4話 壁は越えるためにある
鉄製のピッケルとストーンゴブリンの魔石。俺は両手に持った二つを合わせる。
そして、融合魔術を行使した。
ピッケルに魔石がズブズブと入り込んでいく。
すでに半分ほどまでは問題なく融合していた。
だが、問題はここからだ。
魔石は魔物の核であり、その生命力を物質に移行させるという作業には必ず拒絶反応が伴う。
それをどれだけ軽減し、かつ素早く終えることができるかが融合魔術師の腕の見せ所なのだ。
右手に持ったピッケルに、魔石を押しこんでいく。
バチバチと灰色の火花が飛び、周りの人々が一歩退いた。
だが、俺は一番近くで火花を浴びても動じない。
魔術で重要なのは精神面、すなわち成功のイメージを持つことだ。
この十年間で、そのイメージは完璧に形成した。
人それぞれ融合の際に持つ感覚は違うが、多くの場合は魔石の元となった魔物をイメージし、それを手なずけるのが成功のコツだ。それは俺も同じである。
ここからは、魔石の中に残った残存思念との戦いなのだ。
「ギャギャ!」
瞼の裏に広がる真っ暗闇の世界。そこに、灰色の魔物が現れる。
頭の中で創りだされた『硬質化』の能力を持つストーンゴブリンだ。
皮膚は石のように固く、その防御力は下級魔物の中では唯一無二を誇る。
そのゴブリンを、俺は自分の掌にのせる。
本来のゴブリンの身長は俺の腰ほどまであるのだが、脳内ではエウラリアと同じサイズにまで縮んでしまっていた。
ここはイメージの世界、精神力の強さが物を言う。
ゴブリンは慌てて『硬質化』を発動させるが、これだけの大きさの差があれば、いくら固くなったところで無意味だ。
俺はストーンゴブリンを握りつぶす。
十年の訓練で人並み外れた精神力を手に入れた俺にとって、ストーンゴブリン程度は敵ではなかった。
「ふうっ!」
残存思念を一瞬で圧倒した俺は、その勢いのままピッケルと魔石を完全に融合させる。
融合する瞬間、ピッケルは一際大きく光を放った。融合が上手くいったサインだ。
「……終わった」
完成品を見て、俺は一瞬だけ現状を忘れる。
これは――。
「おい、終わったのか?」
思考が遮られる。
俺の動作が停止したことで、群衆の一人が声をかけてきていた。
その声で、俺は自分が置かれている現状を思い出す。
そうだ、今はあの巨大な岩を壊すことが先決!
「渡してくる!」
俺は炭鉱夫の元へと走る。
歩いても数秒しか変わらない距離ではあるが、一瞬でも早くこのピッケルを届けたかった。
「これを使ってくれ! 融合魔術で作った『硬質化』のピッケルだ!」
汗をだくだくにして救出作業にあたっていた炭鉱夫たちが、俺の言葉で一斉に振り返る。
男たちの着用しているシャツはもはや汗を吸い取ることを放棄しており、ただのビチョビチョの布と化していた。
それを脱ぐ時間さえ厭って、男たちは救出作業にあたっているのだ。
子供たちを助けたい気持ちは、俺も彼らも同じである。
「これを使えばいいのか? わかった!」
会話している時間も惜しいのだろう。短くそれだけ言って、男は俺からピッケルを受け取る。
そしてすぐに振り上げ、振り下ろす。
すると男は驚きに顔を染めた。
「おおっ!? ぜ、全然違う! 岩がまるでゼリーみてえに削れていくぞ!」
男の一振りは、今までの十倍ほどの岩を粉砕していた。
よかった、融合は成功していたようだ。
それを確認した俺は、作業の邪魔にならないように男たちから離れる。
ここまできたら、俺の仕事はもうない。
あとは炭鉱夫たちの力に任せよう。
少し離れた場所に座り込む。
救出作業は、今までの難航が嘘のように順調に進みだしていた。
すでに岩は破壊目前で、あと五分もすれば子供たちは助け出されるだろう。
地面に腰を下ろした俺は、ホッとため息を漏らした。
助かりそうで、本当に良かった。
