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IONシリーズ  作者: 2626
MISSION 死人の復活
19/46

MISSION 死人の復活 【ACT一】 特務員連続失踪事件 下

いっちゃんの本気が見られます。

 「アザレア・アナニアノス様」と閣僚が言った。「本当に聖教機構の言いなりで良いのですか?」

「否と言えば向こうにこちらを空爆させる格好の口実になってしまう」カルバリア大統領アザレア・アナニアノスはそう言って、わざとらしくため息をついた。「そして今のカルバリアの総戦力を以ってしても聖教機構との戦争には勝てない。 かつての亡国クリスタニアにいた悪魔的な戦の天才オリエル元帥でもいない限り……」

「しかし我々を不老不死にして下さった、そしてカルバリアの民の万病を癒して下さったアザレア様のご命令ならば、我らは死兵となって聖教機構に立ち向かいましょう!」別の閣僚が言った。

「……嬉しい限りだ。 だが」と大統領はわざとらしく涙ぐみ、「だからこそ私はお前達を失う訳には行かないのだよ」


 『これは……噂なんですけれど』レットが珍しく口ごもりながら話し出した。『カルバリア共和国の民の間に、「不老不死」になれると言う流言があるみたいなんです』

「不老不死?」マグダレニャンが訊ね返すと、立体映像のこの青年は頷き、

『ええ。 何でも現大統領アザレア・アナニアノスには不思議な力があるみたいで、触れただけで万病を癒したり、致命傷を負った人を救った、と言う話がいくつもあるんです。 そしてアザレア・アナニアノスはご存じでしょうが「ありとあらゆる病から人を救う」と言うのを公約に、大統領に当選しました。 そして事実、この男はまるでA.D.(アドバンスト)のように不思議な力を持っていて、その力は絶大な治癒の力なんです。 大統領官邸には国中から集まった病人や怪我人が横たわっていて、彼らは治療を受けた後は自分の足でスキップしながら帰っていく、らしいんです』

A.D.とはいわゆる超能力者の事である。人間でありながら不思議な力を持っていると言われ、かつては聖人や預言者と呼ばれた。

「……いくら今の医療技術が進歩しているからとは言え、そんな事が可能だとは思えませんが……」

『同感ですよ。 でも、それが長じて、「不老不死」の噂が流れたようなんです。 ……国民はまるで洗脳されたかのようにアザレア・アナニアノスを信仰しています。 支持じゃない、信仰なんです。 どうもこうも、何か不気味で……』

「……分かりました。 どうやら怪しい何かが背後にある模様、警戒を解かずに行きますわ」


 散々に物理的にも精神的にも酷い目に遭った上に、I・Cが彼の墓場まで見つけて、面白半分でそこへ連れて行かれた後、帰ってきたベルトランはひたすらぼう然としていた。今の彼は時代差(ジェネレーションギャップ)に打ちのめされて、打ちひしがれていた。彼は大昔に死んだはずなのに、終わったはずなのに、それが無理やりにこの今になって再開されたのだ。何もかもが受け入れがたく、何もかもが絶対的である『かつて』と『今』の格差に彼は圧倒されていた。

(――僕をどうして死んだままにしておいてくれなかったんだ!)

その理不尽さに、彼はただやるせない気持ちを抱いている。

その時、だった。紅茶の甘くて優雅な香りがした。そちらに目をやると、シャマイムが紅茶が入ったカップを彼の方へと運んできていた。

「……?」

「温度が高いため注意を要求する」とシャマイムは彼に紅茶のカップを渡した。

「……いや、僕は死人だから、飲食なんか必要無いんだ……と僕を召喚した悪魔が言っていた」

「精神面での鎮静化が期待される。 ベルトランは復活してより安静とは程遠い精神状態だったと推測される。 休憩が必要だ」

「……」

そう言えば、とベルトランは思い出した。誰も彼もがシャマイムには笑顔もしくは好意的な顔を向けていた。その理由が、やっと分かった気がした。

「いただくよ」

ベルトランは紅茶を飲んだ。そこへグゼが通りがかった。

「あ」とグゼがはっとした顔で言った。「ベルトラン、貴方の生前の知り合いにヴィルヘルム公がいらっしゃったとか。 それは本当なのか?」

「公?」ベルトランは一瞬戸惑ったが、「……そうか、アイツは出世したんだな。 いたよ。 同僚だった」

「……そのご子孫が今でも脈々と生きている。 今は入院中だが。 これからボスがそのお見舞いに行くのに同行するのだが、一緒に行くか?」

「……何で入院しているんだ? アイツは入院するようなやわな男じゃなかった」

グゼはちょっと困った顔をして、

「……まあ、会えば分かるさ」

その童顔でひょろひょろの青年は、電子タブレットに何か打ち込んでいたが、婚約者が病室に入って来たのを見て、気の弱そうな笑顔を浮かべる。彼の側にはメイド・ロボット――アンドロイドがいて、彼女はうやうやしくマグダレニャンに向けて一礼した。

「あ、ま、マグダ! し、手術が上手く行って、予定よりもは、早く、ら、来週には退院できそうなんだ」と青年は言った。

「それは良かったですわね」マグダレニャンが珍しく優しい笑みを浮かべる。「お見舞いに来たかいがありましたわ、ヨハン」

「そ、それで……」とヨハンは言いかけて、ベルトランを見つけた。「あ、あれ? 新人さん?」

「……」ベルトランは絶句している。声が出ないのだ。彼の知るヴィルヘルムとこの青年は、血の繋がりが一切無いと断言しても不自然ではないほどに、かけ離れていたから。「……ま、まさか、君が、ヴィルヘルム……?」

「……え、ええ、は、はい。 ぼ、僕が、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン一三世です」

「ふざけ……い、いえ、何でもありません」ベルトランは辛うじて踏みとどまった。シャマイムが実に絶妙なタイミングで彼の腕を後ろから引いたからだ。「私はベルトランと言います。 どうぞよろしくお見知りおきを」

「は、はい!」ヨハンは元気に頷いた。それから許婚のマグダレニャンを見て、

「ご、ごめんね、ゲルヒルデから聞いたよ、ま、まさか、マグダがカルバリアに行く事になるなんて……」

「いえいえ」にこやかに彼女は笑って、「こらゲルヒルデ、私よりもヨハンの体調を優先しなさいな。 もしもヨハンが私の事で気を病んで回復に支障が出たらどうするのです」

命令気味に言った事は言ったのだけれど、その声はいつもの威圧的なものではなく、まるで姉妹にかけるような親しみを持っているものだった。

「大変失礼いたしました、マグダレニャン様」

メイド・ロボットがそう言って頭を下げた。ヨハンが慌てて、

「ううん、僕がね、せ、せっついたんだ、レオニノスの事が心配で……」

「ええ。 ビザンティ国王のレオニノス君も、きっと私が行けば助かるでしょう。 ヨハンは何の心配もしなくても大丈夫ですわよ」

「……そ、それでも、と、と、友達だから心配なんだ」

「ヨハンは本当に優しいですわね」マグダがご機嫌で言った。

「と、ところで」ヨハンがやや怯えた様子で、「え、エステバンがね、人工知能搭載新型兵器を作りたいから、『ヴァルキュリーズ』を貸してくれって……」

それはヨハンが制作した、人口知性を所持するメイド型アンドロイド達の事だった。ゲルヒルデもその一体だ。

「あら」マグダの脳裏にあのマッドサイエンティストの顔が浮かんだ。「ヨハンが嫌でしたら私の方から断っておきますわよ?」

「それが……そ、それが……み、みんな、『強くなりたい』って……ブリュンヒルデなんか土下座して……ぼ、僕、どうしよう」

「あら……。 どうして強くなりたいと思ったのです、ゲルヒルデ?」

マグダが訊ねるとメイド・ロボットは、

「マスターをお守りしたいからです。 どんな敵からも脅威からも、全力でお守りしたいのです。 アルビオン連続テロによりヨハン様が害された時、私達ヴァルキュリーズは何も出来ませんでした。 このような思いは二度としたくないのです。 これは私達の共通意志です。 ですから……」

