29話 各々の役目
列車に揺られて数時間。
日没まであと一、二時間というところで、俺とイルヴィラはオーシャニアへと戻ってきた。
雨が視界を狭める中、俺たちはそれを気にも止めずに走り出す。
「まだ魔石を笛に融合する時間も必要だ。余裕はあるが、急ぐに越したことはない。走るぞ!」
「わかってる!」
駆けだした俺だが、すぐにイルヴィラに抜かされてしまう。
一流冒険者と副業冒険者の運動能力の違いは気持ちでどうにかなる問題でもない。
「しょうがないわね……! あんたはまだ仕事が残ってるんだから、ここはあたしに任せなさい!」
そんな俺を見かねて、イルヴィラはまた背に俺をおぶってくれた。
イルヴィラに背負われた俺は、風を斬るような速度でアルシャとエウラリアのいる海岸沿いへと向かう。
そして夕日が傾きかけてきたころ、俺は二人の元へと到着した。
「待たせた」
「レナルド!」
「レナルドさん!」
エウラリアとアルシャが俺を見て声を上げる。
エウラリアは捕えられた籠の柵を両手でガシャガシャと揺らして興奮を伝え、アルシャは口元を押さえて驚きを露わにしている。
視線を二人の奥へと送れば、そこにはすでに森でラージゴバットを狩って来たのであろうエルディンの姿も見えた。俺は彼の姿を見つけ、安堵する。
エルディンに限ってありえないだろうが、不測の事態は誰にでも起こり得るものだからな。
あの表情からして成功したのは間違いない。よかった。
だが、雨足は朝よりも確実に強まっていた。
海は白い砂浜を覆い尽くさんと高く波を立て、繰り返し勢いよく押し寄せる。
そうだ、安心している場合じゃない。まだまったく気を抜いていい状況じゃない。
「ほう……本当に戻ってくるとは」
「エルディン、魔石をくれ」
町長が感心した顔で発した言葉を無視して、俺はエルディンに手を伸ばす。
今はあんたに構ってる時間は無いんだ。
伸ばした腕の先、広げた手の平にエルディンは魔石を乗せる。
しかしその予想外の感触に驚いた俺は、思わず自分の手の平の上を見た。
そこには、橙色をした五つの魔石が俺の手の平一杯に乗せられている。
「念のため五匹狩って来たよ」
「……助かる、エルディン!」
まさか五匹も狩ってきてくれるとは……!
魔石は『第二の心臓』とも呼ばれている通り、魔物の体内器官の一つだ。
他の期間と同様、同じ魔物の魔石でも細かいところには差異がある。
融合しやすいものもあれば、もちろん融合しにくいものもあるのだ。
だが、五つもあれば融合しやすいものを選んで融合することが可能――この恩恵は融合難易度が高い作業になればなるほど大きくなる。
ましてや今回のような、一つの物に二つの魔石を組み合わせる……なんてときには相当なアドバンテージだ。
『鎮静』の魔石に『拡散』の魔石、それにアルシャの笛。
……俺の立てた策に必要なものは全て揃った。
エウラリアの身を挺した説得が無ければそもそも作戦を実行することすら無理だったし、エルディンとイルヴィラがいなければ魔石を手に入れることも不可能だった。
皆のおかげで、今俺の手元には全ての鍵が揃っている。
「……次は、俺の番だ」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。
そして、融合魔術を行使した。
複数の魔石を融合する場合、とれる方法は二つある。
まず第一に、一つずつ魔石を融合していく方法。
こちらなら精神世界で戦う魔物の数も一匹ずつで良い。そして、もちろん難易度は飛躍的に上がるものの、何より普段から慣れ親しんだ融合方法とほとんど変わらない手順で融合を行うことができる。
次に、一気に二つの魔石を融合する方法。
こちらは一度に二体の魔物と精神世界で戦わなくてはならない。一度に二つの魔石を相手取る分、難易度は前者よりもさらに高く、これを行えるのは後世に受け継がれているドワーフの名工四人だけだと言われている。
そして今回、俺がとる方法は後者だ。
理由は単純、後者の方が魔石の持つ性能を限界まで引き出すことができるからだ。
青竜という生物の領域からはみ出したような魔物に対して効果を持たせるためには、妥協など、論外。
なぁに、スライムの魔石二つでなら何度も成功したことがある方法だ。それが他の魔物の魔石に変わっただけ。
大したことだが、しかし俺には大したことじゃない。
なにせ俺には、語り継がれているドワーフたちと同じように、融合を司る妖精――エウラリアが付いているんだ。
チラリとエウラリアの方を見る。
視線に気づいたエウラリアは、両腕をピンと伸ばして俺を応援してくれた。
土砂降りの雨に身体を濡らしながらも、俺の背中を押してくれる。……いい相棒を持った。
『鎮静』と『拡散』の魔石を、宿から持ちだしたアルシャの笛へと押し付ける。
一つの時の融合とは違い、いきなり魔石の浸透が遅い。
反発する力が強く、魔石が笛に馴染んでいかない。
通常であれば半分ほど馴染んだところで出始めるはずの火花がすぐに飛び散り始めた。
火花は雨に一瞬で消されるが、火花が出ているという事実は消せない。
集中しろ。集中しろ。
頭の中に現れた魔石の持ち主である魔物たち、ラージゴバットとメースリープ。
一体一体ならば簡単に懐柔できる魔物たちだが、二体同時になると全く別の魔物のように感じられる。
焦るな。焦るな。
二匹を見ながら俺は自分に言い聞かせる。
今まで自分が積み上げてきた努力を信じろ。
エルディンが、イルヴィラが、エウラリアが。……そしてアルシャが信じてくれた、自分を信じろ。
メースリープは刺激を与えると周囲を眠らせる。ラージゴバットは逆に刺激を与えると騒ぎ出す。
精神世界であっても魔物の特性は変わらない。この特性を上手く活かすんだ。
俺はまずラージゴバットへと攻撃を仕掛けた。深い傷は与えられないまでも、傷を負ったラージゴバットは口を大きく開く。
それを見た俺は、全力で回避行動をとった。
とにかく二匹の魔物から距離をとる事だけを目標に、背を向けて一目散に駆ける。
「ギャオォォォォォォッッッ!」
ラージゴバットのけたたましい鳴き声が、俺の精神世界を揺らす。
一瞬世界が不安定になるが、なんとか持ちこたえた。
ここが正念場、ここで意識を手放したら駄目だ!
