うちの見立てやと
義隆がゆうには、学校で期末試験ってゆうんが始まったらしい。昔と違って、今の人の子は生まれてから二十年経っても、学校ってゆうところでいろんな事を学んでるそうや。けど、ほんまにちゃんと身についてるんか試すために試験をするんやって。
八月の前半にその試験があるから、義隆はまた学校へ行くことになった。それで家に帰ってくると、何やらぎょうさんの紙の束を鞄の中から取り出した。
「なぁ義隆。それなに?」
「これ? 答案用紙や。試験を受けた学生が、自分の考えた答えを書き込んだものなんやで」
「そんなん持って帰ってきて何すんの?」
「学生の書いた答えが正しいか確認するんや」
そっか、答え合わせをせんと、学生がどれだけ理解してるかなんてわからんもんな。
義隆は毎日学校へ行っては答案用紙を持って帰ってくる。そんで、正しいかどうかひとつずつ確認しては「まる」とか「ばつ」とかを書き込んでた。たまに「さんかく」もあったけど。
でも、ほんまに厄介なんは、この次にする成績をつけることらしい。これをつけ間違えると学生から抗議されるんやって。
「けど、ほんまに困るんは親が怒鳴り込んできたときや。試験の点数が悪いから単位を落としたのに、それが納得できんってゆうてくるんやもんな」
その話をしてくれてたときの義隆は、ほんまに疲れ切った顔をしてた。説得するんがなかなか大変らしい。
ただ、そんなときのために、義隆も普段から色々と証拠を取っておいて対抗するそうや。どんなことをしてるんかは具体的に教えてくれへんかったけど、今まではそれで全部どうにかなってるんやって。
ちなみに単位ってゆうのは、授業の内容をちゃんと理解しているって認められた学生がもらえる点数なんやって。これが一定数貯まると学校が卒業できるそうや。
それはともかく、うちからしたら、試験に落ちたんやったら諦めるしかないって思うんやけど、そうゆうわけにはいかへんのかなぁ。
「まぁねぇ。親の金と学生の時間、場合によったら、人生もかかってることがあるからなぁ」
「どういうこと?」
「単位が足りんと学校を卒業できひんねんけど、そうなるとせっかく見つけた働き口で働けへんようになってしまうんや」
「うわぁ」
人里で生きていくんは大人だけやなくて子も大変なようや。うちは狐に産まれて良かったと思う。
そうそう、最近亜真女はんがうちによう来るようになった。原因は少し前にやったお泊まり会やと思う。お婆さまや千代はんを呼んでお泊まり会をしたんやけど、亜真女はんも一緒にお泊まりしてみんなで遊んだんや。それからもっと仲良うなったからやと思うねん。
「ただいま~。あ、亜真女さん、来てはったんですね」
「お、お邪魔してます」
たった今帰ってきた義隆に、亜真女はんが話を中断して挨拶を返した。今日も夕方からうちに来てて、お銀ちゃんも一緒に話をしてたんや。
「義隆さん、お帰りなさい。今夜はおでんなんですよ」
「なんでまた?」
「わ、私が家族からもらったんです。た、食べる物に困ってるだろうからって」
「この時季にですか」
「あははは、ぜ、絶対余り物ですよ。そ、そうか自分たちがいらないからです」
そう、今日は冬の食べ物のおでんが晩ご飯なんや。お雪はんの言葉に義隆が首をかしげてたけど、亜真女はんの説明で表情が苦笑に変わった。
「それに、基本的に冬は山ごもりしておるお雪に、冬の食べ物を食べさせてやりたいと前々から考えておったのでな。ちょうどよかったんじゃよ」
「でも夏にか? せめて春か秋にした方が……」
「文句は亜真女の家族に言うんじゃな」
「す、すみません」
「あーいや、亜真女さんを攻めてるわけと違いましてね」
おでんの話にお銀ちゃんも加わると、義隆はすぐに追い詰められた。それじゃ、うちも混ざろかな。
「あー! 義隆が亜真女はんいじめてるー!」
「酷いのう、義隆は」
「待ちなさい、二人とも。人聞きが悪すぎるやろ」