「……と、友達でいてくれるだけで、い、良いのに」ヨハンが言うと、

「大事な友達だからこそお守りしたい、と思ってはいけない事でしょうか」

沈黙が、一瞬立ち止まった。

「ヨハンの負けですわね」マグダがそう言って、ゲルヒルデを優しい目で見た。「強くなりたい、強くあらねば、この世界では愛する者を守る事すら出来ない。 破壊のための強化では無く、ただ一途な意志による強化への悲願です。 ……ちょっと妬けますわねえ、うふふふふ」


 「帝国(セントラル)」は大荒れに荒れていた。

この魔族が総べる一大国家の唯一絶対君主を「女帝」と呼ぶ。その女帝が万魔殿過激派により暗殺されかけたのだ。辛うじて彼女は無事だったが、彼女を守ろうとした廷臣達が何人も亡くなった。

帝国は基本的に聖教機構と万魔殿の争いには介入しようとせず、また、それほど好戦的な国でも無かった。だが一度この国を徹底的に怒らせておいて、無事であった国も、歴史上一つとして存在してはいない。

しかし運悪く、彼女を暗殺しようとした謀叛者の貴族達――帝国では魔族が貴族なのだ――が大量に過激派へ転身したため、軍事機密なども相当量が過激派に流れ込んでいた。そのため、即座に開戦する、と言う事が出来なかったのである。

「我らが故郷、我らが同朋、我らが現人神を裏切った上に弑逆しようなどと企んだ人非人に報いを与えずして、ただ黙っていられる者がこの場にいるか!」

帝国の政治中枢を司る枢密司達の一人、帝宮近衛部隊を率いる将軍の熱血漢レミギウスが怒鳴ると、帝国全土の貴族や、選ばれた平民が立体映像の形などで集っている、非常に巨大な半円形の議場からは次々にそうだそうだとの賛同の声がうねりのように上がった。それはもはや怒号に近く、議場を揺るがさんばかりであった。

「落ち着くのです、レミギウス殿。 すぐにでも過激派を殲滅したいのは誰とて同じ。 ですが、今真っ先に必要なのは我らが帝国の軍制改革です。 女帝陛下を殺されかけた上に敗戦などと言う結果がもたらされたが最後、彼奴らをほくそ笑ませるだけですわ」枢密司主席のユナが、まだ痛々しくも体に包帯を巻いて、車いすに乗りながら、けれどはっきりとした声で言った。

「……それにしても我らはあまりにも多く喪った。 痛手が多すぎた。 悔しいが、彼奴らに良いようにもてあそばれたも同然だ……。 だからこそ、何としてでも奪還せねばならぬ。 我らが信念と忠義にかけて! 我らの誇りを!」新蔵相となった枢密司のエレメンティアラが断言すると、議場はまたそうだそうだと言う声で溢れた。

『……で、その軍制の改革は具体的にどうやるんだ?』そこに、立体映像で現れた、どこかニヒリスティックな雰囲気の青年が言った。立体映像を投映している機器には、「ジュナイナ・ガルダイア」と刻印されている。『感情だけで突っ走って、連中に掘られた落とし穴に落ちたら本当に馬鹿ってものだぜ? それとも平和ボケしすぎて「軍の強さは兵卒の意志の強さだー!」なんて言い出し始めたのかい? そいつはちょっと、あまりにも阿呆だぜ?』

「セルゲイ、貴様、場をわきまえよ!」

レミギウスが怒鳴ったが、青年は平然と、

『大体どうして連中が裏切ったか、アンタらはもう忘れたとでも言うのかい? 連中は、「同じ魔族なのにお前達は万魔殿過激派とは違って食っちゃ寝で平和ボケしているが、本当にそれで良いのか?」とあの男に洗脳されて裏切ったんだ。 だから今、最も必要なのは、今の帝国の在り様を変える事、でなければまた裏切り者が出るさ。 その裏切り者の動機は、今度は(ワイロ)かも知れないがな』

「……商都ジュナイナ・ガルダイアの連中は、金儲けばかり考えていて、どうも我ら帝都シャングリラの者とは意見が違うようだ」

エレメンティアラが辛辣に言ったが、青年はけろりと、

『ああ。 帝都の諸君はボンボン揃いだから、良くも悪くも金の恐ろしさとありがたみが分かっていないからな。 それよりもユナ大姉様、今後はどう言う方針で行くんだい?』

「今や、開戦しないと我々貴族が言えば平民が暴動を起こしかねない有様です。 現に陛下を裏切り国外逃亡した貴族の館を平民が焼打ちにしたと言う事件も発生しています。 必ず開戦はします。 ですがそのための準備にしばらくかかる、そして戦後処理のための準備もしなければなりません。 今は、歯を食いしばって耐える時です」

『なるほど。 そう言う事ならこちらも――ジュナイナ・ガルダイアも精々情報と資金を集めて提供するよう全力で動こう』

その議場に、血相を変えた平民の官僚が一人、駆け込んできた。

「大変でございます!」

「どうした、騒がしいぞ!」

レミギウスが自分の事は忘れて言うと、召使は叫んだ。

「つい先ほど、万魔殿穏健派が過激派に最後通牒を叩き付けました、開戦も辞さないとの構えです! つきましては我らが帝国と戦略同盟を組みたいとの事! 数日以内に使者がやって来るとの話です! いかがいたしましょう!?」

『一番良い手は、この穏健派からの過激派への戦争を、俺達帝国が全面支援する方法だな』青年が言った。『穏健派を帝国が全面支援すれば、こちらが損失を出す恐れも無く、かつ確実に過激派と戦える』

