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田舎娘と王子様

 家を出たときにはまだ低い位置にあった太陽は、もうほとんど真上からあたしを見下ろしている。

 もう少し早く――職人連中が昼飯を食べだすよりも前には――着くと思っていたのに、予想外に遅くなってしまった。七時にはヴァンフレーを出たというのに、久々のリヴィエブールは思いの外遠かった。こんなことなら、こっちに用事のある村の誰かの荷車にでもこっそり紛れ込んで来ればよかった。

 まあ、着いてしまったからにはそんなことはどうだっていい。我が美しいおみ足が休憩なく歩き通したことで疲れたと悲鳴を上げていることも、予想以上の陽気の所為で汗ばんで玉の肌にじっとりとシャツが張り付いていることも、さほど問題ではない(年頃の乙女としては問題だけど)。

 肝心なのは、このむさくるしい顔ぶれがひしめく職人通りの中で、お目当ての店がちゃんと開いていて、なおかつ邪魔な先客がおらずにすんなりと依頼が出来るかどうか――その一点である。その目的が果たせないとしたら、家の仕事をサボって何時間もかけて村を飛び出してきた労力が、全て無駄になってしまうのだけは勘弁願いたい。

 しかし、この先に訪れるであろう出来事を思うと、疲れなど簡単に忘れてしまう。

 石畳を踏む足取りも意気揚々、一流のダンサーが優雅に踊るかの如き軽やかな足取りになるのが自分でもわかる。

 白髪まみれの爺様が食後の一服を楽しむ靴屋の前を通り過ぎ、どこか暇そうな青年が本を読みながら店番をする帽子屋の前を通り過ぎると、いよいよそれらしき看板が目に飛び込んできた。

「ここで、間違い……ないわね」

 ボタンをあつらえた彫刻の、四つ穴の部分からは紐が下がっており、その先にぶら下がった看板には"マクハイン裁縫店"と書かれていた。なるほど、事前に聞いていた通りの店名である。

 だけど、あたしは未だに半信半疑だった。果たして本当に、こんな何の変哲もない裁縫屋に居るのだろうか?

 いかんせんあたしの村には居ないし、これまで世話になったこともない。年に一度の巡回のおかげで毎年見るには見ているが、関わりと言えばそれくらいなものだ。

 とはいえ、彼女たちは自分のアトリエを構えており、その多くが兼業だというから、まあ、間違いはないのだろうが……。

 まあこんなところでグダグダと悩むのはあたしの性分ではない。とにかく、ドアをくぐって聞いてみれば全てわかるのだ。

 気を取り直し、あたしは茶褐色のドアを押し開けた。同時にチリンチリン、と小さな鈴が頭の上であたしの訪問を店内に告げる。

 バタン、とドアが閉まると、不意に外の喧騒が全て消え去ったような、荘厳と言えそうなほどの静けさに包まれた。

 店内にはその小さな鈴の音の余韻と、カタカタという規則正しい音以外に、耳を賑わすものは何もなかった。ここが本当にドア一枚隔てた先の街の中にちゃんとあるのか不思議になる。まるで一瞬のうちにあたしは街を遠く離れて、どこか別のところへ迷い込んでしまったような気分だ。

 その店内はと言えば。さして広くはない室内のほとんどを占める背の低い棚や壁は、およそ思いつく限りの色とりどりの布や糸やボタンで飾られていた。

 いや、飾る意図はないのだろうが、春の花畑を切り取ったようなその空間は調和がとれており、一枚の絵画のような幻想さと、牧歌的な素朴さが同居しているような――なんだかそんな、柄にもなく詩的な言葉が湧き出てくるような場所だったのだ。なんせ村にはこんな立派な店はないし、あたしは「都会で暮らす」という野望のために貯金をしているために、高い服で着飾るような上等な趣味は持ち合わせていないので、そうそう来るような縁もないのだ。

「…………あら、お客様?」

 さっきから絶え間なく続くカタカタという音の中に埋もれそうな、しかし妙に澄んだ声がした。

 声の主は、そのカタカタという音を立てている張本人だった。音の原因は、どうやらミシンの作業音のようだ。黒光りする金属製のそれは、忙しなくはずみ車がくるくると回り、動きに合わせるように針も上下に往復を繰り返している。

 しかも、その声の主は――子供だった。

 いっちょまえにミシンなんか使ってるから、てっきりいい大人かと思ったら……生意気な。でもまあ裁縫屋の娘だったら当たり前か、とすぐに思い直す。

 年齢は十二、三歳くらいだろうか。カウンターに隠れてはっきりとは見えないが、たくさんの布をつなぎ合わせたらしい独特のワンピースを着ている。パッチワークってやつだろうか。

 妙に印象的だったのは、その子のなんだか子供らしくない、大人びているというか、冷めているというか、なんかそんな感じの雰囲気だ。なんでそう感じるのかはよくわからないけど、第一印象って奴だった。さっきの気取ったような言葉づかいも原因だろう。

 まあでも、この店の娘が誰だってどうでもいい。用があるのはこの子じゃない。

「えーっとさ。あんたのお母さん居る?あ、ひょっとしたらおばあちゃんかな?」

 あたしが尋ねると作業の手を止めて、チビッ子が見つめてきた。

 半開きのまぶたの下から覗く赤味がかった瞳があたしの目と合った瞬間、なんだかちょっとぞくっとした。ホント、なんだか子供っぽくない。

「おばあ様は物心つく前に亡くなっているから、私も顔を知らないわ。母は居るけれど……ご用件は何かしら?」

 抑揚のない声で淡々と淀みなくチビッ子は言った。

「実はね……あたし、ここに魔女が居るって聞いて来たのよ」

 そう――あたしは魔女に会うためにわざわざ来たのだ。ここで居ないなんてことになったら、目も当てられない。

 だけど次の瞬間、思わずあたしはずっこけそうになった。それくらい意外な返事がチビッ子の口から飛び出したのだ。

「あら、それなら母じゃなくて、私よ」

「ウソぉッ!?」

 躊躇いもなく言ってのけるその言葉に、素っ頓狂な言葉を返してしまう。

 あたしの知ってる魔女は――少なくともあたしとタメくらいの二十歳前後から、ぽっくり寸前のしわしわのおばばであって、こんなちんちくりんなお子様魔女なんて見たことも聞いたこともない。

「もっとも、まだ見習いなのだけれど。それでも師匠から、簡単な仕事であれば受けていいと許しをもらっているわ」

 見透かしたような補足を聞いて納得するが、いや、だけどまだちょっとびっくりしてる。こんなちっちゃいのに、もう一人で仕事してんのか。というか、こんなチビに任せても大丈夫なんだろうか?

 しかし、不安もあるがそれ以上に、ここに来た目的が思わず口を突いて出る。

「じ、じゃああんたが……運命の相手を探し出せるっていう魔女!?」



「――あらためて、私が魔女見習いのウルコ・マクハインよ」

 そう言いながらチビッ子――ウルコは、あたしの前に紅茶を置いた。

 白いカップに映える薄いオレンジ色の液体からは、甘い香りが湯気に乗って漂ってくる。早速一口いただくと、普段うちで飲んでいるものよりも味が少し薄いが、どこか爽やかで上品な感じがした。紅茶に詳しくはないからよくわからないが。

 丸テーブルを挟んで向かいの席にウルコが着席すると、まず紅茶をすすった。それから、

「それで、あなたのお名前は?」

 と、尋ねられて、そういえばまだ名乗ってなかったなということを思い出した。

「あたしはアン。アン・レナー。隣のヴァンフレーから来たの」

「そう。それじゃあアン、あなたは今日どうしてわざわざここに?」

 待ってました。あたしはそう言わんばかりにその話題に食いつく。

「そうそう、それよ!実はね、あたし村であんたの噂を小耳にはさんだのよ。なんでも、リヴィエブールの裁縫屋には運命の相手を探り当ててくれる魔女が居る、って。ね、その噂ってホントなのよね!?」

 あたしは身を乗り出してウルコに迫る。

 だが当のウルコはと言えば、相変わらずのおすまし顔で、平然とあたしの顔を見ながら紅茶を口にしていた。

「運命の相手、ねぇ……」

 なんとも思わせぶりな口ぶりで、肯定も否定もしてくれない。

「ねえ、どっちなのよ」

 これで嘘なら、あたしは怒るぞ。といっても別に噂を流したのはこの子じゃないんだろうけれど。もし嘘だったら、そんな話を得意げにあたしに話してきた酒場の常連のおっさんに、ビンタの一つも浴びせてやらねばならないだろう。

「一応、正しいことを言っておくとね、私は人の縁を見る――運命糸の魔女よ。確かに、人の両手から延びる運命糸のうち、左手の薬指から延びる赤い糸は、縁深い異性と繋がっている……」

 つまり小難しいことを言っているが、話は本当だと言うことに違いないようである。これでおっさんを殴らずに済みそうだ。

「それじゃあいっちょバシッと、あたしの王子様を――」

 しかしウルコは、

「でもね」

 と遮り、それから続ける。

「世の中には赤い糸の相手以外と結ばれる人も居るわ。だからと言ってそれが不幸だということではないし、心から幸せに添い遂げる人だって居る。それに赤い糸の相手だからと言って、あなたの好みに適うというわけではないの。ちっとも趣味じゃないような人の可能性だってあるわ」

 さらに、紅茶を一口飲み、あたしを見据えながら、

「それに……もし本当に"運命の相手"だったら、ほうっておいても自然に出会い、結ばれるとは思わない?」

 と、諭そうとでもするかのように尋ねてきた。

 確かにこの子の言うことはもっともらしい。

 なまっちょろい覚悟で来てるような中途半端な子だったら、はいそうですねと頷いてしまうかもしれないが――あたしはそんなに甘くはない。

「あんた、さっきからそれらしい理屈こねてるけどね。いい?あたしは、王子様を待ってるだけの受け身な女じゃないの。もし出会える可能性が近くにあるんだったら、一秒でも早くとっ捕まえておきたいのよ!」

 勢いづいたあたしはさらに椅子から立ち上がり、遠い空を(実際は天井だけど)びしっと指差した。

「まだ見ぬ王子様が、あたしを待ってるのよ!!」

 そう、そうよ。言葉に出してみると、自分の思いがいかに強いか再確認できる。あんなちっちゃな村で待ってるだけじゃ、いつ来るかなんてわかりゃしない。だったら、とっとと見つけて唾つけとくべき!

 さすがのウルコも観念したのか、溜息を吐き出してから、

「……仕方ないわ」

 と、小さく漏らしたのを聞き逃さなかった。

「じゃあいいの!?」

「言ったって聞かなそうだもの。他の人のところへ行って迷惑をかけられるのも嫌だから……ほら、見るから左手出して」

 つまりこれは交渉成立!待っててあたしの王子様!

