24話 始動
アルシャが出て行った後、宿には静寂が広がった。
あまりに突然のことに、俺もエウラリアも反応のしようがなかったのだ。
それから少しして、エウラリアが戸惑ったように俺の顔を見た。
「……ど、どういうこと? アルシャ、なんか変だったよね?」
「あ、ああ……」
さようなら? さようならなんて、まるでこれでお別れみたいな言葉だ。
一体どういう――
「う、うう……」
まだ思考が追いついてきていない俺たちの耳に、宿の主人の泣き声が聞こえてきた。
「すまないアルシャ……すまない……っ!」
主人は店の料理カウンターに身体ごと突っ伏し、そう繰り返す。
その様子を見て、一層何かが起こっていると確信を深めた俺は、店主に話を伺ってみることにした。
「ご主人、何か知ってるのか? 知っているなら教えて欲しい。まだ事態が呑みこめていないんだ」
「アルシャは……海巫女としての役割を果たそうとしているんだ」
店主は顔をあげ、震える声で言う。
その声から悲痛な感情を読み取りながらも、俺は首をかしげる。
「海巫女の役割? 青竜を笛の音で鎮めるってやつか? それならアルシャは今までも、何度も海に出て繰り返しやっていたぞ」
「違う……海巫女にはもう一つの仕事がある」
「もう一つ?」
「笛の音で青竜を鎮められず、街に危機が迫った時――海巫女はその身を海に投げ打つことで、青竜の怒りを鎮めるのだ」
「……なんだと?」
思ってもいなかった答えに、頭が真っ白になる。
エウラリアが両手で口を押さえているが、俺も同じ気持ちだった。
生贄。そんな言葉が脳裏をよぎる。
あの幼い少女は、自分の命をこの街のために捧げることを自分で決めたのだ。
「まだアルシャが幼い頃、アルシャの母もこの街を守るためにその身を海に沈めた……。海巫女の命を対価に青竜を無理やり眠りにつかせる魔術が、この街の魔術師には代々受け継がれているのだ。……この街はそうして、海巫女に護られながら存続してきた街なんだよ」
伴侶を失ったアルシャの父は絶望し、妻が身をささげたのと同じ場所で自分も海に飛び込んだらしい。そして一人残されたアルシャは、血の繋がりがあったこの宿の主人に引き取られたということだ。
「俺はアルシャを何度も止めた。でもアイツは『それしか皆が助かる方法はないから』って……」
今思えば、この間二人が口論していたのもこのことに関係していたのだろう。
長年育ててもらったこの宿の店主の説得にも応じないほど、アルシャの決意は固まっていたということだ。
「……ふざけるな」
全てを知った俺の胸に湧き出てきたのは、怒りだった。
俺は店を飛び出す。
いつの間にか、雨が降り始めていた。
白んだ空から落ちる雨粒が俺とエウラリアの身体を濡らしていく。
しかしそこにはすでにアルシャの姿はない。
「エウラリア! アルシャがどこにいるかを上から見てくれ!」
「うん、わかったよ!」
エウラリアが透き通った羽で上空へと飛ぶ。
そして小さな指で、海の方を指差した。
俺はすぐにその方向へと駆けだす。
視界が狭まっているのは雨のせいだけではない。俺は怒っているのだ。
ふざけるな! ふざけるな!