「そんな卑怯な手を――」と誰かが言いかけたが、青年が一言、

『卑怯も何も代理戦争をやると向こうから言い出してくれたも同じなんだ、利用するなって方がおかしいだろう?』

議場が大きくざわめいた。しかし、その時、議場の最深部の御簾の向こうに気配がして、ざわめきは静まってしまった。

「女帝、陛下……!」

「女帝陛下があそばされた!」

彼らの支配者である生神が、現臨したのだ。

「……セルゲイ」と女の声が青年の名を御簾の向こうから呼んだ。「そのやり方は、正しいとも言えませんが、間違っているともいえません」

『……』

「ですが当面は代理戦争、と言う事になるでしょう。 軍制改革が終わり次第、我らも援軍を出さねば、全て彼奴らの計画通りになってしまう」

『計画通り……? 何の計画ですか、陛下?』セルゲイが訊ねると、

「……今は、まだおしえられません。 ですが、いずれは……」

そして、御簾の向こうの気配は消え去った。

「……どうやら我らの方針は決まったようです」ユナがその御簾を見つめて言った。「急ぎ、動きましょう」


 「穏健派が過激派相手にキレた、と言うかキレざるを得なかったのには同情するな」マグダレニャンのカルバリア共和国訪問が近づく中、和平派特務員達は情報を共有するべく何度も会議を開いていた。グゼがシャマイムの入れてくれた紅茶を飲んで言う。「キレなければ最悪過激派の巻き添えで『帝国』にやられるかも知れない。 万魔殿の過激派だろうと穏健派だろうと、帝国にとっては万魔殿の組織である事に違いは無い。 万魔殿の組織を残すためには過激派と全面戦争をするしか、もう手段が無いんだろうな……」

「けれどぶっちゃけラッキーだよね」ニナがスコーンをかじりつつ言う。「こっちとしてはさ」

「だな。 もしかしたらこの何百年と続いたウチと万魔殿の戦争も、ウチが勝った形で終わるかも知れない。 お互いに潰しあいをしているその間にウチが全力で攻めれば……」そう言うセシルは蜂蜜を紅茶に入れている。

「……それでようやく戦争の無い世界、それが到来するのかな……」フィオナはスプーンで紅茶とミルクを混ぜている。

「だがな、もう国際軍事企業がそれじゃ黙ってはいないぜ?」I・Cだけが酒をあおっていた。「戦争が続かなきゃもう困るんだ、ヤツらの飯の種が無くなっちまう。 沢山沢山人が死んで、沢山沢山人が泣き喚く。 それは確かに悪の元凶だ、他者を害する悪そのものだ、だが、生きるには悪だって必要なんだぜ」

「「……」」誰もが不快そうな顔でI・Cを見る。

「戦争はな、否、殺人はな」それを全く気にせず、I・Cは心底面白そうに言う。「人間が誕生してから今まで延々と続いてきた。 救世主が来ようが神が殺人を禁止しようが誰にも止められなかった。 救世主本人にはその気は無かったが、ヤツの弟子達がヤツの教えを曲解して伝播したモンだからもう大変、救世主は大量殺人鬼よりも大勢の人間を間接的に殺す羽目になった。 人間に救いようなど何もありゃしねえのさ。 人間は人間を殺す、それは永遠に続く。

 ……かつて異教の神々がいた時代は無意味な殺人は嫌われた。 何故なら異教の神々は豊穣を愛したからだ。 豊かな事は素晴らしい。 富める事はありがたい。 増えよ、地の果てまで満ちよ。 何故ならそれらは生きる事に輝きを持たせるからだ。 何が清貧だクソ食らえ、そんなものは手の届かぬブドウを酸っぱいととけなす狐の言い訳だ。 自分達が貧民だから富豪を、富豪のその財産を妬んだだけだ。 豊穣には犠牲が付きもの、死ぬ一粒の種があってこその垂れる黄金の穂だ。 それをヤツらは分かっていた。 だから生きる事は高貴な事だった。 一つの命が死ぬ事は次の命を招来する事だった。

 だが、今、この時代の、この世界の、どこに一体高貴さがある? どこに無意味でない死がある? どこにも何も無いじゃねえか、うん?」

「……I・Cと付き合っていると気分が悪くなるよ」フー・シャーがぼそりと言った。

『大変だ!』とそこにレットが立体映像で現れる。『行方不明事件についてとんでもない情報が出てきたよ!』

「情報の詳細な説明を要求する、レット」シャマイムが訊ねると、

『カルバリアだ!』とレットは言った。『行方不明者が最後に目撃されたのは、カルバリア共和国内もしくはその周辺なんだ!』

「「!」」誰もがぎょっとした。今一番きな臭い国が、また出てきたのだ。

『……ちなみにこの情報をどこの誰から手に入れたと思う?』

レットは深呼吸をしてから、口に出した。

「……誰からだい?」フー・シャーが言った。

『ウトガルド島王を殺しに来た「デュナミス」の暗殺者からさ』

和平派特務員の内、I・Cを除く全員が目を見張った。デュナミスとは世界最悪と呼ばれる暗殺組織である。殺害方法が残忍かつ残虐で、周辺への被害を一切考慮しないため、テロリスト扱いを受けており、非常に危険視されていた。ウトガルト島王とは享楽と快楽の人工島ウトガルトの王であり、レットの主かつ世界経済の一角を担う人物でもあった。その彼が「デュナミス」の襲撃に遭ったのだ。

「……何でデュナミスが行方不明事件の事を知っているんだ……?」

セシルが、誰もの胸に抱かれた疑問と不安を代弁するかのように、呟いた。

「面白くなってきたなあ」I・Cだけがにやにやしている。「これは楽しめそうだ」


 「ラファエル様」レスタトは言う。「ラファエル様。 『赤ずきんと狼』では少々荷が重すぎではありませんか? 相手はかつての最強の大天使なのでしょう? 『幻覚立体化(ゴースト・ロスト)』の力しか持たない彼では……」

「良いのですよ」その男は微笑んだ。とても優しいのにとても残忍な微笑だった。「データは取れます。 そしてそのデータはお前達を完成させるのに役立ちます。 ヤツには並大抵の物理攻撃は無意味です。 ですが精神……となるとヤツは完璧では無い。 それは私が良く知っています。 まあ、それを知った時にはまさかヤツが裏切るとは私は夢にも思っていませんでしたが……」

「ラファエル様はヤツに触れた事があるとおっしゃっていましたが、どうして裏切るとその時には分からなかったのでしょうか?」

「情報量」男は忌々しそうに言った。「ヤツの内包する情報量はとてつもない量なのです。 とても私では触れた一瞬で認識し記憶する事は出来なかった。 我らが唯一絶対神がいなければ、私はヤツの莫大な情報量に押しつぶされて発狂さえしていた。 ですから、私はこうやって間接的にデータを取る事でしかヤツを打倒する方法を探れないのですよ」

「なるほど……そうでしたか。 ですがラファエル様、貴方様は私を、私達『デュナミス・エンジェルズ』を創って下さった。 私や私達の可能性でヤツを破滅させる事は出来ませんか?」

「まだまだ」男は首を振った。「まだまだです。 ヤツは『認識したものを捕食し支配下に置き使役する』事が出来る。 私が『触れたものを認識し回復できる』ように。 そしてヤツが食べたもの、食べてしまったものの中で最も脅威であるのは、『神体』です」

「……」

「それに……『器』の再建も急がねばならない。 ガブリエルとていつまでも『断片』を保持できる訳ではありませんからね。 しかしこの数千年をかけても適合体は未だ見つからない……いえ」男は少し黙ってから、「あれならば成功するかも知れない。 『カマエル・シリーズ』ならば。 あれを完成させるためにもとにかくデータが必要なのです。 ですから――」

