ある思いにより。
以前、『やらない夫』を使ってAA短編として投下した作品の小説原稿です。
というか、台詞だけを小説っぽく整え直しただけです。
『やらない夫』を語り部と見るか、それ以外の誰かを語り部と見るかはお任せします。
そうだなあ。じゃあさ、こんな方法はどうだ?
川。うん、川がいいな。どれもドブ川だ。濁って底が見えない川だ。夜中に橋まで行ってさ、上から川を覗き込むんだよ。
他のものは見ちゃダメだぜ? ただじーっと、水面を見詰めているんだ。するとさ。何となく水底から手招きされてるような、向こう側に行かなきゃいけないような――そんな気分になってくるんだよな。
嘘っぽい? いやいや、これ、結構マジな話だって。一回やってみたら分かるよ。
いやあ、水ってのはこえーよな。飲み込まれそうになるって言うか。ああ、確かにさ、火なんかも怖いよ。うん、電気もだな。でもな、あーいう『怖い』ってさ、水が怖いのとはちょっと違うだろ?
手を翳すと『熱い』。触れると『痛い』。近付くのは『危ない』。
みんな、分かってるんだよなあ、火や電気みたいなもんが『危ない』ってことはね。その点、水はどうだ? 触れると痛いか? 辛いか? しんどいか?
そう。そうなんだよな。カナヅチが海かプールにでも行かない限り、『水が怖い』って状況は殆どないんだ。そりゃ、お湯に触れたら火傷するけどよ、それって『熱』が危ないのであって、『水そのもの』が危ないわけじゃないし。
俺が思うに、『火や電気』と『水』の決定的な違いって言うのはね、『遠ざけるもの』か『引き寄せるもの』か、ってとこなんだろうな。
火事の家や漏電した電線に近付くアホなんていないけどよ、深夜の海辺や橋の上に行くヤツくらいだったらいくらでもいるだろ? そういう水場には、溺れるかもって可能性もあるのにも関わらず、さ。まあ、そういうことだよ。
ところでさ、こんな話がある。植物に罵声を浴びさせ続けたら枯れちまうのと一緒で、水を悪感情に晒して結晶化させると、結晶が潰れちまうんだとよ。つまりどういうことかって言うと、水には感情が――もっと言えば、まあ、命の粒みたいなもんが混じってる、ってな話だ。俺はこれ、結構マジだと思ってるよ。なんてったって、人間の三分の二って、水で出来てるんだしな。だったら、『水自体』に生命の一因があるってのも、そう不思議な話じゃないだろう?
これを踏まえて言えば、夜中の川からは、間違いなく『ある思い』が発露してるね。
──取り込みたい。同化したい。侵略したい。一つになりたい。だからこっちに来てよ。
――と、まあ、そんな誘惑の『思い』だあな。
『川』や『海』くらいまで水が集まるとな、本当にそう感じるくらい、圧倒的な存在感になるんだ。コップ一杯じゃ気付かない、水の恐怖が――目に見えるようになる。そこに夜中ってシチュエーションや、濁って底が見えないって演出まで加わると、ありゃ殆どバケモンだね。
そのバケモンと向かい合ってるとな。別に死ぬつもりなんかなかったとしてもさ。不図、飛び込んでしまいたい――いや、もっとだな、『飛び込まなくちゃ』って思っちまう一瞬が、確かにあるんだよ。それこそ川に――バケモンに、引き寄せられるみたいに。
川に身を投げて死ぬことを想像してみてくれ。声も出せず、何にも縋れず。暗い、昏い水底にたった一人で沈んでいくんだ。
はは、今ちょっとびくっとしたな? いやいや、馬鹿にしてるわけじゃない。そのびくっとするほどの恐怖。それに向き合うこと――ここだ。この話の、一番のポイントだ。
飛び込みそうになるほど川に引き寄せられて、身が震えるほどの恐怖を感じたその瞬間――思いっきり叫ぶんだ!
――頼む、殺さないでくれ!
人の目が気にならないんなら、実際声に出しちまえばいい。止めてくれ、殺さないでくれ、死にたくない!
おいおい、そんな目で見ないでくれよ。ちゃんと意味があるんだぜ、これ。
――なあ。そう叫んでよ。はっと我に返ったとき、どんなことを思うか、分かるかい?
意外なんだぜ。「ああ、何だ俺、死にたくないんじゃないか」って――そんな風な気分になるんだからな。
自然の力、なんて自分よりも遥かに強大で抗い難い力を相手取って、イヤだ、死にたくない、殺さないでくれって。そんなことが言えるくらいには、俺、まだ死にたくないんだなあって。惹かれるままに身を投げたら、ある意味楽になれるのに。他のいろいろな悩み事やら、辛い事やら、心配事、そういうの全部ほっぽり出せるのに。でも、死んじまうくらいなら、それ背負いながらでも、もうちょっと頑張ってみるか、って――そんなことを、普通に考えてるんだよな。いやあ、すっきりするぜ。
はは、おかしいか? これが俺のストレス解消法だ。うん。あんまり一般的ではないけど、結構効果的なんだぜ?
生きていたい、なんて積極的にならなくてもいいんだよ。死にたくない、程度の心で、人ってのは生きていけるもんなのさ。信じられないなら、ま、試してみてくれ。
ああ、一つ、気をつけてくれよ。ホントに落ちちまったら、洒落になんないぜ?
――俺みたいに、な。