 言われるがまま素早く左手を差し出すと、ウルコはあたしの手を取った。見た目の印象よろしく、その手はひやりと冷たい。

 それからウルコは左手の薬指に着けていた指輪らしきものを抜き取ると、片目を瞑ってその指輪越しにあたしの指を見始めた。

「何それ?……まさかあんた、子供のくせして指輪なんてもらっちゃったりしてるわけぇ?」

「違うわよ……これ、指輪の形をしたボビン」

「へ?」

 まじまじと顔を近づけて見てみると、確かに赤い糸が巻かれたボビンだった。紛らわしいことをする。

 見かけによらず背伸びしてつけてるのか、さっき言ってた運命糸の魔女っていうのの習慣なのか。あたしにはわからないけど、わざわざ聞くのも面倒なので気にしないことにした。

「………………」

 ウルコは真剣な眼差しで、じっとあたしの薬指の付け根のあたりを見つめている。あたしも一緒になって見てみるけど、一体何が見えるのかさっぱりわからない。

 魔女っていうのは生まれつきの才能がないとなれないらしいが、この子にかかれば縁なんてものが見えるなんて羨ましいもんだと思う。あたしがそんな力持ってたら、真っ先に王子様探しに使っただろうなあ。

 ふと、この子はそういうことをしてないのか気になって尋ねてみることにした。といっても素直に答えてくれるかはわからないが。

「ねえ、あんたは自分の運命の相手ってもう知ってたりする?」

 ちょっと意地悪そうに、ほとんど興味本位で聞いてみた。

「私は知る必要がないって思っているから知らないわ。それにそんなことを知ってしまうと、却って束縛されてしまう気がするもの」

 視線を一切逸らすことなく、ウルコは言った。しかしホント、やんなるくらいに達観したようなことを言う。あたしん家の近所のガキなら、笑顔全開でホイホイ見てそうなもんだけど。都会の子だからっていうよりは、魔女だからこんな性格してるんだろうなと思った。

「……見えたわ」

「え、ホント!?」

 不意の言葉に反応して自分の手を見るが、やっぱりそれらしいものは全く見当たらない。

 これ、テキトーなこと言われててもあたしにはわかんないよなぁ、ということに、今更ながら気が回る。ここはいっちょ釘を刺しておくべきか……いや、でも機嫌を損ねて止められたら困るから素直に信じるべきか?

 あたしが悩んでいると、

「ひょっとして、本当に見えているんだろうか?って考えているのかしら?」

「え!?」

 的確に考えを見抜かれていて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。魔女って心まで読めるのか!?

「……図星みたいね。でも気にしなくていいわ。結構いるのよ、そうやって尋ねてくる人。それに滅多にいないけれど、魔女の名を騙った詐欺も実際にあるみたいだから。もっとも、詐欺を働くような魔女はこんな風にお店を構えるなんて馬鹿な真似はしないわよ」

 言われてみればそうである。そんなわざわざ捕まえてくださいと言わんばかりのマヌケな詐欺師だったら、とっくにお縄になっているだろう。

 いや、ひょっとしてひょっとすると、堂々と店を構えることで詐欺と思わせないようにしてるんじゃ……なんて意地悪なことを考えてみたが、自分でもそこまで疑るだけ馬鹿馬鹿しいなと思い、忘れることにした。

「それじゃあ早速、赤い糸を追ってみるつもりだけど……もしもあまりにも遠い場所に居るということが判明した場合は中止させてもらうわ」

「っていうか糸を追っかけるの?なんかこう、もっとパーッと簡単に探せたりしないの?」

「そんなに簡単に出来るなら、そうしているわよ。できないから先に断りを入れているのよ」

「ふーん、そういうもんなのね。んじゃまあ、せいぜい近くに居てくれることを願うわ」

 魔女って案外不便なもんなんだな、とあたしは思った。

 そして深く考えても居なかったが、確かにどこか遠くに居るという可能性も大いに考えられる。さすがにあたしも何日も帰らないわけにはいかないし、無理やりこの子に付き合ってもらうということも出来ないだろう。

「そういうのってすぐにわかるものなの?」

「ある程度はね。距離が離れていれば離れているほど、縁の糸というのは細くなっているの。逆に近いと太くなるのよ」

 なんだか不思議だけど、説得力があるような、ないような。

「で、今はどうなってるの?」

 ウルコは空中の見えない何かに視線を這わせながら、窓の向こうをちらりと一瞥した。それからまた窓とあたしの間のあたりの空中で目を止めた。

「そうね……このそれなりの太さからすると…………この街に居る可能性が高いわ」

「ホントに!?」

 なんと!ということは、もう間もなくあたしの王子様とご対面ということか!高まる期待と一緒になって胸が高鳴るのがはっきりと感じ取れる。

「よし行こう!とっとと行こう!」

 今にも駆けだしたい衝動を辛うじて抑えながら、ウルコを急かす。景気づけに紅茶を一気に飲み干すと、あたしはドアの方へと大股で歩きだした。

「あまり焦らないの。まったく、不作法なお客様ね」

 一方のウルコはあたしとは正反対に、優雅とも言えるゆっくりとした動作で紅茶を飲むと、椅子から立ち上がった。

 さあ出発か、と思いきや、カップとソーサーを持って奥へ行ってしまった。

「ちょっとー、早くしてよー」

 さすがに勝手に奥へ入ることはできないので、入口から叫んだ。ええいチビッ子め、人の恋路をなんだと思っているんだ。いやまあ、まだ恋に恋する段階で、肝心の王子様の顔も年齢も背格好もわからないのだが。

 仕方ないのでテーブルに手をついて待ちつつ、奥へと聞き耳を立てた。

「…………の。…………番を……い…………」

「わ…………よ………付け………………」

 何やら誰かと会話をしているようだ。しかし言葉までははっきりと聞き取れない。

 と、思っていると、「お待たせ」と言いながらウルコが戻ってきた。そしてその後ろからは妙齢の婦人が着いて来ていた。

「まぁまぁ、あなたがお客様ね!どうもぉ、いらっしゃいませぇ」

「ど、どーも」

 なんかニコニコと満面の笑みで近寄られた上、がっしりと両手で握手をされた。なんだ、この気さくというか、底抜けに明るい感じのご婦人は。

「ちょっとお母さん、彼女引いてるわよ」

「えぇ!?そんなことないわよぉ!ねぇ?」

「あ、あははははは……」

 いつも酒場で色んな酔っ払いどもを相手にしてるけど、なんかこう、こういう天然ものの人は一番苦手だ。酔っ払いのおっさん連中なら足蹴にすれば済むし、小うるさいおばちゃんも言いかえすなりほっとくなりすればどうにかなるが、こういう人は何を言っても効果がないし、そもそも悪気がないのが厄介だ。テキトーに笑ってごまかすのが最善である。

 と、そこまで来てようやくウルコの発した言葉が頭に浮かんできた。

「って、ちょっと待って……お母さん!?って、あんたの!?」

「もちろん!ウルコの母の、リニエラ・マクハインよお!うふ、今後ともごひいきにぃ!」

 いや、嘘だろ。仏頂面で不愛想なこのチビッ子の母とは、どこをどう贔屓目で見たところで欠片も関連性が見いだせない。

「……あんた、拾われっ子だったのね」

「私もそうなんじゃないかと思ってしまうけど、れっきとした親子なの」

「ちょっとちょっとぉ、どう見ても親子でしょー!?この目、この口、この髪!ほらほらぁ!」

 パワフルな母ちゃんに肩を抱かれつつ、目や口を指差されるウルコの顔は、仏頂面に磨きがかかり、露骨に困惑とか不機嫌とかそんな顔になっている。この場で気が付いてないのは、この母親ただ一人だろう。

 だが確かに言う通り、少し赤みがかったブルネットの髪や、その髪の色素を薄くしたような瞳は親子で似ている。だが雰囲気というかテンションがあまりにも別物過ぎて、とても似ているなどとは言えそうにない。

「ちょっと、忙しいから邪魔しないでよ。お母さんは店番よろしくね」

「素っ気ないのぉ……はぁいはい、任されましたぁ」

 不承不承といった様子でウルコ母はカウンターの方へ行ってしまった。たった数分しか話していないのに、隣村から数時間かけて歩いて来たこと以上に疲れた気がする。

「……ごめんなさいね。ああいう人なのよ」

 溜息をつきながらも何か作業をするウルコだったが、その背中からは何やら言い知れぬ苦労による疲労感が発せられている気がした。

 なんつーか、この子が必要以上に落ち着いてるのは、あの母親のフォローとかそういうものも原因としてあるんだろうな、と思った。いや、決して悪い人じゃないってのはわかるんだけどね。うん。

「あんた、あの人のお腹の中に感情っていうか、表情置いてきちゃったんじゃない?」

「私も時々そうじゃないかって思うわ……さて、お待たせ。行きましょう」

 言いながらウルコは何かを背負って、さらにその手には身長以上もありそうな黒い金属製の棒のようなものを持っていた。

 背中のものは指先から肘までよりは長いくらいの、細長い杖のような形状だが、その殆どを革のケースに覆われているためよくはわからない。だがわずかに覗いている頭の部分は銀色に輝いており、中央には穴が開いている。

 その形には見覚えがあったが、あまりにも大きさが知っている物と違いすぎる。

「ねえ、その背中にしょってるのって……でっかい針みたいな形してるけど……何?」

「ああ、これ?針と言うか、針を模した杖よ」

「杖ぇ?」

 勘が当たったというか、却って予想外というか……。

 確かに全体の形は杖のようだが、針のようでもある。だけど用途がさっぱりわからん。ああでも、毎年村に来る魔女も、そう言えばヘンテコな杖を持ってたな、ということを思い出す。

「で?その黒くて長い、なんかところどころゴチャゴチャした機械みたいになってるのは……?」

「これは箒よ。ほら、先っぽにちゃんと穂があるでしょう?」

 ウルコの視線の先を追ってみると、確かにそこには取ってつけたかのように不釣り合いな穂がくくりつけられており、それにより辛うじて箒の体裁を保っていた。だが肝心の全体像がよくわからないままだ。

 尋ねようと思った矢先、

「不思議な形をしているけれど、これはミシンを象った箒なの」

 と、先回りして答えをくれた。

「み、ミシン……なるほど、言われてみれば……いや、でも…………こう言うとなんだけどさ、スゲー変よね」

 侮辱するつもりは毛頭なしに、しかし思ったことを包み隠さずあたしは言った。

 文句の一つも言ってくるかな?と思っていたら、ウルコの反応は意外にも素っ気なく、しかも小さく頷いて肯定したのだった。

「そうね、本当に……箒としての使い勝手は最悪よ。だけれど、魔女の杖も、箒も、他の道具も……自分の扱う分野を象徴した意匠にする決まりなのよ。そして仕事の時は持ち歩くのも決まりなの。大がかりなことをする時には必要になるから。もっとも、今日は必要なさそうだけれど」

「へぇー。難儀なもんねえ」

 よいしょ、という掛け声に合わせて箒を肩に寄りかからせながら、ウルコは店の入り口の方へと歩き始めた。

 後ろから見ながら、やっぱり金属でできた箒であれだけの大きさがあるとそれなりに重いんだろうなぁとか考えながら、続いて歩いた。

「それじゃあ行ってきます」

「お邪魔しましたー」

「はぁい、またのお越しをぉ!」

 賑やかな声を背中に受けながら、あたしたちは店を後にした。

 と、いうことは、つまり。いよいよあたしの王子様探しが始まるということだ。

 これから待ち受ける事態を思うと、胸に炎のようなときめきが燃え上がってくる。景気づけに掛け声の一つも上げたくなるってもんだ。

「さーて、待っててね!あたしの王子様!」

「わっ!!」

 勢いよく拳を突き上げた時、誰かの驚いたような声と、どさっと何かが倒れるような音がした。

 慌てて音の方角を見ると、尻餅をついて倒れている人が。やべ、勢い余ってやっちゃった?