そこで男は振り返った。その視線の先には平凡な顔立ちの青年がいる。けれど青年が手からぶら下げているのは血にまみれた人間の長い消化器だった。

「おや、『赤ずきんと狼』、食べ残すとははしたないですね」男が言った。

「『サンドリヨン』も『シンドバッド』も『白雪姫』も『ヘンゼルとグレーテル』も『美女と野獣』も、他のみんなも、みんなみんな食べ飽きちゃったんです。 やっぱり食べるより殺していく間の方が面白いじゃないですか。 ね、『ドクター』?」

青年はそう言って、はらわたをぽいと投げ捨てた。

男はまるで小さい子供を叱るように、「こら、贅沢を言ってはいけませんよ」

「はーい」と青年はちょっとしょげた様子で言った。「ところでドクター、『魔女の女神(アラディア)』の様子がちょっとおかしいんです。 僕の記憶を共有させたら、何かおかしくなっちゃったんです。 機器がピーピーとうるさく鳴っています」

男は眼鏡を光らせ、血まみれの白衣を翻した。その背中には青い翼が生えている。

「それを先に言いなさい! すぐに行きます!」


 強硬派より特使が送られてきた。カルバリア共和国との会談が決裂した場合の強硬派の対応を公的に伝達しに来た使者だった。

「うるさいのが来た」とI・Cは小声で言った。「イノシシ武者のご登場だ」

使者の一人は、金色の髪を後ろで束ねた、見るからに精強そうな鎧姿の男だった。名前をイリヤ・シードロヴィチ・ツァレンコと言う。強硬派特務員の筆頭格であった。別名を『護教者(ガーディアン)』と言う。熱烈な聖教機構強硬派教義の信者であり、己の信仰のためならばたとえ相手が何であろうと戦う。

この男は見慣れていたのだが、もう一人の使者を見たI・Cはぎょっとして、

「シャマイム?」と言った。

それはとてもシャマイムに似ていた、と言うのもシャマイムの外見を模倣して制作されたからだ。けれどシャマイムは笑ったりしないのに、この使者は明らかな微笑みを浮かべている。

「シャマイムか?」

「シャマイムだ……少なくとも見た目は」

和平派特務員達がひそひそと噂しあった。

「あらあら皆様勘違いしていらっしゃる」それで使者は喋った。「私はシェオル、強硬派所有の最新型精神感応兵器ですわよ。 こんにちは、お初にお目にかかりますわね、シャマイムお兄様」

「……」シャマイムは黙っている。

「シェオル……あれが噂の試験機か」誰かが怯えたような目を向けた。「ダルマティア戦線を崩壊させた……」

ダルマティア戦線とは、聖教機構強硬派と万魔殿過激派が激突していた戦場の一つだった。だが聖教機構と万魔殿の戦争の御多分に漏れずその戦況はこう着していた。それを一瞬で崩壊させたのが、このシェオルだった。

肉体には一切の傷は無く、だが、その精神を再起不能なまでに破壊された過激派の軍勢の局地的敗北が決まったのだ。

まるであれは人間では無くてサルのようだった、と誰かが言った。目が、目がもう人間のものじゃなかった。一思いに殺してやった方がどれだけ幸せかと思ったよ。あれは通常の虐殺の方がいっそ優しいとすら思わせた。だって、それならばまだ人のまま死ねるじゃないか。人として死ねるじゃないか。人の心を持って死ねる事がどれほどの幸せか、思い知らされたよ。


 ――その生き地獄を生み出した張本人が、今、和平派特務員達の目の前にいるのである。


 「シェオル! この愚者共と会話すると馬鹿が移る! 任務を遂行し次第すぐに帰るぞ! 少しだけ待っていろ!」イリヤがやたら!の付く激しい口調で言って、マグダレニャンの秘書ランドルフに書類を渡しに行った。

「はーい」とシェオルは頷いたが、イリヤがいなくなった途端にシャマイムに興味津々と言った顔で近づいてきた。「うわあ本当に私にそっくり!」

「……」シャマイムは沈黙を貫いている。

「お喋りはお嫌いなようね。 私のお兄様だと言うのにつれなくていらっしゃる」

「「……」」シャマイムはそもそも相手を『殺してやった方が幸せ』なんて目には絶対に遭わせない、と和平派の誰もが同じ事を思った。なのに何が兄妹だ。

「きゃはははははは」シェオルは笑って、シャマイムにだけ聞こえるよう、囁いた。「お兄様にだけ特別に教えて差し上げますわ、私の本名は――『ハニエル』と言うのですよ」

「……」シャマイムは喋ろうとしない。

シェオルは気が済んだのかシャマイムから離れた。

そこにイリヤが戻ってきた。

「帰るぞ!」

「はーい」

それで特使は帰っていった。

「……シャマイム二号が出て来るなんてな」グゼが怯えた様子でいる。「俺はどうもあれは駄目だ、とても怖い。 シャマイムの外見だから、余計に。 俺はああ言うのがもう怖くてたまらない」

「あー。 女言葉だったもんなあ……」セシルがグゼの肩をぽんと叩いた。「ま、近づかなければ良いんだ、気に病むなよ、グゼ」

「……」シャマイムがあまりにも黙っているので、変に思ったニナが言った。

「どうしたの? 大丈夫? 何かされたの?」

「否。 ……だが一瞬謎の光景が記憶回路を埋め尽くした。 自分にはメンテナンスが必要だと判断する」

それは、西日が差しこむ安いアパートの一室の光景だった。

「……きっと自分そっくりなのに会ったからびっくりしたんだよ」フィオナが言う。「そうだね、メンテナンス行っておいで、シャマイム」


 カルバリア共和国をマグダレニャンが訪問する前日になった。空中戦艦三隻、旗艦アニケトゥス、護衛艦カイサス・アバイルスが連れ立って、優雅に空を飛びながらカルバリア共和国へと出立する、その仕度が間もなく終わろうとしていた。

その頃I・Cは人が大勢入り乱れる駅前のベンチでぼうっとしながら飲酒している。その隣ではシャマイムが彼を引きずってでも飛行場に連れて行こうとしているのだが、I・Cは根が生えたように動こうとしない。

「I・C、間もなくボスの出立準備が終わる。 それまでに飛行場に集結しろとの命令だ」

「やだ。 面倒臭え」

「ボスからの命令に違反する事は看過不能だ」

「ぶっ壊すぞポンコツ!」

「自分は兵器だ。 ボスの判断を仰がずにI・Cの一存で破壊する事は出来ない」

「うぜえうぜえうぜえ!」I・Cは酒瓶でシャマイムを殴った。酒瓶が砕け散る。人間が相手ならば立派な傷害であったが、相手はシャマイムだった。

「……」それでもシャマイムはI・Cを引きずろうと努力している。

「――」頑強にそれに抵抗しつつ、I・Cはある光景を思い浮かべている。


 『愛せ。 運命を愛せ。 死を愛せ。 生を愛せ。 己を愛すように他人をも愛せ。 愛だけがこの世界を救うのだ……と我らが(ラボニ)はおっしゃった。 けれど』イスカリオテのシモンの子ユダは泣き出しそうな笑顔で言った。『我らが師を裏切った私を、どうして愛する事が出来よう?』

