14話 身体の秘密
アルシャに招かれたピースバード亭で、俺とエウラリアは部屋へと案内された。
一階の酒場の奥にある階段から上に上がり、二階の部屋に導かれる。
「ここか」
部屋の内装はまあ、言ってしまえば普通の宿だった。
しかし部屋の隅から家具の裏側まで、どこにも埃一つ見当たらない。
それだけでこの宿が客のことを考えているということが読み取れた。
普段見えにくいところまできちんと掃除されている宿というのは、意外なことにあまりない。泊まれればいいみたいな考えの人も多いからな。
そんな中で隅々まで手入れが行き届いた部屋は素直に嬉しい。
俺とエウラリアは軽く話を交わしながら、夕食までの時間を潰す。
食事は酒場でとるか部屋でとるかを選べたので、部屋でとることにした。
エウラリアが食べているところは、傍から見たら怪奇現象だからな。人目につかないところで食べるに越したことはない。
「お待たせしました」
しばらくすると戸がノックされ、部屋にアルシャが入ってきた。
エプロン姿の彼女はとても家庭的な雰囲気で、将来はいい奥さんになりそうだなとなんとなく娘を見るような感情になってしまう。
俺が二十八歳で、アルシャは多分十八、九歳くらい……娘というよりは妹? いや、姪だろうか。微妙な年齢差だな。
そんなくだらないことを考える間にも、アルシャはテキパキと料理を並べていく。
旅に出るまでは固パンしか食べていなかった俺からすれば、食べたことのないような料理ばかりだ。もちろんどれも美味しそうである。
そしてご丁寧に、エウラリアの分まで小さなお皿で別に用意してくれていた。
「うわぁ、これ、ボク用のお皿!? ボクが全部使っていいの!?」
「はい、リアさんのお皿ですよ」
「ありがとうアルシャ! キミのことますます気に入ったよ!」
「ふふ、嬉しいです」
気の利く子だな、と思いながら、並べられていく料理を見る。
「これ、全部アルシャが作ったのか?」
「半分くらいはおじさんで、残りは私です。これでも私、料理には自信があるんですよ?」
アルシャは得意げにウィンクをパチリと決める。
まあとにかく、アルシャなら幸せな家庭を築けそうだ。
礼儀正しいし、料理も出来るし、こんな子と結婚できるヤツは幸せだろうな。
「レナルドさん、リアさん、さっきはありがとうございました。……では、ごゆっくりどうぞ」
アルシャは最初にはにかんで距離を詰め、しかし最後にはきっちり従業員と客の関係に戻って帰って行った。線を引くべきところは弁えているといったところだろうか。
すごいな、俺にはあんな風な鮮やかな手並みは真似できん。
「すごいねアルシャは。笛も吹けて料理も出来て愛想も良くて……ボクとそっくりじゃん」
「どこがだ」
似ても似つかないだろうが。
強いて言えば愛想のいいところは似ているが、他の要素は皆無だろ。
「まあ、早く食おう。せっかくの料理が冷めちまう」
「あー……ごめんねレナルド。下の酒場で食べたかったら、一人で行ってきていいよ?」
自分がいるせいで俺が好き勝手出来ないとでも思っているのだろうか、エウラリアはこちらを窺うように上目遣いで俺を見た。
「馬鹿言え。知らないヤツに囲まれて食っても味なんてしない。俺はお前と食うのが一番楽だ」
そう言って俺は手を合わせ、食事を始める。
「そ、そう? ならいいんだ、うん」
エウラリアも俺に続いて食事をとり始めた。
「もぐもぐもぐもぐ……美味しいねぇレナルド!」
「ああ、美味いな」
アルシャの作った夕飯は、とても美味しいものだった。
「はぁ~、食べた食べた!」
「お腹いっぱいか?」
「お腹いっぱいだけど、もっと食べたい。すっごく美味しいんだもん。こういう時は身体の小ささを恨むよ……」
エウラリアはわずかにぽこりと膨らんだ自らのお腹に恨めしそうな視線を送る。
彼女が物理的に腹が膨れるほど食べるのはいつものことなのだが……しかし俺には一つ疑問に思っていることがあった。
どんなにお腹を膨らましていても、彼女はすぐに元の体型に戻ってしまうのだ。
一体どういうメカニズムになっているのだろうか。
……というかまずそもそも。
「妖精ってトイレするのか?」
「うぉう、デリカシーの欠片もないねキミ。びっくりしたよ」
そうか、デリカシーに欠ける発言だったか。
このあたり他人との会話経験が少ない俺には、どこまでがセーフのラインかがよくわからない。
その辺りも少し学ばねばならないか、と思っているうちに、エウラリアはもぞもぞと動き始めた。
「ボクたち妖精は体内で栄養を完全吸収できるから、そういうことは必要ないんだ。見てて?」
エウラリアはぺろんと白いお腹を俺に見せつけ、ぬぬぬ~と力む。
すると、見る見るうちに膨らんでいたお腹が元通りのスリムな体形へと戻っていった。