「アルシャっ!」
俺がアルシャに追いついたときには、すでにアルシャは海へ身を投げようとしているところだった。
その周囲には幾人かの老人たちと、魔術師と見える男がアルシャを見守っている。
「レナルドさん、リアちゃん……?」
振り返ったアルシャと目が合う。
栗色の目は、心底意外そうに俺たちを映していた。
「アルシャ!」
「な、なんだお前たちは!」
街の住人ではない俺が突如として現れたことに、老人たちは動転したように声を荒げた。
だが、今はそんなものおかまいなしだ。
俺は今、怒っているのだ。
「ふざけるなあああああああああああああっっっ!」
音量なんかお構いなしに、肺の中の空気を全て音に変換する。
今までにこんな大声は出したことがないし、きっとこれからも出すことはないだろう。
周囲が咄嗟に耳を塞ぐ中、普段俺を知るアルシャだけが驚いた顔で俺を見ていた。
「れ、レナルドさん……?」
「……ふざけるなよ、アルシャ」
俺はアルシャへと近づく。
周りの老人たちは俺を止めようとしてきたが、冒険者でもある俺を止められるほどの力はない。
制止を振り切りアルシャの元までたどり着いた俺はアルシャの肩を加減せず思い切り掴んだ。
「アルシャ! ……俺はお前にっ! 頼ってくれって言っただろうがぁっ!」
昨日の夜、俺はアルシャにそう言った。
そしてアルシャは俺に、「頼らせてもらう」と、そう言ったのだ。
なのに結局相談一つしてくれなかったことが、俺はたまらなく悔しかった。
俺は他人とコミュニケーションをとるのが下手だ。
でもアルシャとは、自分でも仲良くなれていると思っていた。
年の差なんて関係ない。俺が男でアルシャが女だって、そんなことも全く関係ない。
俺にとってアルシャは、エウラリアの次にできた、何の気なしに話せる『友達』だったのだ。
「何でも自分一人で抱え込んで、自分の命捧げてお仕舞いだと? ふざけんじゃねえ、ふざけんじゃねえよ! 残された方の気持ち考えたことあんのか!? 俺やエウラリア……お前を育ててくれたあの宿の主人のこと!」
俺はアルシャの肩を揺らす。
うつむいて為すがままにされていたアルシャは、バッと顔を上げた。
「じゃあ……じゃあどうすればよかったって言うんですか!? これが私の役目なんです、それ以外に方法なんて――」
「俺たちを頼れよ!」
アルシャの言葉を遮り、言う。
言い訳なんて言わせてやるか。
俺はお前に怒ってるんだ。
「友達を頼れ! 当たり前のことだろうが!」
「レナルドさん……っ」
「まあまあレナルド、ちょっと落ち着いてよ。アルシャが痛そうじゃないか」
エウラリアの言葉にハッとして手を離す。
「わ、悪い!」
エウラリアは謝る俺に「締まらないなぁ」とでも言いたげな呆れた顔をする。
そしてくるんと一回転してから、エウラリアは得意げな顔でアルシャに言う。
「こんなだけど、レナルドは意外と頼りになるヤツだよ。それに、ボクもね」
「リアちゃんも……。二人とも、ありがとうございます……!」
エウラリアの姿が見えていない周囲の人々は、虚空に向かって話しかけるアルシャに呆けた顔をしていたが、しばらくすると正気を取り戻した。
「何を勝手に話を進めているのだ。これは昔から行われている神聖なものなのだぞ。それを、一個人の感情で止めるなど、許されるか!」
語気を強めて俺に詰め寄って来る人々。
俺は彼らに、思い切り頭を下げた。
「お願いしますっ! 俺が必ず青竜を何とかしてみせます! だから、アルシャを海に捧げるのだけは、待ってください……っ!」
今俺にできることは誠意を見せることだけだ。
いくら融合魔術の腕があっても、この場では何の役にも立たない。
頭を下げ続ける俺の頭上から、老人のしわがれた声が聞こえてくる。
「……駄目だ。私たちは君に対し、一粒の信用も持っていない」
「お願いします!」
「駄目だ。話は終わりか。なら――」
「なら、ボクを人質にとるといいよ」
話に割り込んだのは、甲高い声だった。
変声期前の少年の声にも、幼い少女の声にも聞こえる声。
人々の目は、その声の持ち主に注がれる。すなわち、エウラリアに。
「おい、エウラリア!?」
人々の前に姿を現したエウラリアは、俺の声を無視する。
突然現れた妖精に驚きで満ちた周囲を言葉一つで制圧するかのように、彼女は言葉を続けた。
「ボクは五百万年生きてる妖精だ。格なら青竜にも劣らないと自負してるし、きっと高値で売れるよ。もしレナルドが青竜をなんとかする方法を見つけられなかったらボクを見世物小屋にでも売ればいいし、見つけられたら万々歳。……どうかな? 君たちに損はないと思うんだけど」
そう言うと、俺に目線を向ける。
俺がどんな顔をしているのか、それはもちろん自分ではわからないが……きっと、酷い顔をしていたのだろう。
俺が何を言いたいのかを察したのか、エウラリアは一つ頷き、「いいんだ。ボクとしてもアルシャを死なせてしまうのは何としても避けたいしね」と言った。
そしてまた、この場の全員に言葉を投げかける。
「何もずっと待ってほしいとは言わない。数日でいいんだ、レナルドに時間を与えてやってはくれないかな」
人々に、動揺が生じた。
エウラリアに目線を向けられた村長らしき老人は、しどろもどろになりながら口を開く。
「む、ぅ……し、しかしやはり――」
これでも、これでも駄目なのか……?
