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アイラブ桐生 第二部・第二章 20~22

作者: 落合順平

アイラブ桐生 第二部・第二章 

(20)  さらば東京(前)

   『さよならはダンスの後で』


 

 沖縄行き送迎会の当日になりました。


 元全共闘の兄を持つ美恵子の、全青連(全国青年団連合会)による

沖縄派遣参加が正式に決まりました。

沖縄の本土復帰を願って長年にわたって取り組まれてきた活動のひとつです。

本土と沖縄の青年たちの交流を主な目的としています。



 現地集合で現地解散と言う、大胆なスケジュールです。

ちょうど一年ぶりに帰郷をするという優子が、美恵子に同行することになりました。

話をきいているうちに、(もともと私も、沖縄には興味を持っていたために)

『俺も行こうか』となにげなく発言をした瞬間に、

もう美女二人から、熱い視線で大歓迎をされてしまいました。


 ちらりと横目で見たときに・・・・

なぜか不満顔をしている百合絵に気がつきましたが、私にしてみれば

軍資金も溜まってきたことでもあり、そろそろ行動開始の時期と決めていたので

それほど気にしないことにしました。

早速パスポートの手続きを取り、それからは沖縄行きの準備が

あわただしく始まりました。

といっても荷物がそれほどある訳ではなく、若干の気持ちの整理と言うか、

『心の準備だけ』のたわいもないレベルです。



 

 場所は、お下げのお店でいつもの3畳の小上がりです。



 最初に顔をだしてくれたのは、半年あまりにわたってお世話になった、

青柳インテリァのひげ社長と奥さんの二人でした。

生まれたばかりの赤ちゃんは、奥さんの母親が自宅で面倒を見てくれています。

乳幼児用の保育の施設が見つかるまでは、泊りこんだままで

世話を焼いてくるという話を聴きました。



 「嫁が二人もいるようで、このまま(保育園が)見つからないほうが俺には助かる!」 

 とひげの社長は大笑いをしています。


 「いい旅をしてきてね」

 早くも涙ぐんでいる奥さんからは、餞別と一緒に花束までもらいました。

入れ替わるようして、守が舞台衣装のままでやってきて来ました。



 「お前には、すっかりと世話になったなぁ」とだけ繰り返します。

「達者でやれよ、まあ・・・・お前なら日本のどこに行っても大丈夫だ!」と、

激励だか失言だか解らないスピーチを繰り返します。

頃愛を見計るように、やおらビールを継ぎ足して京子に投げキッスをしてから

じゃあなともう一度手を振り、あっさりと消えていってしまいます。


 「ごめんね~。 最近すこし忙しいの・・

 せっかくの旅立ちだというのに、愛想が無くてごめんなさい。」 


 京子がカウンターから首を伸ばして、代わりに謝ってくれています。




 沖縄出身の優子と

全共闘の妹、美恵子がほろ酔い加減でやってきました。

学内で送別会を『ハシゴ』してきたそうです。

さらに日が暮れてから、茨城くんがいつもの一張羅の背広姿でやってきました。

さっちゃんが涼しい顔で登場したのは、それからさらに10分も経ってからです。



 「まだ、焦らしているの」


 ・・・・と小声でさっちゃんに聞けば・・


 「あわてる乞食はもらいが少ないから、

 簡単に落ちたら駄目と、百合絵さんからはきつく言われています。

 女の値段が下がるから、ここはもう少し様子を見なさいって

 みんなからも、クギもさされています・・・・」


 (じゃあまだ、当分の間は、おあずけか・・・・大変だ茨城くんも)

 (そう思うでしょ、私も少しだけ可哀そうかなと思うけど・・・

 でも、惚れるよりは、惚れさせたほうが勝ちだって。)




