットさんも一緒に食事していきませんか!」
もし普通の人間のようになれるならば、コレはかつて無い恩を返すチャンスではなかろうか。料理も出せるし、マッサージとかも出来る。これならば合法的に肌に触れられる。あれ目的が変わってしまったような?
『べ、別に私はそこまで感謝されることはしていない。気にしなくて良い。だがまあ、どうしてもというならばその考えなくもない……』
歯切れが良くない。あまり強くお願いすると迷惑になるのだろうか?
「ヴィオレット、頼むから素直になって、彼の感謝を受け入れてやってくれ。私が保証しよう、彼はお前の人化した姿も気に入るはずだぞ。むしろよけいに気に入られるぞ? 嫌うことは絶対無いと断言する」
『違う、私は別に人化していないのは必要が無かっただけだ』
「何を言うんだこのヘビは。気にして恥ずかしがっているだけのくせに」
『チッ』
舌打ちして飛び立とうとするヴィオレットさんに、俺は急いで近づいて体にふれる。白銀の鱗はほんの少しひんやりしていて、少し堅いシリコンというか、形容しがたいさわり心地が素晴らしく良い。
「ダメですか?」
しばらく俺を見て沈黙していたヴィオレットさんだが、やがておおきなため息(もはや突風)をついた。
『……気が変わった』
不意に彼女の体から眩い光の粒子が浮かび上がる。まるで太陽の光を思い浮かべるようなその強い光に思わず目をつむり、腕で視界をふさいだ。
光が収まり、俺はおそるおそる目を開けると、そこには見慣れぬ美女が立っていた。
胸まで伸びた銀色に近いプラチナブロンドをうざったそうに背中へ払うと、彼女は俺をじっと見つめる。その相貌は人形とまごう程均一であり、もはや病気を疑うぐらいに美しく張りのある肌をしている。また彼女の菫色の瞳は、まるで光を当てた紫水晶のようで、思わずじぃっと見つめてしまう程だった。
「どうした?」
彼女が念話ではなく、口を開いて言葉を発する。なぜだか少し不安そうな顔だ。声は女性にしては少し低いだろうか、俺はつばを飲み込むと彼女にかける言葉を探した。
見つからなかった。
「ああ、貴方が神かっ!」
女神を見たことがあるけれど、あんなのはヴィオレットさんに比べればその辺の町娘だ。今すぐ辞職して街角のヴィーナス辺りにでもなるべきだ。神はここに居る。
「メル。馬鹿なことを言っていないで家に入れ。君は早く料理をした方が良い」
はっと我に返る。そうだ、早く彼女をもてなす料理を作らなければならない。こんなことをしている場合ではない。
「ヴィオレットさん、くつろいでお待ちください! すぐに作って参ります!」
そう言って俺は急いで家の中へ入っていく。ここは私の家なんだがという言葉が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。
急いで手を洗い、棚から鍋を取り出す。そして中に水を入れた。火にかけながら材料を準備する。今回作るのはドラゴンの骨を煮込んだ濃厚スープ。ドラゴンの提供はヴィオレットさんなのだが、まあ気にしないようにしよう。どうせほとんどの肉類の提供がヴィオレットさんなんだ。自分的に肉か魚がなしとか考えられない。
ドラゴンの骨を味が出やすいように砕いて鍋に入れると、鍋に向かって魔法を唱える。
加速魔法。この世界では使える者はほとんど居ない時空魔法の一種。莫大な魔力を消費するひどく効率の悪い魔法ではあるが、この魔法がないと1日かかる料理だ。むしろ使わざるを得ない。
少しして魔法を止め、いったん中にあった臭みの強い汁をすべて捨てる。そして再度水を浸し、今度は薬味としてネギ科の野草と先ほど煮た骨を入れ、加速魔法を唱えながら煮こむ。今度は浮いてきたアクを取り除き、水を少しずつ足しながら。
「ラーメン食べたいなぁ……」
アクを取りながらおもわず呟く。豚骨ならぬ竜骨ラーメン。価格にすれば目玉が飛び出る程の料金になるであろうが、ドラゴンを定期的に拾ってくるヴィオレットさんがいれば、簡単に食べることは出来るだろう。あとは作る気さえあれば。
スープを煮込んだままフライパンを取り出す。今度は厚めに切ったドラゴン肉を、ヴィオレットさんの住む湖の周りで採取した野草と一緒にさっと炒める。まるでA5ランクの最高級肉といわれても信じられそうな霜降りだ。買えばいくらになるのだろうか。続いて隠し味にシルヴィさんの隠していたとても美味しいワインを少量拝借。ばれないことを祈ろう。
また炒めながらも、スープにも手を加える。家の周りに生えている山菜と野草をスープに加え煮込む。どうせだったらあまり取ることの出来ない野草も入れてしまおう。残りは心許ないがシルヴィさんにばれなければ大丈夫だ。
料理を完成させ、二人を呼ぶ。どうやら魔法談議をしていたようで、庭でいくつかの魔法を使っていていた。
「あいつははあっけらかんとやっていたが効率は倍以上なのだ、まったく。……ん、噂をすればメルか。ずいぶん早いな……もう出来たのか」
「全力で時空魔法を使用いたしました!」
「黄金龍ですらほとんど使用できない時空魔法を料理に……」
ヴィオレットさんはなぜか呆れた様子でそんなことを呟いた。
