第九節【賢人】
= マーク =
湖から現れた水竜は、蒼く輝く鱗に包まれ、頭には三本の角が生え、長い胴体には無数のヒレがまるで獅子の鬣のように付いていた。
(なんだ……あれ、は……!?)
頭部にある四つの目が、獲物を探すように今もギョロギョロと動いている。
(私を、探している……?気付いていないのか……?)
そしてふと、ある考えに行きついた。
さっき一瞬手放したハンスに視線を送った。
恐らく、この男の腕にはまっている腕輪の影響だろう。
そして疑問が浮かぶ。あのレベルの魔物すらも欺く程の高レベルの《隠蔽》が付与された魔導具を、なぜこの男が持っていたのかという疑問が。
(この男の逃亡を手引きし、迷宮に向かわせ、魔導具を与えた者が居る……)
不気味だった。
その黒幕の目的が全く読めないからだ。
なんでハンスをけしかける理由があったのか。
しかし、今はそんなことを考えている余裕がない。
例え《隠蔽》で守られているとはいえ、動くことで空気の流れは変わり、水面には波紋が生まれて気付かれてしまうかもしれない。
そう思ったら、固まって動けなくなってしまった。
(だが、このまま気配を殺してあいつが過ぎ去るのを待てば、ここから脱出できるかもしれない。)
冷や汗が頬を流れ落ちる感覚を感じながら、嵐が過ぎるのを待った。
水龍はなおも周囲を見渡している。
そして期待通り、水竜は私達を見つけることもできずに再び湖に沈み始め……。
「……ぁ?ここぁ……?」
最悪のタイミングでハンスが目を覚ましてしまった。
ハンスは寝惚けたような声を出しながら体を起こすと、水龍を見て体を震わせ始めた。
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああ!!!化け物おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!…………ぁふんっ」
「!!?」
馬鹿のような悲鳴を上げると、再びハンスは糸の切れた人形のように気を失ってしまった。小便を漏らしながら。
しかし、ハンスのことはどうでもいい。問題は、水に潜り始めていた水竜が今の叫び声による空気の振動を感じ取り、再び辺りを警戒し始めたことだ。
だが、それでも何も見つけられないことに苛立ちを覚えた水龍が唸り声を上げ始めた。
「グゥルアアアアン!!!」
業を煮やした水竜が咆哮した。
すると、高い天井に暗雲が漂い始め、そこから雷鳴が轟いたと思ったら、雨が降り始めて部屋全体を濡らした。
(雨……?奴の仕業か?一体何故……)
しかしその疑問は、すぐに解を得られた。
水竜がその四つの目が同時に私を睨みつけてきた。
「ギジャアアアアアアアアアアン!!!!!」
それと同時に殺意の籠った咆哮を私に向けて放ってきた。
その咆哮を全身で受けた私の体はビクンと震えると、同時に岩の足場を一気に跳んで渡り切ると、入り口に向かって駆け出した。
「ハァ!ハァ!あ、と……すこしっっっ!!!」
ハンスの襟を掴みながら全力で駆け、入り口の前まで辿り着き……、
―――ギィィィィ―――バタンッッッ!!!!
そして、私の目の前で無情にも扉は閉まってしまった。
「なっ!?」
私は急停止したが、勢いを殺しきれずに転んでしまい、ハンスは勢いのまま扉に顔面から突っ込んだ。
慌てて起き上がって扉を開けようとしたが、押しても引いても扉はビクともしなかった。
―――ゾクッ!!
瞬間、後ろから感じた膨大な殺気に体が勝手に反応し、横でノビているハンスを蹴り飛ばし、その反動で後ろに転がることで、水竜の口から放たれた水の砲撃を寸前の所で躱した。攻撃は扉の横の壁にぶち当たると、盛大に壁を砕いた。
その跡を見て、背中に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。
そして、今自分がハンスから離れ、《隠蔽》の効果を受けていないことを思い出す。
水竜は私を睨むと、周囲にいくつもの水柱を生み出し始めた。
(この雨、水柱、水の砲撃……こいつが……!!)
