ルターの宗教改革とは?聖書のみに拠る信仰宣言だった。(私のキリスト教遍歴ノートより)
㊟以下はあくまでも私の『私的見解』です。
世界史教科書に必ず出てくる
ルターの宗教改革。
でもそれってどんな改革?
聴かれても答えられないのがほとんどの日本人でしょう。
確かに宗教改革なんて日本人には何の関係もないですものね?
ほとんどの日本人は、キリスト教徒じゃあないんですからね。
ところで、
私の理解している範囲でいうと、
宗教改革とは。
ルターによる
個人的な苦悩から始まったと思われます。
彼は一修道僧として
神の義について思い悩みました。
何が神の義なのか?
ローマカトリックによれば
それはローマ教会の
許し?としての免罪符を
買えば済むことですね。
ルターはそれはおかしいと言います。
そもそも神の義は
イエスの言うところの
信仰によるしかありえないだろう。
ルターはその時「ガラテア書」の
一節に天啓を得るのですね。
そこにはこうありました。
『人は律法の行ないによっては義と認められず、
ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる。
これは、律法の行ないによってではなく、
キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。』
彼はこうして
信仰によるのでなければ神の義はないと、宣言して
ローマ教会と対立していくのです。
彼はこうも言います。
「イエスは人間ヨハネと人間マリアの自然の子である」と。
つまり神の子イエスの否定ですね。
ルターは聖書に書いてないことのすべを否定しました。
聖書のどこに「結婚してはいけない」と書いてあるのか?
そこで、、ルターはカタリナと結婚しました。
そうして、、六人の子供ももうけていますね。
聖書のどこにローマ教会のことが書いてあるのか?
そもそも、聖書の時代に教会なんてあったのか?
無かったじゃないか。
至高の信仰はただ聖書によるのみ。
これがルターの信条であり。
宗教改革だったのですね。
聖書をドイツ語に翻訳したのもそういった聖書至上主義?の故だったのでしょう。
ですがその聖書にみによる信仰とは?
無教会主義に行きつき、
あるいは聖人の否定。
人間キリストの肯定、
聖母マリアの否定にまで行かざるを得ませんね?
そうして
人はただ個人的に聖書を
読み
個人的に聖書を
理解し解釈すればよい。
つまり100人いれば100通りの聖書解釈があるという
事態にも行きつくでしょうか。
まあこれはあくまでも極端に走った場合ですが。
ルターの考えを推し進めればこういう
極端主義に至るという危険性?があるわけですね。
聖書とそれを信じる各個人があればそれでよいという、
いわゆる『無教会主義』です。
そうなると果たしてではキリスト者の連帯とは?
教会の意味とは?
というキリスト教の存立自体にも関わってくる重大事ですよ。
まあここにいわゆるプロテスタント派が今もなお引きずっている?
苦悩と矛盾もあるのでしょうね?
さて、、
視点を変えて、ルターの宗教改革の世俗社会への影響も重大でした。
ルターのローマ教会への批判はそれまで
ローマ教会へお金を半ば強制的におさめさせられていた
ドイツ諸侯の格好の材料になりました。
ただでさえ税金不足で苦しんでいた諸侯たちは
それからピンハネされてローマ教会への貢納金まで持って行かれるのですから
たまったものではありませんよね?
もうそんな貢納金は治めないぞという諸侯が続出したのですね。
ここにドイツ騎士戦争が勃発します。
さらに、、それが今度はもっと不満を持っていたドイツ農民にの思想的根拠として
火をつけて、ここに、「ドイツ農民戦争」が始まるのです。
農民はトマス・ミュンツアーを、盟主と仰ぎ
大規模な戦争(一揆?)を諸侯に対して始めます。
そうした農民たちの論拠とは
まさに、ワットタイラーの乱のときのジョンポールの名言に
収斂されるのではないでしょうか?
『アダムが耕し、イヴが紡いでいたころ、領主様なんていたのか?」
これは痛烈な領主制への非難でしょうね。
確かにアダムやイヴの時代には
領主様もいなければ
ローマ教会もなかったんですからね。
ドイツ全土を荒廃させたこの戦争も結局武器や兵力に勝る領主側の勝利に終り
農民、数十万人が戦死して終焉を迎えるのです。
ミュンツアーはとらえられ拷問処刑です。
こうしてドイツはますます諸領割拠の
小領主群雄国家?として不統一化してゆくのです。