 なるほど、と笑いをこらえながらさっちゃんの耳打ち話を聴いている時でした。

「私の男を取るな!」と百合絵が現れました。

雑誌を小脇に抱えたまま、花束などを振りまわしながらの乱入です。

こちらはもう、完璧ともいえる酔っ払い状態でした。

もどかしく靴を脱ぎ捨てて、やっとの様子で小上がりに這い上がり、

無造作に『餞別ッ。』といいながら、テーブルの上へ

赤いリボンのついた雑誌を投げ出しました。



 「手こずった。

 神田の古本街を、さんざん探してみたけど見つからなかったので、

 しかたがないから、全共闘あがりを酔い潰して、

 そいつのところから、この貴重な一冊を失敬してきた。

 美恵子。後で謝っておいて頂戴ね、

 この本の持ち主で、全共闘くずれのあんたの兄貴に・・」



 それだけ言うと花束を胸にかかえこんだまま、、 

私の肩にもたれかかって、あっさりと眠り込んでしまいました。

投げ出されたのは、全共闘の学生たちの愛読書ともいわれた、

かつての月刊誌・ガロでした。

それも「つげ義春」と「永島慎二」のふたりの作家が同時に掲載されているという、

きわめて数のすくない貴重な一冊です。

あれこいつ? いつのまに俺の好きな作家を覚えたんだろう・・・



 やがて、午後8時を過ぎた頃に散会になりました。

優子と美恵子とは明日の夕方に、また東京駅のホームで再会をします。

さっちゃんと茨城は、例によっていつもの言い訳を残しながら、

仲良く肩を並べて、夜の街に消えていきました。

ようやく目をさました百合絵は、私の肩にもたれたまま、

それぞれに小さく手をふるだけで、また眠そうに目を閉じました。




 「踊りに、行きたいなぁ・・・」


 しばらく経ってから、ぽつんと百合絵がささやきました。


 かまわないが何処がいいと聞くと、同級生の歌が聴きたいと応えます。

距離があるので、すこし歩くけど大丈夫かいと聞きなおすと、

酔いざましだ・・・とふらりと立ち上がり、上がり口で自分の靴を探しています。

本人が言っている以上に千鳥足です。

めずらしく酔いすぎている百合絵に肩を貸しながら、

ゆっくりと、例の古ぼけた路地裏を目指して歩き始めました。





 今日は平日の早い時間のためか、お店はまだすいていました。

前回に来た時には気がつきませんでしたが、、ステージの斜め向かい側に、

テラス風の小さな中二階が見えました。

バンドと音合わせしていた守が振り返りました。

まだふら付いている百合絵の様子を見ると、守がだまってその中二階を指さします。



 階段を上がっていくと、ソファと小さなテーブルが置いてあるだけの、

静かな暗闇の空間が待っていました。

そこからホールを見おろしてみると、小じんまりとしたここの空間だけが、

誰にも邪魔されない秘密空間のような雰囲気を持っていることに、

初めて気がつきました。



 守がウイスキーのボトルとグラスを持ってきて上がってきました。

ここは特別席で、俺専用の秘密の花園だと言って笑います。

1杯だけ水割りを作り、それを一口にあおってから、

じゃあ出番だからと去っていきました。



 百合絵はグラスを持ったまま、

また、私の肩にもたれてまどろみはじめました。

バンドの演奏が始まりました。

ドラムにバンドネオンとピアノ、サックスにギターという

かなり見た目にもシンプルで、かき集めにすぎないようにも見える楽団です。



 しかし、音は悪くありません。


 丁寧な音の取り方と、使い込んだと思われる楽器の響きには

長年これだけで食ってきた男たち特有の『魂』を感じさせてくれます。

稼ぎが少なくなった演奏家たちが、生き残りのためにこんな場末に来てまでも、

まだ、しっかりと誇りを持って演奏に専念している・・

そんな意気込みを充分に感じさせてくれる、見事な楽器と音の競演です。



 薄暗いホールで踊るカップルの数が増えてきました。

守の歌も悪くありません

歌声自体もまた、楽器のひとつだと思わせるほど、

伴奏と息をあわせながら、きれいに調和させていく歌い方には

とてもここちのよい響きがありました。





 「踊ろう。」

肩に手を置いて、百合絵が立ち上がりました。

「大丈夫なの?」と声をかけると


 「東京で、最後の夜だもの。

