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60話 病室の赤い髪

 病室まで全力で駆けてきた俺たちは部屋の扉に手をかける。

 扉を横に動かすと、俺たちを出迎えたのは一面真っ白な部屋だった。

 そしてその白の中で、一際目立つ目の覚めるような赤い髪の女性が二人。

 俺たちは彼女たちに駆け寄る。


「セレナ、イルヴィラ!」


 俺の言葉に反応を返してくれたのはイルヴィラだけだった。


「どうしよう、セレナが! セレナがっ!」


 憔悴しきった表情で俺たちを見るイルヴィラ。

 全く見たことのないその表情に、俺は事態が深刻極まりないことを理解した。

 熱くなっていた頭が急速に冷えていくのを自覚する。

 そして改めて今の二人の状態を確認する。


 イルヴィラは左手と右足を包帯でグルグル巻きにされ、ベッドの上に寝転がっていた。

 それ以外にも身体のいたるところに包帯が巻かれているところから、かなり重症であることがわかる。

 ただ、もっと重傷そうなのは隣のベッドのセレナだった。

 腹から下に布団をかけられ、ベッドの上に座っているセレナ。

 目は開いている。開いているのだが、その瞳には本来の溌剌とした輝きや俺を慕ってくれていた純真さのようなものは全く見て取れず、ただただ無機質な印象しかない。


「セレナ……?」

「……」


 声をかけてみても全く反応はない。

 焦点の合っていないような目はただ虚空を見つめるばかり。

 まるで感情がすとんと抜け落ちてしまったみたいに、セレナは意思を失くしていた。


「セレナが、セレナがぁぁ……っ」

「落ち着くんだイルヴィラ。冷静さを欠いてしまうのはわかるが、僕たちに事態を把握させてくれ」


 あまりの状況に口を出せない俺とエウラリアに代わって、エルディンがイルヴィラを諌める。

 イルヴィラは憔悴しきったままではあるが、それでも今しなければならないことに思い至ったようだ。

 ベッドから転げ落ちんばかりだった勢いを失くし、イルヴィラは肩を落とす。


「……ごめんなさい、あたし気が動転して……」

「こんな状況だ、無理もないよ。ただ、僕たちには何があったか説明してほしい。頼めるかな?」

「……ええ」


 そして舌が回っていないたどたどしい口調で語り始めた。


「……昨日の夜中、外に誰かの気配がしたの。もしかしたらジャハトかもしれないと思って、セレナを安全な場所に誘導してから槍に手をかけたわ。そうしたら案の定、そうだった。あたしも全力で戦ったけど……勝てなかったわ」


 イルヴィラが全力で戦って勝てない……?

 イルヴィラは国でもトップクラスの冒険者だぞ? そんなことがあり得るのか?


「どんな魔術や魔道具を使っていたんだ?」

「……わからないの。ただ、アイツに触れられただけでその部分が崩れ落ちるみたいにボロボロになった。アイツだけじゃなく、アイツの武器に触れても同じだったわ。そんな魔術聞いたこともないけど、おそろしく破壊力のある魔術よ。それであたしの動きを止めた後、アイツはセレナに近づいて……気づいたらあたしはここにいて、セレナはこうなってたわ」


 イルヴィラの視線の先のセレナはさっきから一言も発さない。

 時折瞼を開閉してはいるから生きているのは確実だが、アクションはそれだけだ。


 ……なんでセレナがこんな目に合わなきゃならない。この子が何かしたのか?

 心優しい、姉想いの子なんだよ。いつも俺を慕ってくれる自慢の弟子なんだよ。

 幼い頃から苦労して、苦労して……それでやっと手に入れた幸せすらも奪われるのか……!?


「……っ」


 拳を握りしめる。

 すぐに掌がじんわりと熱くなった。強く握り過ぎて出血したのかもしれない。

 とにかく、俺はふつふつとやり場のない怒りが湧きあがって来るのを必死で抑え込む。

 今は怒りに身を任せている場合じゃない。セレナの身に何が起こっているのか、それを突き止めることに心血を注ぐべきだ。


「どうやってセレナにこんなことを……」


 俺はセレナの身体に触れ、反応を確かめてみる。

 やはり反応はない。

 顔を触ってみても肩を触ってみても無反応だ。

 人をこんな状況に追い込める性能の魔石を考えてみるが、思い当たるものは無かった。

 となると、魔道具の線は薄いかもしれない。魔術の線はどうだろうか。


「人をこんな風にする魔術……僕も聞いたことがない」


 エルディンが首を横に振る。

 つまり、魔道具でも魔術でもない……? いや、そう決めつけるのは尚早か。俺が知らない性能の魔石が使われた魔道具、もしくはエルディンが知らない魔術の可能性もある。といっても、もしそうだとすれば手掛かりは完全にないのだが――


