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融合魔術師は職人芸で成り上がる  作者: どらねこ
3章 オーシャニア編
30/66

30話 大雨に響く音色

 アルシャが笛を口に咥える。

 大荒れの海を黙って見つめ、そして瞳を閉じた。

 アルシャの笛の音が、旋律を奏で始める。


「おぉ……」


 最初の一音が響くと同時に、誰かが声を漏らした。

 元々人の心を揺さぶるような音であったアルシャの笛の音が、『拡散』によってより広範囲に広がり、『鎮静』によってよりリラックスできるものへとグレードアップしている。

 澄んでいるというのに、心根の奥を直接鷲づかみにするような激しさも内包された音。

 大雨が降っていようが、アルシャが笛を吹いたその瞬間からここはアルシャのステージだった。


 俺たちは固唾を呑んでアルシャを見つめる。

 アルシャを海に捧げようとしていた町長たちですら、時が止まったかのように動きを止め、彼女が海に向かって演奏するのを放心し眺めていた。

 儚くも芯のある音。まるでアルシャそのもののようだ、と俺は思った。

 後ろ姿を見ただけで……いや、笛の音色を一音聞いただけでも、アルシャが今ここに全身全霊を込めているのがわかる。

 鬼気迫る形相とは、真逆。

 緊張の対極に至り、身体のどこにも力が入っていない状態のアルシャが鳴らす繊細な音。

 それが張り詰めた空気を切り裂き、和らげていく。


 アルシャの演奏だけが耳に届き、降りしきる大雨の音さえも笛の音のバックコーラスのように思えてくる。

 そんな奇妙な感覚に陥り始めたころ――それは、現れた。


「グルルルゥゥゥ」


 耐えず揺れ続ける海面から、蒼い身体の龍が顔を出したのだ。

 一目見ただけで、俺はこれが青竜なのだと確信する。

 蒼い鱗に覆われたその肉体は頑健ながらも美しく、魔物のものとは思えないほど理知を感じる顔つきは、見る者に畏怖と同時に高貴ささえ感じさせる。


 顔を出した青竜は首をもたげ、ゆっくりとこちらへと接近してきた。

 その目はただ一人、アルシャだけを凝視している。


「そ、そんな……! ああ、終わりだ……」


 ゆっくりと近寄ってくる青竜を見て、町長の取り巻きの一人が腰を抜かす。


「狼狽えるな」


 水気を多分に吸った砂浜に倒れ込んだ男に俺は言う。

 そう、むしろこれはチャンスだ。

 青竜は今アルシャと数メートルほどの距離にいる。

 これはすなわち、青竜にも確実に笛の音が届くということだ。

 ここで上手く青竜を鎮めることが出来れば、また穏やかな海が戻ってくるはず。

 ……それに、俺には確信めいた予感があった。

 この青竜は争いに来たのではない。怒りを示しに来たのでもない。

 ただ、アルシャの奏でる音を聞きに来たのだという予感が。


「グル……」


 青竜はアルシャの目と鼻の先まで近づく。

 アルシャはそれに対して全く反応をしない。ただ笛を吹くことだけに全神経を注いでいるのだ。

 そんな一人の少女の姿を声も上げずに見つめた青竜は、そのまま瞳を閉じた。


「……な、なんだ? 一体何が起こってるんだ?」


 事態が呑みこめていない様子の取り巻きたちに、俺は言う。


「アルシャの笛の音を聞いてるんだ」


 こんな人が大勢いるところで目を閉じるなんてことは、魔物である青竜からすれば著しく危険を伴う行為であろう。

 そんなことをわざわざ行う理由はただ一つ。

 青竜も俺たちと同じように、アルシャの演奏に心を奪われたのだ。


 アルシャが音を発するたび、青竜はゴロゴロと喉を鳴らす。

 それは決して不機嫌に由来するものではなく、心地よさを表すシグナルであることは、その場にいた全員が理解できた。

 俺たちはアルシャの心地よい音に半ば身を委ねながら、アルシャと青竜を眺める。

 海巫女と海の神。そんな一人と一匹の構図は、まるで一枚の絵画のようにも思えた。




 いくばくか経ち、アルシャが笛から唇を離す。

 それが、演奏が終了した合図だった。

 アルシャは腕を身体の横にピタリとつけると、青竜にお辞儀する。

 その顔はやり遂げた晴れ晴れしいもので、大雨の天気とは対照的だ。


「グルルゥ……」


 青竜はアルシャへと身体を伸ばした。

 青竜とアルシャの距離が、もはや重なるほどまでに縮まる。