ふふん、油断するから悪いんや。
うちは、いつも通りお銀ちゃんと一緒になって、晩ご飯ができるまで義隆を責め立てた。
食卓の上にガスコンロっていう火を出す道具が置いてあって、その上に土鍋が乗っかってる。土鍋には亜真女はんからもろた具材がぎょうさん入っていて、それがぐつぐつと煮だった汁の中で踊ってた。
土鍋の中から勢いよく出る蒸気は煮汁のにおいを周囲に振りまいて、おなかの減ったうちらの鼻を刺激してしょうがない。これが冬なら体が温まることを更に想像して、今すぐにでも食べたくなるんやけどなぁ。
「一応冷房を強めに入れとるんやけど、鍋の近くはあんまり効いとらんな」
「まぁ、言ってみれば、焚き火を焚いておるようなものじゃからのう」
うん、確かに美味しそうなんやけど、ちょっと暑いかな。
義隆もお銀ちゃんも土鍋の近くの熱気に晒されて微妙な顔をしてる。お雪はんに至っては少し離れた場所に立ってた。暑いの苦手やもんな。
「や、やっぱり少し無理がありましたか……」
「お雪さん以外は我慢すればどうにかなるんと違うかな」
「私も何とかなりますよ。作っているときと違って自由に離れられますから」
お雪はんだけ別の冷たいご飯にするのかなと思ってたけど、何とか食べられるらしい。亜真女はんはしょんぼりしてたけど、お雪はんに慰められてた。
「よし、このままじっとしててもしゃーないし、席について食べよか!」
義隆の一言で、うち、お銀ちゃん、亜真女はんは席に座る。目の前にはお箸と小さいお椀の一組が置いてあった。
「亜真女さんはご飯いります?」
「え? あ、い、いえ。け、結構です」
義隆が近くに置いてある炊飯器からご飯をよそってる横から、お雪はんが亜真女はんにご飯の有無を聞いてた。
ちなみに、義隆だけがご飯の上に具を乗せる派なんやって。煮汁のしゅんだご飯をかき込むんがたまらんねんて。
ともかく、ご飯をよそってた義隆も含めて全員が土鍋の前に座った。それで、自分のお箸と小さいお椀を持つ。
「それじゃ、いただきます」
「「「「いただきます!」」」」
義隆の声に続いて、うちらは土鍋に自分のお箸を突き入れた。
沸き立つ煮汁の中で煮込まれた具は見ただけで暑いことがわかる。うちはさっきから気になってたゆで卵をお箸で取ろうとした。けど、滑ってうまく取れへん。
「あ~美尾ちゃん、そりゃ箸やと無理やわ。これ使い~な」
そうゆうて義隆が貸してくれたんは網杓子やった。お玉のところが網になったやつな。
うう、卵が気になって忘れてた。
お礼をゆうてうちはその網杓子を使って卵をひとつ取った。煮汁の色にほんのりと染まった表面が美味しそうに見えてしょうがない。
「あ~ん……はふっ」
む、ここ白身だけやん。口の中にある塊の感触は白身のぷりぷり感だけ。黄身のざらざらした感触が全然ない。なにより、お椀の中にある卵のかじった部分は真っ白や。
「出汁がようしゅんでて旨いなぁ。暑いけど」
「そ、そうですね。わ、私、い、今の肉団子で火傷しちゃいました……」
斜めに切られたごぼ天をかじりながら、義隆は嬉しそうにしゃべる。もちろんご飯の上に一回置いてからやで。
一方の亜真女はんは、かじった肉団子で早速やってしもたらしい。肉団子は表面を冷ましても中は暑いままやから危ないねんな。
「う~む、巾着は旨いんじゃが、ぼろぼろこぼれるのが難点じゃのう」
お銀ちゃんが最初に選んだん巾着は見た目がかわいい。中にいろんな具が入ってて楽しいんやけど、お銀ちゃんのゆうとおり、一回かじると中身がこぼれやすいのが困りもんや。今もお椀の中にこぼれた具を苦労してお箸でつまんでる。
苦労してるお銀ちゃんを見ていると、お雪はんの方から涼しい風が届いたからそっちに目を向けた。すると、お雪はんがはんぺんをひとかじりしたところやった。けど、なんかおかしい。何ではんぺんをかじったときに「しゃく」って音がすんの?