 どうせもう、あんたは此処に帰ってこないでしょう。

 このまま別れてしまったら、私の心が明日になったら悲鳴を上げる・・・

 踊ろう、群馬。」


 階段から振り返った百合絵の顔は、暗闇の中でもまっ白に見えました。



 『帰ってこないでしょう』と、そう言われた瞬間に、

たぶん、それだけは事実になると自分でも確信をしました。

最初から、バイトしながら南を目指す旅でした。

その旅の中から、中途半端になってしまっている自分の夢を

探しだすつもりでいるのです。

東京はそのためのただの出発点で、戻ってくるべき理由は

なにひとつないと言うのが本音です。


 最初の旅の目的地は、

72年に施政権返還が決まった占領地の沖縄です。

そう決めた瞬間からは、すでに東京は『通過するだけ』の過去の街になりました。

百合絵のよくくびれている腰に、先日教えられたようにように手を回します。

「今日は、そこじゃない。」、百合絵の細くしなやかな指が伸びて来て、

そのままチークダンスの時のように、自分の肩に導びきます。



 「前と、違うよ。」とささやけば・・・


 「そう?。

 ならいいのよ、私が嫌いならもっと離れて頂戴。

 でもそれは、もしも、今度会えた時のためにだけ大事にとっておいてください。

 お願いだから今夜だけは、私のわがままを聴いて。

 今夜は、こうして貴方と、密着をしていたいの。

 ・・・迷惑?。」



 耳もとで百合絵が甘えた声でささやきました。

なんにも答えずに、あえて押し黙ったまま、百合絵と繋がれていた左手を離すと

そのままくびれた腰を引き寄せて、あえて指先にも強い力をこめました。

口ほどにもなく、百合絵の背筋はピクリと拒絶するような反応を見せました。

頬を染めた百合絵は、躊躇と共にその目線も伏せてしまいます。


 やがて意を決したのか・・・

私の腰にまわしていた両腕を一度に解き離すと、

あげた目線と一緒に、首へ抱きつくように両手をまわしこみ、

頬が触れ合うところまで百合絵の顔が近づいてきました。




 その曲が終わったその直後に、

ステージに歩み寄った女性が、何やら守に言葉をかけています。

曲のリクエストでした。

守が後ろを振り返り、バンドに指示を出します。

今度は一転して静かな旋律が流れ始めました。

りクエストに応えてホールに流れ始めた歌声は、少し古い時代の歌謡曲です。



 「私も、リクエストしょうかな・・」


 顔をうずめたまま静かに寄り添っていた百合絵が、胸の中でつぶやきました。

くるりとターンをした後、その曲が丁度終りになりました。

「頼めば、」と、そう言った瞬間には、もうすでに

百合絵が片手をあげていました。



 歌いながら二人の踊る姿を目で追いかけていた守が、

すかさずの反応をみせます。


 「はい。

 そこのチャーミングなお嬢さん。

 よろこんで、次の曲へのリクエストを頂戴いたします。

 明日は旅立つ人へ、変わらぬ気持ちこの1曲にをこめて・・・

 大好きな人へ、今夜の記念と思い出のために、

 今夜は私が、あなたの気持を代弁いたしましょう!

 さァさぁお嬢さん、リクエストをどうぞ!」



 頬を上気させた百合絵が舞台に駆け寄りました。

手招きして守を呼び寄せ、、中腰になった耳へ何かをささやきます。

嬉しそうに顔あげ身体をおこした守がバンドを振りむくと、軽快に指を鳴らし始めます。

すこしアップテンポの曲でした。


 賠償千恵子だ。


『さようならはダンスの後で』・・・

ホール内に軽いどよめきが広がりました。

しかし守の歌声が響き始めるころには、

もうあちこちで軽快なステップが踏まれるようななりました。

今までスローな曲ばかり流れていた床に、軽快な靴音がひびきはじめます。


 すこし長めの余韻をひいて、最後の旋律が響く中、

踊り終えたカップルからの拍手が、ホールのあちこちから湧きあがりました。


 汗ばんで踊り終えた百合絵が、瞳をキラキラさせながら指を一本立てました。

隣に並んでいたカップルも、同じように指を一本立てました。

そのとなりの中高年は、もっと大きく、

両手を広げ指を天井に向かって一本を突きたてました。

守も片目をつぶり、にっこりと笑うと、

指を一本、百合絵に向かって突き立てました。


 ワンスモァだ。!


