51話 姉と妹
静まる部屋で、セレナはぽつぽつと昔の話を語りだす。
「両親が無くなってから、当時七歳だったお姉ちゃんは仕事を始めました。それも、四つ五つのかけもちです。他の同年代の子が親と遊んでいる中、お姉ちゃんは朝から晩までずっと働いていて……。私は何もできないのに、お金も稼げないのに、生きていくためには食べなきゃいけなくて。お姉ちゃんには辛い思いをさせるばかりでした」
その声色には、悔恨の色が強く含まれていた。
だけど、当時のセレナの年齢では働けなくても無理はないと思ってしまう。五歳なんてまだ子供も子供だ。
というか、七歳で働けるイルヴィラの方が異常だろう。
しかも仕事をかけもちしてたって……どんだけ頑張ってたんだ、イルヴィラ。
「でも、お姉ちゃんはいつも私にニコニコ笑顔で笑ってくれるんです。慣れない仕事できっと辛いことも沢山言われただろうに、『あたしは平気だよ』って言うんです。『ご飯も仕事場で食べてきちゃった。あたしばっかり良いもの食べてごめんね?』って、お腹を鳴らしながら言うんです」
その光景が想像できて、俺は息を呑んだ。
とても七歳の子供の言うこととは思えない。
そこまで相手を思いやれる人間は大人でも限られてくる。
「私はそれが嘘だって気づいてたのに、空腹に耐えられなくて全部食べてしまって……でも、そんな時もお姉ちゃんはずっと笑顔で……」
セレナの目には光る物が溜まっていた。
それが後悔からなのか、感謝の気持ちからなのかはわからない。
俺は当事者ではないのだから、いくら話を聞かされたところでわからないことがあるのは当然だ。
……でもまあ、そんな俺にもよくわかったことはある。
――セレナはイルヴィラのことが大好きで、そしてイルヴィラもまたセレナのことが大好きだってことだ。
「優しいお姉ちゃんだな。俺も見習いたいくらいだ」
「はい、本当に。私には勿体ないくらいの最高のお姉ちゃんなんです」
セレナはこの話をし出してから初めて笑みを見せる。
良い笑顔だな、と思った。
イルヴィラに見せたくてたまらないくらいの、とてもいい笑顔だ。
「それと、師匠にも感謝してるんですよ」
セレナが不意に俺へと話題を向けるので、俺は片眉を上げる。
まさかこっちに話が来るとは思わなかった。
「俺に?」
「はい、もちろんです」
セレナは迷わず頷き、そして言う。
「お姉ちゃんは両親が生きているころ、ずっと目を輝かせて冒険者になりたいという夢を語っていました。でも、両親が死んでからは一切冒険者のことは言わなくなった。……多分、自分が死んだら残された私が生きていけないと思って我慢してたんでしょうね。私がお姉ちゃんの夢を邪魔してたんです。そんな自分が許せなかった」
そうか、イルヴィラは最初から冒険者だったわけじゃないんだな。
そういえばエルディンも新進気鋭とか言っていた記憶がある。
セレナは自分のために大事な人が夢を諦めている姿を間近で見ていたってことか。それは辛いよな。
「このままじゃいけない、なんとかして自分で稼ぐ道を見つけなきゃいけないって、そう思ってるときに師匠と出会って……師匠のおかげで私もお金が稼げるようになって、お姉ちゃんも数年前にやっと冒険者になることができました」
そこで一旦言葉を切って、セレナは俺の方を向いた。
「だから師匠、ありがとうございます」
どうやらセレナは、俺のおかげで自分が融合魔術師の道に進めたと考えているようだ。
しかし、それは違うと俺は思う。
「セレナが頑張ったからだよ。あんなに筋の良くて一生懸命な人間は、誰が教えたって上手くなる」
たまたまあの時セレナに出会ったのが俺だっただけだ。
正直、セレナ程の才能があれば誰に教わっていても同じように大成していただろう。
だが、セレナは首を横に振る。
「それでも、私に融合魔術を教えてくれたのは師匠ですから。ありがとうございます」
「……ああ、どういたしまして」
そう言われてしまえば、大人しく受け入れるしかなかった。
……そう言えば、肩に乗ってるはずのエウラリアがずっと静かなんだが、どうしたんだろうか。寝ちまったのか?