生み出された水柱は意志を持っているかのように動き出し、私に襲い掛かってくる。
私は投擲用のナイフを抜いて水柱を躱し続け、隙を見てナイフを水竜に投げつけた。
ナイフは水竜に真っ直ぐ飛び、体に当たったと思ったら火花を散らせて堅固な鱗に弾かれてしまった。
そして、全ての水柱をなんとか潜り抜けたと思ったら、今度は水竜の周囲に水の玉が幾つも生み出され、照準を私に絞っていた。
「お前が、この島の異常の原因か!!!」
叫び声と同時に、無数の水の玉が高速で私に向かって押し寄せる。
私は抜いた剣に魔力を纏わせると、躱しきれなかった分の攻撃を剣で打ち落とした。
しかし、それでも全ての攻撃を捌き切ることは叶わず、幾つもの水弾が足を、胴を、肩を撃ち抜き、痛みに顔を顰める。
そしていつしか、自分が湖の近くに寄り過ぎていたことに気付いた。
しかし、その時には既に遅く、水辺に乗り上げた水竜の凶悪なヒレによって剣のガードごと吹き飛ばされ、壁に激突してしまう。
「ガハッッ!!!」
水弾によるダメージと壁に叩きつけられた衝撃によって体中の骨が折れ、血反吐を吐く。
そして、自分の血の海の中に倒れ伏し、近付いてくる水竜から逃れようと体に力を入れるが、少し体を動かしただけで全身を強烈な痛みが走り、身動きが取れなくなっていた。
(こ、ここまで、なのか……?)
痛みに耐えて首だけ動かすと、水竜が徐々に近付いてくるのが目に入った。
このままでは、あの牙にこの身を噛み砕かれ、水竜の餌になってしまうだろう。
それを想像しただけで、痛みとは違う震えが体に走った。
その時、頭に浮かんだのは島の領民のこと、新しい友人のカイトの顔、そして、長年こんな自分を支えてくれたマリスの顔だった。
(このまま死んだら、彼女を泣かせてしまうだろうか……?)
気が遠くなる痛みに耐え、しかしなんとか水竜から逃れようと体に力を入れて立ち上がろうとするが、右腕と右足が折れており、再び血の海に倒れ伏してしまう。
(ち、くしょう……。すまない、マリス。どうか、君だけは……幸せに……)
目の前まで迫った水竜に、再燃した炎も再び消え、最愛の女性の幸せを願うマーク。
己の死を受け入れた彼は、しかし最後まで水竜を睨み続けた。
そして、マークの体を咥え込もうと口を大きく開けた水竜が目前に迫り―――。
―――ドガアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!
爆音と共に部屋の入り口の扉が吹き飛んだ。
吹き飛んだ扉は水竜の体に当たって湖に落ち、水竜は突然の衝撃に驚き、マークから距離を開け、湖に半身を隠して入り口を睨みつけた。
部屋の入り口はもうもうと砂煙が立ち込めていた。
そこに立っていたのは、黒髪黒目の男。
その手には見たこともない武器が握られており、その片方で肩を叩きながら部屋に入ってきた彼は、こちらの姿を見つけると、目にも留まらぬ速さで私の前まで移動してきた。
「―――間に合ったみたいだな。
まだ生きてるか?マーク」
我が友、カイトが悠然と立って私を見ていた。
§∞§∞§
= 櫂斗 =
暖かい光。
その光の中に居ても、不思議と眩しさは感じず、俺はリズナの手を握りしめた。
するとリズナの体が光に融けていった。
そして再び形を形成した時、俺の手には二丁の銃が握られていた。
見たこともない銃だった。
そもそもこの世界には銃という武器は存在しない。
ならばこの武器は一体…。
しかし、そんな疑問もすぐに消えた。
この手を通して伝わってくる温もりは、さっきまで握っていた少女の手の温もりと同じものだったからだ。
「リズナ……なのか?」
『……はい』
「これは一体?」
『ごめんなさい。私にも詳しいことは解りません。
でも、こうすればあなたの力になれるって思って、私、必死で……』
いつもより饒舌な少女の言葉を聞いていると、不思議と心が落ち着いてくる。
この武器が一体何なのかは未だに解らない。
だが、手を通して伝わってくる。彼女の想いが。この力がなんであるのかが。
光が解けると、周囲の景色が戻ってきた。
離れた所にガジロスがおり、驚愕の表情でこちらを見ている。口もパクパク開閉して、壊れたおもちゃみたいだ。
櫂斗は右手の銃をガジロスへ向け引き金を引いた。
―――ガチン!!
その音を聞いた途端、ガジロスの体がビクンと跳ね、再び左腕の鉄球を構えて笑い出した。
「は、ハハ、んだよ、不発、使えねえ道具かよ!!」
自らの安心を得ようと叫び散らして罵倒してくる。
しかし、こちらは至って冷静だ。
今のは、確かめる為に引き金を引いたのだ。何も起こらないことを確かめる為に。
そして櫂斗は、今度は右の銃に魔力を籠め始めた。それと同時に、新たな魔法の創造を行い始めた。
(属性は《光》。超高熱の光線。触れたものを悉く溶かし貫く光の弾丸……)
魔力が魔法となって形成されるのを感じ取り、櫂斗は再び照準をガジロスに合わせる。
だが、ガジロスは先程とは違い、こちらの武器に脅威を感じなくなった為、再び醜い笑みを浮かべながら鉄球をこちらに向けてくる。
「んな役に立たねえ粗悪品で何する気だぁ!?