これは中々……奇妙というか、インパクトがある光景だ。
「こうして自分の魔力で栄養を溶かして吸収してるんだよ」とエウラリアは語る。
ああ、そう言えば最初に会った時に食事はなくても生きていけるとか言ってたっけか。
やっぱり人間とは色々違うんだな。
「まあ、俺も本来の主食は魔石なんだけど」
「うえぇぇぇぇっっ!?」
呆気なく告げた俺に、エウラリアは何故か速やかに俺から距離をとった。
「ん、知らなかったのか? 融合魔術師の主食は基本的に魔石だぞ?」
口元を押さえ、エウラリアは震える瞳で過去を想起し始める。
どうやらよほど衝撃的だったようだ。
「う、嘘でしょ……? ぼ、ボク融合の妖精なのに、そんなこと全く知らなかった……。じゃあボクが昔ついてたドワーフの三人も、それにレナルドも、ボクに隠れて魔石食べてたってこと……?」
「いや、冗談だ」
「な、なんだ、冗談か……驚かせないでよ、んもうっ」
「そんなに驚くか、普通?」
少し考えたら冗談だとわかりそうなものだが。
そう訝しがる俺に、エウラリアは頬を膨らませる。
「全然表情変わんないから、冗談なのか本気なのかわかんないんだもん」
ぐっ……それについてはたしかにそうかもしれないが……。
「……あ、アルシャに笑い方とか教えて貰ったら? あの子普段の笑顔も可愛いけど、接客の時は常に笑顔じゃん。キミも少し見習うべきところがあると思うよ~?」
「たしかに……。そうだな、行ってみることにする」
エウラリアの言うことにも一理ある。
前に列車内で見た自身の愛想笑い顔は、そりゃあもう酷いものだった。
実はあれからエウラリアに見つからないようにコソコソ何度か練習したのだが、成果が出たとは言い難い。
この大きな壁を打破する駄目にも、アルシャに助力を求めるのは悪くない選択肢かもしれない。
俺がアルシャの元へ行こうと立ち上がると、エウラリアがぴゅんと前に飛んでくる。そして胸の前で握り拳を小刻みに縦に何度も振った。
「頑張って、まずは挨拶からだよ! 緊張しないでいいからね!」
「唐突に親目線になるの止めろ」
俺はもう二十八だぞ。
部屋から降りていくと、丁度アルシャが酒場の客に笛を頼まれているところだった。
「一曲吹いてくれよアルシャちゃん!」
酔っているのか大声を出す客だが、それにも慣れているのだろう。アルシャは嫌な顔一つせず、エプロンを脱いで笛を持ち皆の前に立つ。
「わかりました、では……」
アルシャが了承したのを見て、俺とエウラリアは無言で頷きあう。
そして空いている席に座った。
話しかけるのは演奏を聞いてからにしよう、と一致団結したのだ。
アルシャが笛を持った途端、室内は酒場とは思えぬほど静まり返る。
その場にいる人間の視線が一心に注がれる中、それをものともせずにアルシャは笛を吹き始めた。
それは海で聞いたときと同じような穏やかなメロディーで、そしてそれを奏でるアルシャは人間とは思えぬ美しさを醸し出していた。
酒場がアルシャの色に染まる。
創りだされた不思議な空間の中で、俺たち聴衆はその心地よい音色にただただ身を委ねた。
演奏が終わった途端、酒場を万雷の拍手が包み込む。
「やっぱりアルシャちゃんの笛はすげえなあ! こういうのを『心にすっと入って来る』っていうのか? わかんねえけど、とにかくすげえ!」
「ふふふ、ありがとうございます」
嬉しそうに微笑むアルシャ。
俺も酔っ払いの意見と同じ気持ちだった。
それこそ王都にでれば音楽だけで食べていけること間違いなしだ。
まあ、きっとアルシャはそれを望んではいなんだろうけれど。
「いや~、何回聴いても良い曲だねぇ。汚れた心が洗い流されるよ~……って、誰の心が汚れてるって!?」
「酔ってんのかお前?」
一人でボケて突っ込んでと忙しいエウラリアは放っておいて、俺は演奏を終えたアルシャの元へと近づく。
「すごく良い演奏だった。聴けて良かったよ」
「嬉しいです、ありがとうございますレナルドさん」
軽く会釈をするアルシャは、やはり見事な微笑を崩さないままだ。
俺は顔を近づけ観察してみるが、どの角度、どの距離から見ても文句のつけようのない見事な微笑である。
あとわかったことと言えば、肌がきめ細かいことくらいだな。
「……あ、あの、私の顔に何か付いているでしょうか……?」
まずい、近づきすぎた。
鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで近づいていた俺は、慌てて距離をとる。
「い、いや、そうじゃないんだ」
宿の主人は……ふぅ、よかった。見られてはいないか。
見られていたら追い出されていてもおかしくなかったからな。
あまり不用意なことは慎まなければ。
「なあアルシャ、俺に笑い方を教えてくれないかな」
俺はアルシャにそう告げた。