 嬉しそうな百合絵が、また一目散に私の胸に飛び込んできました。

隣もその隣も、またその隣も、そんな百合絵に優しい頬笑みをプレゼントしてから

ぐるりと、二人が踊るための空間を開けてくれました。

耳慣れた、たった今聞いたばかりのイントロが、

また軽快な靴音と共に、ホールいっぱいに響き始めました。


 眠れない夜になりそうです・・・















アイラブ桐生 第二部・第二章

(21)ブルートレイン「富士」号(前)

 『発車と別れのベル』




 簡単な身の回り品だけを詰め込んだボストンバッグだけを持って、

百合絵と一緒に東京駅に着いたのは、午後5時半をすこし回ったばかりです。


 「送る主役は、決してあんたじゃないのよ。

 美恵子と優子を見送ってあげるのが、今日の私の主な仕事です。

 二度と帰ってこないあんたなんか、ついでのついでで・・

 まったくもっての、おまけだもの」


 百合絵は、アパートを出た時から

そんなことばかりを(一人ごとのように)つぶやいていました。

山の手線に乗り換えてからは、ひと駅停まるたびに目的の東京駅が近づきます。

そのたびに百合絵は、不機嫌ぶりをますます露骨に見せ始めます。

東京駅に着き、寝台特急のプラットホームへすすむ階段の下へ到着したところで、

我慢ができずに、ついに百合絵が立ち止まってしまいました。



 右腕を、強い力でつかまれました。

そのまま身体を預けてきた百合絵に、身体ごと強く押され、あっというまに

二人はもつれあったまま、通路の壁に張り付いてしまいました。

「5分だけ、こうしてても良い・・・・」

私の胸に頭をうずめた百合絵は、そのまま動かなくなってしまいます。

ようやくこちらも体勢を立て直し、正面から百合絵を受け止める形が整いました。

背中へ両腕をまわして、しっかり抱きとめる体勢になると、

ほっとした百合絵が、全身の力を抜きはじめます。


 多くの人たちの目線を感じながらも、百合絵の温かい吐息を

胸にしっかりと受け止めて、時間と人びとの流れをやりすごしました。

「あリがとう群馬。もう行こうか、美恵子や優子が心配して待ってるから。」

ようやく気が済んだのか・・・・それから10分ほど経ってから、

百合絵が自分に言い聞かせるようにつぶやき、ゆっくりと身体を離しました。





 美恵子と優子はすでに、ホームで待機中していました。

寝台特急「富士」号の東京駅出発は、30分後に迫った、18時40分です。

九州の東海岸線を南下する日豊線経由で、終着の西鹿児島駅への到着は、

翌日の19時35分です。

総延長1574㎞を24時間以上もかけて走る、日本最長の寝台列車です。




 「ねぇ・・・・遅かったじゃぁない? 」優子は百合絵にすり寄ります。


 「え?まだ30分も前でしょう。時間はたっぷりあるはず・・だけど」


 「またぁ、とぼけて・・」 


 百合絵のまわりを一周しながら、「なんか別人の匂いがする・・」。


 見かねて、優子がやってきました。


 「いじめない、いじめない。

 群馬は極めて神士だもの、やましいことなんかしないわよ。

 すこしだけ、二人でお別れを惜しんだだけのことなのよ、

 たぶん。ねぇ・・・・百合絵 」


 「まぁ、そんなところかなぁ」



 百合絵はもう、それほど動じません。

寝台特急の「富士」号が雄姿を見せて、ホームへ入線をしてきました。

待ちかまえていた人々で、ホームが瞬時にざわつきます。

乗車券片手に荷物を持った人たちがそれぞれに立ち上がります。

多くの視線がやがて乗客となる富士号の、きわめてゆっくりとした

その停車の様子を、固唾を呑んで見守り続けます。




 私たちが予約したB寝台は3段ベッド仕様です。

一番下のベッドが座席替わりとなり、これを3人掛けで使用します。

中段のベッドは座った頭の位置で畳み込まれていました。