「これは破壊魔術だ。多分……ううん、間違いないよ」


 幼い声がしんとした病室に響いた。

 セレナを間近で凝視していたエウラリアの声だ。


「破壊魔術……?」

「そう、破壊に特化した魔術のことさ。使い手はすごく少ないみたいだけど、たしかに現存する魔術だよ。触れただけで人や物を破壊できる魔術で、極めれば人間の精神も破壊できる」


 破壊魔術。

 全く聞いたことがないが、エウラリアが嘘をついているとは思えない。

 それに、今の説明ならセレナのこの状態にも説明がつく。

 ……つまりセレナは、精神を破壊されたってことだ。


「……『極めれば』って言ったな。なら……」

「うん、多分レナルドの思ってる通りだよ。この使い手……多分、極意も習得してる。ボクと同じような妖精が付いてるはずだ」


 俺が『融合の極意』を得たのと同じように、どうやらそのジャハトというヤツは『破壊の極意』を得ているようだ。

 極意までたどり着くような人間が相手なら、イルヴィラが遅れをとったのにも納得がいく。


「セレナを治す方法はあるの!? あるのよね!?」


 突然イルヴィラが声を張り上げる。

 ……いや、本人からすればずっと我慢してきたのだろう。それがついに抑えられなくなってしまったんだ。

 エウラリアは下唇をキュッと噛んでそれに答えた。


「……そこまではわからない。ごめんイルヴィラ」

「そんな……っ! な、なんとかならないの!?」

「……」


 エウラリアは眉を下げ、無言で首を振る。

 それを見て、イルヴィラは伸ばした右手をすとんとベッドの上に落とした。


「……ごめんなさい、あんたに当たっても何にもならないのに……」

「ううん、ごめんね。本当にごめん」


 それを最後に、しばし病室に沈黙が流れる。

 重苦しい。まるで重力が局地的に増大したかのようだ。

 ただ一人、セレナだけがその重苦しさを感じていないような無表情をしているのがまた辛かった。




 それから数分か、十数分か。

 ともかくいくばくかの時間が経った後。


「ジャハトの顔は見たのかい?」


 エルディンが沈黙を押し切って口を開いた。

 超一流の冒険者だけあって潜ってきた修羅場の数が違うからか、動揺も一番していないようだ。


「……戦闘中にね。短い黒髪で、死んだような目をした男だった。最初は感情がないのかと思ったけど、多分違う。あたしが理解できないような種類の感情しか持ってないんだと思う」


 質問に答えるイルヴィラ。

 そして声を震わせて言う。


「……情けない。本当に情けないわ。あたしがついていながら……っ! 必ず守るって、セレナに約束したのに」


 超一流の冒険者と言えばイルヴィラもそうだが、イルヴィラは未だ憔悴を隠せていない。

 彼女にとってセレナは実の妹だ。エルディンと同じように振舞えというのは無理があるのだろう。

 それが理解できている俺たちは、イルヴィラの言葉を黙って聞いていた。

 慰めの言葉は今はむしろかけるべきでない気がした。何を言ってもイルヴィラの気持ちを楽にさせてやることはできないだろうから。


「……あんたたちに渡したいものがあるの」


 自分の気持ちをすべて残らず吐き出した後、イルヴィラは静かな口調で言った。

 静かだが、冷静ではない口調。それをわかって俺たちは彼女の言葉に耳を傾ける。


「これ、なんだかわかるかしら。……多分、レナルドならわかると思うんだけど」


 見せられたのは地図だった。

 王都付近の詳細な地形や街が描かれた地図だ。

 そして、その地図上にピコピコと光る赤い点が一つ。

 俺はすぐにその地図の機能を見破る。


「魔道具だな。融合されている魔石の性質は……『追跡』」

「さすがね、その通りよ。セレナが作ってくれた魔道具」

「ちょ、ちょっと待ってよ? 追跡って、まさか……!?」

「そうよ。ジャハトの着ていた服に発信器を付けてやったの」


 目を見張るエウラリアにそう答えたイルヴィラは、エルディンと俺に真剣な表情を向ける。


「……あたしもギリギリで意識も朦朧としてたから、付けたときに気づかれてたかもしれない。もしそうなら、ここにジャハトはいないでしょうね。でも、いるかもしれない。セレナがこうなってしまった今、レナルドまで同じ目にあったらこの国の融合魔術は終わりよ。だから……受け取ってくれる? 少しでもあなたの安全を確保するために」


