27話 交渉
ディリーの街は、オーシャニアとは真逆の晴天だった。
太陽がポカポカと周囲を照らし、家畜化された魔物たちがのんびりと柵の内側を歩いている。
「なんだか、時間がゆっくり流れている街ね」
イルヴィラの言葉に俺は頷く。
その言葉通り、のどかで平和な街という印象だ。
もし平時にきていたならば、この光景にきっと心安らいだに違いなく、もしかしたら昼寝の一つでもしていたかもしれない。
だが、今は違う。緊急事態なのだ。
時刻は昼前。今の季節の日の入りは大体五時前後だから、あと五時間超……決して余裕はない。
俺は最初に目についた家をノックし、メースリープを飼っている農家を探すことにした。
酪農を営んでいるだけあって敷地は広い町だが、人口はそこまで多くは無いらしい。
「人より魔物が多い街だからね。街の人間はほとんど皆顔見知りさ」と言いながら、街の人はメースリープを飼っている人の家を教えてくれた。
教えられた家の場所へと向かうと、たしかにその家の前の柵の中にはメースリープたちがいるのが確認できる。
白いモコモコとした毛に、二本の丸まった角、そして常にどこか眠気を感じる顔立ち。間違いなくメースリープだ。
「これで、いるのは確認できた。問題は……」
「魔石を貰えるかどうか、よね。さっきの人も『癖のある人だから交渉するのは難しいかもしれないねぇ』なんて言ってたし」
イルヴィラが俺の後を引き継いで言った。
やっと体力も戻って来たのか、イルヴィラは少し恥ずかしそうに「ありがと」と言って俺から離れる。
俺はそれに頷きながらも、頭ではこれからしなければならない魔石の交渉について考えていた。
ただでさえ交渉ごとは苦手なのに、さらに相手が一風変わった人間となると……。
「……イルヴィラ、交渉ごとに自信は?」
「あると思う?」
「簡潔な答えをありがとう」
そうだよな。
イルヴィラは思ったことは言ってしまうタイプの人間だ。下手に出て交渉するのが得意だとはとても思えない。
「やっぱり俺がやるしかないか」
それより確率の高そうな選択肢が他にないのだから、仕方がない。
俺はイルヴィラの一歩前に出た。
そんな俺に、イルヴィラの心配そうな声がかかる。
「でも正直、あんたも交渉ごとに向いているとは思えないけど……大丈夫なの?」
「イルヴィラのおかげでここまでこれたんだ、あとは俺がなんとかする」
交渉の可否が俺の肩にのしかかるのを自覚する。
続けざまに、心臓の鼓動がうるさくなり始めた。
くそっ……融合魔術に関してのプレッシャーならいくらでも耐えられるというのに、それ以外だと途端にこれか。
いや、落ち着け。『鎮静』の魔石を手に入れられるかどうかは俺の働きにかかってる。
アルシャの為にも、俺がなんとかするんだ……!
「よし……行くぞ」
俺は半ば自分に言い聞かせるようにそう口にして、家の扉をノックした。
「……どちらさんかな?」
出てきたのは、還暦を迎えて数年は経っていそうな老人だった。
髪も眉もすでに白髪に変わっており、顔には今までの長い人生を象徴する皺が深く刻まれている。
「突然すみません、お話があって参りました。ご老人、メースリープの魔石を我々に譲っていただくわけにはいかないでしょうか」
「ほう。……まあ、入んなさい」
老人は俺とイルヴィラを中へと案内してくれた。
家の中はとても広く、まるで中で球技でもできそうなほどだ。
ソファに座った老人は、名をジャバと名乗った。
「それで、あんたたちの名は?」
「俺はレナルドです」
「あたしはイルヴィラです」
「ほうかほうか、こんな魔物と年寄りしかいない街によく来たのぅ」
今のところ、ジャバの言動に変わったものは見られない。
聞いていたものとは違う柔らかい物腰に、俺は少しホッとする。
少し気負い過ぎていたかもしれない。
「で、メースリープの魔石が欲しい……じゃったか?」
「はい、お金ならこれだけあります。なんとかなりませんでしょうか」
俺は鉱山で子供たちを助けたときにもらったお金をありったけ、テーブルへと置いた。
その袋の口を広げると、中にはたくさんの金貨が入っている。
それを見たイルヴィラが、咄嗟に俺の援護をしてくれた。
「ジャバさんもよく知っておられるでしょうが、レナルドの提示額はメースリープの魔石に対する額としては破格なものです」
イルヴィラの言う通り、俺が差し出した額は市場価格の十倍近いものだった。
交渉ごとが苦手なら、その分条件を良くするしかない。
そう思った俺は、自分が差し出せるもの全てを差し出すことにしたのだ。
所詮金は金、生きていればまた手に入るし、そもそもそこまで執着もない。
だが、アルシャは死んでしまったら二度と生き返ること等できないのだ。
どちらに重きを置くかなんて、考えるまでもないことだった。
だが、ジャバはその法外なまでの金額を見ても白眉一つ動かさない。
「あいにくだが儂は金はありあまるほど持ってるんじゃよ。こんな田舎だ、使う機会がないからのぅ」
そう言われた俺は、息を呑んだ。
金で釣れないという事態は、想像さえしていなかった。
でもたしかにそうだ。数十匹の家畜を持っている人間が金に困っているわけがない。
一瞬頭が真っ白になる。そんな俺の前で、ジャバは続ける。
「じゃから、金は要らん。その代わり、儂を驚かせるような何かをやってはくれんかのう」