首を捻り、エウラリアの方を向く。
「レナルドぉ……よくぞ、よくぞセレナに融合魔術を教えてくれたね……ひっく! キミはいいことをした、良いことをしたよ……!」
めっちゃ泣いてた。号泣だ号泣。
「……お前まえに『五歳に融合魔術を教えるなんて』みたいなこと言ってなかったっけか」
「それはそれ、これはこれ! 良いことしたねぇレナルド……!」
エウラリアは感動に打ち震えながら俺を褒める。
褒めてくれるのはいいのだが、涙でべとべとの手で頭を撫でるのはやめてほしいところだ。
セレナの話を聞き終えた俺は、水分補給のために部屋を出る。
一階のリビングへと足を運ぶと、そこには槍の整備をするイルヴィラの姿があった。
「俺まで守ってもらって悪いな」
「んー? いいのよ別に、あたしがしたくてしてることだし」
こちらには見向きもせず、槍の方だけを見て答えてくるイルヴィラ。
さっきあんな話を聞いたばかりだからだろうか、すごく良いヤツに見えて仕方がない。……いや、実際良いヤツなんだけどさ。
と、そんなことを思いながら飲み物を口に含むと、イルヴィラがこちらを向いた。
「それより、妹に変なことしてないでしょうね?」
「するかよ。俺にとってもセレナは弟子だぞ?」
「ああ、そうだったわね。……まさかあんたがセレナの師匠だったなんてねぇ」
今一度まじまじと俺の姿を確認する。
なんとなく居心地の悪さを感じながらも、俺はその視線を受け止めた。
そのまま数秒が経つと、イルヴィラは槍を置いた。
「……ありがとう」
「? なにがだ?」
「……あの子の師匠に会ったら、ずっとお礼を言おうと思ってたのよ。『あの子と接してくれてありがとう』って。……あたしが七歳、セレナが五歳の頃に両親が死んじゃってね。それ以来、あたしはお金を稼ぐのに必死で、あの子をほったらかしにしてたの」
先ほどセレナから聞いたばかりの話だ。
だけど、イルヴィラの方から聞くとまた違うというか……この姉妹はどちらも自分のことを責めている気がする。
「寂しかっただろうに、そんなことは一言も言わなかった。……でも、夜になるといつも泣いちゃうの。『一人は嫌だよお……!』って。そんな妹を置いて毎日働きに出る自分が死ぬほど嫌いだったわ」
イルヴィラはそこまで言って、いつのまにか固く握られていた拳を柔らかく開いた。
フッと一瞬顔が綻ぶ。
「でも、あるときからあの子は変わった。融合魔術を覚えたあの子は、それにどんどんのめり込んでいったわ。誰に教わったのか聞いてみると、『師匠に教わった』って。それからずっと、事あるごとに師匠はこう言ってた。師匠の教えを守らなきゃ。ってあの子、必死で頑張って……いつからか、夜も泣かなくなってたわ」
最後に、イルヴィラは俺に向かって頭を下げた。
「あなたのおかげで、あたしはあの子を一人ぼっちにしてしまっていた自己嫌悪から抜け出せた。……だから、ありがとう」
セレナだけでなく、イルヴィラからもお礼を言われてしまった。
なんだ? お前らは姉妹揃って俺を泣かせに来てるのか?
かなり涙腺に来てるからやめてくれ。あとちょっとで泣いちゃうぞ俺。
「セレナはお前に感謝してたよ。まだ七歳で周りの子は皆親と遊んでたのに、お姉ちゃんはあたしのために一生懸命お金を稼ぎに行ってくれたって。俺もイルヴィラは凄いと思う。尊敬する」
「……やめてよね。泣いちゃったら視界が滲んであんたたちを守れないじゃない」
俯いて唇を噛むイルヴィラの顔を、俺は見て見ぬふりをした。