「ふふふ、これなら食べられますね」
「お雪よ、そなたはんぺんを凍らせたのか……」
お銀ちゃんの言葉でうちは変な感じの正体がわかった。あのはんぺん凍ってるんや。
うちらが見てる中、お雪はんは凍ったはんぺんをしゃくしゃくゆわせて食べてく。あれ、美味しいんやろか?
「ざ、斬新な食べ方ですね」
「どっちかっちゅうと、特殊な食べ方と違うんやろか」
なんともゆえへん微妙な表情で、亜真女はんと義隆はお雪はんのはんぺんがなくなるまでじっと見てた。
お雪はんの一風変わったおでんの食べ方にみんな驚いたものの、しばらくして慣れた後はいつものように和気藹々とおでんを食べた。
おなかがいっぱいになると、火を消したガスコンロと土鍋をそのままにして雑談に移る。満腹になってだらけたこの時間がうちは好きや。ただ、動くのが面倒になるさかい、みんなの様子を眺めてることが多い。
それで最近、気づいたことがあった。以前に比べて義隆と亜真女がよう話すようになったんや。前なら亜真女はんはうちとお銀ちゃん、更に僅差でお雪はんに話しかけることが多かった。例え義隆と話していても、どっかよそよそしかったもんなぁ。でも近頃は違う。亜真女はんは、うちらに話しかけるんとおんなじように義隆へと話しかけてる。
やがてうちとお銀ちゃんは居間に、お雪はんは台所へと移ったけど、あの二人はまだ食卓で話をしてる。前なら絶対になかったな、こんなこと。
「うんうん、ええことやなぁ」
「何がじゃ?」
うちの独り言にお銀ちゃんが反応した。うちの視線を追いかけた先に義隆と亜真女はんがいることを知ったみたいやけど、もちろんうちの思ってることがわからんお銀ちゃんは首をかしげるだけや。
「最近、義隆と亜真女はんの仲がええなぁって」
「確かにそうじゃの。遠慮はなくなってきておるように見受けられる」
「そやろ? お互い好きなんかなぁ?」
「いや待て美尾。いくら何でも飛躍のしすぎではないか?」
お銀ちゃんはあきれの入った顔でうちを見る。あれ、なんか変なことゆうた?
「そんなに変か? 前よりも仲良うなってるやん」
「いや、一口に仲良くなったとはいっても、幅があるじゃろ。友人から恋人へとなるだけではなく、他人から友人になるという段階もあるんじゃぞ」
「それじゃ、義隆と亜真女はんは友達ってゆうことなん?」
「わしにはそう見えるのう」
お銀ちゃんの話を聞いてると、うちもそんな気がしてくる。けど、それなら恋人になったらどんなふうになるんやろう?
「なぁ、お銀ちゃん。それやったら恋人同士になったらどんなふうになるん?」
「なんじゃと?」
「今の義隆と亜真女はんが友達なんやったら、恋人になったらもっと仲良うなるんやろ? それってどんなふうなんかなって」
「あ~、それはぁじゃなぁ」
うちが質問すると、お銀ちゃんの態度がなんかおかしなった。あれ、どうしたんやろ?
「なぁ、どんなふうになるん?」
「えっとじゃなぁ。例えば、もっとくっついて座ったり、抱き合ったりするかのう」
態度は相変わらずおかしいけど、今度はちゃんとうちの質問に答えてくれた。
「あの二人がそんなふうにするにはどうしたらええの?」
「今日はやけにこだわるの?!」
何でか知らんけど、お銀ちゃんは目を剥いて大きな声を出した。
「だって、あの二人には仲良うしてもらいたいもん」
「そなたの『仲良く』には恋仲の関係しかないのか……まぁよい。とりあえず、今後どうなるかしばらく様子を見ようではないか。それを見てこれからどうするのか考えてはどうか? あの二人が両思いにならねば何も始まらんじゃろ?」
「……うん」
残念やけどお銀ちゃんはあんまりうちに賛成してくれへんかった。けど、一緒に様子を見てくれることになってよかった。
よし、これからはしばらくお銀ちゃんと一緒に義隆と亜真女はんの様子を見よう!