いちりんの花
気が休まらない内に、アパートのインターホンが健を呼び出す。発狂しそうになるその息を圧し殺して応答すると、年齢と経験を重ねすぎている男性が所属名を伝えてきた。普通の人であればたまったものではない出来事ではあるが、健は静かに頭を下げながら、白と黒ではない、でもそれに似た車体に乗り込んで、警察署へと向かった。そう、尋ね人は警察の者だった。
これもまた皮肉なもので、飛び降り自殺してしまった子は、過去のバイト先の後輩であった。この子とはつい最近に連絡をやり取りをしていて、派遣社員のまま生きていくか正社員になるべく転職活動していくかの相談を曖昧な返事になりながらも健は答えていた。彼女には好きな人がいて、妊娠が発覚してからの電話であった。そのために共働きを選んでいくか、それとも田舎に帰るかなどをして、子育てをしていくべきなのか悩んでいた。それでも今の会社は何だかんだとまだ最低賃金であり、それいえ高性能の出来をも求めており、育児休暇を明けたあとでは難しいのでは。転職もまた、それから探すには難しいものではないのか困った声を漏らしていた。
全国一律賃金をもっても、まだ高度成長を望んでいるこの国では子育ては難しいのである。本当の理由などハッキリは判らないが、妊娠について語っていたことから相当辛かったのであろう…。
要するに健の取り調べでは、何か要因になるものがあったのか気になったらしい。しかし、それより自分の周りの人間が失われていくのが地獄のようで仕方ない健である。
都心が近いとはいえ意外と静かで長かった10連休明けに、母親から電話をもらった。
つい最近に、その自殺に関しての動画を友達伝えで見せられたところ、自分の息子の家と近いと言うことで電話してきたのだった。母親も一度その子とは面識があったために気にかけてくれたのだ。さすが母親ということもあり、息子の声を聴くなりにどんな状況であるか察しがついたみたいで、里帰りを薦めてくれた。だが、今回は恋人関係に近かった由美とは違うから大丈夫だと口先で答え、受話器を下ろした。親というものほど、かけがいのないものはない。服を装うよりも温かくて切なくて、お洒落だ。
食べながら寝てしまう幼児のように、右手に携帯を強く握りしめながら眠る健である。朝を迎える陽が早くても、この物語の夜はまだ明けない。
『ねぇ、私より早く死んだらどうする?』
『なんだよ、いきなり?でも、俺、たぶん、普通に生きてるわ。』
『え?そこはウソでもカッコつけてよ。』
『へ、そんなの望んでないくせにっ』
『あっ、カプチーノのソフトが溶けちゃう!!』
『話、しろよっ。由美こそ、どうなんだよ?どうせ、地縛霊で生きるんだろ?』
『……ん、あったりー!』
『はんっ、ま、いいけどよ、俺だけにしとけよ。他の人を苦しめるんじゃねえぞ。』
「……………由美、」
『今、なんつった!!』
『だから、収が、』
『…だから、じゃねぇんだよ。だから、じゃねぇんだ!目の前にいるんだろ?だったら、人工呼吸をしろよ!いいから、しろよ!俺の連絡なんかいいんだよ!収を、収を、収をっ!!』
『健こそ、しっかりしろ!収は、死んだ。もう、居ない。そんなに救いたかったら、お前の身体で収の身体を再生しろ。やれるものならやってみろ。お前の身体をすべて使って、収の身体を復元してみろ!』
「収………、俺はお前を人間として見てなかった訳じゃないんだぞ…。何が、そんな面影を遺させるような身体にさせてしまったんだよ………」
むやみに拡散された不謹慎動画が削除された朝であった。捻り足りなかった蛇口の水が食器桶に溜まり、コップが空気圧で浮かんでは倒れ皿を叩いた。目覚まし音がわりに鳴り響いたその音で目覚めた健は、蛇口を強く捻り閉めて、明るくなった窓のカーテンを勢いよく開けた。まだ半開きな瞳ながらも、窓から望む景色を蜃気楼のように心に納めた。
出来る範囲の身仕度を済ませたあとは、そのまま花屋さんへと向かう健であった。