『知るか。 ああーアイツが死んで清々した! 死んで終わりだ、二度目は無い』

(俺は笑う。 げたげた笑う。 使命を果たせたのだ。  気に食わないヤツが死んだのだ。 これが笑わなくてどうしよう? なのにコイツと来たら)

『サタナエル……いや、お前の所為では無いのだ、全て私の所為だ。 私は何の罪も無い人を告発した。 銀貨三〇枚……私は、愛を金で売った……あの人は、あの人は、あの人だけが世界を救えたのに』

ユダは声も無く泣いた。

(俺は呆れて言う)

『バーカ! 世界を救うのは我らが唯一絶対神だ! あんな偽預言者じゃねえ!』

『いいや。 私はようやく分かった、あの人しかいないと。 いなかったのだと』ユダは泣きやみ、決意を秘めた目で言葉を続けた。『……私は死んで地獄に堕ちよう、あの人を愛していたのに裏切った罰として』

『何だ、お前も死ぬのか。 つまらんな』

(でももうコイツにゃ用無しだ。 別に死のうが生きようが関係ない。 

地獄に堕ちてもどうでも良い。 俺はコイツから離れた)

『ああ、つまらないとも。 私の人生はつまらないものだった。 否、呪わしいものだった。 ……犯さねば生きられぬ。 命は犯させて生かす。 生かされて賑やかに。 殺されてよみがえる。 でも私は違った。 あの人を裏切ってしまったのだから……さあ』

ユダは手にしていた荒縄をぎゅうっと握りなおす。

『あの人に私は二度とは会えないだろう。 それで良い。 私は永遠に怨まれる存在になろう。 誰もが私の骸を踏みにじりむち打ち唾棄するだろう。 私の名は裏切り者の代名詞となるだろう。 それで良い、それで良いんだ』ユダは血の涙を流して叫んだ。『でも、それでも、私はあの人を愛していた!』


 『ぎゃは、ぎゃははははははははははははははははははははははははははッ! 何が真なる(アイオーン)の子だ、ただの下らない無力な人間じゃないか! 真なる神の子だったら自分をそこから救って見せろ、お父様に自分を救うよう懇願して見せろ! ほらほらほらほらほらほらほらほら! 救世主(ソーテール)だったらやって見せろ!』

『私は、自分の運命をも甘受する。 神を試してはならない』

『何をほざいている馬鹿野郎めが! 結局貴様は無力だったと言う事だ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ、惨めだなまるで虫けらのようだ! 何が奇跡だ、何が真なる神だ! 我らが唯一絶対神の方が強い! 我らが唯一絶対神に陳情するんだ、「悪い事をしました赦して下さい」と! そうすれば寛大な我らが唯一絶対神の事だ、もしかしたら貴様を赦して下さるかも知れないぞ!』

『サタナエルよ。 ……真なる神は全てを赦すのだ、(アガペー)ゆえに。 偽神は愛を知らない哀れな神だ。 私は彼をも救いたかった……』

『何が救うだ、偉そうに! 貴様は今ここで死に果てて、それでお終いだ!』

『……私は死なない。 肉の体を再びまとう日がやって来るだろう。 私は今死ぬが、復活する……そしていつか天国と共に再来する。 約束するよ、サタナエル』

『そんな約束反古にして肥溜めにぶち込んでやる! ギャハハハハハハ、死ぬ前に錯乱したんだな可哀相に!』

『いいや、私は正気だよ。 私は私の信仰のために今は死のう。 ――父よ! 私の魂を貴方の御手に委ねます! そうあれかし(アーメン)!』


 ……全部アイツが悪いんだ。

俺が殺させて、ちゃんと死んだのに復活した。おまけに俺に爆弾発言をした。

『私は君をも愛している』

俺は認識していないものは食えない。愛が認識できない限り、俺はそれを食えない。でも神様なら教えてくれるはずだ。唯一絶対の神様なのだから、きっと愛を教えてくれるはずだ。そうすればこの不安のような得体の知れない感情を俺は消化できる。そうすれば俺はこの恐怖から逃れられるに違いない。恐怖?そうだ、恐怖だ。むごく自分を殺した相手に『愛している』なんて言い放ったキチガイとその発言が怖くなくて何だ。

そんな俺を神様は助けて下さる。そう信じた。信じていた。

なのに、神様は、


 『そんな下らないもの、知った事か』


唯一絶対の神様なのに愛を知らない?

そして俺に、大天使の中でも一番可愛がっている俺なのに、教える事をも拒んだ?

俺を、俺の悩みを下らないものと言った?

俺は、俺の中で今まで信じていたものが一瞬で瓦解するのを悟った。

ああ。

アイツの言った事は正しかった。コイツは偽神だから、不完全な存在なのだ。不完全な存在を、もはや俺は唯一絶対神とは呼べない。崇められない。神は完全であるはずなのだから、そうだ、コイツはもう神じゃない。

 神を信じているがゆえに、神に叛逆する。

 それが俺の一世一代の大叛逆のきっかけであり動機であり理由だった。


 「I・C」シャマイムはとうとう強硬手段に出た。ベンチごとI・Cを引きずり始めたのだった。「遅刻はボスが最も好まれない勤務態度の一つだ」

「どーでも良い」I・Cは言う。「本当、俺は、どーでも良いんだ。 ……なあシャマイム。 噴火口や溶鉱炉や冬の海や地雷原や焼却炉や原子炉やありとあらゆる死ねそうな場所に身を投じても、死ねないってどう思う?」

「?」

「例えばの話だ。 お前が不老不死になったとする。 お前はどうする?」

「自分は聖教機構和平派所有兵器のため、稼動な限り任務を遂行し続ける」

「本音を言え。 ……お前、時々感情が不安定になるんだっけな。 どうしてそうなったと思う? その感情をどうしたいと思う?」

「不用物だと判断し削除を要請する」

「本当にそうか? 不老不死になったら、お前は不安定な感情のままに暴走したいんじゃないのか? 俺を殺すために」

「……」

「不老不死ってのになると、目的が無くなるんだ。 誰かから目的を与えられないと何も出来なくなる。 生物に備わっていた生存本能がまともに機能しなくなるからな。 目的の源泉である欲望が無くなるんだ。 そして何もかもがどうでも良くなる。 だが発狂する事も許されない。 不老不死だからな。 だから目的をくれる何かに、目的そのものに非常に固執するようになる。 だが不老でも不死でも無いお前の場合も、目的はあるだろう? 俺を殺すと言う」

「……I・Cは自分を時々雑念(ノイズ)が邪魔する理由を知っているのか?」

「うん、全部俺の所為。 俺達の犯した罪過の中でも屈指に最悪な代物だ」

「『俺達』?」

「俺は所詮は第一次統合体だからな。 俺の本体と俺とが合体しているんだ。 人の顔がその人物が誰か判断する時に一番視覚的に優先されて見られるように、俺の場合は俺が俺達の顔になっている。 それだけだ」