今度こそおとなしく俺に殺されやがれぇぇぇ!!!」
「粗悪品」と言われ、リズナの体に一瞬震えが走った。
そんな彼女を安心させる為、櫂斗は更に力を籠めて銃を握り魔力を籠めた。
そして、魔力が満ちたことを感じ取ると、ガジロスが鉄球を放つのと同時に再び引き金を引いた。
「《光線》!!!」
―――ズギュウウウウウウウウウウン!!!!!
甲高い発射音と共に、特大の光線が銃口から放たれた。
光線は鉄球を飲み込んだ勢いのままガジロスをも巻き込んで、そのまま後方にある歪んだ扉に向かって伸びた。
―――ドガアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!
轟音が響き渡り、光線は扉を貫き吹き飛ばした。
扉の向こうは中心が湖になっており、吹き飛ばされたガジロスは湖まで吹き飛ばされた。
部屋の中に入ってすぐに《索敵》を放つと、ガジロスの他に二人と一体の反応が返ってきた。
入り口の脇に、気を失って倒れているハンス、部屋の奥には巨大な水竜、そして部屋の右端にマークが倒れ伏せていた。
マークの姿を見つけると、すぐに彼に駆け寄った。マークは倒れながらも頭だけを動かしてこちらを見ている。どうやら命に別状はないみたいだな。
「間に合ったみたいだな。
まだ生きてるか?マーク」
櫂斗は首のクリスタルを外すと、マークの首に掛けた。
「イリア、《硬装甲》と《ヒール》を」
『解りました。彼のことは任せて、存分に』
櫂斗はイリアが魔法を展開したのを確認すると、水竜に向き直った。
「水竜か、確かあの遺跡にも石像があったな」
古代の遺跡の最深奥。そこに並べられていた石像の一つに、目の前の水竜に酷似する像があった。
「確か、リヴァイアサン、だったな。やはり石像で見たよりも現物は迫力があるな」
よく見てみると、胴の中ほどにワニのような足が生えており、更にヒレを前足のように使って水陸両方で活動できるようになっていた。
先程の奇襲のような一撃に腹を立てているのか、低い唸り声を上げながら櫂斗を睨みつけている。
リヴァイアサンから放たれる殺気の奔流は、かつてのケルベロスに匹敵、いや、それ以上の力を感じた。
後ろのマークは、先程まで以上の殺気に当てられ恐怖に震えている。
しかし櫂斗はその殺気の中でも、まるで気にも留めずに立ち続けていた。
確かにかつての敵より強力な力を感じる。
しかし、櫂斗もあれから遊んでいた訳じゃない。
修行と研究を重ねて、レベルアップしているのだ。
先に動いたのは櫂斗だった。
両手に持った銃に同時に魔力を籠めてリヴァイアサンに向けると、瞬時に引き金を引いた。両方の銃口から次々に《光線》が撃ち出され、リヴァイアサンに殺到する。
その光の雨をリヴァイアサンは軽々と躱し続け、同時にこちらに向けて水弾を次々と放ってきた。その水弾を悉く左手の銃から放たれた《光線》で撃ち落とした。
互いに高速で動きながらの攻防が続いた。
櫂斗は壁や天井を蹴り、自在に空間を動き続け、リヴァイアサンは地面だけでなく水中を自在に泳ぎ櫂斗に拮抗していた。
しかもリヴァイアサンは櫂斗だけではなく、マークやハンスも狙って水弾を撃っているが、その全てを櫂斗は撃ち落としていた。
凄まじい集中力だった。それを維持した状態でリヴァイアサンと戦い続けている櫂斗を、マークは畏敬の念を込めて見ていた。
しかし、リヴァイアサンを相手している櫂斗の死角から、凄まじい勢いで鉄球が迫った。
櫂斗はその鉄球を右手の銃の《光線》で撃ち落とすが、続いて迫った鉄鎖を躱した。そして攻撃を仕掛けてきた方向を見ると、水浸しになったガジロスが荒い息を吐いて櫂斗を睨みつけている。
「……ふざけやがって。この俺様を、コケにしやがって……!
なんでだ……俺が、俺だけが選ばれたんじゃなかったのかよ!!?なのになんでお前まで!!!」
ガジロスは俺の両手を見て叫んでいる。
「そうだ!それが、その武器こそが俺のモノなんだ!!
