第十二話 運命
ヒュドラの首に小さな果物ナイフほどの大きさのナイフを突き刺す。ナイフの端から血が垂れ、人差し指に少しついた。だがその傷口は再生しない。再生するどころかどんどん血が溢れてくる。
顔を上げて周りの様子を見てみる。見つけた兵士はいないみたいだ。顔色でわかる。疲れ切った感じと焦りを感じる。それにヒュドラの無数に近い首の中を移動するのは大変だ。90度の崖を何回も上り下りしている感じだ。
腕時計を見て残り時間確認する。残り10分と言ったところだろう。戻る時間も考えるともう無理そうだな。
「全員、撤退してください!」
周りでヒュドラの首にナイフを刺していた兵士たちが僕の方を一斉に見る。何か言いたそうな顔をしている。だが気にせずにヒュドラの首にロープを結んで一番近くのゴブリンにくくりつける。
「全員撤退。聞こえませんでしたか?早く準備を始めてください」
「ですが......」
言いたいことはわかる。僕もここで最後まで粘ってヒュドラを倒したい。それの気持ちはもしかしたら彼らよりも多いいと思う。だが今は逃げるべきだ。ここで兵力を失ってヒュドラを自由に行動させる方が危険だ。
「始めろ!」
「お言葉........え?」
僕は縄でつないだゴブブリンを蹴飛ばす。ゴブリンが空中に飛ぶ。めちゃくちゃ驚いた顔をしている。あんな顔今まで見たことないな。ゴブリンだからかな。
「何を....!!」
僕は右手でロープをがっしりと掴みながら左手の銀のブレスレットを掲げる。周りのゴブリン達が一斉に口を閉めた。
「命令だ。撤退しろ」
言葉に力を乗せるようにゆっくりと伝える。
「わかり.....ました」
ごめんなさい、と思わず口に出そうになった言葉をつばと一緒に喉の奥に押し込む。右手のロープが少し緩んで軽くなった。さっき蹴飛ばしたゴブリンがロープを解いて降りたみたいだ。あとでちゃんと謝っておこう。実際のところ僕が一番最年少だし。
周りにいたゴブリン達が次々と下に降りていく。僕もロープを一回持ち上げて自分の腰に巻いてゆっくりと地面に向かって降りる。降りている途中に一匹のヒュドラと目があった。なぜかその目からは勝ち誇ったような印象を受けた。だがまだ終わってはいない。あんまり人族をなめない方がいいぞ?
地面にはちょろちょろと水が流れている。予定どうりサイクロプス達が穴をつなげられてたみたいだ。
「全員、速やかにこの奥の丘の上に上がってください。その後はその場に待機です」
ゴブリン達が走って奥に丘の上を目指して走る。後ろから見る彼らの姿は悲しそうというかのか悔しそうというか。本当に申し訳なく感じる。だがもしも僕が彼らにこのままヒュドラ退治をさせてしまうと僕の狙い、というか計画が狂ってしまう。
「港!こっちは準備いつでもオッケーだ。いつ始めるんだ?」
僕の真上を飛ぶワイバーンからギミルの声がした。その場に立ち止まって上を見上げると両手にバケツを持ったギミルがいた。バケツがよく似合っている。工事現場のマッチョなおっちゃんみたいだ。
「魔法隊の様子はどうでしたか?」
「見た感じ問題はなかったぞ?ただ大地の魔法を使えるやつの数が少ないところがなんとも言えん」
結構な問題かもしれないが、僕には何もできない。それは彼ら次第だな。
「始めてください。お願いします」
「了解した!」
ギミルを乗せたワイバーンがヒュドラに向かって飛んで行った。その後を雛鳥のようにワイバーンの群れがついていく。
「これより、作戦を変更する!今よりあのヒュドラを捕縛する。全員直ちにサイクロプスの元に向かい指令を待て。作戦開始!!」
映画とかの鬼軍曹みたいなキャラクターを演じたつもりだったが全くゴブリン達の注意は引けなかった、何行ってるんだこのガキはっていう感じだ。全く、一度挫けるとゴブリンはダメになる。図書館の本に書いてあった通りだ。
僕は左腿の外側にかけておいたSIG SAUER P226を取り出して一番がっかりしていそうなゴブリンに向けて発砲する。爆音と同時に弾丸が銃から排出され、相手のゴブリンの足元に小さな穴が空いた。
「聞こえなかったか?作戦を始めろ」
その場のゴブリンが一斉に僕の方に視線を送ってきた。アイドルってこんな感じなんだろうか。あの職業を少し尊敬した。
「今よりあのヒュドラを捕獲する。全員サイクロプスの元に迎え」
まだびっくりして聞こえてないのだろうか。全く返事もないし動こうともしない。やっぱり性格って出るよな〜。ゴブリンの場合、先頭で引っ張っていくギミルのような存在が不可欠だからな〜。だけどここでアメを与えずに鞭で彼らを刺激しなければ。あんまり好きじゃないんだよな〜。叫んだりするの。
僕はもう一度右手の人差し指で引き金を引く。カチっという音と同時に弾丸が他のゴブリンの頬をかすめた。やっべ。当てるつもりなかったのに当てちゃったよ。
