12話 アルシャ
無言で見つめあう俺と少女。
そのまま数秒程が経過しただろうか。
「あのぅ……私に何か?」
もう一度少女が俺に同じ質問を投げかけてきた。
それを機に、止まりかけていた俺の脳は再起動を始める。
ここで再び何も話さなかったら俺はもう完全に不審者だ。
いや、もう今の時点で大分不審者なのだが……と、そんなことは今考えるべきことじゃない!
今はとりあえず何か言葉を発さなければ!
「あ、いや、その……音楽が聞こえてきたから、誰かいるのかと思ってきたんだ。邪魔ならすぐに帰る」
なんとか言葉を発することができた。
嘘はついていないし、本心をそのまま言えた。
咄嗟にしては良くやった方だろう。
「そういうことでしたか」
少女は自分の笛を見て、少し考え込むそぶりを見せる。
そして笛を持ち上げ、尋ねるように首を傾けた。
「……もしよければ、一曲聞いていきますか?」
「いいのか?」
「はい。……というか、あなたがいなくても私は海に向かって笛を吹きますから。どうせ吹くなら、一人でも多くの人に聞いてもらった方が嬉しいです」
そう言って笑みを見せる少女。
その笑みはこの雨空には似合わないほど可憐なもので、俺は少々見惚れてしまう。
「なら、お言葉に甘えて」
「じゃあ、始めますね」
一度瞳を閉じ、開ける。
少女の雰囲気が変わる。
先程までの手入れの行き届いた花のような雰囲気とは全く別の、まるで月のように手の届かない神秘性を纏った少女は、口に咥えた笛から音を奏でた。
最初の一音で、俺は少女の世界に引きずり込まれる。
それは有無を言わさぬ力で、しかしその正体はとても繊細な音だ。
とても心地よい音楽だった。穏やかな波の上でうたた寝しているかのごとく、温かい音の繭に包まれたかのような気持ちがした。
一音一音が意味を持ち、耳から脳と心を揺する。
少女は一言も発していない。ただ笛を吹いているだけだ。
にもかかわらず、俺は少女から様々な気持ちの塊をダイレクトにぶつけられている。
これが音楽なのか。音の力なのか。
呆気にとられながら、ただただ聞き入るばかりだった。
「こんな感じです。……どうでした? 退屈じゃなかったですか?」
心配そうにこちらを覗きこむ少女。
演奏を終えた途端、ぐんと身近な存在になったような気がする。
先程までの彼女とは同一人物とはとても思えないほどの変わりようだ。
改めて驚嘆した。
「退屈だなんてとんでもない。この感動を伝える言葉を知らないのが口惜しいくらいだ」
「ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいです。安心しました」
少女はホッと胸に手を当てて息を吐く。
こんな演奏にケチをつける人間などいるはずがないと思う。
いるとすれば、それは音楽を聞く価値のない人間だ。
エウラリアもかなり興奮気味に少女の演奏を聴いていたくらいだからな。
「すっごーい! すごいねぇキミ!」
そんなことを思っていると、エウラリアが少女に話しかけた。
「……へ? よ、妖精さん?」
少女は当然驚き、その目をまん丸くする。
「そうだよ、ボクは妖精! その名もエウラリア、レナルドと旅をしてるのさ。キミの演奏、とってもよかったよ!」
「妖精さんに気に入っていただけるなんて、とても嬉しいです」
「妖精さんなんて堅っ苦しいよ。リアって呼んで?」
「い、いいんですか?」
「うん、妖精さん的には全然オッケーだよ」
グッと親指を突きだしてムフンと威張る妖精さんに、少女はクスッと小さく笑った。
「じゃあ、リアさんで。私はアルシャです。よろしくお願いしますね」
「うん、よろしくアルシャ!」
「はい、よろしくお願いしますリアさん」
するとエウラリアはくるりと振り返り、俺に言う。
「ついでにレナルド、キミもボクのことリアって呼ばない?」
「いや、俺はエウラリアのままでいい。こっぱずかしいからな」
「んもう、強情だなぁ」
やれやれというジェスチャーをするエウラリア。
それを見てまた笑う少女――アルシャ。
だが、俺には一つ気になることがあった。
「というか、他人に見られても大丈夫なのか?」
「うん、別に。ただ、ボクが姿を現すと人が集まってきて面倒なことになっちゃうから普段は隠れてるだけで、別に隠れていなきゃいけないってことはないよ」
なるほどな。
機密保持とかそういう理由で隠れてたんじゃなかったのか。
突然アルシャと会話し始めるから内心ドキドキしてたんだが、いらぬ心配だったらしい。
「とにかく、感動したからこの気持ちを直接伝えたかったんだ。キミの笛は凄いよ!」
「とても嬉しいです、ありがとうリアさん」
「ボクもお礼に宙返りを見せてあげる!」
エウラリアはくるりと宙を一回転する。
見せてあげるというよりも、気持ちが昂って自然と出た感じだけどな。
俺にはお見通しだ。
しかしアルシャはパチパチと拍手を送る。
「まあ、すごいですリアさん!」
「えへへ、そうかなぁ――おわっ!?」
照れたように後頭部を擦るエウラリアが風で吹き飛ばされかけたので、瞬時に捕まえる。
「あ、ありがとレナルド」
「軽いんだから気を付けろよ?」
「うん、わかった。じゃあ、次はレナルドの番だよ」
「!? お、俺もやるのか?」
まさか俺にまで降られるとは予想外だ。
宙返り……できるだろうか。