「ちょっと、周りに気を付けなさいよ……。大丈夫?」

「あちゃー、ご、ごめんなさーい。悪気はなかったんで…………」

 て、おい。あたしは中途半端に手を伸ばし、頭を下げた状態のまま固まってしまった。

「いててて……」

 ウルコが手を差出し、その倒れている男がその手を取って体を持ち上げる。うん、それは別にいい。

 問題は、その尻餅をついてる男のことだ。

「ちょっとセイン、なんであんたがここに居るのよ!?」

 往来であることを忘れ、あたしはセインに怒鳴りつけるように質問を投げつけた。それくらいに、なんでこいつがこんなところに居るのかっていうのが謎だったのだ。

「……お前なぁ、家の仕事サボっておいて、その言いぐさはないだろ。最近リヴィエブールで魔女がどーしたってぶつくさ言ってたから、きっとお前がここに来てるって親父さんが言うから来てみれば、本当に居るんだもんな……親父さん、呆れてたぞ?」

 親父め、よりにもよってこいつを送り込んでくるとは。なんだか最近家族内じゃあたしよりも、ただの幼馴染のこいつの方がよっぽど信頼されてるってのが腹立つ。

「はんっ、余計なお世話。あんたも親父に頼まれたくらいで仕事放り出してまで追ってくるなんて、どんだけ暇なのよ」

「お前、あんまり家族に心配かけるようなことするなよ。ただでさえ夜の酒場の給仕の仕事ばっかりで、最近は農作業の手伝いサボりがちだろ。何考えてんだか知らないけど、もっと親父さんやお袋さんのこと気遣ってやれよ」

「誰が、いつ心配してくれなんて頼んだってのよ?いーの、あたしは農作業なんてやらなくても。さっさと金貯めて、あんな村出てってやるんだから。手始めにこの街にでも引っ越そうかしら?そしたらあーんなめんどくさくて泥臭ーいことやんなくたって、もっと華やかな仕事がいくらだってあるからねー」

「あのなぁ……。いきなり街に出たところで、そんなに簡単に行くと思うのかよ?」

「選ばなければあるでしょ。雑用でも下働きでもなんでもやるわよ。……それに、結婚って手だってあるし、ね」

 呆れ顔で説教を垂れてくるセインに見せつけるかのように、あたしは黙って聞いていたウルコの後ろに回った。

「あら、やっと私が口を挟んでいい頃合いになったのかしら」

「へ?えっと……君は?」

 そういえば、といった様子でセインはウルコに視線を移した。ま、あたしがろくに来たこともない街で、こんな子と一緒に居たらそりゃ不思議だろう。

「ウルコ・マクハインよ。魔女見習いをしているわ」

「え、魔女なの、君!?へぇー……うちの村には居ないから、こんな若い子も居るなんて知らなかったよ……でもそっか、普通の職人の弟子だって、いくらだって君くらいの子居るもんな」

 なんだかほとんどあたしと同じような感想なのが嫌になる。

「そうね。……納得するのは結構だけれど、よければお名前聞かせていただけるかしら」

「あ、ごめんごめん」

 セインは自分の失態に苦笑いしながら、咳払いをした。こいつ、昔っからどっか抜けてんのよね。

「俺はセイン・フトー。ヴァンフレーで農家してんだ。そいつとは幼馴染。……そうだよ、つーかアン、どうして魔女に仕事なんか頼みに来たんだよ」

 ものすごーく今更な疑問に、セインはようやく気が付いたようだ。でも教えてやらない。

「さーて、なんでしょーねー?自分で考えてみたらぁ?んじゃ、まったねー……ほら行くわよ」

 あたしはウルコの背中を押しながら、とっととこの場を立ち去ることにした。これ以上こいつに付き合って時間を食うのはゴメンだ。

 ひらひらと後ろに手を振りながら、大股で立ち去ろうとする。

「あっ、おいアン!……とにかく、あんまし迷惑かけんなよなー!!」

 段々と声は遠ざかり、あたしは振り返らずに離れて行った。



「ねえ、本当にほっといてよかったの?」

 比較的人の流れの穏やかだった職人通りを抜けて、市場の方へと歩いているとウルコが訪ねてきた。

 しかしその間も、ウルコの目線は空中を彷徨っていた。糸を見ているらしいが、傍から見ているとどっか足りてない子のようだ。

「んー?……ああ、セインのこと?いいのよほっといて。いつものことなんだから」

 本当に、いつもああだ。あたしが何かすると、あいつはすぐに説教をして、お節介を焼いてくる。

 結局あたしには兄妹が出来なかったけど、あいつは同い年のくせして、まるで口うるさい兄貴みたいに思えた。あたしと違ってあいつの家には弟や妹がたくさんいるからしょうがないのかもしれないけど。

「じゃあ、いつもあなたは彼に迷惑をかけているのね……」

 そう言いながら、まるでセインのやつに同情するかのように小さく溜息をついたのを、あたしは聞き逃さなかった。

「ちょっとあんた、聞き捨てならないわね」

「でも、いつものこと、なんでしょう?」

「あんたひょっとして、あたしがしょっちゅう問題ばっか起こしているような馬鹿だって言いたいわけ?」

 ……実を言うとあながち間違っていないから腹が立つ。別にあたしだってわざわざ問題を起こしたいわけじゃないが、こっちが何か言うとすぐに文句を言ってくる連中が悪いのだ。考えの違いくらい認めろっての。

「………………いえ、別に」

 不穏な沈黙の中には、確実に肯定の言葉が隠れていた。こんなチビッ子に馬鹿にされるなんて、むかつく。むかつくから頬っぺたをつねってやった。

「いひゃいわ」

 抗議するウルコは相変わらずの無表情で声も単調なままだった。うーん、つまらん奴め。

「ふん。……でもさあ聞いてよ。セインってば、ホントに度が過ぎるくらいのお節介なのよ。あいつ、あたしとは何の関係もないことでも、いちいちやって来ちゃー、一緒になって頭下げてんのよ?馬鹿だと思わない?それにさ、もうあたしだって十八よ?この年になってもまーだ子供に説教するみたいにグチグチグチグチグチグチと飽きずにうるさいのよ。こっちだってガキじゃないんだから、言われなくてもわかるっての」

「ガキじゃない、ねぇ…………」

「あんた、またつねるわよ」

「……でも、純朴そうでいい人じゃない。私はあの人のこと、好きよ」

 たった数分のやり取り程度で好きって、こいつ……。それに純朴そうとか、子供のする評価じゃないっての。

「あんたねぇ、いくらなんでも趣味悪いよ?あんなパッとしない、いかにも田舎者を絵に描いたような冴えないののどこがいいってのよ。ひょっとしてそれってアレ?都会の人間の余裕ってやつ?」

「田舎とか都会とか、そんなことと人間性は関係ないわ。大切なのは、彼があなたのために自分の時間を犠牲にしてまでわざわざ追いかけてきてくれたということよ。損得勘定抜きで誰かのために行動するなんて、簡単なことではないもの。それこそ、いい大人がわざわざ動くなんて、よっぽどのことよ」

「………………」

 買い被りすぎだろう、と思ったけれど、なんかそう言いづらい感じがあった。

 この子に言われて、柄にもなくあたしもちょっと考える。

 セインはどうして仕事を投げ出してまで、あたしのことを追っかけてきたんだろう?あいつん家だって忙しいだろうに。やっぱり腐れ縁とか、義務感からなんだろうか?

 あいつがあたしにわざわざ何かするのが昔から当たり前になりすぎていて、そこに疑問を感じる機会もなかったけれど……でも、元々正義感とか高いし、だれかれ構わず親切にするような奴だから、あたしのこともそういうのの延長なんだろうな、とは思う。

 考えたところで答えが出るわけもない。なんせ、あたしはアンであって、セインじゃないからだ。あいつの考えなんて、あいつしか知らない。そんなことをうじうじ考えたって仕方がないのだ。

 とりあえず別の話題に変えておくのが無難だろうと思い、あたしはテキトーな話題を切り出すことにした。

「ところでさ、あんた普段はどんな仕事してんの?ヴァンフレーって魔女が居なくてさ、毎年の巡礼で村に来るくらいでしか知らないのよね。だから魔女って普段何してんのか気になってさー」

 ウルコはそれ以上、特にセインのことには追及してはこなかった。あたしの質問に「そうねぇ」と呟きながら、言葉をまとめているのだろうが、ちょっと間をおいてから口を開いた。

「魔女は流派というか、適性によって出来ることが全く異なるっていうことは知っているかしら?」

「うん、それくらいはさすがに知ってる。まあ人に聞いたって程度だけど」

「そう。私は運命糸の魔女だけれど、あたなのように農家の方だと、例えば雨乞いや水量の調整を行う雨の魔女、田畑の監視や土壌改善、豊作祈願を行う案山子の魔女あたりは、関わることもありそうね。……それで私の仕事だけれど、主な仕事は今まさにやっているみたいに、人の縁を見ることね」

 話ながらもウルコの足は止まらない。段々とまばらだった人波が密度を増していくが、話ながらも器用に避けて行く。

 いよいよ市場が近くなったからだろう、果物や肉や野菜、それぞれが混ざった複雑な匂いが微かに鼻を突く。喧騒も音量を増してくる中で、ウルコの声はなぜだか静かなのによく通る。

「依頼してくるのってさ、やっぱりあたしみたいに若い女が多いんでしょう?」

「うーん、まあ運命の相手となるとそうだけれど、それだけじゃないわ。例えば、消息の分からない家族を探してほしい、という依頼なんかもあるし……理由は異なるけれど、やっぱり人探しは多いわね」

 なるほど、縁っていうのにもいろいろと種類があるようだ。人探しには便利だろうな。

「他にはどんなことやってんの?」

「あとは、縁結びとか縁切りもしているけれど……だけどこれはまだ、師匠の許しなしには行ってはいけないの。私が一人で受けてもいいと許されているのは、縁を見ることだけよ」

「縁結びもやってんの!?」

 じゃあもしも今から会う王子様と手っ取り早く結ばれたかったら、この子の師匠に頼めばいいのか。凄い、凄いぞ魔女!