僕は顔に出てないように意識して冷静な顔を作る。その冷静さが伝わったのか彼らが次々と立ち上がった。まるでゾンビ達が墓場から出てくるみたいだ。
「仲間達の敵討ちだ。気を引き締めろ」
彼らの目に光が戻った。そして一斉に走り出した。ヒュドラに対する憎しみ、怒りといった感情だろう。でもこんなにやる気を出してもらったのに彼らがこれからすることを考えるとちょっとだけ申し訳ないな。良心が痛む。
「サイクロプスはアケロンの川沿いに入るからなー」
よし。僕はアウルのところに行ってワイバーンを一匹借りなければ。この作戦が成功するかは僕次第だからな。
〜〜〜
「おはようございます。エレナ様。朝食の準備ができました」
「おはよう、着替えたらすぐにいくね」
「かしこまりました。旦那様にそうお伝えします」
お世話係の子がコツコツと足音を立てながら私の部屋から遠ざかっていく。もしもこの場に吸血鬼がいたら、足音がうるさい!みたいな理由で彼女の血を吸ったな。それに彼女自身もそれを望んで入るからわざとさっきみたいなことをしているのだろう。
私はベットから出て大きなクローゼットから一番近くにあった服を引っ張り出して着替える。ジーパンと真っ白のシャツという服装になった。変えようかとも思ったがめんどくさかったのでそのまま部屋を出て食堂に向けて歩く。
「おはようございます」
「おはよう」
廊下の窓を拭いていること挨拶をした。彼女もさっきのこと同じようにキュッキュっと音を立てて窓を擦っている。彼女もさっきの子と同じで自ら血を座れる原因を作っているのだろう。自分が死ぬというのに。
彼女達を見ていると本当に命の価値がわからなくなる。1日に何人死んでいるのんだろう。だが彼女たち1人1人に墓がないからどのくらい死んだのかもわからない。何もできない辛さが一番辛い。いや、何もしていないか。
ギギ!っと歯が擦れる音がした。無意識に歯を噛み締めていたみたいだ。
「どうした?エレナ。歯ぎしりなんてして」
突然、後ろから腕を前に通されて抱きつかれた。この声はエルだな。というかこんなことをしてくるのエルしかいない。
「おはようございます、エル様。朝食はもう囮になりましたか?」
「エレナ....お前が小さい時、遊んでいた仲じゃないか、そんなに畏まらなでくれよ」
エルが手のひらで私の頬をゆっくりと撫でた。身体中にゾクゾクゾク!っとした。黒板をこすった時の音を聞いた時みたいだ。だが私はそれを振りほどくことはできない。少しでも彼の機嫌を損ねることはできない。
「エル様。朝食まだでしたらご一緒にどうですか?」
「エレナ、だからその口調をやめてくれよ.....」
「それではエル様のお顔に泥を塗ることになってしまいます」
「なら2人っきりのときくらいは......」
「エル様、失礼します。お客人です」
執事が突然私の横に現れた。そのせいで少しビクッとしてしまった。
「誰だ」
「お父様からの使者です。どういたしましょう」
はぁ、とエルが少しため息をして私をくるっと回して目を見つめてきた。
「ごめんな。エレナ」
「いえ。お気になさらず。お仕事頑張ってください」
私は顔の筋肉の末端まで動かして満面の作り笑いをする。何回もしていたからもう慣れた。
「応接間で少し待たせておけ。支度をする」
「わかりました」
エルの両手の重みが私の方から消えて2人の気配が一瞬で消えた。私はゆっくりと床に膝をつけて深呼吸をする。そして空気をはく。心臓の鼓動が早いせいか私の左胸が少し揺れている。
「エレナ様!。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ちょっとつまずいちゃっただけで」
窓を拭いていたお世話係の子が近くによって来てくれた。私は彼女の手を借りて私はゆっくりと立ち上がってリビングを目指す。
結婚式まで残り何日だろう。みんなはどうしているだろう。最近はそんなことしか考えていない。それくらい考えることがない。
毎日、よくわからん吸血鬼の女にあれこれ言われ、ドレスばっか着て、吸血鬼の歴史を一から学ばされ。もう疲れた。だがこれも運命なのかもしれない。もしも本当に神様が私の運命を決めているのなら私は神様を心底恨むだろう。だけどそれと同時に神様という存在をとても身近に感じているせいか心のそこから祈ってしまう。私の運命を変えてくれと。
「エレナ......」
どこから誰かが私の名前を呼んでいる。だけど今は吸血鬼の顔はできるだけ見たくない。
「エーレーナー......」
しつこい奴だな。あとでエルにチクってやろう。ここの吸血鬼が何匹死のうが私が知ったことではない。
「エレナ........」
なんでだろう。なんかさっきから妙に小さな声だな。それに私のことを”様”って呼ばないってことはエルか?