エウラリアが自らの身を顧みずに俺に託してくれたっていうのに……!
「ちょぉっと待ったぁ!」
突如、芯の通る声が辺りに響いた。
声のした方向を見ると、街の方から二つの人影がこちらにむかって走って来ている。
それは間違えようもなく、エルディンとイルヴィラだった。
「その話、あたしたちも混ぜてもらいたいんだけど、いいわよね?」
そう言って、イルヴィラとエルディンは俺の隣に並ぶ。
エルディンが俺の方を向き、にこりと優しく微笑みを浮かべた。
「やっぱり早寝早起きしてよかった。おかげで間に合ったみたいだね」
「二人とも、なんでここが……?」
「さっきのあんたの馬鹿でかい大声のお蔭よ。街まで響いてきたわ」
俺と二三言葉を交わした二人は、村長に一歩近づく。
「彼は僕の友人でね。友人の大切な人は、僕にとっても大切な人なんだ。それに、人の命というのはそう簡単に投げ捨てていいものとも思えない。僕に対する今回の依頼の報酬はゼロでいいから、なんとかお願いできないかな」
エルディンの言葉に、イルヴィラも続く。
「あたしは別にエルディンみたいな立派な理由じゃないわ。ただ、周りで人に死なれると目覚めが悪いだけ、それだけよ。あたしも今回の件のお金はいらないわ。だから、なんとかならないかしら」
二人の訴えを聞いた村長は、一度大きく空を見上げた。
早朝の空は厚い雲を蓄え、そこから大きな雨粒を絶え間なく落としている。
その光景をしばらく見つめ、村長は二人に視線を戻す。
「……あなた方には、破格の報酬でこの街の警護の依頼を引き受けて頂いた恩があります。……わかりました」
そして次に、俺の方を向いて言った。
「……日の入りまでだ。それまでに解決できなければ、習わし通りにアルシャを青竜へと捧げる」
「感謝する」
こうして、アルシャの海巫女としての仕事の実行は日の入りまで延期されることになったのだった。
「み、皆さん……私のせいで、こんなことに巻き込まれてしまって本当にごめんなさい!」
アルシャは俺たちに頭を下げる。
それを見たエウラリアは、朗らかな顔で笑った。
「あはは、違う違う。レナルドたちが待ってるのはもっと別の言葉だよ、アルシャ。キミならもうわかってるでしょ?」
アルシャはその言葉に顔を上げ、そして再び頭を下げる。
「……お願いしますっ! 私を、助けてください!」
「ああ、任せろアルシャ。――絶対に、青竜を鎮めてみせる」
俺はアルシャの頭を乱暴に撫でる。
栗色の長い髪は、激しい風雨に晒されてもその美しさを保っていた。
「大丈夫大丈夫。ボクと一緒にのんびり待ってようよ、アルシャ」
頭を上げたアルシャの方に、エウラリアはちょこんと乗っかる。
まだ妖精を見慣れていない周囲がエウラリアを見ているが、当のエウラリアには気にする様子はない。
「……悪いな、エウラリア」
「ふふふ、ボクはキミを頼りにしてるからね。さくっと頼むよ、レナルド?」
エウラリアはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
そんな顔をされたら、俺も笑って答えるしかないじゃないか。
「おお、任せとけ!」
それから、俺とエルディン、そしてイルヴィラの三人は青竜を鎮めるために動き出した。