ジャバが提案したのは、凄い芸を見せろということだった。
俺はすぐに融合魔術に思い当たる。
だが、現状俺は魔石を一つも所持していない。
融合魔術を見せるためには、ジャバから魔石を貰い受けなければならないということだ。
魔石を貰うための条件として芸を要求されているのに、「芸を見せるのに魔石が必要です」などといって魔石を貰えるわけがない。
俺は融合魔術の線を捨て、他になにかないかと考える。
「……っ」
……だが、出てこない。
そもそも俺は優れた人間ではない。
膨大な時間と情熱を全て賭けて、ようやく融合魔術という他の人よりも優れた部分を得ることができた人間だ。
それを使うことができない今、俺にジャバを驚かせるような芸はできるはずがなかった。
「なんじゃ、何もないのか」
ジャバはがっかりしたように言う。
まずい、このままじゃ交渉が失敗で終わってしまう。なんとかしなければ――
「演舞に興味はおありですか?」
そう言ったのは、イルヴィラだった。
ジャバは片眉を上げ、声の主であるイルヴィラを見る。
「ほう、演舞とな? それをあんたが見せてくれるというのか?」
「はい」
「……面白い。是非頼もうか」
「わかりました」
イルヴィラはそう答えると、広い部屋の中心に立った。
一瞬目をつぶり、肩を上げて息を吸う。
再び目を開けたとき、そこに俺が知っているイルヴィラはいなかった。
彼女の身体はまるで炎のように情熱的に動き、俺の目線をくぎ付けにする。
冒険者とは思えないほどの華奢な身体から情動が溢れだし、それが部屋をイルヴィラの舞台へと変えていた。
黒い槍と白い槍。対になる二本の槍を取り出したイルヴィラはそれを自在に操り、踊る。
ここが室内だということを忘れてしまうほどの槍捌きだ。長い槍は壁という制約に縛られているはずなのに、まるでそれを感じさせない。
激しく心に訴えかけてくる力強いその動きに、俺は息を呑むほかなかった。
「素晴らしい」
演舞を終えたイルヴィラに、ジャバは開口一番そう言った。
「ご満足いただけましたか?」
イルヴィラは首筋に汗を掻いた汗をぬぐいながら言う。
俺はそんなイルヴィラの姿を見ながら半ば呆けていた。
この街まで走ってきた疲労を微塵も感じさせない動きだった。きっと俺がジャバにその事実を伝えたところで、彼は信じないだろう。それほどの完成度であった。
ジャバは満足を全身で表すかのように、大きく首を縦に振る。
「家内にも見せたいと思えるほどのものじゃったよ。お見事」
「もしよろしければ、今度は奥様がいる時にも伺います」
そうイルヴィラが答えると、ジャバは悲しそうに眉を下げた。
「……いや、家内はもう亡くなっていてな」
「……申し訳ありません。余計なことを言いました」
「いやいや、いいんじゃよ。気にすることはないわい。本当に、素晴らしい演舞じゃったぞ」
謝るイルヴィラを、すぐに元の表情に戻ったジャバは褒め称えた。
「ありがとうございます」
「約束通り、メースリープの魔石は譲ろう」
そう言うと、ジャバはタンスに手をかける。
おそらく魔石をとるための器具を探しているのだろう。
……結局、俺は何の役にも立たなかったな。融合魔術が使えれば、役に立てたと思うのだが。
イルヴィラに無理をさせてしまった。
横目でイルヴィラを見る。
交渉中だということもあり疲れた様子は見せていないが、ここまで走ってきたうえにあの激しい演舞だ。肉体的な疲労は計り知れないものがあるだろう。
申し訳ないという気持ちと感謝の気持ち、二つの気持ちがふつふつと心の中に湧いてきた。
俺がじっと見ていることに気付いたイルヴィラは音を立てずに軽く手をひらひらと動かし、「大丈夫だから」と伝えてくる。
それを見た俺は、なぜか泣きそうになってしまう。
急に熱くなった目頭を指で押さえながら、必死に気持ちを落ち着かせた。
「ところで、魔石を何に使うんじゃ? まさか融合に使う訳でもないじゃろうから、飾り付けか何かかの? それとも砕いて絵具に使うのかの?」
ジャバは器具を探しながら、俺たちに魔石の用途について尋ねてくる。
だが、なぜか融合という選択肢がハナから無いものとして扱われていた。
そこに違和感を覚えている間にも、ジャバの言葉は続く。
「メースリープの魔石は繊細な黄色で他には中々見られない色じゃから、使い道も多いからのぅ。もし絵具に使うのなら一つじゃ足りないじゃろうから、二つ三つと持って行ってもよいぞ? あの踊りにはそれだけの価値が充分にあった」
そして、器具を見つけたジャバは俺たちの方に向き直った。
イルヴィラの演舞が気に入ったらしく、ジャバは上機嫌な顔だ。
まあ、あれだけ圧のある踊りに魅入られない方が異常と言える。
そんなジャバに、俺は魔石の用途について伝える。
「いえ、魔石は融合に使おうと思っています」
「……何じゃと?」
途端に、ジャバの顔色が一気に曇った。
あまりに突然の事態に、俺もイルヴィラも言葉を失くす。
「融合魔術師でないと、融合は出来ないはずじゃ。あんたたち、どっちかが融合魔術を使うということはあるいまいな?」
「お、俺が融合魔術師ですが……」
問い詰めるような言葉に俺が答えると、ジャバは俺たちに背を向けた。
「……悪いが、今回の話はなかったことにしてくれ。融合魔術師に渡す魔石は無い」