 ……なんて浮かれていたら、背中越しに気配を察したのか、釘をさすようにウルコが続ける。

「縁結びって、思っているほど簡単なことじゃないのよ」

「えー、魔法でぱぱっとやっちゃえるんじゃないのぉ?」

 ウルコは首を振って否定した。

「あのね、魔法ってそんなに便利でも万能でもないの。魔女に出来ることなんて、たかが知れているわ。それに縁の糸っていうのはね、複雑な性質をしているの。心と密接に繋がっているから、縁の糸を結んだり切ったりするということは、誰かの心を勝手にいじくってしまうということなのよ。あなた、自分がどこの誰とも知らない人に勝手に縁を結ばれたら、嫌でしょう?」

「…………うげ」

 そこまで聞いて、縁結びと言うのがどれだけ大層なことなのか、なんとなく呑み込めた。

 仮にその辺のブッサイクなおっさんが勝手に縁結びをしてきて、あたしがメロメロになるなんて想像すると……それだけで吐き気がしてくる。

「縁なんていうのは、勝手に結びついたり解れたりを繰り返して、自然と紡がれてゆくものなの。それに手を加えてしまうのは、やっぱりよくないことなのよ」

 なんか、あたしが思っているよりも、魔女の仕事は大変そうだ。

 縁結びの話を聞いたあたしは、縁切りのことも気になった。正直、こっちの方が縁結びよりは楽そうというか、深刻じゃなさそうな気がしたのだ。

「ふーん。……じゃあさ、縁切りっていうのは、やられたらどうなっちゃうの?」

 尋ねると同時に、ウルコは黙り込んだ。それがどうしてなのか、あたしにはわからなかった。

 が、少ししてから、先ほどのように説明をしてくれた。だけどその口ぶりには、水を吸い込んだ服のような重たさがあった。

「……縁切りはね、読んで字の如く、縁の糸を切ってしまうことなの。……ねえ、縁の繋がりがなくなってしまうと、どうなってしまうと思う?」

 ウルコが突然立ち止まったので、後ろを歩いていたあたしは思わずぶつかりそうになった。しかしウルコはそんなことを気にする素振りもなく、ゆっくりと振り向いてあたしを見つめていた。

 なんだかその視線と言葉は、先ほどまでよりも重たく――何よりも真剣だった。だからあたしも気圧されてしまい、柄にもなく真面目に考えてしまった。

「えっと……縁がないってことだから……なんだろう、いきなり嫌いになる、とか?」

 その言葉にウルコは小さく首を振った。

「……縁を切られてしまうとね、その人への興味や感心がなくなってしまうの。不思議でしょう?大切だった、好きだった人のはずなのに、どうしても興味がなくなってしまうのよ。だから段々とその人のことを思い出さなくなって、やがて忘れてしまう。だけどそれは自然な忘却ではないから、心の中には何かを落っことしてしまったような喪失感だけが、ずっと残り続ける。それって、本当に大切な人を失ってしまうことよりも、悲しくて怖いことよ……」

 消え入るような声で語るウルコは俯き、酷く悲しそうな眼をしていた。

 きっとこの子は幼いながらも、あたしの想像もつかないような、人の裏側を見てきているのだろう。

 縁切りの理由は、例えばどうしようもない両親から逃げるためとか、自分に付きまとってくるしつこい男がいるとか、そんなことかもしれない。だけど、そうであっても、いざ縁を切って忘れて行く姿を目の当りにしたら、あたしだって夢見が悪いんじゃないかと思う。

「………………」

 ウルコもあたしも、長いだんまりを過ごしてから、また歩き出した。

 待っている間は、忙しそうにすれ違う人たちの流れからあたしたち二人だけが切り離されたような気分だった。

 活気に満ちた市場を横切って、また喧騒から遠ざかって次第に民家が目立つ頃になっても、なんだか気まずくて言葉が出なかった。

 嫌な空気にあてられたのだろう、次第にあたしが何の気なしに頼んだことが、実は結構大変なことなんじゃないかという気がしていた。ま、だからといってここで止めるほど殊勝じゃないけどね、あたしは。

 すっかり市場からも離れて住宅地の真ん中あたりに来たくらいになると、あたしはいい加減、なんかこの気まずさをどうにかできないかな、と思っていた。

 運がいいことに、そのきっかけは前から歩いて来たのだった。

「あらぁ?ウルコちゃん、こんなとこで何やってんのさ」

 恰幅のいい、いかにも主婦って感じのおばちゃん集団がやってきてウルコに話しかけてきたのだ。どうやら顔見知りらしい。

 衣類の山を載せた籠を抱えているから、乾いた洗濯物を取り込んで帰るところだったのだろう。

「こんにちは。お仕事中なの」

「お仕事中って……ああ、そういうことね」

 するとおばちゃんたちは、あたしの姿を認めるなりにやにやと笑いだし、みんなで顔を見合わせた。なるほど、ウルコの魔女としての仕事内容を知っているために、おおよそあたしがどんなことを頼んだのか予想がついているのだろう。

「縁切りでも縁結びでもなさそうだし……大方、恋人探しってところかな。どう、当たってる?」

「いやぁ、意外なところで生き別れの家族をってとこかもしれないわよ」

 ああ、どこでもおばちゃんって生き物は変わらないんだな、とその姿を見ていて痛感する。村のおばちゃんも似たようなもんで、噂好きのおしゃべり好きだ。もっともあたしもその特徴に一致するし、きっと将来はこんなになっちゃうんだろうなと思うけど、それはそれとして。目の前で自分が話のタネにされるのはムカつく。

「ね、あんたさ、どこの人なのよ。ここらじゃ見かけない顔よね」

「あー、えっと……」

「あんまり困らせないで欲しいわ」

 そろそろ適当にお茶濁して逃げようかと思っていたところ、意外なことに助け船を出してくれたのは、ウルコだった。

「いつも言っているでしょう?仕事の内容は秘密。お客様のことも秘密。魔女のお仕事は信頼で成り立っているのよ。あんまりしつこいと、師匠に言いつけてしまうわよ」

 すると、おばちゃんたちは笑いながら、おどけたように怖がってみせる。

「そうだよあんたたち。ドリース婆様に告げ口されたら、あたしらみんなおしまいだよ。なんたってあの人は、あたしらの秘密なんだって知ってるんだから」

「おぉ怖い怖い。ごめんよウルコちゃんに娘さん、邪魔しちゃって」

「あら、ばらされたら困る秘密でも抱えてんの?私はたくさんあるけど」

「そりゃあんた、昔はとっかえひっかえだったもんねぇ」

 自分たちのやり取りで大笑いすると、誰かの「さ、仕事に戻るよ」の一声に合わせて、おばちゃんたちは口々にウルコとあたしに別れの挨拶をしてから、そのまま道の向こうへと消えて行った。

 なんだか嵐が去った後のように静かになったようだ。

「……あんたも苦労してんのね」

 あたしは心の底からそう思って、そのまま言葉をかけた。

 ウルコはウルコで表情を崩さず……いや、ちょっとだけ困ったように、眉間に小さく皺を寄せて答える。

「あの人たちっていつもああなの。私が困る姿を見て楽しんでいるのよ。姉弟子のお姉様方もおばさんたちも、みんなそうなの。困った人たちだわ」

 まあでもなんとなく気持ちはわかる。この仏頂面を崩してやりたいと考えるのも無理はない。あたしも一度くらい、このおすまし顔のチビッ子を泣かせたりびっくりさせたりしてみたいもんだと思う。

 そういえば、さっきドリース婆様って言ってたことをふと思い出す。口ぶりからして、その婆さんがこの子の師匠なんだろうか。

「ねえ、さっきおばちゃん連中が言ってたドリース婆様って、あんたの師匠のこと?」

「そうよ。隣村のテルグラにアトリエを構えている、私の師匠。このあたりの人ならみんな知ってるわ」

「そんなに有名なんだ。やっぱ身近に魔女が居ると、そんだけ頼みごとがあるもんなのね」

 あたしの村には魔女が居ないから、そんなに魔女の世話になることがあるというのが、あたしにはいまいちピンとこなかった。

「うーん、そうね。魔法で何かをするっていうんじゃなくて、よくみんなの相談に乗ることが多いのよ。師匠にはね、魔法で何かをする前に、まずは話すことで解決できないかを考えなさい、って教えられているわ。言う通り師匠はお客様がいらっしゃると、悩みを聞いたり仲裁をしたり、そうすることでほとんどの問題を解決してしまうのよ」

「へぇ、立派な人なんだ」

 話を聞く限り、立派ないい人だなぁ、と素直に思う。あたしとは程遠い感じだ。ウルコの口ぶりや、さっきのおばちゃんたちの反応からくる印象とは正反対のように思える。

 するとウルコはあたしの疑問に答えるかのように付け加える。

「だから師匠はね、裏を返せばこの街やテルグラの人、他にもいろんな人の秘密や問題を知っているのよ。本当に秘密をばらすことはしないけれど、調子に乗っている人なんか見つけると、思わせぶりににやにやと笑いながら脅かしたりするんだから。それにね、確かに立派な人だけど、おばさんたち以上に困った人なのよ……。冗談が好きで、人をからかうのが好きで、皮肉が好きで……もう八〇歳になるというのに、ちっとも悟って落ち着くような気配なんてないんだから」

「……なんかスゲー厄介な婆さん。ま、頑張んな」

 どうやら立派だけどそこまでいい人ではなさそうだ。勝手に温和そうな気品のあるおばあ様を想像していたけど、実際は違うみたいだ。怖いからお世話にはならないようにしよう、とウルコの眉間の皺が深まるのを見ながら、心の中で誓った。