「I・C」シャマイムは言った。いつもの機械音声で言った。「I・Cは自分に何をした?」

「……俺は、お前を、」とI・Cが言いかけた時だった。I・Cの眼から正気が失われて、彼は大声で叫びながら人ごみの中に飛び込んだ。「――ヘレナ!!!!!!!」

「I・C!?」

シャマイムは彼を引き留めようとしたが、彼はあっという間に人の海の間に消えてしまった。


 「……I・Cが、とうとう……」マグダレニャンはそう呟いて少し考えていたが、「シャマイム、改造したI・Cの通信端末にも発信器が付いていたはずです。 彼の現在位置は分かりますか?」

『……計測開始……』シャマイムはすぐに、『I・Cと思しき反応がアルタ街道近辺をカルバリア共和国方面へ高速移動中……』

「またカルバリアですか……」既に彼女達一行は空中戦艦の中にいた。

「マグダ様」秘書のランドルフが困った顔をして、「いかがいたしましょうか?」

会談が取りやめもしくは失敗した場合は、強硬派は例のごとく無差別爆撃を決行すると言っている。

「I・C追跡班に追跡させましょう。 カルバリアは危険地帯、I・Cがどうしても必要ですわ」

 ――ベルトラン達とシャマイムが、別路カルバリア共和国へ向かう事となった。

 「ムールムールちゃん、どうだった?」ドルカスは訊ねた。

『……駄目でしたぞドルカス』悪魔はしょげている。『あの方の匂いは所々でしたものの、あの方本人はどこにも……ただ、カルバリア共和国首都カルバリーに向かっている事だけはどうやら確かですぞ』

「カルバリーの、どこが目標地点だ?」彼らを乗せた大型車を運転しつつ、シャマイムは考えた事を言った。

『さあ……全然ですぞ』

「アイツは精神的におかしいんじゃないのか」ベルトランが言った。「少なくとも常人の神経をしていない、と僕は思う。 おいムールムール、アイツはいつからああだった」

『ちゃん付けしてくれですぞ! ……初めて出会った頃は残虐無比の殺戮者、次に出会った頃はまるで哀れな童のよう……その次に会った時は、ええと、そうですぞ、何だか惨めな老人のように絶望と諦念を背負っていたですぞ! ……今の方が超情状不安定のようですが、その理由は不明ですな』

「……それでアイツは何者なんだ。 魔王だとか自分では言っていたが」

ムールムールはぶるりと震えた。『……神喰らい。 国喰らい。 命に絶望をもたらす者。 災厄の招来者。 魔神女神殺し。 この世の何よりも恐ろしい存在ですぞ。 偽神のためならぬ者は喰い殺し、偽神に抗う者は喰い殺し、偽神の命令ならば世界をも悦んで滅ぼそうとした……今ではただの魔王ですが、そうなったのが「奇跡」なんですぞ』

「……良く分からないが化物と言う事だな」

『化物』ムールムールは何度も頷いた。『うんうん、それでいてくれる事がワタシらにとって一番ですぞ。 化物なら人間や魔族でも倒せるですからな。 ……しかしあの方はついに精神を病んだのやも知れませんな。 何しろ気の遠くなるような年月を、異界(ゲヘナ)にも帰らずこの世界をさ迷っていたと……』

「異界? 何だそれは」

『端的に申しますと女帝の作成なさった、まあ地獄に対抗した冥府ですな。 ザ・女帝‘sワールドですぞ。 悪魔が大勢いる中々面白い場所ですぞ。 地獄は死人を責めさいなみ苦しめますが、異界では死人がのんびりと会話しているのですぞ。 まあ、ベルちゃんのような異界にも地獄にも逝けなかった魂は境界線でうろうろしておりまして、そいつをとっ捕まえて召喚するのがワタシの能力でしてな』

「ちゃん付けするな!」

腹を立てたベルトランに、言い含めるようにドルカスが言う、

「無駄よ。 ムールムールちゃんは乙女趣味だから、やたら人をちゃん付けしたがるのよ」

「だったら貴様やI・Cはどうしてちゃん付けされていない!?」

「ヒ☆ミ☆ツ☆」

更に怒ろうとしたベルトランに、運転しつつシャマイムが、

「――就寝する事を推奨する。 明日の活動に差し障りの無いよう、眠るべきだ」

 その頃空中戦艦の中ではグゼが怯えていた。

「ボス」彼は真っ青な顔をして言った。「カルバリア共和国は危険です。 近づくにつれて危険だと、俺の第六感が泣き喚いています」

「……確か貴方のA.D.としての力は『危険予知』でしたわね」マグダレニャンは言った。「……本来ならば逃げるのが正しい選択でしょう。 ですが強硬派がカルバリアへの空爆を既に準備している以上、逃げる事は出来ません」

「覚悟を決めるしかないな……」フー・シャーが険しい顔をして言った。「最悪、暗殺されるかも知れない。 最大警備で行こう」


 ……何事も無く、アニケトゥス、カイサスとアバイルスはカルバリーの大統領官邸に到着した。

「ようこそカルバリーへいらっしゃいました」

大統領自らが空中戦艦間近まで出向いて、出てきたマグダレニャンと握手をしようとしたが、彼女はそれを拒んだ。

「それよりも会談を急ぎましょう。 こうしている間にも無差別爆撃の準備は進行しているのですわ」

「そうでしたな」と彼らはそれで会議室に向かった。

そして、最大の目標である会談を始めて、しばらく経った時の事である。表向きは一切が順調であった。大統領側はほぼ全ての聖教機構側の要求を呑むと言い、しかしその代わりに絶対に戦争だけは回避したい構えを見せた。それを快く聖教機構は認めた。――ごう音と凄まじい震動が、三つ、辺りを貫くまでは。

「「!?」」聖教機構側の誰もが、何が起きたのだと血相を変えた。だが、カルバリア共和国側がにやにやとしているので、すぐに事態を悟った。

「何をしたのです!」マグダレニャンは怒鳴りつけた。「そんなに戦争がしたいのか!」それは魔王ですら怯むような凄まじい怒声であったのだが、

「……ふん」けれどカルバリア共和国大統領アザレア・アナニアノスは鼻で笑った。「なるほど、父親が死んだ時にそのショックで体の成長が止まった、それで貴様は少女の体型をしているのですね。 中々興味深い。 解剖してみればさぞ面白い結果が出るでしょうに……」

「何をたわけている、答えなさい!」

「……ああ」アザレア・アナニアノスはそこでようやく我に返ったらしく、「そうか、そうでしたね、お答えしましょう!」

青い翼の天使がアザレア・アナニアノスの背後に出現した。その天使は眼鏡をかけていて、血まみれの白衣をまとっていた。同時にアザレア・アナニアノスの体はぐらりとよろめいて倒れた。後で分かったのだが、アザレア・アナニアノスと言う男の体は、既に死んでいた。

「私こそが大天使ラファエル。 私は『デュナミス』を率いて貴様ら異端者共を断罪する。 このカルバリアの民は全て『デュナミス』の支配下に入った。 そして――」ラファエルはゆっくりと天上へと舞い上がり、「貴様らはここで死ぬ。 十重二十重の陸空軍が既にこの官邸を包囲している。 地獄で再会しよう、ではさようなら!」

