13話 海と少女
「ここがアルシャの経営する宿か」
そこにあったのは、大きめな木造の家だった。
立ち並ぶ他の一般の家とは違い、宿屋らしく間口が広くとられている。
そして、何か仕掛けがされているのだろう、淡く輝く『ピースバード亭』という看板が道に向けて掲げられている。
落ち着いた雰囲気の佇まいと室内から漏れる優しい光に、どうやら当たりの宿屋だと踏み入る前から想像がついた。
「経営してるのは私じゃなくて知り合いのおじさんですけどね。私を引き取って育ててくれた方なんです」
「へぇ。ピースバード亭とはまた、趣味の良い人なんだな」
ピースバードとはその名の通り、平和を意味する鳥の魔物である。
青い体毛に覆われ、愛くるしい目をした中型の魔物だ。
そしてピースバードが『平和の鳥』と呼ばれる所以は、まったく攻撃能力を持たないことにある。
爪やくちばしなど、攻撃するための部位はしっかりと発達しているのだが、それを使うという発想がないらしい。そのため外敵と出会った時の行動は、逃げ一択。
蒼い体毛故に空の色と同化できる晴れの日は逃げられるが、曇りの日や雨の日、もしくは夕方などは逆に青が仇となり逃げられずに捕まってしまうという、なんとも間抜けな魔物である。
だが、俺が趣味が良いと言った理由はそちらではない。
「実はな、ピースバードの魔石の性能は『安らぎ』なんだ。宿の名前としてはピッタリだと言える」
触れた人の精神を安定させる効果を持っていて、この魔石は主に砕いて薬の材料などに使われている。
融合魔術師が扱うことはあまり多くはないが、治癒魔術師系の人々には広く知られている魔石だ。
「そうなんですか? 知らなかったです。レナルドさん、物知りなんですね」
アルシャは意外そうに俺を見てくる。
その顔を見て、俺は急に申し訳なくなった。
宿を営む側が知らないことをぺらぺらと偉そうにしゃべる俺は、宿側の人間からしたらとても疎ましいことをしてしまったのではないか?
「……知識自慢をしてしまったようで申し訳ない。どうにも魔石のこととなると血が滾ってしまってな」
「いえいえ、謝らないでください。一つのことに熱中できる人はとても素敵だと思いますよ?」
「そう言ってもらえると助かる」
さすがは接客業をやっている人間と言うべきか、アルシャはとても会話をするのが上手い。
俺も見習いたいくらいだ。
「ごめんね、レナルドは魔石バカだから。でもいいところもあるから、見捨てないでやってよ」
「はい、もちろんですよっ」
エウラリアにフォローされると、なんだか恥ずかしくなるな。
だが仕方ないか。今回は俺が良くなかったからな。甘んじて受け入れよう。
「お二人とも、仲がよろしいんですね。とても仲の良い友達のようで、羨ましいです」
「ボクにとってレナルドは子供みたいなものだけどねー」
「誰が子供だって?」
「だってボク五百万歳だしぃ?」
……そうだった。
たしかに年齢で言えば、エウラリアから見た俺は子供……というより、もはや遠い子孫のような感覚だろう。
ふふんと勝ち誇るエウラリアに何か言い返してやりたい。……そうだ!