このまま就寝時間までは邪魔にならないように、

上手に収納をされています。


 とりあえず座席の下に荷物を置いて、

再び、百合絵が立ちつくしているホームへ舞い戻りました。


 「これでもう、ほんとに、お別れね 」


 うついたままの百合絵の目は、もうすでに涙ぐんでいました。

正直、もう東京に戻るつもりはありません

自分の身体のどこかで、すでに拒絶反応も出ています。

やはり私も、都会では暮らせないという人間の一人のようです。

人一倍、さびしがり屋のくせに、どこかで人見知りするところもあります。



 「大都会で暮らすためには、私の神経のどこかを麻痺させる必要がある。

 全部それこそ感度を良くしたままにしていたら、とても私がもたないもの。

 ここは、いつだって自己防衛で四苦八苦をする町だもの、

 緊張の毎日ばかりで、私の心が、もう持たないわ・・・・

 大学が終わったら、やっぱり暮らし慣れた、田舎へ帰る」



 昨夜、しんみりと語っていた百合絵の言葉です。

いつのまにか、私たちはぴったりと身体を寄り添い合っていました。

ガラス越しに此方を振り返った優子が小さく手を振ると、また背中を見せ、

荷物の整理をするそぶりなどを見せてくれています。


 「どこで暮らして生きていくかなんて、そんなことは誰にも分からない。

 それを見つけるために旅に出てきた。

 しかし、いまだに自分の本当の居場所が見えてこない。

 百合絵くらいに、絵を描く才能があれば別だけど、

 余り才能が無いもんなぁ・・・・俺には」


 思わず、本音がこぼれます。


 「うん、あんたはデッサンが、本当に下手だもの。

 でも、あたしよりもましなものを、いくつもいっぱいもっている。

 あたしは、ちっちゃいころから画を書くことだけが好きな少女だった。

 いつまでたってもろくな友達もできなかった。

 中学も高校も、もしかしたら大学までも、

 一人ぽっちのままかもしれないって、そう覚悟もしてきたの。

 幸いなことに、今は優子や美恵子がいるけどね

 それに・・・・・・」




 と言いかけたところで、百合絵が後の言葉をのみこみました。

列車の窓際に居る優子と美恵子の視線をさけるようにして、

くるりと背中を向けました。

柱の影に回り込んだ百合絵が、小さな声でつぶやきます。



 「たったの半年だったけど、

 私はあんたと知り合えて楽しかった。

 画にのめりこむことも大好きだけど、

 人を好きになるのは、

 もっと素晴らしいことだっていうことが心底分かりました。

 感謝しています。

 へたくそなあんたの絵だけど、あんたの絵にはわたしに無いのものがある。

 あんたはいつでも、どんな時でもみんなの中に溶け込んでいるし、

 私の中にも入ってきた。

 私は生まれて初めてそういう人と出会ったの。

 大学の勉強が終わったら、私は胸を張って田舎へ帰ります。

 いい恋してきたぞ~

 片思いだったけど、とってもいい恋をしてきたぞ~って・・・

 胸を張って、自信を持って田舎に帰ります。

 次に好きになる人のために、

 百合絵は、もっといい女に生まれ変わります。

 ・・・・あんたに誓う。

 優しい気持ちを私にありがとう。

 この宝物を抱いて、百合絵は絶対に、

 いい女に生まれ変わってみせるから・・・・」



 ありがとう・・

そう言いいながら百合絵が、ついに私の胸の中で本気で泣き始めてしまいました。

ベルが鳴るまで・・・・ベルが鳴るまでといいながら。



 言うべき言葉はなにも見つからず、

私は、由梨絵の細い肩だけをしっかりと抱きしめました。

やがて発車のベルが鳴り響き、人影がすっかりと消えてしまったホームで

私は、百合絵の温かくてとても柔らかいその唇に触れていました。








(22)第2章 ブルートレイン「富士」(中)