 白い壁の家々を見送りながら、あたしたちはさらに歩いた。

 ウルコは目的地まであとどの程度かわかっているんだろうけど、あたしには全くわからないから、果たしていつになったら会えるのか不安になってきた。

 あたしが「ねえ、あとどれくらい?」と聞こうかと口を開きかけた瞬間、ウルコが突然手を差し出して制止した。

「止まって」

「え?何よ……」

「しぃー」

 白く細い人差し指を一本たてて、静かにしろ、と合図してきた。あたしは何が何だかわからないが、とりあえず黙って従うことにした。

 民家の影に隠れながら、ウルコは前方に視線を向けている。あたしもウルコに倣って隠れつつ、何があるのか確認するべく少し身を乗り出した。

 そこにあったのは、衛兵の詰所だった。二、三人が交代で居るような規模の小さいもので、入口で立ち尽くす見張りの衛兵も、丁度見回りか何かに出て行った衛兵に手を振りながら、暢気そうにあくびをしている。ま、住宅街じゃそうそう事件も起こらないし、こんな陽気じゃ眠くなって当然だろう。

(ねえ、一体そこがなんだってのよ)

 あたしはウルコに耳打ちをして尋ねるが、ウルコはじっと黙ったままキョロキョロとするだけだった。

 まさかとは思ったが、あのぼけーっとした締まりのないのが王子様とか言い出しやしないだろうな、と不安が過る。いや、あたしの運命の人に限って、んなこたぁないに決まってる……はずだが……。

(行くわよ)

(え、あ!ちょっと……)

 聞こうか聞くまいか悩んでいるうちに、ウルコはスタスタと歩き始めてしまう。あたしも急いで、しかし衛兵に絡まれないように出来るだけ平静を装って後に続く。

 衛兵の姿が見えなくなったことを確認してから、改めてウルコを問いただすべく、ずいっと顔を寄せた。

「ねえ、さっきのなんだったのよ?まさか……あの入口のが運命の人ってことはないわよね?」

「違うわ。そうじゃなくて……いい、大声を出さないでね。あそこを見て頂戴」

 そういってウルコは道の先を指差した。そこを歩いていたのは、さっきあたしたちが詰所に到着するなり入れ替わりに出て行った衛兵だった。

「あれって詰所から出てった衛兵よね」

「そうよ。……あれが、あなたのお目当ての人よ」

「なンぐぅ!?」

 何、と大声を出しそうになった瞬間、背伸びをしたウルコが思い切り口を塞いできた。

 いや、そんな些細なことはどうだっていい。

 あれが、あの人が、あたしの運命の王子様!?

「ちょっと、大声を出さないでって言ったばかりじゃないの」

 ウルコが呆れたように文句を言うが、いや、王子様が居るって聞いて落ち着いていられるわけがないだろう。

 だがウルコはなだめるように、あたしの口に手を当てたまま続ける。

「いい?まずは、あの人がどういう人なのかを観察するのよ。こっそり尾行するの」

 いきなりの提案に、あたしはちょっと戸惑った。が、すぐにその思惑を察して頷いた。

「……そうね。面が割れてない今だからこそ出来るわけよね。人間、素の部分ってのは一人の時に出るもんだから、そこを見るチャンスってことよね!」

 あたしのお眼鏡に適う男かどうか――それが大きな問題よね。もしダメ男だったら、即この子に縁切りをお願いしよう。思い入れのない今だったら、互いにダメージはない……はずだし。

「そういうこと。ほら、追うわよ」

 そして、あたしたちの追跡が始まった。


「……うーむ」

 つかず離れず、ばれないように。あたしとウルコは一定の距離を守ったまま、男を追いかける。

 先ほどとは別の道だが、再び住宅街から市場へと戻ることとなった。ウルコの話では、市場の先、マクハイン裁縫店もある職人通りの近くに大きな詰所があるから、そこに向かっているのでは、ということだった。

 さすがに事件などそうあるわけがなく、衛兵の男は脇目も振らず黙々と道を歩いていた。

 あたしは後ろからその男を穴が開きそうになるほど見つめていた。

 身長は一七、いや、一八ポームは確実にある。緑と黒のストライプが入ったビロードの衛兵服はゆったりとしていて体格が隠れやすいが、それでも手足の感じから太ってはいないことはわかる。つば広帽子から覗いているサラサラの黒髪を見ていると、その顔に期待せずにはいられない。そう、後姿は少なくとも申し分ないのだ。

「………………」

「……おっと」

 凝視しているうちについつい浮足立ってしまい、前のめりで早足になりかけたあたしの腕を、ウルコに黙って掴まれてハッと気が付く。いかんいかん、焦りは禁物だ。

 ……そんなやりとりを五、六回ほど繰り返しているうちに市場を抜けて、ようやく詰所が姿を現した。

 なるほど、住宅街の詰所と比べると規模が大きく作りも立派で、何より入口で街を見守る衛兵の顔がどこかシャキッとしている。ここの衛兵がしっかりしてるというよりも、場所の空気とか雰囲気みたいなものがそうさせるのだろう。多分だけど、やっぱり住宅街の詰所に回されたら、真剣そうな顔が崩れてあくびの一つも漏らすんじゃないかなと思う。

 黒髪の衛兵が詰所へと向かって行ったので、あたしとウルコは近くの店の物陰に身を潜めて様子を見守った。

「おう、ハンスか。今の時間だと市中巡回だろ?何かあったのか」

 ずっと追いかけてきた黒髪の衛兵を見るなり、入口の衛兵が声をかけた。そうか、彼はハンスと言う名前なのか。あたしはその名前をすぐに脳に刻み込み、観察を続けた。

「お疲れ様です。巡回の前に、これだけ届けておけって」

 手に持っていた革袋を掲げるハンスの姿を見ながら、おお、とあたしは思わず声を零しそうになる。

 まるでその声は、吟遊詩人の奏でる音楽のように甘美で優雅だった。こうなるともう、俄然顔が拝みたくて仕方なくなってくる。

「落ち着きなさいよ……」

 勘のいいウルコに釘を刺された。でもしょうがないじゃん。ここに来て期待が高まって仕方ないんだから。

 ハンスと衛兵は雑談に興じていた。といっても、たかだか一、二分も経たないくらいの大したやりとりではなかったのだが、逸る気持ちを抱えていると、その時間がが何倍にも感じられて、じれったくてしょうがなかった。

 やたらに引き延ばされたような時の中、ハンスがようやく革袋を手渡し、衛兵の男がそれを受け取った。

 そして、黒髪を空に躍らせながら――彼は振り返った。

「きたぁああああああぁおもがぁッ!!」

「ちょっ、だから、静かにしてって」

 必死にウルコがあたしの口を押えて黙らせようとしていたようだが、もうそんなことは本当にどうだっていい。

 あたしはハンスが、いや――ハンス様が振り向いた瞬間に、心を奪われていたのだ。

 まるで彼は絵物語から抜け出してきたかのような――それほどまでに、類を見ないほどの眉目秀麗な、正にあたしが想像してやまなかったような"王子様"そのものだった。

 脳内の理想図が服を着て歩いている、そんなハンス様があたしの運命の人だなんて……ああ、神様ありがとう!アンは幸せになります!

「んっ、ぶっ、ねえっ、痛っ…………いい加減にしてってば……!」

「え?なんか言った?でもごめんそれどころじゃないの。あたし今、超忙しい」

 興奮が限界突破していたことにより、あたしは無意識にウルコをバシバシと叩いていた。だけどそのことに気が付くことも、ましてや眉間に皺を寄せて抗議するウルコに気を払うことなど、到底出来るような心理状態ではなかった。脳が自動的にハンス様意外の情報を制限しているようだ。

 これ、もう告白っきゃないよね。

 今、あなたの運命の花嫁が参ります。待っていてください。

 先ほどの話を聞く限り、これから市中巡回に向かうというハンス様が、こちらへとやってきた。明かりに惹かれる蛾のようにあたしはふらふらと駆け寄って――

「待ちなさいっ」

 ――行こうとしたところを、全力でウルコに引き留められた挙句、さらに手の平と手の甲による往復ビンタを浴びせられた。

「痛ッ!何すんのよ!」

「あなた、いい加減落ち着きなさい。今行ってどうする気なの?」

 こいつ、何わかりきったこと聞いてるんだ?そう思いながらも、余計な足止めを食らいたくないあたしは素直に答える。

「そりゃここまで来たら告白一択に決まってんでしょーが」

「じゃあ、なんて言って告白する気?ひょっとして、「あたしがあなたの運命の相手です。付き合って下さい」なんて馬鹿げたこと言うつもりじゃないでしょうね?」

「う……」

 図星を突かれたあたしは言葉に詰まった。だけど一体、それの何が悪いというんだ。安直すぎるとか、そういうことでも言いたいのか?

 そんな思いさえも先回りして答えるかのように、ウルコは続ける。

「じゃあ、仮にあなたが初対面の人にそんなこと言われて、「あらそうですか。付き合いましょう」なんてなる?そんなの正気じゃないし、そんな簡単に許してしまうような人、私だったら信用できないわ。というか言われた時点で普通はドン引くわよ」

「た、確かにそうだけど……。じゃあさ、どうしろってのよ?あんた普段からこんなこと慣れっこだったら、円満な解決方法知ってるんでしょ?出し惜しみせず言いなさいよ」

 あたしが詰め寄るが、ウルコは動じることなくあたしの目を真っ直ぐに見据えた。

「いい?こういうのは、タイミングが重要なの。何の策もなしなんて猪突猛進すぎるわ。ここでボロを出さないためにも、まずは今日一日、ハンスを観察するのよ。その上で、一番ベストなタイミングを見つけなさい」

 こんな五つは下のがきんちょに恋愛指南されるとは思っても居なかったが、答えが的確なのが悔しい。あたしは黙って首を縦に振った。

「じゃあ、続けるわよ。それと、くれぐれも先走らないようにすることを肝に銘じておきなさい。あなたがこの先暴走してしまったら、彼の第一印象は「変な女」として一生覚えられてしまうからね。そんなことになったら、あなたの夢が遠ざかってしまうことになりかねないわよ」

「が、頑張る。……そうよ、あたしの魅力を十二分に理解してもらえる出会い方じゃなければダメよね!そう、恋の始まりは美しく、ロマンチックじゃなきゃ意味がないのよ!」

 あたしは拳を天に突き上げて、頭の中でバラ色の邂逅を思い描き、決意を新たにした。

 そして、心底呆れたようなウルコの視線と好奇の目で見てくる通行人には、あえて気が付かないふりをした。



 それはもう、正しく「絵に描いたよう」という言葉が相応しいような振る舞いだった。

「こんにちは、ハンスさん。見回りご苦労様」

「ああ、グレタさん。こんにちは。今日は爽やかで過ごしやすいですね」

 爽やかなのはあなたです、と言いたくなる気持ちを抑えながら、あたしとウルコは離れた場所からその光景を眺めていた。

 現在は市中見回りの真っ最中。

 ハンス様はただ歩いているだけなのに、その歩く姿さえも他の男達とは一線を画すような優雅さがあるように思える。一日中眺めていたって飽きない自信がある。

「あ」

(ん?)