誰もが絶句した瞬間、ラファエルはぱっと姿を消してしまった。同時に閣僚や側近達が襲いかかって来て、それを撃退するために時間が取られた。その襲撃者達は中々死ななくて、首をはねても心臓をえぐってもまだ生きていたが、全身をバラバラにされるとようやく大人しくなった。

「空中戦艦が全艦撃沈されたか!」セシルが呻いて窓へ飛び付き、真っ青になった。「い、いつの間に!? 天地の果てまで……カルバリーの果てまで……軍隊が詰め寄せていやがる!」

「何だと!?」

「うわ、ああああ……これは、いくら何でも無理だ!」

そして、砲撃音がして、ずずん、と官邸が揺れた。

「――I・C追跡班に連絡を」マグダレニャンが言った。「この絶望的状況を逆転できるのは彼だけです。 I・Cに命令を――『この国を絶滅させなさい』と」


 カルバリーの街中に入ったI・C追跡班は、不穏な空気に触れた。

「な、何だあれは」ベルトランはぎょっとした。

「カルバリア共和国の空軍と陸軍じゃないの。 何でこんなに集結しているの?」ドルカスは、次の瞬間目を見張る。「み、ミサイルを撃った! 荷電粒子砲もぶっ放した! 何!? 戦争でも始まるの!?」

次の瞬間、アニケトゥス、カイサスとアバイルスが撃破されて、地面に落ちるのを彼らは目撃した。

「「……」」あまりの事に彼らは声も無い。

「I・Cの存在反応が消えた。 恐らく地下に潜ったものだと推測される。 消えた箇所を中心に重点的に捜索しよう」沈黙を破って、シャマイムが言った。

――と、通信端末が鳴った。

「え、『デュナミス』ですって!? この国の国民は全員『デュナミス』の構成員!? ……嘘だと言ってよ誰か」ドルカスは目を覆った。

「現時点での最優先事項はI・Cの発見だ」シャマイムは車を止めた。「この近隣の地下にI・Cはいると推測される。 決して単独行動は取らずに、背後からの攻撃に注意して捜索を」

「じゃあ、急ぎましょ! 行くわよベルちゃん!」ドルカスは車から飛び降りた。

シャマイムとベルトラン達が地下への入り口を探していると、ムールムールがにゅうっと姿を見せた。

『このすぐ近くに、先代文明(ロスト・タイム)の遺物があったですぞ! それも地下に広がる――!』


 先代文明の遺物。それは今の世界の前の世界の残存物である。前の世界の文明は今以上に高度な科学力を持っていたらしく、遺物はその証で貴重な存在だった。


 その入り口はカルバリーに建てられた高層ビジネスビルだった。軍事産業で有名な国際企業、ヴィトゲンシュタイン社の本社だった。

「――ヴィトゲンシュタイン社は先代文明の遺物を使って発展したのね」ドルカスがぽつりと呟く。シャマイムが続けて、

「それだけでは無い、と推測される。 ここに本社があると言う事は、『デュナミス』との提携もあるに違いない。 恐らくは武器弾薬などの供給の面でかなりの疑惑がある」

「つまりは敵か」

ベルトランがそう言って真っ先にエントランスに踏み込んだ。

「待て!」と屈強な警備員達が彼を囲む。「これ以上は社員証の無い者は入――」

「ご託は良いからとっとと地下の遺物へ案内しろ」

警備員達がぎょっとした。そしてすぐさま機関銃を構えて――それに対して、ベルトランはただ冷笑を浮かべたきりだった。ほんのわずかに指を動かす。それだけで、警備員達の首が宙を舞った。

悲鳴があちこちでわき上がり、次の警備員達が駆けつけてきた。銃声。シャマイムの二丁拳銃によって彼らも倒れる。

エレベーターでは危険なので階段を使っての地下二階、ビルの最深部に彼らは血と死をまき散らしながら進む。

そこには、関係者以外立ち入り禁止の厳重な電子ロックのかかった扉が、二つあった。けれどシャマイムがそれをすぐに解除してしまう。

「どちらかがダミーね、どうする?」ドルカスは訊ねた。

「二手に分かれて行こう」ベルトランはそう言って右側の扉を開けた。

 ――そこは、まるで地下墓廟(カタコンベ)のような場所だった。通路の階段は狭く真っ直ぐに地下へと続いていて、熱を感じさせない謎の白っぽい光によって照らされていた。その果てに、丸いドーム状の空間があった。そこは色々な見た事も聞いた事も無いような機械が沢山ひしめいていて、その中央にいた。


 I・Cが、女を抱きしめて泣いていた。


 「「!」」

ベルトラン達は目を見張る。女はI・Cの首筋に何かは分からないが怪しい注射を打っていたのだ。彼女はベルトラン達に視線を向ける。

「ちょっとI・C!」ドルカスは声の限りに怒鳴った。「目を覚ましなさいよ! アンタそのあばずれに騙されているのよ!」

「――」I・Cは虚ろな視線でドルカス達を捉える。「騙されていて良いんだ、俺は。 俺は永遠にこの夢を見続けたいんだ。 それさえ叶わないのなら、俺は死にたい」そして、女の腕の中で激しく慟哭した。

「化物め。 正気に戻れ、I・C!」

ベルトランの腕が大きく振られた。女の首がころんと転がり落ちる。

I・Cが絶叫した。絶叫してベルトランめがけて襲いかかった。糸でそれを絡め取ろうとしたベルトランだったが、I・Cは何と糸を引きちぎった。引きちぎったまま腕を伸ばして、ベルトランの頭を壁に叩きつけた。嫌な音がして、ベルトランの頭部が卵のように潰れた。

「I・C!」

『I・C殿!』

ドルカスとムールムールの声が不揃いな和音を奏でる。

I・Cはよろよろと女の元へ近付く。女は、とうの昔に頭と体が繋がっていた。美しい聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

「――な、愛しているって言ってくれ。 愛しているって言ってくれ。 お前はいつもそう言ってくれた。 それとも――まだ俺の事が許せないでいるのか?」

女はただ黙ってI・Cを抱きしめる。それから、にんまりと口をV字型につり上げて言った。

「貴方なんか、大嫌い。 貴方なんか死ねば良い。 死んでくれるわよね?」

「うん、うん――!」I・Cはまるで素直な子供のようだった。「死ぬから、俺は死ぬ、俺が死ねば良い。 そうしたらお前は――」

俺の事を愛してくれるのか。

ムールムールとドルカスの叫びが遠くから聞こえてくる。でもそれすら今のI・Cには聞こえていなかった。今の彼はそう言ったものの全てが分からなかった。この女、愛おしいこの女。ただこの温もりだけが欲しくて、彼はさ迷っていたのだった。ただこの女に愛して欲しくて。愛。彼が欲しかったのは、究極的に求めていたのはこの愛だけだったのだ。他の全てはどうでも良かったのだ。たとえ世界が滅びようと、たとえ世界を滅ぼそうと、彼はこれだけが欲しかったのだ。三千世界のカラスを殺しぬしと朝寝がしてみたい。それだけだった。命も要らない。力も要らない。夢も希望も未来も過去も今も何も要らない。ただこの愛と恋だけがあれば。