 『百合絵の秘密』


 列車内では進行方向に向かって、沖縄行きの3人が横に並んで座りました。

向かい合った座席には、10代と思われるすこぶる若いカップルがいます。

ただしこのカップルはひと時も座席にはいません。

つねに所在は不明で、列車内を歩き回っています。

荷物を座席の上に乱暴に放置をしたままで時々、談話室や通路などで

窓ガラスに背をつけて、立ち話を続けているのを見かけました。



 寝台列車といっても、就寝時間以外は

一般の対座式の車両と同じようにように座席がセットされています。

そのために通常列車のように、座ったままで時間を過ごすことができます。

中段とななる2段目は、折りたたまれて頭の上に収納されています。

最下段のベッドが、座席代わりになります。

背もたれ部分にも充分なクッションが有り、座席自体にも

通常よりもやわらかめのと思えるほどの、快適な座り心地があります。


 枕やハンガーなどの余計な付属品などの姿が見えなければ、

誰も寝台車とは思わないほど、ごく通常の座席と言える光景です。

沖縄出身の優子は、寝台車には乗りなれていました。



 「ブルートレインなんて、呼び方自体は格好いいけれど、

 2、3度も乗れば、国鉄ファンならいざしらず、すぐに飽きてしまいます。

 走っても、走っても、どこまで走っても

 飽きるほど走っても、結局、丸一日以上も同じ列車の中だもの・・

 同席した相手が、感じの悪い人だったりするともう、それだけで最悪だわ。

 たったこれしかない空間に最大、大人が6人も詰め込まれるのよ。

 それこそ、逃げ場がないじゃないの。

 そりゃあ、群馬みたいに、

 とにかく、女性にも優しい男ばっかりならいいけど、

 中には最悪なのもいるからね~」



 「わからないわよ、群馬だって。

 男はオオカミ、って言うもの。

 とりあえずは優しくしておいて、油断をさせる、

 すっかり安心をしたところで、突然パクリと食べちゃったりしてさ。

 赤ずきんちゃんのオオカミみたいに」


 「ごめんだね。君たちとでは」


 「悪かったわね!

 百合絵みたいなのが群馬のタイプでしょ。

 勝てないもんねぇ、百合絵には。

 スタイルはいいし、画はとにかくすこぶる上手いし・・

 なんで今まで、まったく彼氏を作らなかったのだろう、百合絵は?」


 「知らないの、優子。

 有名な話だわよ、

 百合絵は、折り紙つきの男性恐怖症なんだって。」



 