「……それにしても」
俺は自分の掌を見つめる。
「今までの魔術と何か違ったかい?」
ひょこり、と肩の後ろからエウラリアが俺に声をかけた。
「ああ、全然違った。……エウラリアが力を貸してくれたのか?」
「いいや、ボクは何もしてないよ。今のは全部キミの力さ」
そう告げるエウラリア。
しかし、俺はそれに納得できない。
今までの俺は、天井の存在を確かに感じていた。
魔術が上達するにしたがって成長速度は鈍っていき、ここ数年は停滞していると感じることも多かった。自分は本当に融合魔術の道を前に進めているのだろうかと、疑心暗鬼になることもあった。
そんな風に苦心苦悩を続けながら、天井にいかに近づけるか……それが俺の中での融合魔術の上達に他ならなかった。
しかし今回の『硬質化』のピッケルづくりに関しては、その存在を感じられなかった。
まるで、部屋の中に閉じ込められていた人間が初めて外に出たときのような、そんな広々とした世界が魔術の中に垣間見えた気がしたのだ。
今までと今回で変わったことがあるとすれば、スライムではなくストーンゴブリンの魔石を融合させたこと。
そして、エウラリアが俺の元を訪れたこと。
魔石の種類に関しては大して関係なかったように思う。スライムの魔石を扱うときとほとんど作業感も変わらなかった。
となると、やはり原因はエウラリアなように思えるのだ。
「納得できないって顔をしてるねー」
「そりゃそうだ。俺は昨日のスライムの魔石を融合させた時点で、『完璧』にたどり着いたと思った。だけど、今回の完成品はそれよりもさらにいい出来だったように思う。それが納得できない」
「なら、説明してあげよう!」
エウラリアはピンッと人差し指を立てた。
「キミが今混乱している原因は、『融合の極意』に辿り着いたことだよ。それぞれの分野の極意にまでたどり着くことを、ボクたち妖精は『壁を超える』と呼んでいるんだけど……それまでにはとても大きな壁があるんだよ。キミもわかっているとは思うけど、誰にでもたどり着けるような生ぬるい境地じゃない。そしてその分、極意にたどり着いた人間には、人智を超えた力が宿るんだ」
なるほど……。
俺はあの日の融合で、自分の中にあった壁を超えることができたということなのか。
「でも、まだそれが最高じゃない。キミの身体はまだ融合の極意を扱いきれてないみたいだからね。きっとまた、初心者に戻ったみたいな成長速度がキミを待ち構えてるよ」
「融合魔術にはまだ先があるのか……感謝する、エウラリア。俺はまだ先へ行ける。そのことが嬉しくてたまらない」
頬が吊り上がるのを自覚する。
これ以上成長の余地はないのだと、そう自分で限界を決めつけていた。
しかし、俺はまだまだ成長できるらしい。
今の融合を通して身を持ってそれを知れた俺は、武者震いする。
そんな俺を見て、エウラリアは嬉しそうに目を細めた。
「フフ、子供みたいに目を輝かせちゃって。……なんか懐かしいなぁ、こういう感じ。前の三人と同じ反応するなんて、やっぱりキミも極意にたどり着いただけはあるね」
とその時、人ごみから歓声が上がる。
人垣の隙間から、少年たちが泣きながら炭鉱夫たちに抱きかかえられているのが見えた。
その顔を見る限り、どうやら怪我人などはいないようだ。
「よかったなぁ。……本当によかった」
「キミの力のおかげでもあると思うけど?」
「いや、あの人たちの頑張りあってこそだよ。俺はそれを手助けしただけだ」
少し離れた場所から、歓喜に沸く人々を見る。
互いに抱き合い、喜びを露わにする人々。
少年の一人をビンタした後、泣きながら強く抱きしめる母親。
抱きしめられ、さらに号泣する少年。
……俺にはそれらが、世界一幸せな光景に思えた。
自然と顔に微笑みが零れる。
やっぱりここは良い町だ。