15話 笑う門には福来る
時は過ぎ、朝。
「……ドさん。レナルドさ~ん?」
「ん、んん……」
瞼を擦りながら起きた俺。
段々と焦点の合い始めた瞳に、美少女が映り込む。
美しく艶やかな栗色の髪に、明るい茶のような人を引き込む力を持った瞳。
そして一つ一つのパーツもさることながら、それらが見事に調和し合った顔。
「んん? 誰だこの美少女……」
寝ぼけ眼の俺は、半分夢見心地で口に出す。
するとその美少女は、慌てふためいたようにあせあせと落ち着かない素振りを見せた。
「び、美少女!? ……ご、ごほんっ。わ、私です、アルシャです」
「アルシャ……? ……アルシャ! わ、悪い、寝ぼけてた!」
俺は布団を跳ね除け、慌てて起き上がる。
そうだった! 夜は忙しいからってことで、笑顔の練習は朝やりましょうってことになったのを失念していた。
起き上がったはいいものの、気まずい沈黙が流れる。
美少女なんて言ってしまって、気持ち悪いとか思われてはいないだろうか。
昨日会ったばかりの男を起こしたら美少女発言とか、下手したら社会的に終わりなんじゃないか?
そんな思考の螺旋をぐるぐると回り続ける。
俺も言葉を発さないし、アルシャも言葉を発さない。
そんな中、口を開いたのはボブカットの蒼い妖精だった。
「まったくレナルドったら、ボクの時とは随分違う反応じゃないか」
「そ、そうなんですか?」
とにかく会話の糸口を手繰り寄せようと、アルシャはエウラリアの話に乗る。
エウラリアは俺にからかう様な視線を向けながら、気障な声色で言う。
「そうだとも。ボクの時なんて、虫と間違えて捕まえられたんだから。虫だよ虫?」
「あ、あれは悪かったって……」
でも、本当に虫かと思ってしまったんだ。
だが、たしかに悪いことをしたとは思っている。
申し訳程度に少し頭を下げ、そして上げる。
「……ぷっ」
すると、もう堪えきれないという様にアルシャが吹きだしていた。
「む、虫って……ふふっ」
「酷いと思うでしょー?」
「ふふ、そうですね。レナルドさんは酷い人です。リアさんはこんなに可愛いのに……」
そう言ってエウラリアを胸元に抱き寄せる。
「柔らかい……」
そのおじさんくさい感想を言うのをやめてくれ。
……だが、エウラリアのおかげで気まずい雰囲気は払拭されたように思える。
「けしからんぞエウラリア。出てこい」
「ぶぅー」
エウラリアをつまみ上げながら、俺は心の中で彼女に感謝した。
「それで、笑い方でしたよね?」
「ああ、そうだ。どうにも俺は客に対して愛想笑いを浮かべるとか、そういったことが苦手でな」
もちろんすぐにアルシャのように笑えるようになるとは思っていないが、少しでもとっかかりのようなものが欲しいとは思っている。
何こも年下の相手にこんなことを頼むのは心苦しくはあるのだが、そんなプライドはもう捨てた。
「じゃあまずは見本として、アルシャの笑顔を見せてもらおうよ」
エウラリアが提案する。
たしかにそれはいい案かもしれない。
何事も見本があった方がやりやすい。
融合魔術だって、多くの場合最初は師匠の技――すなわち見本を盗むことから始めるのだ。
もっとも俺は、不愛想がたたって誰も師匠になってくれなかったから独学で学んだが。
「え、私ですか? ……改めてこうじっと見られると、なんだか照れちゃいますね」
俺たち二人に同時に視線を向けられて、アルシャは頬を紅潮させる。
笛を吹く時は大丈夫なのに、それ以外の時では緊張してしまうらしい。
まあ俺も融合魔術中は注目されても平気だが普段は違うから、それと同じような感覚なのだろう。
頬を赤くしたアルシャは年相応でとても可愛らしく思えた。
そしてそのまま若干の気恥ずかしさを残しつつ、アルシャは頬をにっこりとふくよかに歪ませ、見事な笑顔を形作る。そしてそれを数秒間維持して見せた。
「こんな感じでしょうか」
「可愛い~! すっごく可愛かったよ! 凄いねキミ! ねえレナルド?」
「あ、ああ」
正直、あれで見惚れるなと言う方が無理な話だと思う。
男は総じて美少女の笑顔には弱いのだ。
特に俺なんて、今まで碌に人間と関わってきてないからな。
「あ、レナルド照れてるぅ~。アルシャ、レナルドが照れてるよぉ?」
そんな俺の思考を読みきったのか、エウラリアは口に手を当てぷぷぷと笑う。
「うるさいぞ発情妖精」
「だ、誰が発情妖精だい! ボクは清純妖精だぞ!」
清純な妖精は「柔らかい……」とか言わないんだよ。
「と、とりあえず、一旦笑ってみてください。それを見ないことにはアドバイスのしようもありませんから」
「わかった」
「あ、レナルドちょっと待って。先にアルシャに伝えておかなくちゃ」
そう言うと、エウラリアはくるんとアルシャの方に向き直る。
「今からレナルドが笑うけど、本人は本気でやってるから笑わないであげてくれると嬉しいんだ」
「エウラリア……!」
顔は見えないけれど、真剣な声色だった。
なんだかんだ言って、エウラリアは俺のことを大事に思ってくれている。
それがわかって、俺は少し感動する。
「まあ多分、どんなに我慢しても笑っちゃうと思うけど。なんせ思い出しただけでもう……くくっ……! あっ、でも最初に見たときは酷過ぎて笑えないパターンの可能性もあるから、その場合は大丈夫かもっ」
「エウラリアぁ!」
俺の感動を返しやがれ!