「ヴィオレットは今のうちに知っておいた方が良い。メルを常識という枠にはめることは、馬鹿がすることだ。ついでにメルは馬鹿のように見えるが、実際は天才のような馬鹿だ」
「それ、結局馬鹿じゃないですか」
明らかに俺馬鹿にされたよね。とはいえ家の主に対して強く言ったりなんか出来ない。まあ、それは良いか。
「そんなことよりも料理です。冷めないうちに食べていただきたいので、家に行きましょう」
「ああ、良いにおいがここまで流れてきたぞ。ゆこうヴィオレット」
今日のメインディッシュはヴィオレットさんがいつだったかに持ってきてくれたドラゴンのステーキと、これまたヴィオレットさんが持ってきてくれたドラゴンの骨で作ったスープ。すでに盛り付けてあって、二つの椅子の前に料理が置かれている。
「メル、私の視界が正常であれば、二人分しか見受けられないが……?」
「今回はホストとして精一杯のもてなしを、自分は後で食べます。さあどうぞどうぞ」
そう言ってヴィオレットさんに椅子を引いて、座らせる。つづいてシルヴィさんも。ただあまり期待した目で見ないで欲しい。俺の接待なんて付け焼き刃なのだ。
「さあどうぞ、今日はドラゴンステーキとドラゴンスープです」
「素材だけで見れば軽く金貨は飛ぶな」
そう言ってシルヴィさんはスプーンを持ち、スープを一口。
スープから手をつけるシルヴィさんと違いヴィオレットさんはステーキから行くようだ。彼女はは龍だし、そのままかぶり付いてもおかしくはないだろうな、とも思っていたがそんなことはないらしい。フォークとナイフを手に持つと肉を一口サイズに切って口に入れる。それもなぜか優雅であり上品だ。
「……」
ヴィオレットさんが咀嚼する音が聞こえる。そしてシルヴィさんはスープを見つめたまま微動だにしない。
不意にシルヴィさんがびくりと、背中にヘビでも入れられたかのように大きく振動する。そしてすぐにスプーンを持ち直し、スープを口に入れた。
「今日の料理はいつもの数倍旨いぞ……」
どうやらシルヴィさんはかなりお気に召したらしい。
対面に座るヴィオレットさんもスープに手を出すようだ。スプーンに持ち替え、スープをすくい、そのまま口に入れる。そして信じられないとばかりにもう一度スープをすくい、口に入れる。そしてほんとうに小さく、本当に小さくだが、嬉しそうに笑い、もう一度スープをすくって口に入れた。どうやらヴィオレットさんもお気に召したようだ。
俺は食事を見ていてあることおもいつきその場を離れる。そしてすぐにキッチンへ行くと葡萄酒(シルヴィさんの私物)を一本拝借し、いたずらをして二人の元へ向かう。
「君はまた私のお気に入りを引っぱってきて……いや、まあ今日は許そう」
そういってグラスを取り出してくれるシルヴィさん。俺はコルクを抜いて二人分をいれると、二人に差し出す。どうやらシルヴィさんは臭いだけで、俺のしたことに気がついたようだ。
「メル、お前というヤツは…………。一生料理当番だからな」
「それは勘弁してください。俺、なんだかんだでシルヴィさんの料理大好きなんですよね」
そういうとシルヴィさんは嬉しそうに笑うと葡萄酒を飲み込んだ。そしてステーキを一口サイズにして野草と一緒に口に入れる。
「肉も野菜もスープもすべてが旨い。そして、この葡萄酒だ。君は時空魔法で時間を進ませただろう。味に深みが出てる」
「ご名答です、多分ラベルの倍くらいの年は経過しているはずですよ」
俺がしたいたずら、時空魔法で葡萄酒に流れている時間を変えたことは、どうやらお気に召してくれたらしい。
「全く、時空魔法を料理に利用するか。君は本当に馬鹿だよ。だけれど私はそんな馬鹿が大好きだよ」
今まで見たことないぐらいの笑顔で、シルヴィさんはそういう。その笑顔は心底やめて欲しい。そんな笑顔で言われたら惚れてまう。ただでさえエルフ美人のシルヴィさんなんだぞ。俺がどれだけ我慢しているのか分かっていないのか。だからあのエロ本僕に返してください、一生のお願いです。
「シルヴィさん、酔ってるんですか? いや大好き言われてうれしいんですけど、なんか少し不安になりますね」
「はははは、どういう意味だ」
「それにしても……ヴィオレットさん、味はどうですか?」
急に振られると思ってなかったのか、一瞬首をかしげるも、すぐに返事をした。
「そうだな……どういえば良いのだろうか? その……だな……」
視線が俺からそれ、料理に向かう。彼女はナイフとフォークをもったままそわそわし、落ち着きがない。そしてほんの少し頬を赤く染めると、小さく口を開いた。
「ま、毎日食べたい……」
「ははは、ヴィオレット。見てみろ、メルがこれ以上無いくらい笑顔になっているぞ! ああ、幸せそうだ。はははは! 」
多分シルヴィさんはそう言って俺をからかうふりをしながら、ヴィオレットさんをからかっているのだろう。現にヴィオレットさんは顔を赤く染め、葡萄酒を一気にあおっていた。もちろんすぐに注いであげた。
「おかわりも有るので言ってくださいね!」
そういうとシルヴィさんは頷く。ヴィオレットさんはものすごい勢いで酒を煽っているが大丈夫だろうか? まあ龍だしそう簡単に酔わないだろう。
食事はそれから三十分程続いた。