 突然ハンス様が何かに気が付いたように走り出した。

 あたしとウルコは無言のまま顔を見合わせて、見失わないように追いかけた。

(どうしたんだろう)

(……あれね)

 ウルコの指差す先、ハンス様が目指している先に視線を向ける。するとそこには、膝をついている女性が居たのだ。

 彼女の周囲にはいくつかの果物が転がっており、困ったような顔をしていた。状況から考えて、転んだ拍子に荷物を落としたとか、そんなところだろう。

「大丈夫ですか?」

 そう。ハンス様は女性の危機を遠くからいち早く察知し、助けるべく駆け寄ったのだった。男の、いや、人間の鑑だ。

 地面に転がった果物を拾うと、服が汚れることも構わず膝をついて、果物についた砂埃を服で拭き取ってからてきぱきと女性の籠に戻してゆく。

(ほら、ウルコ、ちゃんと見てる!?今時あんなすんばらしい人間性の持ち主居る!?)

 あたしはこの興奮を共有すべく、そして何より自分の運命の相手の素晴らしさを理解させるべく、ウルコの肩を揺らしながら小声で伝えた。さすがにもう大声は出さないように自制はしている。

(そうね……)

 なんとも素っ気ない返事に、あたしは物足りなさを感じた。もっと褒め称えてくれればいいのに、すかしちゃってこのチビッ子は。

(あんたねえ、素直に思った通りのこと言ってごらん?そうすりゃ自然と賛美の言葉が出るはずだから)

(ほら、行くわよ)

 しかしウルコは質問には答えず、あたしを置いてさっさと行ってしまう。文句の一つも言ってやろうかとも思ったけど、追いかける方が先だった。

(ちょっと、あんたなんとか言いなさ……)

 飲食店街に差し掛かり、丁度文句を言おうとした矢先のことだった。

 ガチャン、という音に続いて、

「んだぁとぉ~ぅ?」

「うるっせぇヘボがよぉ。おめえの靴なんて履くくらいなら、裸足の方がよっぽどマシってもんよ」

 と、おっさん同士の罵り合いが聞こえてきた。どうやら二人とも、まだ日が高いにもかかわらず、べろんべろんに酔っぱらっているようだ。

 話を聞いた感じ、片方は靴職人のようだ。

(靴屋のリックさんとダヴィドさん。二人は別の靴屋でライバル同士だからか、よくああやってケンカしてるのよ)

(あ、そ。解説どーも。めーわくな話ねぇ……)

 あたしはもうウルコに何か言おうとしてたことも忘れて、酔っ払いの言い争いを眺めていた。

 するとそこに、ハンス様が颯爽と割って入った。

「ほらほら、お二人とも。お店にも通行人にも迷惑になりますから、ケンカを止めてください。また奥さんに怒られますよ」

「ん?あ、ああ……」

「ちっ……覚えとけよ~ぅ」

 二人はハンス様の仲裁によって気勢をそがれたようで、すごすごとお互いの店へと戻って行った。

 さすがハンス様、殺気立つ酔っ払いを物ともせずに平和的に解決するなんて……さすがだわ!

(………………)

 自分の中のハンス様への評価が青天井で歓喜に浸る一方、ウルコの表情は変わらないままだった。その意味に気が付くことになるのは、もう少し後のことだった。



 町中の建物の外壁からオレンジ色も失われ、窓から光が漏れ出す。もうすっかり夕方から夜へと移り変わっていた。

 あれからハンス様は、何度かの人助けと、一度のケンカの仲裁をしたものの、今は特にトラブルもなく人気のほとんどない路地を見回っていた。

(いやー、本当に立派な人ねぇ。理想的な好青年を体現しているお方だわ、うん)

 あたしは物陰で一人ごちた。まさかあんな人が運命の人なんて……こりゃあ他の女たちから羨望の眼差しを受けること間違いなしね。いや、まいったまいった。

(……今日はダメみたいね……)

(え?何か言った?)

 ウルコがぽつりと零した言葉の意味がわからなかったあたしは聞き返した。だけど、

(ううん、なんでもないわ)

 と濁されてしまった。

 なんとなくだが、この子はあたしに何か隠してる事があるんじゃないか……薄々そんな気がしていた。でもそれを問いただしたところで、そう簡単に答えるような子じゃないのは、今日一日付き合ってみてよくわかっている。

(ほら、ちゃんと追わないと見失うわよ)

(……うん)

 意識をウルコからハンス様に戻すと、彼は丁度曲がり角に差し掛かるところだった。

 ――が、いきなり後ろへとよろけて、

「あっ……!」

「ぁつっ!」

 そのまま尻餅をついてしまう。どうやら人とぶつかったらしい。

(ど、どうしよう。助けに行くべき?)

 今すぐ行って手を差し伸べたい気持ちと、もう少し観察するべきかという思いがせめぎあい、判断しかねてウルコに尋ねてしまった。

 ひょっとして、駆け寄って助けるのってかなり第一印象のいい出会い方なんじゃないかと思ったが、でもまだ第三者が居る以上ロマンスにはなりづらいか、という打算が働いた。

(転んだだけなら大丈夫だと思うけど……あっ)

 ウルコがいきなり小さく驚いたので視線の先を追うと、そこにはハンス様じゃない、ぶつかってしまった方の人が居た。

「あっ、すっ、すいません……」

 品がよさそうなおじさんだったが、いかんせん様子がおかしい。立ち上がろうとはせず、膝をついたまま地面をべたべたと叩いているのだ。

 いや、よくよく見ると叩いているのではない。何かを探しているのだ。どうやらおじさんは目が見えないらしい。

(そっか、杖を探してるのね)

 あたしは却ってほっとしていた。だったらあたしが何もせずとも、ハンス様が助けてくれるからだ。

 ところが、そこに想像通りの光景が広がることはなかった。

「………………」

 ハンス様は立ち上がるなり、尻餅をついた際の汚れをばたばたと払うと、慌てた様子のおじさんをただじっと見下ろしていた。

「あの、本当にすいません……」

 おじさんはまだ杖を見つけることが出来ていない。それはそうだ、ずっと前ばかり探しているが、杖はもっと後ろまで転がってしまっているのだ。

 離れたここからだって、杖の位置はわかる。だからハンス様にそれが見えていないわけがない。

 なのに、どうしたことだろう。おじさんに声をかけようともせず、手助けもせず、ただじっと見つめるだけだった。

(…………?)

 そしてあたしは、我が目を疑うことになる。

「…………ッ!!」

「ぐっあぁ!!」

(――えッ!?)

 おじさんの体が軽く浮き上がり、そのまま壁へと激突する。勢いよくぶつかったおじさんの口からは、嘔吐のような苦悶の声が漏れ出ていた。

 ――ハンス様が思いっきり、おじさんの横っ腹を蹴り上げたせいで。

 いや、でも、まさか……どうして?唐突な豹変に、状況を呑み込むことができない。

「ごほっ、ぁ、うぅ……」

 むせるおじさんを睨むように一瞥すると、ハンス様は小さく口の端を吊りあげ、夜が深まってゆく路地の向こうへと歩いて行ってしまった。

 あたしは、何が何だかわからなかった。衝撃的すぎるその行動の意味に、理解が追いつかなかったのだ。

 その間にウルコは蹲って苦しそうに咳き込むおじさんのところへと駆け寄ってゆく。

「おじさん、大丈夫?さ、ゆっくりと息を吸って……」

「うっ、ごほっ、がはっ……はぁ、はぁ……」

 段々と平静を取り戻すおじさんの背中をさするウルコは、苦虫をかみつぶしたように眉根を寄せていた。

 動揺はまだあったものの、それでもようやく体の自由を取り戻したあたしは、急いでウルコの元へと駆け寄った。

「ね、ねぇ、一体どういうことなの!?」

 答えを求めても、知るわけもないだろうけれど、あたしは口に出さずにはいられなかった。

 しかしウルコは意外にも、

「……ごめんなさいね。まさか私もここまでのことになるなんて思わなかったわ……。考えが甘かったわね……」

 と、わかったようなわからないような返事をよこした。

「急いでハンスを追うわよ」

 問い詰めるよりも先に言われてしまい、頭の回らないあたしは、ただ頷いて追いかけるしかできなかった。


 人気のない路地を進んでゆくと、緑と黒のストライプの後姿を暗がりに見つけた。衛兵服を着たその姿は、間違いなくハンス様だった。

「…………ッ……」

 しかし、どこか様子がおかしい。日中の穏やかな姿とは別人のように、どこかイライラとしているようだった。

 周囲をキョロキョロと見まわしたかと思うと、いきなり、

「お」

 と呟いて、にやりと笑った。

 先ほどの姿を見ている所為で、その笑顔からは嫌な予感しかなかった。……さっきまでは何をしても素敵だと思ったし、本当に人として尊敬できるような人だったのに。

 ハンス様の視線の先には――一匹の犬がいた。野良犬か、誰かの飼い犬かはわからないが、犬はハンス様を見つけるなりちょこちょこと近づいてきた。人に慣れている様子からして、このあたりで飼われているのだろう。

 だけど、犬が近づくにつれて、あたしの中の不安はより大きくなった。しかし同時に、まだ盲目のおじさんへしたことが本当に現実だったのか信じられない自分も居た。

「――おらぁッ!」

 しかし、それを裏付けるかのように、ハンス様は足を蹴り上げて――

「きゃうんっ!!」

 ――犬は路地を滑るようにころころと転がっていった。

「これで多少は……スッキリ、だな」

「ッ!!」

 その言葉がトドメとなった。

 やっぱり、おじさんを蹴飛ばしたのも、犬を蹴飛ばしたのも――悪い偶然や事故でもなければ、因縁があったわけでもなく――完全に悪意のある、わざとだったのだ。

 言葉通りスッキリとした様子で口笛を吹きながら、ハンスはまた歩いて行った。

「……普段、私たちが見ている姿なんて、たった一面でしかないの。どれだけ人の目があるところでは善人であっても、誰も見ていなければ、手を抜いたり、悪いことをしたりしてしまうものだわ」