「失敗する気しかしない……」
「……その顔はもしかして、宙返りしようとしてる? 違うよレナルド。キミだってアルシャに負けない特技があるでしょ? それを見せてあげようって話!」
どうやら宙返りは俺の勘違いだったようだ。
そりゃエウラリアだって、二十八の俺に突然宙返りを要求するほど常識しらずじゃないよな。悪い悪い。
エウラリアの言う俺の特技とは、融合魔術のことだろう。
幸いにして保存箱にはスライムの魔石が一つだけ余っている。
「アルシャ。お礼になるかはわからないけど、見てくれるか?」
「はい、もちろん」
アルシャは微笑を浮かべ、コクリと頷く。
……笑顔が自然だな。どうすればそんな風に笑えるのだろうか。
教わりたい……と、今はそんな話じゃないな。
俺は落ちていた渦巻き状の貝を拾う。
そして、そこに毎度おなじみのスライムの魔石を融合した。
水色の炎が飛び散るが、雨に濡れていつもほどの勢いはない。
こういう悪天候は、多くの融合術師の大敵だ。
普段と異なる天候により、空気中に漂う微量の魔力も普段とは違う動きを見せることが多い。それに振り回され、普段なら軽々こなせることも失敗する、というのは融合魔術師の間では古今東西良く聞く失敗話だ。
だが、俺はそんなミスは起こさない。
豪雨と強風で荒れる周囲のマナさえも己の魔力で支配し、なんの憂いもなく融合作業に取り掛かる。
そこまでくれば、あとはいつも通りの作業だ。造作もない。
十秒とかからず、俺は貝にスライムの魔石を融合させた。
「何をしたんですか……?」
「まあ、見ててくれ」
俺は貝に魔力を流す。
すると、貝はグーンと伸びて五メートルほどの長さになった。
貝くらいのサイズだと一メートル伸ばせれば一流の世界だから、何気に凄かったりする。
まあ、自分からは絶対言わないけどな。
「こんな感じだな」
「融合魔術師さんなんですね、すごいです!」
「そうだよ、レナルドは凄いんだからっ! へへんっ!」
なんでお前が自慢げなんだ。
……まあ、褒められて悪い気はしない。
ずっと家に引きこもって融合ばかりしがちだった俺は、他人に褒められたことなんて数えるほどしかなかったからな。
「あ、そうだ。お二人はこの町にしばらくいたりしますか? もしよければ、私の家が宿を経営しているので、お泊りにならないかなと」
「……どうする、エウラリア」
「決まってるでしょ? 泊まる!」
決まってるのか。
……まあ、そうか、決まってるか。
あれだけの演奏を聞かせられたら、心変わりをしたくなるのも当然だろう。
事実俺も正直あと数日は留まっていたい。
「連れがこう言ってるから、泊まることにする」
「じゃあ私はリアさんに感謝しないとですね。最近はお客さんも少ないですから」
「えー、アルシャこんなに可愛くて笛も上手いのに!? 見る目無いね皆」
「か、可愛いだなんてそんな……リアさんの方が可愛らしいですっ」
照れたように顔に手を当てるアルシャ。
この辺りは年頃の少女然とした動作で、やはり普通の少女なんだと今更ながら思う。
「えー、そうかなぁー。えへへー」
エウラリアもエウラリアで頭に手を当て照れているようだ。
ほのかに赤らむ頬と白い肌のコントラストは、たしかに美少女と言ってもいいかもしれない。
そんな彼女の様子を見たアルシャは、手で口を押さえながら言った。
「か、可愛い……!」
「へ?」
エウラリアを両手で囲み、そのまま胸元に抱きしめるアルシャ。
胸元に密着したエウラリアは始めは驚いていたが、すぐにこれ幸いとそのまま少し揺れ出す。お前は何をしてるんだ。
「柔らかい……」とか、とても妖精の言うこととは思えんぞ。
「こんな可愛い子と旅してるなんて、レナルドさんが羨ましいです!」
「そうでしょそうでしょ! 言ってやってよアルシャ! レナルドなんて最初、ボクのこと男だと思ってたんだよ?」
「えええっ!? れ、レナルドさん正気ですか!?」
「俺は正気だ」
そして、俺たちはアルシャの宿に案内してもらうことにした。
海岸を離れると、すぐに雨もやむ。やはり、海岸沿いだけが特に天候が悪いらしい。
「海に行くとすぐビショビショになってしまいます……」と眉をひそめて胸元の服をピンと引っ張って扇ぎだすアルシャ。その度に普段は衣服に隠されている奥の方が見え隠れする。
そういうのは俺の前でやらないでほしい。俺も一応男なんだが……。
「アルシャ、そういうのは恋人以外の男の前ではあまりしない方がいいと思うぞ」
「へ? ……あ、ご、ごめんなひゃい!」
気づいていなかったのだろう、アルシャは顔を耳まで真っ赤にして胸元を押さえた。
ついでに噛んでしまい、余りの恥ずかしさからか、目まで潤んでいる。
「……いや、うん」
とりあえずあれだな、相当に気まずいな。
「まあ、なにはともあれさ」
そんな雰囲気を察したのか、エウラリアが話題を変えてくれる。
こういう気が回るところは素直にありがたい。
「夕ご飯がお腹いっぱい食べられそうでよかったぁ」
話を変えてくれたのいいが……まさか、夕飯抜きだって言ったのを信じたのか?
「本当に抜きにするわけないだろ。俺だってそこまで鬼じゃない」
俺はエウラリアの目を見て言う。
俺の目と彼女の青い目、二つの目線が交差する。
な? 俺とお前の仲だ、目を見ればわかるだろ?
「……信じきれない!」
信じきれよ!