 そんな話はまったくの初耳です。

えっとおもわず、こちらも聞きなおしてしまいました。

なんだ知らなかったの、と、恵美子が私の顔をのぞき込んできます。

優子も興味深そうに、恵美子を口元を見つめています。


 「なんでも、中学生になりたての頃に

 男性が嫌いになるような、とってもいやな体験をしたんだって。

 詳しい事は言わなかったけれど、

 田舎でも、ずいぶんと評判になった事件だというから

 それ相当の体験だとは思うの。

 いずれにしても、その突然の出来事がきっかけで、

 それ以来、男性不審というか、

 男を見るだけで、拒否症状が出るって言ってたわ。」



 「男性拒否症か。

 それに似た話なら、私も百合絵から聞いたことがある。

 確かに、それ以上の詳しいことは言わなかったけど、

 男性を受け付けない身体になっちゃったと、笑って話してくれたことが有る。

 あの美貌とスタイルなのに、なんでそんな皮肉なことになるんだろうと、

 思わず感じたことが有る。

 綺麗過ぎるというだけで、女には思わぬ落とし穴が待っているかもしれないわね。

 とにかく頭はいいし、画もうまいし・・非の打ちどころが無いと思うのに、

 なんでよりによってに、男性不信なんだろうねぇ。

 もったいない話だわよ」


 「最近の百合絵を見ていて、

 群馬とは、うまくいくような気配がしていたんだけど・・・・

 あんた。百合絵をいじめなかったでしょうね!」




 すかさず、優子も切りこんできました。




 「そうよねぇ。

 ほとんでスッピンのまんまだった百合絵が、突然お化粧をしはじめたし、

 ジーンズとTシャツが専門だった服装も、気が付いたら

 ちょこちょこと、小綺麗にお洒落まで始めるんだもの、びっくりしたわ。

 スッピンでさえ私たちと同等なのに、

 お化粧までされたら、まるで別人でしょ。勝てないわよ・・・・

 男なんか受け付けない体質だったはずなのに、

 いつのまにか平気で、男とつき合えるように百合絵が変ったんだって、

 恵美子と二人で、びっくりもしたし、また喜んでもいたのに。

 あんたさぁ、本当に悪さをしていないでしょうね?」



 なにやら妙な雲行きになってきました・・・・

これ以上のコメントは避けて、煙草が吸いたくなってきたからと

あわてて立ち上がりました。

いぶかる二人を残したまま、逃げるように通路へ出ました。

大きな窓に寄り添うと、煙草に火を付け思い切り深く煙を吸いこみました。

(やれやれ危ないところだ、まったくもって危機一髪だ・・・)




 それにしても、

あらためて百合絵との一部始終が甦ってきました。

優子や恵美子の話を総合すれば、なんとなく頷けるような場面と、

いくつかの百合絵の躊躇の様子が思い出されてきました。



 発車間際の告白は、精いっぱいの百合絵の本音でした。

しかしもうその百合絵とは、二度と再び会えないだろう、とも思えます。

百合絵の哀しそうだった昨日と今日の眼差しが、陽が落ちた景色の彼方に、

なぜか鮮明に浮かび上がってきました。

(きっとこんな気分のことを、人は感傷と呼ぶんだろうな・・・・)