私は声がする方を見る。だが誰もいない。見えるのは遠くまで続く長い廊下と必要性を疑うほどのドアだけだ。だけど確かに誰かが私のことを呼んだのは確かだ。一体誰だ.....。
突然、視界が真っ暗になって手足の自由が奪われた。突然のことだったせいで叫び声の一つもあげられなかった。目を塞がれて手足をがっちりと固定され、口には声が出ないように布で覆われている。そして誰かにお姫様抱っこをされているみたいだ。背中っと両膝の裏に何か当たっている。
敵対する吸血鬼......もしくはこちら側の吸血鬼同士の反乱か?頭の中から憶測が出てきては他の憶測で埋め尽くされて頭の中がこんがらがってきた。だが逃げたほうがいいのは間違えない。
私は体を思いっきり動かして暴れる。しかし手足を固定されているせいか魚みたいに跳ねることしかできない。
「ちょっと静かにしててね。あと少しだから」
私のことを抱えている奴が話しかけてきた。そして首に冷たいものが当たった。おそらく金属ナイフだ。だけどなんでだろう。とても聞き覚えのある声だ。どこで聞いたっけ。
「ごめんね。今、目隠しをとるから暴れないでね」
もふもふとしたところの上に一度置かれ、真っ黒だった視界の下の方から真っ白の光が差し込んできた。そして私の視界に港が現れた。とても自然な笑顔で私の目をまっすぐと見ている。
「久しぶりだね。僕の好きな人」
港が私のことを両手で抱きしめた。その瞬間に目から涙があふれ出て、港の胸の中で泣いた。涙は止まることなく滝のように私の目から流れる。港の服が少し濡れていく。
「ちょっと痩せた?」
港が私の耳元で囁いた。とても安心できる。彼の言葉はとても優しい。言葉が優しいというのだろうか。それとも声が優しいというのだろうか。とにかく優しい。心の底から安心できる。
港が私の顔を起こして口の布をとった。何を話せばいいのだろう。だが嗚咽のせいで声がうまく出ない。
「大丈夫だった?」
港が私の顔に手を添える。私はその手を握りながら顔を縦に振る。
「よかったよ。それとごめんね。遅れちゃって」
今度は首を横に振る。そんなことはない。それに助けに来てくれるとは思っていなかった。というか港がここにいるということはオスカー兄さんから逃げて来たということか。すごいな。
「今度は薬なんて飲ませないでね」
すると突然、唇が少し濡れた。港が顔が少し横になって目をつぶっている。キスされているのか私は。キスのおかげか少し心臓の鼓動が落ち着いて、涙も止まった。
「飲ませたっけ?」
「飲ませたじゃん。あの後、目がぐるぐるして大変だったんだよ?それにオスカーからめちゃくちゃ電撃食らって大変だったんだからな」
「ごめんって。それとなんか言うことあるよね?」
「え?そんなのあったっけ?」
「私は君の何?」
「.....どういうこと?」
港のこういうところは少し鈍感だな。ちょっとしっかりしてほしい。
「私は君のことが好きなんだけど?」
港の顔が真っ赤になった。ちょっとかわいいな。なんでキスでは赤くならなかったのになんでだろう。
「さっきのじゃダメ?」
「ダメ」
少し視線を落としてから顔を上げて私の目をまっすぐと見つめる。真剣そうな顔をしているが口がヒクヒクと動いている。かわいい。
「僕も好きだよ。エレナ。僕の彼女になってほしい」
「...はい」
この時、私は初めて神様に感謝した。こんなに嬉しいことはない。神様が自分の運命が変えてくれたのだろうか。いや。そうではないか。
港が私の運命を変えてくれた。