「年齢と精神は伴わないってことがエウラリアを見てるとよくわかるな」
返しの刃を撃ち込み、俺は逆に勝ち誇る。
「あ、ちょっとレナルド!? それってどういう意味さ!」
「い、いつまでも若々しいってことですよリアさん。そうですよね、レナルドさん?」
アルシャが上手く衝突を防いでくれた。少し焦ったような顔で俺に尋ねてくる。
そうだ、ここはアルシャのためにも喧嘩している場合じゃないもんな。せっかく泊まりに来たのに、気まずくなりたくはない。俺が折れておくのが最善だろう。
「……そうだ。俺もエウラリアのような年の取り方がしたいと思うよ」
「なぁんだ、褒めてたのかぁ! えへへ、照れるねぇ」
エウラリアは一気に感情を急旋回させる。
この感情の切り替え方は流石と言うべきか、それとも子供のようだと思うべきか。
……まあ、エウラリアの良いところだと思っておこう。相手の長所を見つけた方が一緒にいるのは長続きしそうだしな。
と、アルシャが俺に耳打ちする。
「ごめんなさい、口を挟んでしまいましたが……余計なお世話でしたか?」
「いや、ありがたかった」
アルシャのおかげで仲たがいすることなくすんだ。
雨降って地固まる、なんて言葉があるが、俺のような不愛想で口下手な人間にとっては喧嘩は起こらないに越したことはない。なぜなら仲直りできる保証がないからだ。
崩れた関係を修復する能力のない俺のような人種が、喧嘩別れしてそのまま、なんてことになるのを防ぐためには、喧嘩そのものをしないことしかない。
どうしても譲れないことならともかく、こんなしょうもないことで別れの原因を作ってしまうのはもったいないだろう。エウラリアといるのは個人的にも楽しいしな。
「レナルドは子供みたいだけど、同時に親友みたいだとも思ってるよ。キミと一緒にいるのは楽しいしね」
「奇遇だな。俺もお前といるのは楽しいよ」
「やっぱり仲がいいようで、何よりです」
安心したような様子のアルシャに連れられて、俺とエウラリアは宿の中へと案内される。
一階は受付兼酒場になっているようで、赤い顔をした客が数人酒をひっかけていた。
しかし、その人数は酒場のスペースにしてはあまり多いようには思えない。
やはりその原因にもあの海の異変が少なからず関係しているのだろう、と俺は思う。
漁業で生計を立てている人間が海に出られなければ、当然収入は得られない。
そうなれば酒場で酒を呑む金も手に入らない。だからこうして人が来なくなる、そういうことではないだろうか。
「普段はもっと賑わっているんですけど、最近は皆さん少し元気がないんです。この海だと観光しに来てくれる方も少なくて……」
寂しそうな顔でアルシャは語る。
やはり海の異常が関係しているらしい。
「ちなみにこの海の異常って、原因は何かわかってたりするのか?」
「……青竜を見た、という方が何人かおられます。青竜というのはこの辺りの海を司る魔物なのですが、目撃した方々が言うには青竜はとても暴れていたという話で、おそらくはそれが原因なのではないか、とは」
それを聞いたエウラリアが「あっ」と声を上げた。
「もしかして、だから海に笛を吹きに行ってたの? あんなびしょ濡れになりながら」
「私に出来ることは、そんなことしかないですから。もっと私に海巫女としての力があれば、青竜を鎮めることもできたのかもしれないですけど……」
アルシャは心苦しそうに拳を握る。
あれほどまでに素晴らしい演奏をした少女が、自らの力不足を嘆いている。
向上心があるのはいいことだが……これは向上心というよりも、自責心だ。
そしてこの自責心はあまりいい方向には転がらない、そんな気がする。
「アルシャの笛の音は凄く素晴らしかった。君が無力を感じる必要は一切ないと俺は思うが」
「ボクもボクも! アルシャはもっと自信持っていいよ! 五百万年生きてきたボクが保証してあげる!」
「ありがとう、ございます。お二人とも優しくて……これじゃまるで、私が安らぎを与えてもらっているみたいですね」
ニッと笑ったアルシャは、すぐに宿の手伝いをしにカウンターの裏へと向かっていく。
少しして、着替えてエプロンをつけて再度出てきた時には、もう先ほどの弱さはどこにも見えなかった。
きっとそんなにすぐに癒える類の思いではないのだろうし、今は隠しているだけだと思う。
それでも、俺たちの言葉で少しでも元気が出たならば嬉しいな、と思う俺とエウラリアであった。
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