 発車して2時間もたったころに、車内アナウンスが流れます。

やがて二人の係員が車両に姿を見せて、

手際良く、寝台列車への模様変えをはじました。

追いだされた私たちは、通路側の大きな窓へ背中を押しつけたまま横に並びます。

係員が3段ベッドの寝台特急へ作り替えていく、手際のよい作業の様子を

ただ、ぼんやりと眺めていました。



 さっきまで座って談笑していた場所が、最下段のベッドに変わります。

頭の位置にあったソファを手前側に引き落とすと、

軽く揺れた後、中段となる二段目のベッドがあらわれました。

立ちあがった頭の位置よりも、はるか上方の位置にある最上段は、

列車の構造物として、最初から設置がされています。

昇降用の梯子が、取り付けられます。

ひと枠ごとにそれぞれのカーテンが張りめぐらされると、

寝台特急のB寝台、3段ベッドが完成をします。




 時間を見計らったように若いカップルが戻ってきました。

中段のベッドへ、荷物のすべてを乱暴に投げ込んでいます。

どうするつもりだろうと興味を持って眺めていると、一番下のベッドへ

女性がまず、最初に潜り込みました。

やがてパジャマに着替えた男性も、するりと滑り込んでいきました。

呆気にとられている我々を尻目に、最下段のカーテンが

乱暴に、かつまた、しっかりと閉ざされました。

そのカーテン越しにまた、低いひそひそ話の声だけが漏れてきます。



 不満顔で睨んでいる優子と恵美子をなだめながら、

われわれも出来上がったベッドに、それぞれ潜り込むことになりました。

私は寝相が悪いから、一番下に寝たいという優子にまず下段を譲ります。

じゃぁ、中段には、「かよわい私が」と言って

恵美子が中段に潜り込んだ瞬間、



 「ねぇ、これでは、

 お座りもできないわ・・どうしましょう。」



 いきなり半ベソをかきはじめます。

中を覗き込んで見ると横幅は、50センチほどの幅が有り、

横になるのには充分なように見えました。

しかし上下の間隔があまりありません。

確かにこれでは、背筋を伸ばして正座をすると上のベッドに頭が当たります。

いくら小柄な恵美子といえども、ベッドの上での正座は辛いようです。



 「じゃあ、上にする?」と、最上段を指させば、

「うん」と答えた恵美子が、ピンクのパジャマを抱えて梯子段を上ります。

パジャマには、(少女趣味ともいえる)可愛い花が沢山咲き乱れています。

美恵子を見送りながら思わず微笑んでしまいました。


 「あれ、それってずいぶんと可愛い花がらだ。

もしかして自分で書いたのかい?」笑いながら、恵美子を見上げていると、

足元から、カーテンを開けて優子がひょっこりと顔を出しました。




 「私だって負けていないわ。

 ほら、群馬、遠慮しないで・・・・見て御覧。、

 とっても、透け透けのネグリジェよ。

 誰が見ても、刺激的な新妻の姿そのものだわ。

 ねぇ見てよ・・・・ほれ、群馬、見て、見て、見て頂戴」


 そう笑いながら、優子の目と指が前方を指さしています。

向かい側のベッドでは、相変らず低い声で、ボソボソとしゃべる

カップルたちの、怪しそうな気配だけがいまだに漂い続けていました。


 「悪い冗談はよせ、」




 軽く優子をたしなめてから、

私も着替えるために、真ん中のベッドにもぐり込みました。

今度は真上から声がします。




 「ねぇ群馬。

 私の頭の上にある天井は、すごく高い位置にあるの。

 でもね、足元のほうは、膝を立てると天井に当たりそうなほど低いのよ。

 これって、あたしの足が長すぎるということかしら?

 それとも、天井の形に沿って窓側はただ低いということなのかしら?

 どうする、群馬。

 覗きに来てみる? もう一人の新婦の部屋へ・・」



 上にも下にも、もういい加減に寝ろと声をかけて、

とりあえず、目をつぶってしまいました。

こちら側のベッドでも、上下のひそひそ話は深夜おそくまで続いていました。

(本当に女とは、おしゃべりな生きものです・・)





 忘れたころに、寝台特急は深夜の駅に数分単位で停まります。

思いのほか長い停車時間の時もあり、いずれも時間調整のための停車でした。

途中から、足元のほうにある窓が気になりました。

外の様子が見たくなり、余り物音をたてないようにして態勢を変えてみました。

カーテンの隙間から、暗い車窓を覗いてみましたが、

暗過ぎて、どの辺を走っているのかまったく見当はつきません。



 街灯の点いた電柱が、あっという間に現れて、

それが瞬時のうちに、後方へと飛んでいくだけの光景が続きます。

やがて真っ暗だった平原に徐々に街灯が増えてきました。

道路を行きかう車の台数も増えてきて、列車は光のあふれている

ネオンの海への突入をはじめました。。

眠りを忘れている、深夜の市街が近づいてきました。

到着したのは、午前0時を回った深夜の大都市・大阪駅です。




 反対側のホームには、たくさんの人の姿が見えました。

終電間際と思われる時間帯なのに、思いがけない大人数が列車の到着を待っています。

この時間まで働いている人たちもいるんだ・・

いやいやよく見ると、見るも無残な酔っ払っいの姿もありました。



 一転して、こちらのホームへ視線を戻します。

あちこちの大人たちに交じって、小学生らしい幼い姿が見えました。

深夜なのに小学生たちが・・・・

ホームでパタパタ動く列車時刻の表示板と、その隣にある時計の針は、

間違いなく午前零時過ぎを示しています。



 今日は土曜日です。

次から次へと大阪駅を通過する、上りと下りの寝台特急の雄姿を狙う、

(大人と子供の)ブルートレインの熱烈なファン達です。

中でも最長距離を走り抜けて西へ向かうこの寝台特急の『富士』号は

ブルートレインファンたちに、一番人気の被写体でした。

近くにいた小学生が、構えたファインダ―を覗きながら

愛想良く手を振っています。



 お~と、喜んでカーテンの隙間から、こちらも手を振り返しました。

しかしどうもその小学生とは、視線がかみ合いません。

不思議に思って下を覗いてみると

見覚えのある頭がふたつ、仲良く並んで小学生に手を振っています。

少女趣味の花柄のパジャマと、超透け透けのネグリジェです。



 「おまえらレズか・・・」


 この時代、最長距離を走るこの「富士」号は、

上り下りともに子供たちにとっては、一番人気のブルートレインでした。

しかしこの場面に遭遇をしてですら、私はそのことをまったく理解していません。







アイラブ、桐生

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