 ウルコがぽつりと言った。

「だからって、アレは酷過ぎるわよ!目が見えないおじさんがぶつかってきたって、んなもんしょーがないじゃない!度量が小さいとかそんなの以前、人間のクズよ!」

 怒りに任せるように、あたしは言葉を紡いだ。

 なんだが、あんなに熱を上げて信じていた自分が、本当に馬鹿でマヌケに思え、見る目のなさに怒りが込み上げてきたのだ。

「そうね。私も酷いと思う」

「あんなクズだってわかってたら、いくらイケメンだって好きになるわけないのに……ああ、もうむかつく!!」

 あたしが地団太を踏んでいる間に、ウルコは犬を抱き起し、蹴られた腹をさする。犬は弱々しく、くぅんと鳴くばかりだ。だけど命に別状はなさそうで、少しほっとする。

「でも、みんなそうよ。私も、あなたも、あのハンスだって……みんな一つの面しか知らないし、それが全てだと信じてしまう。だからと言って、全てを疑ってしまうのも疲れてしまうし、一つ悪いことをしたからって、例えば昼間女の人を助けたことや、ケンカを止めたことまで否定してしまうのは間違いだわ。私たちにできることは、知っている面を正しく理解して、事実を評価することだけよ」

 ウルコは犬の顔を見つめながら、しかし遥か遠くを見据えるような目をしていた。

 この子の言うことはもっともだ。思惑はどうあれ、それが仕事だからにせよ――人助けをしたのは事実だ。

 だけど、それはそれ。いいことは評価してやろう。だけど悪事を働いたのに、それが裁かれないっていうんじゃ腹の虫がおさまらない。やっぱり騙された以上、ケジメはつけさせたいというのが本音だった。

「だったら、悪いことしたんならきっちり詫び入れさせないとダメよね?」

 犬のお腹をポンポンと優しく叩くと、ウルコはスクッと立ち上がり、

「そうね、その通りだわ」

 と頷いた。

「じゃあ追わなくちゃいけないけど……くそっ、もう結構先に行っちゃったか。走るわ――」

「私に任せて頂戴」

 そう言うとウルコは、すっかりただの荷物と化していたミシンを模したらしい奇妙な箒を持ち上げると、柄の先端を両手で握った。

「後ろに来て、私の肩に手を置いて」

「へ?何すんの」

「いいから早くして」

 急かされるまま、わけもわからずウルコの細い型に手を置く。ウルコはなぜか箒を足の間に通すように置いていた。

「飛んでいる間は、決して手を離さないでね。危ないから」

「飛ぶって、え、ちょおぉおおおお!?」

 ぶわっ、と体が浮かぶ初めての感覚と同時に、みるみる地面が遠ざかって行く。

「え、あんた、ちょ、何をしてんの!?」

 家の屋根が――何故か遥か足元にある。

「いいから黙って。あと落ちたくないから暴れないで」

 魔女は空を飛ぶ――いや、話に聞いたことはあったけど、こんなにあっさりと飛ぶもんだとは、夢にも思わなかった。

 前に軍人だか商人だかのクジラ船を一度だけ見たことがあるが……それでも、あたしみたいな一般人からしてみれば、人が空を飛ぶなんて非常識極まりない。

 つーか、とにかく怖い。地に足が着かないって、こんなにも不安なことなのか。

 そんな戸惑うあたしのことなんか気にせず、ウルコは箒を器用に操作して空を滑ってゆく。あたしのすぐお尻のあたり、箒の穂のあたりにあるミシンの針がカタカタと忙しなく動いているが、一体どういう仕組みなんだろう。

「居たわ……!」

「どこ!?」

「あそこ!」

 ウルコが指差した先、狭い路地の途中には――ハンスが居た。しかも何やら、胡散臭そうな男と一緒だ。

「少し下がるけど、静かにしていてね」

「う、うん」

 すぅ、っとゆっくり下がってゆき、途中で突然ぴたりと止まる。それは酷く不思議な、まるで空に縫い付けられたかのような妙な感じがして、どうにも落ち着かない。

 だけど、そんなあたしの状況より、眼下で繰り広げられている情景の方が重要だった。

「…………ろう……」

「……え、…………よ」

 遠すぎるのと、びゅうびゅうという風の音で詳しい内容はわからない。心なしか、地上よりも風が強い気がする。

 しかし言葉は聞こえなくても、やっていることは一目瞭然だった。

「今度は袖の下かよ……」

「あの男、多分違法な商人ね。……治安を守るはずの衛兵が賄賂でお目こぼしをしてしまうなんて、論外だわ」

 ハンスは金を受け取るなり、さっさとまたどこかへ向かおうとする。

「ひょっとして詰所に戻るのかしら」

 道を眺めながらウルコが言った。路地を目で辿ってゆくと、その先には確かに先ほどの詰所があった。どうやら町を一周して戻るところのようだ。

 あたしはあいつの所業に怒り心頭だった。のうのうとこのまま知らん顔して戻るなんて、させるつもりはない。

「降ろして!あいつをとっちめてやるんだから!」

「とっちめるって……どうするつもりなの?」

「詰所に着くと同時に、あいつの悪事を全部バラしてやるのよ!」

「でも、証拠がないわ」

「あたしとあんたって証人が居るじゃない!それにおじさんにあの違法商人だって!忘れたの?」

「知らぬ存ぜぬを貫き通されてしまえばそれまでよ。私とあなたは別として、おじさんは目が見えていないし、多分声もはっきりとは聞いていないわ。それをわかっていたからこそ、気晴らしに蹴飛ばすような狡猾な男よ。それに商人のことだってハンスがしらを切ってしまえば、衛兵たちは胡散臭い商人よりもハンスのことを信じるでしょうね」

 ウルコの反論に言葉が詰まる。

 今日一日見てきたが、ハンスは他人の目があるところではさも善人のように振る舞っていた。同僚からの信頼も厚いだろうということは容易に想像がつく。本性を表したのは、いつだって衆目がないところでだけだった。

「じゃあ……どうすればいいのよ!」

 苛立ちのあまり、あたしはウルコに感情をぶつけてしまった。そんなことをしても何の意味もないというのに。

「そうね、現行犯なら……」

「――――ぁッ!!」

 あまりにもいきなり、大声が聞こえた。それがハンスの声だと気が付くまで、たっぷり十秒はかかった。

 思わずあたしはウルコと見つめ合い、それから図ったように二人して路地を見下ろす。

「なんか……めっちゃ走ってるんだけど」

 走りながらもハンスは、何事かを叫んでいる。

 ハンスの行く先に居るのは……若い女だ。遠すぎて顔まではわからない。

「……あっ、いけないわ……!!」

「へ?なにがあぁわああぁあああぁッ!?」

 一体どうしたことか、ウルコは箒を加速させ、トンビが獲物を狙うかのように急降下した。想定外の行動の所為で、危うくあと一歩で落ちるところだった。

「何なにナニよぉっ!?」

「喋ると舌噛むわよ!」

 ぶつからないよう器用に路地に入り込むと、緩やかに地面が迫って来て、ハンスからまだ少し距離のあるところであたしとウルコは着地した。そしてそのままウルコは走り出してしまった。

「ねぇ、ちょっ、説明しろっ!!」

「話は後!」

 ウルコよりもあたしの方が背が高く、それに伴って足も長いため、あっという間に追い抜いてしまった。

 追い抜いてようやく、前方で何が起こっているのかがわかった。

 路地の奥、角のところにハンスが居たのだ。

「おい、てめぇ何逃げてるんだ……勝手に俺のとこからいなくなりやがって……」

「痛ッ!は、離して、よ……っ!!」

「おとなしくしろよッ!!」

 ハンスが若い女の腕をがっしりと掴んだまま詰め寄っている。よくわからないが、修羅場であるのは間違いない。

「あの、女の人、あいつの、彼女だった人よ……」

「え、マジ!?……って、なんであんたが、ンなこと知ってんのよ」

 肩で息をするウルコは呼吸を整えようと胸に手を当てながら、あたしの疑問に答える。

「さっき、縁切りの話、したでしょ?」

「ええ?あー、うん。聞いた聞いた」

「ついこの間、師匠が、彼女の縁切りをしたのよ。……ハンスの本性を知って、ね。でも、既にあの女の人に対する感慨は薄れているはずなのに、まだあんなに強い感情を持っているなんて……凄まじい執着心ね」

 ここまで聞いてあたしはようやく、今日一日のウルコの反応の意味がわかった。

 この子は――とっくにハンスのことを知っていたのだ。だから、どんだけ善人のように振る舞って、あたしがそれを絶賛したとしても、素直に褒めることをしなかったのだ。

 ん?ちょっと待って……ということはあたし、この子にかつがれたのか?

 なんかもう色々と言ってやりたくなったが――しかし、そんなことを言っていられる状況じゃなかった。

「――口答えしてんじゃねぇッ!!」

 どん、という鈍く嫌な音が響く。そして直後に、

「きゃぁあっ!!」

 という叫び声。

 あのクズ、逆上のあまり殴ったのだ。

 自分の中で怒りが弾けた。そしてあたしの体は、考えではなく感情によって、勝手に動いていた。

「――こんの外道があぁあぁッ!!」

「へぶぁあッ!?」

 ――体が勝手に、容赦のない飛び蹴りをハンスの背中にくらわせていた。不意打ちによってハンスは姿勢を崩し、その拍子に女を掴んでいた手が離れたのを見逃さなかった。

「あんた、早くこっち来て!」

「え?あ、うん!」

 戸惑いながらも女はハンスを突き飛ばし、あたしのすぐ後ろに隠れるように逃げ出した。

 で、ここに至ってあたしは困っていた。この先、どうするかを何も考えていなかったのだ。

 逃げても解決しないけど、逃げるくらいしかできそうにない。でもそうすると、こいつはきっとあることないこと吹き込んで、逆にあたしたちが犯罪者にでっちあげられてしまうだろう。