テメェがそれを横取りして……返せよ!!?その武器を俺が使ってお前を殺してやるからよ!!!」
もう支離滅裂だ。選ばれし者だと言われていたのに、自分より強力な同じような力を持つものが現れて自分を圧倒してきたんだからな。アイツも騙されていると思ったら少なからず同情……はしないんだけどな。
リヴァイアサンはガジロスよりも櫂斗にヘイト値を溜めているようで、ガジロスには見向きもしない。
決して櫂斗の方が脅威な為、ガジロスを無視している訳ではない、だろう。
しかし、二対一、しかも片方は化け物級の強さを持った魔物で、もう片方は特殊な武器を用いる男だ。
マークは加勢しようと必死に立ち上がろうとしているが、まだ折れた足は完治しておらず、立ち上がることはできずにいた。
だが、対して櫂斗は落ち着いていた。
「リズナ、少し無茶するけど、付き合ってくれるか?」
『……大丈夫、です。どこまでもあなたにお付き合いします!』
ありがとうと心の中で浮かべると、櫂斗は再び魔力を高め始めた。
その間も続く敵からの攻撃をギリギリの所で躱し続けるが、櫂斗は一切の反撃をしない。
反撃に利用する魔力すら次弾の攻撃に回そうとしているのだ。
徐々に高まる櫂斗の魔力を敏感に感じろっているリヴァイアサンは、水弾だけではなく、突進や口から水の砲撃を放ったりと、攻撃のパターンを変えてくる。
ガジロスの方は、櫂斗の変化に気付いた様子もなく、反撃してこないのは追い詰められているが故にと思っていた。
そして遂に、リヴァイアサンの尻尾による一撃が櫂斗を捕えてしまった。
木の葉のように弾き飛ばされた櫂斗は背中から壁に激突し、崩れた瓦礫の下敷きとなってしまう。
ガジロスの顔に歓喜に染まったのも束の間、瓦礫を吹き飛ばして櫂斗が立ち上がった。
攻撃の瞬間、櫂斗は右足を曲げて尻尾に足を当て、全力で蹴り飛ばして勢いを殺していた。更に壁にぶつかった瞬間、衝撃の殆どを壁に逃がすことでダメージを最小限に抑えていたのだ。
「見せてやるよ。今の俺の全身全霊を……」
そう言って目を細める櫂斗。
その時になってようやくガジロスも気付いた。自分が一体何と戦っていたのかを。
櫂斗から放たれる殺気に当てられたガジロスは顔面蒼白になってしまう。
対してリヴァイアサンは、その目には未だに櫂斗への敵愾心が溢れている。その口の中に魔力を溜め始め、水の砲撃を竜巻上にして放出した。
「行くぞ、リズナ!」
櫂斗は溜めた魔力を両手の銃に籠めると左手に持っていた可変し始め、右の銃と連結させて一丁の両手持ちの銃にすると、照準を敵二体に向ける。
すると、連結した銃の中で溜め込まれた魔力が相乗し、その全てを一撃に籠めて放った。
「《破壊光線》!!!!」
放たれた《破壊光線》は、今までの攻撃とは比較にならない量の莫大な光線だった。
リヴァイアサンの放った竜巻を一瞬で掻き消し、リヴァイアサンの上半身を飲み込むと、その体内にある核を容易に砕いた。
光線の勢いは留まることを知らず、天井にぶち当たると、そのまま天井を貫き地表に飛び出し、更に分厚い雨雲をも貫いて天に消えていった。
ぽっかり空いた雲の穴からここ数年見ることが無かった太陽の光が差し込んだ。
雨雲は貫いかれた部分から徐々に散り始め、次々に生まれた雨雲の隙間から幾条もの太陽光が島を照らし始めた。
「……この力、まるでお伽話に出てくる“賢人”みたいだ」
マークがその光景を見てぽつりと漏らした。
歴史の転換期に現れ、その魔法はあらゆる奇跡を起こし世界を良き方向に導く。
時に獣人を救い彼の者達の楽園を創り、時に疫病に苦しむ人々を救い、王国の建国に尽力し、時に帝国に攻め滅ぼされようとしていた反乱軍に手を貸し、帝国からの独立を手助けた。
その他にも幾つもの伝説を残している“賢人”だが、その正体は詳しく語られていなかった。
曰く、長命のエルフである。
曰く、“賢人”の名は世襲制である。
曰く、“賢人”は不老不死である。
しかし、そのどれも確証は無く、ただのお伽話となっていた。
マークは櫂斗に、その“賢人”の姿を重ねてみていた。
普通ならありえないこと。
だが、天井に空いた穴から降り注ぐ太陽の光の柱の中心に立つ櫂斗の姿を見て、マークは櫂斗が伝説の“賢人”であると確信を得ていた。