 しかし、俺たちは誰もその動きを止めようとはしない。

 止められる可能性があるエルディンやイルヴィラでさえも。

 なぜならその場にいた俺たちには、青竜に敵意がないことがはっきりと伝わっていたからだ。


「グルゥ」


 青竜はアルシャに一度身を寄せ、そして自分の身体を擦りつけた。

 それと同時に、青竜の身体から一枚の鱗が剥がれ落ち、アルシャの手の平へと収まる。

 蒼い鱗はまるでそれ自体が光を発しているかのように、雨の中でも眩く輝いていた。


「……これ、くれるんですか……?」

「グルル」


 青竜はコクリと頷き、身体を反転させる。

 そして自らの住処である海の奥へと戻っていった。






「アルシャ~!」


 青竜が姿を消してしばらく。

 皆が呆然となる中で、最初に言葉を発したのは、拘束を解かれたエウラリアだった。

 エウラリアはアルシャの周りをグルグルと回って興奮を伝える。


「すっごいやアルシャ! キミは演奏するたびに素敵になっていくねぇ!」

「もう演奏するのに必死で……でもそうですね。多分今までで一番の演奏だったと自分でも思います。ありがとね、リアちゃん」

「こちらこそありがとうだよアルシャ!」


 緊張から解き放たれた解放感からか、アルシャの表情は柔らかい。

 エウラリアに優しく微笑むと、アルシャは俺の方へとやってきた。

 そして笛を愛おしそうに顔の近くに掲げる。


「ありがとうございます、レナルドさん。こんな素敵な笛をつくってくれて」

「別に俺だけの力ってわけじゃない。エルディンやイルヴィラもいなきゃ為し得なかったことだ」


 俺が二人を指し示す。

 しかし二人はフルフルと首を横に振った。


「いやいや、僕はレナルド君の指示に従ったまでだよ」

「あたしもそうね。今回の件に関しては大した働きはしてないわ」


 どうやら二人は俺を立ててくれているようだ。

 どうにも照れくさい俺は、二人に言う。


「おいおい、何言ってるんだ。エルディンはともかく、イルヴィラはそんな立派な性格じゃないだろ」

「……あんた本当いっぺんボコすわよ?」

「ごめんなさい」


 照れ隠しにからかったらやりすぎてしまった。反省反省。

 そんな俺たちのやりとりを見ていたアルシャは、クスッと笑った。


「あ、すみません笑っちゃって……面白くてつい」

「たしかに面白いよね、レナルドのコミュニケーション下手具合とか! ぷぷぷ!」

「はい、エウラリアは今日晩飯抜きな」

「うそうそ! レナルドすっごいカッコいい! ボク、キミのこと大好き!」


 と、会話が一息ついたところで、エウラリアが俺たち四人に深く頭を下げる。


「皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、この街は救われました」


 頭を上げたその顔は本当に嬉しそうで、アルシャがこの街のことをどれだけ愛しているのかが伝わった。

 文字通り命がけで守ろうとしたのだ、アルシャにとっては両親の思い出が残る街だし、その気持ちは俺も少しは理解できるつもりだ。

 だが、今のアルシャの言葉には語弊がある。


「俺たちだけじゃない。最後に青竜を鎮めることができたのはお前自身の力だぞ、アルシャ」


 そう、アルシャの力が無ければ青竜を鎮めることなど不可能だった。

 俺たちも尽力はしたが、この作戦の最終的な要は「アルシャが青竜を鎮められるかどうか」に懸かっていたのだ。

 そして見事、アルシャはそれを成し遂げた。


「一番の立役者はお前だ。……自分を信じて、良かっただろ?」

「……はいっ。良かったです……!」


 アルシャは声を震わせながら俺に答えた。




「ねえ見て、雲が晴れたよ!」


 エウラリアが突如空を指し示す。

 青竜がいなくなり弱まっていた雨はついにあがり、雲はいつのまにかに霧散していた。

 エウラリアの言う通り空に雲は一つも見られず、日が落ちきった空をまるで宝石のような星々が照らしている。


「綺麗……」


 空を見上げて、アルシャは呟く。


「そうだな、とても綺麗だ」


 俺はアルシャの言葉に同意する。

 満天の星空の中涙ぐむ彼女は、まるで海の女神のように思えた。

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