「わ、わかりました。絶対笑いませんから、安心してくださいね?」
アルシャは俺に笑いかけてくれる。
この子は天使か何かだろうか。
きっとアルシャなら、俺に真面目にアドバイスしてくれるだろう。
俺はそんなことを考えながら、にっこりと作り笑いを浮かべた。
アルシャの表情がピキリと固まる。
「……どうだった、アルシャ」
正直反応からしてあまり褒められたものではなかったことはわかっている。
だが、それは仕方ないことなのだ。なぜなら今の状態で上手く笑えているのなら、それはもうアルシャに教えを乞う必要もないからである。
俺はできないからアルシャに教わっている。その現状は正しく認識しなければならない。
「……」
しかし、アルシャは返事をしてくれない。
口を真一文字に結び、瞬きもせず微動だにしなかった。
「……アルシャ?」
「アルシャは今必死に口内を噛んで笑いを堪えてるから、代わりにボクが答えるね」
「笑いを堪えてるのか!?」
たしかに良く見ると、瑞々しい唇の端がピクピクと痙攣しているのが見て取れた。
『笑わない』という約束を守るために、アルシャは俺との会話を諦めたようだ。
俺の笑顔はそこまで酷いのか……いや、今はエウラリアの言葉を聞こう。
俺が見ている前で、エウラリアは小さな指と指の間にほんの少しの隙間を作った。
「ほんのすこーしだけ良くなってたよ。でもまあほとんど変わらないかな、ブヒャヒャヒャって感じ」
それは一体どんな感じだ。
それから数分後。
ようやっとアルシャが笑わずに俺と会話できるようになったので、俺はアルシャからアドバイスを貰っていた。
「相手のことを考えて、優しい気持ちを顔に表すんです。お客様が楽しんでくれるように、笑顔で少しでも気持ち良くなってもらえるように……って。そういう気持ちが出てくれば、自然と綺麗な笑顔になってくると思います」
アルシャの言ったことは当たり前と言えば当たり前ではあるけれども、俺が今まで意識していなかったことだった。
ただ笑顔を作ることだけに躍起になって、それを見る相手のことまで考えている余裕がなかったのだ。
これはもしかしたら、すごいアドバイスを貰ったかもしれん……!
「わかった、やってみる」
「頑張ってください!」
「頑張れレナルド!」
二人の声援を受け取りながら、俺は再びにっこりと頬を持ち上げる。
そして見る側のエウラリアとアルシャのことを考えながら、笑顔を作って見せた。
「こ、これでどうだ?」
二人の反応は――
「……ごめんなさい、そのですね……」
「ぶっちゃけ、さっきとの違いがまるでわからない」
――こんな感じだった。
どうやら特に何も変わらなかったらしい。
これほどまでに真心を込めたというのに……。
「……俺には、心がないのかもしれない……」
俺は肩を落とす。
そうだ。だから上手く笑えないし、上手く人とも会話できない。
俺には心なんて――
「そ、そんなことはないです! レナルドさんは優しい心の持ち主ですよっ! 昨日とても優しく声をかけてくれたじゃないですか!」
「そうだよレナルド! キミはいつもボクに、お腹いーっぱいご飯を食べさせてくれるじゃないか! 感謝してるんだぞ!」
二人の励ましで、俺は自分が馬鹿なことを言っていたのを自覚した。
そうだ、一度の失敗で何を諦めてるんだ俺は。
融合魔術を始めた頃なんて、それこそ千回や一万回は軽く失敗していたじゃないか。
それに比べればこのくらい、なんてことないことのはずだろう。
二人の優しい言葉は、それを俺に思い出させてくれた。
良い人と知り合えた、と俺は思う。
俺の肩をさすってくれるアルシャも、目の前で必死に声を出してくれるエウラリアも、俺のようなヤツに構ってくれる。
こんな優しい二人の前で、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
「……元気が出たよ。ありがとう二人とも」
二人にそう言う。
すると、なぜか二人ともぽかんとした顔で俺を見た。
……ん? なんだ、どうした?
「……い、今のです」
「うん?」
「今の笑顔、とっても良かったです! 爽やかで、優しい感じが伝わってきました! ねえリアさん!?」
「うんうん! カッコ良かったよ! その笑顔なら女の子もイチコロ間違いなし!」
どうやら俺は意識しない間に、上手く笑えていたようだ。
そうか……! ならさっきの感覚を思い出して、同じように笑えれば!
「こ、こうか、二人とも!?」
「……ぷひっ。くっ、うっ……す、すみません……!」
「ぷひゃひゃひゃひゃ! れ、レナルド、不意打ちは卑怯だよぉ……!」
「……」
やはり俺にはまだ自然な笑顔は難しいらしい。
それを思い知らされた朝だった。