「てんめぇ……俺に何しやがったぁあぁ!?」

 悪意に満ちたとげのある声で、苦痛と怒気に顔を歪めながら、ハンスはあたしを睨んできた。

 そこにはもう、美しさや爽やかさは欠片もなかった。ただただ心根の醜悪さが露呈していたのだ。

「危ないわ!」

「やばっ……に、逃げぃたぁっ!?」

 あたしはウルコと助けた女と逃げようと、後ろを振り返って走り出そうとした。

 だが、ハンスに咄嗟に髪の毛を掴まれて、あたしだけ出遅れてしまった。

「逃がすかよぉ……俺に、こんな舐めた真似しやがって……」

「引っ……張んなぁ……」

 明らかにヤバい雰囲気のハンスからは、どう足掻いても逃げられそうにない。

 ウルコと女も、あたしとハンスを見たまま固まってしまっている。いいから逃げて、助け呼んできてくれっての。

 しかし……わざわざ助けを呼ぶ必要はなかった。

「――うらあああっ!!」

「ぐぅああぁッ!?」

 いきなりハンスが吹き飛んで、そのまま壁に体を強打する。

 わけがわからなかったが、痛みから解放されたのもあって、ざまあみろと思った。

「こんのクズ野郎!!」

 闖入者は、状況を呑み込めずさらに強打した痛みで動けないハンスを、容赦なく右、左、と間髪入れずに殴り続ける。

 で。あたしは、その殴っている男のことはよく知っていた。

 だけど、こんなに怒った姿は見たことがなく、本当に同一人物か?と疑ってしまいそうになった。

「せ……セイン!?」

 そう、それは紛れもなくセインだったのだ。こいつがハンスにタックルを喰らわせてくれたおかげで、あたしは助かったのだ。

 まあでも、もう今はセインにどうしてここに居るのかとか、そういうことを聞く気はなかった。

 まず真っ先にやらねばならないことがある。

「あたしも混ぜろ!」

 髪の毛を引っ張られた恨みと、ついでに今日一日の諸々の怒りを、あたしは蹴りに上乗せしてハンスにぶつけた。

「ぎゃぁッ!!だ、誰か助けてぇ」

「ちょっと、私にもやらせなさいよ!今まで散っ々人のこと弄びやがって!」

 さらに、元カノも一緒になってハンスを殴りつける。傍から見たら完全に陰惨な集団リンチの現場だ。

「……えっと、ちょっと衛兵を呼んでくるわね」

 ウルコはそそくさと路地を離れて、あっという間に表通りへと消えてしまった。

「ぶげっ、ぐわ、あ、だ、誰かぁあ」

 弱々しい悲鳴は、三人の暴力によって掻き消され、誰の耳にも届きはしなかった。



 ――それから五分もしないで、私が衛兵を連れてきた時。

 閑静な路地裏には、殺人事件の現場かと見紛うような、凄惨な光景が広がっていた。

 顔を真っ赤に腫らし、美しい顔はどこへ行ったのかと思うような、鼻血に塗れたハンスが泣きながら蹲っていたのだ。

 衛兵は迷わず三人を捕まえた――が、私と三人の必死の説明と、商人から受け取っていた賄賂、そして減刑を報酬に商人による証言が出そろったため、ハンスはあえなく逮捕となった。

 その後、三人と私はやりすぎについて厳重注意を受けたのは言うまでもない。



「――で?あんた、なんでこんなとこに居んのよ!?」

 衛兵連中によるお叱りを終えてから、あたしはようやくセインへ疑問をぶつけた。

「あー、その、なぁ」

 落ち着きなく目を泳がせながら、セインは言葉を探すような素振りをする。

 それから意を決したように溜息をつき、

「……心配だったんだよ、お前のことが」

 と告白した。

「……暇な奴」

 本当に、心配性と言うか、なんと言うか……。お節介もここまで来ると表彰もんだ。

「でも、ま、今回だけはあんたのお節介に感謝だわ。……癪だけど、助かった」

「ん。無事なら……それでいい」

 なんとなく、あたしとセインはそれっきり黙ってしまう。改めてこうやって向き合ってお礼を言ったりするのは、なんだか気恥ずかしい。

「ねぇ、二人とも」

「ん?……ああ、あんた。その顔、だいじょぶなの?」

 声をかけてきたのは、助けた元カノの子だった。ホント、女の命の顔を殴ったり、髪を引っ張ったりと、とんでもない奴だった。

 女は頬の痣をさすりながら気丈に笑う。

「これくらいならへーきよ。それよりさ、助けてくれてありがとね」

「あー、結果的に助けたってだけで、別にそれが目的ってわけでもなかったから。あんまり気にしなくていいよ」

「そうそう。それよりも、他に怪我してないですか?もし必要なら医者まで連れて行きますから」

 セインの見境のない過保護っぷりに、あたしは半ば呆れる。しかし女は口元に手を当てて、値踏みするようにセインを見つめる。

「んー、それは別にいーんだけど……。お兄さん、見かけによらずカッコイイとこあるんだ」

 意外なひと言に、セインだけでなく、あたしまで驚いて女を見つめてしまう。

「い、いや、別に人として当たり前のことしただけで、ただカッとなっただけって言うか、その……」

 しどろもどろになって弁解を始めるセインを見ていて、なぜかあたしはイラッとしてしまう。

「見る目ないんだよねー、あたしさ。いい男みっけたと思ったら、あんなサイテー野郎だったでしょ?……お兄さんみたいな人の方が、ホントはシアワセになれたりすんのかもなー」

「へ?な、なんすかいきなり……」

 女に迫られ慣れてないセインは、色気たっぷりな目で見つめられて当惑している。

 見かねたあたしは、助け船を出すことにした。

「……あんたねー、からかわれてるだけよ?それにさ、おねーさん。こいつ誰にだって甘いんだから、別におねーさんが特別ってわけでもないのよ」

「お前、助けてやったのにその言い草はひどくないか?」

「うっさい。デレッとしちゃってまぁみっともないッたらないっての」

「べ、別にデレッとなんてしてないだろ!?」

 他愛のない口げんかを聞いていた女は、最初はきょとんとしていたが、すぐにプッと吹き出して笑った。

「ごめんごめん、じょーだんよじょーだん。……お兄さんにはさ、あたしみたいなんじゃなくて、もっといい子がいるもんねー?」

 言いながら、女はあたしの方にチラリと視線を送ってきた。なんか、含みがある言い方にムカついた。

「……何が言いたいのよ」

「ま、とにかく今度、お礼くらいさせてよね。お酒でもおごるから。大通りの酒場で働いてるから、いつでも来てねー」

 ケラケラと明るく笑いながら女は去って行った。

 後にはあたしとセイン、そしてさっきから一言も言わずに離れた場所で立っているウルコだけが残された。

 会話が終わったタイミングを見計らったのか、ウルコが近づいて来て声をかけてきた。

「お疲れ様」

「ん、あんたもお疲れ。それにしても、まいったなー、あんなのがあたしの王子様なんて。……ね、今から運命の人って変えられないの?」

「ああ、それだったら安心して頂戴。……いや違うわね。私、あなたに謝らなければならないことがあるの」

 いきなりウルコはぺこりと頭を下げて「ごめんなさい」と言ってきた。

 あたしはセインと顔を見合わせて、何に謝ってるのかわからないために対処に困った。

「実はね、ハンスが運命の相手だっていうのは嘘だったの」

「う、嘘ぉ?」

 その言葉に軽く驚くと同時に……なんとなく、そうなんじゃないかという気がしていたから、今更怒りが湧くことはなかった。

「さっきも言ったけれど、縁切りの時に私はハンスのことを知っていたの。もちろん、どんな人間かということをね。それで、あなたから話を持ちかけられた時に、ふと思ったの。「ああ、きっとハンスみたいな人が好みなんじゃないかしら。きっと紹介したら、好きになってしまうんじゃないかしら」って」

「う……」

 丸っきり図星で、あたしはちょっと恥ずかしくなった。初対面の相手にこうも見透かされていたとは……あたしももうちょっと自分の見る目とか趣味について考えなくちゃなぁ。

「本当の運命の相手は、やっぱり自分自身で出会い、見つけることが重要なの。……私の仕事なのにこういうことを言ってしまうのは問題なのかもしれないけれど……魔法には頼らないで、自分の目を信じてほしいのよ。だからあなたの目を覚まさせるために、勝手にハンスを選んでしまったのだけれど……まさか、こんな大事になるとは思いもしなかったわ。私の見通しが甘かったせいで危ない目に合わせてしまって……本当に、ごめんなさい」

 再びウルコは深々と頭を下げた。

「お、お前、そんなことのために仕事サボってまで来たのかよ……。ほら、ウルコちゃんも頭上げて。君は何にも間違ってないから。こいつが馬鹿だっただけだし」

 セインが心底呆れたように肩を落とした。

「ふーんだ。……あたしには、重要なことだったのよ。でもまあ、今はもう、今朝までの考えとは違っちゃうかな」

 当初の目的からすれば、完全に無駄足だったのだ。そのはずなのにあたしは、ちっとも怒ったり、嫌な気分になったりしていなかった。

 まさかあたしがこんな子供から教えられることがあるなんて……でも、言ってることはその通りなことばかりだった。

 何よりも、全ては自分の見る目のなさが問題だった。顔を見ていい男だと思って、全部が全部鵜呑みにして……その結果、勝手に失望した。つくづく身勝手な話だ。勝手に期待しただけの話なのに。

「あんたの言う通り、これからは自分で努力して探してみるわ。……あ、忘れるところだった」

 あたしは腰から下げた袋を探り、財布を取り出す。そこから数枚の銀貨を取り出して、ウルコに差し出した。

「これで足りる?」

 しかしウルコは、

「受け取れないわ。だって、あなたを騙していたんだもの」

 と言って拒否してしまった。つくづく、真面目なやつだ。

 だけどここで引き下がっては女がすたる。あたしは無理矢理ウルコの手を取って銀貨を握らせる。

「いいから。今日一日の迷惑料ってことで」

「でも……」

 まだ渋るウルコに、セインも笑って言った。

「いーから受け取っときなよ。こいつが気前よく払うことなんて、滅多にないからさ」

「うっさい!」

 小さく溜息をついてから、ウルコは小さく笑って受け取った。……この子が笑ったところを見たのは、初めてかもしれない。

「……それじゃ、代金分のサービス」

「え?」

 ウルコはそう言うと手招きした。あたしはなんだろうと思いながらも、ウルコに耳を近づけた。

(運命の人っていうのはね、案外近くに居るものよ)

 こしょこしょとウルコは、そんなことを耳打ちしてきた。

「何それ?」

 あたしは意味が分からず思わず笑ってしまう。まあでも、この小さな魔女の言うことを信じてやることにしよう。

 空を見上げた。するともう、星が空一面を埋め尽くしていた。すっかり夜だ。

「あーあ、もうこんな時間になっちゃったか。今から帰るには遅いし……ねえ、今日はこっち泊まってかない?」

「んー、まあ……仕方ないか。じゃあ晩飯は、さっきの人のとこ行くか」

「そうじゃん、タダメシ食えるなんてラッキー!……んじゃ、またね。なんか悩み事でもあったら、あんたんとこ寄らせてもらうわ」

 あたしは言いながら、ウルコに手を振った。

「なら当分会えない方がいいということになるわね」

 ウルコも小さく手を振った。

 なんだか、妙に長い一日だったな。賑わう夜の町へと、あたしはセインと一緒に歩き出した。


「……思いがけないくらい、近くに居るものよ」

 私は人ごみの中に紛れて消えて行く二人に手を振りながら、呟いた。

 いつか、きっとさほど遠くない未来。

 二人を結ぶのは赤い糸ではなく、手と手になるだろう――そんな未来を夢見ながら、私は踵を返して家路についた。

 そろそろお母さんが心配のあまり泣いている頃かな、と思うと、ちょっと気が重くなった。


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