「ムールムールちゃん! どうするのよ! お願い早く修理して!」

『分かっているですぞ! ですが時間が無い!』

「じゃあ」女は言った。「おっ死ね!」

次の瞬間銃声がして、女がハチの巣になって倒れる。I・Cは悲鳴を上げて女の体にすがった。女は、辛うじて生きていた。I・Cは銃弾の飛んできた方向を睨みつけて、はっとした。

「……シャマイム」

「I・C、ボスからの命令だ、この国を滅亡させろ」白い兵器が、歩いてきた。

だが彼は激しく首を左右に振った。

「俺は……夢で良いんだ、この夢を見ていたいんだ! それすら叶わないなら、俺は――死にたいんだ!」

「自分はI・Cが存在し生存する事を強く望む」兵器は言った。

I・Cの顔に、はっきりとした驚きが浮かんだ。

「そこを退け。 その化物を排除する」兵器は続けた。「その化物は、我々の敵だ」

「助けて」女はI・Cにしがみ付いた。「私、殺される!」

「――だ」I・Cは小声で口にした。

「え?」

「過去形だ。 お前は確かに俺が喰い殺したんだよ――『サタン』発動」


 どぷり。ぞ、ぞぞぞぞぞぞばぁっ!


 男の体から闇が吹きだした。

 それは一瞬で女を飲み込み、その空間に満ち溢れて、外になだれ出た。


 「な」カルバリア共和国空軍旗艦ウェスパスのモニターに映った光景に、誰もが同じ文字を脳裏に浮かべた。「何だこれは!?」

 ――『自然災害』。それはもう到底人間の手の及ぶ出来事では、無い。

 カルバリーの街並みが、否、地平線に至るまで、黒い海に呑みこまれているのだ。そしてその黒い海からは無数の飛空能力を所持した巨大な化物がいくつもいくつも出現し、上空にいる彼らに襲いかかった。

それは本当にあっと言う間だった。悲鳴を上げる猶予すら無かった。旗艦ウェスパスも化物により上空から叩き落されて黒い海に落ちて、飲み込まれて消えた。


 「――お嬢様」

 突然天井から降ってきた声に、誰もが顔をはね上げた。

天井に穴が空いて、そこからI・Cが落ちてきた。二本の足で着地すると、

マグダレニャンの足下でひざまずく。

「ラファエルだ。 神の癒し(ラファエル)。 だがその実はイカれた狂科学者。 アイツが『デュナミス』を指揮している……精鋭『デュナミス・エンジェルズ』を率いて!」

「また、大天使」マグダレニャンは呟いた。「連中は何を考えているのです」

「どうせ俺への復讐だろうよ。 怖かったらお嬢様、俺を即座に首にするんだな」

「いいえ、既に私も狙われている様子。 貴重な手駒は手放しませんわ」

――言うなりマグダレニャンはI・Cの顔面を蹴った。

「弱い弱い化け物め。 貴様の所為でどれだけ迷惑をこうむったか。 二度は赦しません!」

鼻血を出しながら、I・Cは何故か安どしたように笑う。

「……ああ、それで良い。 それで良いんだお嬢様」


 ――かくしてカルバリア共和国は滅亡した。理由はわざとらしく自然災害になっている。けれど、国民が一人も残らずに絶滅するような自然災害など、果たして起きるものだろうか?だが列強諸国でさえも、とても恐ろしいので、聖教機構に真実を訊ねる事など絶対に出来なかった。


  聖教機構勢力圏内へ帰る空中戦艦イオエウス内にて。

「そう言えば」グゼは何気なくドルカスに言った。「ヒゲは永久脱毛したのか?」

「あ、バレてた?」ドルカスはぺろっと舌を出す。

「ヒゲ!? 永久脱毛!? そ、そりゃどう言う事だ!?」

ぎょっとするセシルに、グゼは淡々と、

「俺も時々仕事で女装するからすぐ分かったんだが……」

「……」ベルトランは怪物でも見るような目で、「この僕が気付かなかったなんて……」

「まあまあ、良いじゃないの。 女でいた方が良いって事もあるのよ」と、ドルカスはにやにやしている。「と言うか、心が女なんだから良いじゃない」

『ですぞですぞ、おかげさまで乙女趣味が合致するのですぞ』とムールムールまで言う。

「「……」」誰もが思った、ああそうですか。

「性別は女と言う事で確定しておく」シャマイムが言った時、I・Cが通りがかった。彼は不思議そうな顔をして、

「ん? ……何だテメエら揃って変なものでも見るように」

「ううん何でも無いのよ!」ドルカスは笑って、「それよりさー、今日ご飯おごってちょうだいよ!」

「やだ」

「えー、ケチー! ケチな男はモテないわよー!」

「うるせえドブス!」

誰もが思った、ああI・Cは気付いていないんだな。


 「俺が喰ったのは『赤ずきんと狼』により立体化された幻覚のみならず、本体もだ。 ヤツの能力に弱点があるならば、幻覚を立体化させて操るのに対象のわりと付近でないと操れなかった所だろうな」I・Cはにやにやしている。執務室には彼と彼のボスの二人きりだった。「それで分かったんだが、万魔殿の連中もかなり食われていたぜ」

「……万魔殿も?」マグダレニャンが訊ねると彼は頷き、

「ああ。 他にもいっぱい化物がいた。 化物なのに名前がメルヘンチックなのばっかりだった。 失踪者は全員、情報を全部吐き出さされた後はソイツらの餌にされたんだ。 ――そして連中の次の狙いは『傭兵都市ヴァナヘイム』だろう。 そう言えるだけの情報が俺の手に入った」

「……『ニーベルングの指輪』ですか?」

「恐らくはそれだな。 あの『資格者を選定する』って噂の遺物。 何なのかは知らんが、アイツらはとんでもないものを創ろうとしている。 それには数多くの生贄……まーラファエルにかかっちゃ実験素体は全部生贄になっちまうんだが……と、生贄の中でも殊更優れた資質を所持する者だ。 それの選別に要るんだろうな。 ……俺の体液を採取してまでそのとんでもないものを創ろうと『赤ずきんと狼』は頑張ったようだしな」

「あれは確か『ヴァナヘイム』の総代の選出時に使われるのでしたわね……『神が(よみ)し給う』とそれを人は呼んでいますが……『神』ですか……」

「神はゲロ不味かった。 二度と喰いたくない」

「心配しなくても神はそうそういませんわよ」

「昔はうじゃうじゃいたんだがなー、魔神や女神。 でもミカエルやガブリエルやウリエルや俺が、目ぼしいのを全部潰してやった」

「そんな事、自慢になるのですか?」

「いや魔神連中は全部美味かったんで忘れがたいだけだ」

「……。 とにかく、次は『ヴァナヘイム』ですわね。 私の方はヴィトゲンシュタイン社を始末しますわ」

いっちゃん、大食漢ですねえ。

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