俺は足を止めずに、二匹から離れ続ける。
「スィィー……スィィー……」
ラージゴバットの絶叫を耐えきった俺の耳に、今度はかすかに心地よい音色が聞こえてきた。
メースリープの鳴き声だ。
ラージゴバットの鳴き声が刺激になって、メースリープが周囲を眠らせるための声を出したのだ。
「残念ながら、離れていた俺にはほとんど効果がなかったが……近くにいたお前は違うだろ?」
俺は振り返る。メースリープの蕩けるような鳴き声に絆されたラージゴバットは、地面に身体を預けてスヤスヤと眠ってしまっていた。
それを見て、俺はフゥと息を一つ吐く。
……これで、一対一だ。
いつも通りの融合魔術と同じ、ここからの失敗はあり得ない。
「さあ、反撃開始だ」
俺は二匹と距離を詰めた。
魔石が笛に馴染んでいく。
一対二の膠着状態を抜け出したことで、俺は二匹の魔物を完全に支配下に置いていた。
拒絶反応である火花も上がらなくなり、さらに融合の速度が上昇する。
そしてついに、二つの魔石を笛に融合しきることに成功した。
「ハァ、ハァ……」
さすがに厳しい戦いだった。
融合魔術で息が上がるほど消耗したのはいつ振りだろうか。
そんな風に過去を振り返りたくなるほど、神経をすり減らす作業だった。
「レナルドぉぉ、凄いよ凄いよっ!」
もはや籠を壊さんばかりの勢いで俺に称賛を送るエウラリアの声で、俺は勝機を取り戻す。
そうだ、まだ終わりじゃない。
エウラリアに応えるように軽く手を上げて、アルシャの方へと近づいた。
「アルシャ、君の笛を使わせてもらった」
ここまで来るときに宿から持ち出したアルシャの笛を彼女に見せながら、告げる。
「れ、レナルドさん、一体何を……?」
アルシャは雨で濡れた髪を肌にひっつけたまま、戸惑う様に俺に尋ねた。
その肩は小さく震えている。
ずっと雨に打たれて寒かっただろう。
今すぐにでも暖をとってほしい……が、アルシャにはまだやってもらわねばならないことがある。
「俺は今、アルシャの笛に『拡散』と『鎮静』の二つの魔石を融合した。アルシャはこれで――君の笛の音で、青竜を鎮めてくれ。それが俺の考えた策だ」
俺が告げた策の内容に、アルシャの目が大きく見開かれる。
そして小刻みに首を横に振った。
「わ、私が、青竜を……!? そんな、無茶です! 出来るわけ――」
「出来る」
俺はアルシャの言葉を遮る。
「君の笛の音の素晴らしさは、俺もエウラリアもよく知ってる。出来る」
アルシャの笛の音は、まごうことなき世界最高の笛の音だ。
自信を持ってそう言える。
アルシャにも、その自信を持ってほしかった。
自分をもっと信用してあげてほしかった。
だから、俺はまっすぐにアルシャの目を見つめる。
俺に笛の音の素晴らしさを教えてくれた。笑い方を教えてくれた。
アルシャは凄いヤツなんだ。
じっと俺を見つめ返すアルシャの目が、段々と強い光を秘め始めていくのが分かった。
数秒か、数十秒か。
雨の音だけが周囲に鳴り響く時間がしばし流れた。
「……出来る、でしょうか」
そして呟いたアルシャの言葉に、すぐにエウラリアが反応する。
「出来るよ! ボクが保証する!」
「ああ、もちろん俺もだ」
エウラリアに同意して、俺は笛をアルシャへと手渡した。
「俺は融合魔術師だ。俺の仕事はここまで。ここからは、君の仕事だ。アルシャは海巫女なんだろ?」
「……わかりました。私、やります」
そう答え、笛を受け取ったアルシャは海を見た。
海は吹き荒ぶ風と激しい雨でひどく時化っている。
アルシャが笛に口をつけた。