 地図を持った手を伸ばしてくるイルヴィラ。


「もちろんだ」


 俺はそれを躊躇いもなく受け取った。

 イルヴィラが最後の力を振り絞って手に入れたジャハトの手掛かりだ。しかもセレナの創った魔道具で。

 そんなもの、受け取らないでいられるわけがない。

 イルヴィラは「ありがと」と短く答えた。そしてそっぽをむく。


「……あたし、もう寝るわ。疲れたの。三人とも、悪いけど出て行ってくれる?」


 俺たち三人は言われるがまま病室を出た。

 突然のイルヴィラの変調に疑問を抱かないでもなかったが、俺も狙われている身だ。もし近くにいればまたイルヴィラとセレナが怪我をしてしまう危険性もあるし、用が済んだのだから出て行くのが自然だろう。


 そして病室の扉を閉める。

 完全に閉まったところで、エウラリアがぽつりと呟いた。


「……ボクは今日ほど自分の力不足を恨んだことはないよ」


 エウラリアの気持ちに同感だった。

 この前まであんなに元気だったセレナがいきなり意思を失ってしまったという現実と俺は未だに向き合えていない。

 もしもっと俺に力があれば、何か変わったんじゃないだろうか。無駄だとわかっていても、そんな考えが頭の中をぐるぐるとまわり続ける。

 気持ちの整理がつかずにしばらくその場に立ち尽くす俺と、その肩に乗って口を真一文字に結んだエウラリア。

 エルディンはそれを邪魔せずに静かに傍らに立っていてくれた。

 すると数分後、病室の中から不意に声が聞こえてくる。

 耳を澄ますと、それがイルヴィラの声だとわかった。


「お願いだから、お願いだから、セレナを……っ」

「……っ」


 悲痛な声。その言葉の続きがわかってしまって、俺たち三人は唇を噛む。

『セレナを助けてくれ』――イルヴィラは俺たちにそう言いたかったのだろう。

 だけどそんな無責任なことは言えないと、必死でその言葉を呑みこんだに違いない。

 イルヴィラの気持ちを慮るだけでも言葉に出来ない気持ちが胸を圧迫して、呼吸困難になりそうだった。




 病院を出て、店への帰り道。

 朝日が差し、風が頬を撫でる。気持ちのよい天気なはずなのに、俺の心は沈んだままだ。


「……エルディン」


 あることを決め、俺はエルディンに声をかけた。


「俺は今回の犯人を許せない。そこで、あんたに頼みがある。……今回の俺の警護の依頼だが――」

「イルヴィラから受けた君の警護の依頼は、勝手ながら今この時を持って破棄させてもらうよ」


 先んじて発された言葉の内容に俺は目を丸くした。

 なぜならそれは、俺が頼もうとしていたことと全く同じことだったからだ。

 俺はこれからイルヴィラの地図を頼りに、単身ジャハトのところへ乗り込もうと思っていた。

 何が出来るかはわからない。だが、何もしないでいるのは耐えられなかったのだ。

 さすがにそんな身勝手にエルディンを巻き込むわけにはいかないし、そもそも自分から危険なところに行くのは認めてもらえないだろうしで、警護を辞めてもらおうと思っていたのだが……。


「これで君を安全なところに抑え込んでおく義務も権利も僕にはないわけだ。つまりはどこにでもいるただの一人の冒険者さ。――一緒に行こう、レナルド。気持ちは僕も君と全く同じだよ」


 傍らのエルディンは俺にそう告げてくる。


「……なんでわかったんだ? 俺がジャハトのところに行こうとしてるって」

「君の顔を見れば大体の推測はついたし……それに、エウラリアがこっそり耳打ちしてくれたしね。『レナルドがジャハトのところに行こうとしてるから、お願いだからついて行ってあげて欲しいんだ』って」

「エウラリアが……?」


 ふわふわと飛んでいるエウラリアに目線をやれば、エウラリアは腰に片手を当てて俺をビシリと指差す。


「ぜーったいレナルドは一人で突っ走ろうとすると思ったよ。そんなのボクが認めないんだからね! いい、良く聞いてよ? セレナもイルヴィラも大事だけど、ボクにとってはレナルドが一番大事なんだから! わかった?」

「……ああ、よくわかったよ。ありがとな、エウラリア」


 俺はエウラリアに心の底から感謝した。

 無茶を止めるんじゃなくて、無茶を叶えるために動いてくれる。エウラリアが俺のパートナーで本当に良かった。


「よし、じゃあ早速向かおうか。犯人退治だ」

「おう」


 地図上の光る赤い点までは直線距離でおよそ一時間くらい。今から向かえば昼前には着ける。

 俺たちは地図を見ながら一目散に目標の場所へと向かった。

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