小さき姫と年の差侯爵
ゆるーい恋愛(?)ファンタジーです。R15未満R13くらい? かと思います。
てとてとてと、と宮殿の回廊を走るのはジャカルティエ男爵の令嬢であるチサだった。
またの名を、『小さい姫』と呼ばれる彼女は社交界の案外有名人である。どうして有名か? って言うと――かなり、悲しい理由があって、彼女はあまり耳にしたくない話だった。その噂話(ある一種のイジメに似たトトカルチョ)を終わりにしたい一心で、彼女は走っている。
今日の舞踏会は、彼女の意中の侯爵が開いた千載一遇の好機だ。勇み足で舞台に踏みこんだものの、意中の彼は姿を現さない。
痺れを切らしたチサは、その侯爵を探して走り回っている、という令嬢にあるまじき行動に出たワケである。
本来、淑女たるもの男性を追いかけないように教育される(恋愛上の駆引きでは太古の昔から追うよりも逃げるのが常道らしい)が、チサとて幼い頃からよくよく言い聞かされてきた教えではあるけれど、背に腹は代えられない(逃げて良かったコトなんて一度もなかったわ!)。なんとしても、侯爵に会って恋仲にならなくては!
(キリエ侯爵さまを逃したら、もう誰もわたしを娶ってくれないかもしれないっ)
悲痛な面持ちで、チサは真剣に身の振り方を考える。
家庭教師か、修道女か。
自分の容姿を鑑みれば、修道女のほうがいいかもしれない。
家庭教師は、能力も求められるが何より説得力を求められる。間違っても、教わる側よりも教える側が子どもに見えたのでは駄目なのだ。
(ああ、父さま……母さま。どうしてっ、わたしはこんなにチビで、真っ平らの、童顔にっ! 生まれたのですか!! お恨みします……いいえ! 見ていてくださいっ。きっと……きっと! 侯爵さまを落としてみせますわ!!)
キッとあどけない緑の瞳を前に向けて、チサは握り拳をつくった。
かの侯爵さまは、社交界で有名な童女趣味の持ち主らしい。チサも噂だけでしか耳にしたことのないお方だから、真偽のほどはわからないが……賭けるしかなかった。
一番、使いたくないコンプレックスを武器にするしか方法がないというのも複雑ではあるけれど、躊躇する意地なんてもう捨てている。
あまり社交的ではない独身貴族の侯爵が、この時期に舞踏会を開いたのも運命的である。
童女趣味ならイチコロのはずだ。
フワフワの黒髪に硝子玉の緑の瞳に白い肌、唇はサクランボのように瑞々しく、スタイルは良くも悪くも少女から脱しない程度の寸足らず。アンティークの人形に似ていると、よく言われる。
すでに結婚適齢期は過ぎた二十歳なのだが、見た目はどう先入観で二十歳だと言い聞かせても十三歳に見える。
宮殿の中をウロウロしていても、小さな子どもが探検をしているようにしか映らない。コソ、と扉に耳をつけて、中から聞こえる声(男性だわっ!)に集中する。
「侯爵」
声は、ほんの少し咎めるように響いた。
「解かっている――」
答えた侯爵であろう男の声はほどよく耳に残る低音だった。感情を抑えた声音で、従者に諌められるまでもなく受け入れるつもりであるが、ほんの少しの不満が滲み出ている。
何が、彼を大人げのない不満に駆り立てているのか……チサは興味津々で盗み聞きを続行する。
「そんなに、お嫌ですか?」
「……そうは、言ってない。言ってないが」
「まだ、伴侶を選ぶのは荷が勝ちすぎる……と?」
「……私しかいないのであろう? 覚悟はしてきた。ここで決める」
意を決した男の声に、従者が息を吐いて明らかにホッとしたようだ。
グラッと扉に預けていた体が傾いて、「あっ」と思うが気づいた時には床に転がっていた。
「これはこれは、お可愛い令嬢ですね」
これは、従者の声だ。
どうやら、隠れて聞いていたつもりが相手に気配を読まれていたらしい。さもありなん。
気配を消すなんて上級スキルは持ち合わせていない。
「………」
侯爵は転がったチサを眺めていたかと思うと、気品に溢れた滑らかな動作で手を差し出して「立てますか?」と訊いてきた。
「キリエ侯爵さまっ」
「はい」
スッタ、と立ち上がったチサに穏やかな微笑みの侯爵は応えた。確信を得て、チサは彼の手を取る。
「お話、勝手に聞いてしまって申し訳ありません! あのっ、わたくし。その 結婚相手 では 駄目 でしょうか?」
ギュッと手を握って、勢いに任せて立候補してみる彼女に二対の視線がゆっくりと降り注いだ。
「……ええっと。誰?」
「ハッ! 申し遅れました。わたくし、ジャカルティエ男爵家長女のチサと申しますっ」
ドレスの裾を持ち上げて、頭を下げる。
「侯爵さまの結婚相手として、考えてはいただけないでしょうか? も、もちろん釣り合ってないのは重々承知の上です……から、考えていただけるだけで……あの……」
頭を下げていた時は気づかなかったから、妙な沈黙が怖くて拒絶を受けないよう口早にまくしたて、ふと上げたそこにあった予想外の爛々と輝く視線に後ずさった。近い、上に手をギュッと握られる。
「ああ。それはいいかもしれない」
目の前のよく澄んだアメジストの瞳は、夢見るかのように呟く。
侯爵は噂通りの正真正銘「ロリコン」だと、チサは不本意ながら確信した。が、次に囁かれた言葉にそれどころではなくなる。
「 すっごく、美味しそうだよ 」
って。え?
いきなり貞操の危機ですかーっ!!
ぎゃー! と思った時には寝台の上だった。
目を瞑り、次に来た肌を破る痛みに恐る恐る目を開ける。首筋に当たる感触は侯爵の唇のもの。
目の前に流れる黒髪は艶があって、チサのフワフワとしたものとはまったく違った質感だった。少し興味がそそられて触れてみると、存外に柔らかい。
ナデナデ。
なんとなくそうしていると、首筋の彼の口が離れてペロペロと肌を舐めた。
「ひゃっう!」
首筋に走った痛みは見る間にひいていく。何が起こっているのか、いまいち把握しきれていないが……チサの首筋から顔を上げた侯爵と目が合って「ウソでしょう?」と思う。
さっきの彼とは、趣が違っている。先ほどは侯爵と言われて違和感のない成熟した男の人だったのに、今は青年貴族と言えるほどに若い。チサとそう変わらない年齢ではないだろうか?
「どうかしました? ああ、貴女の血をいただいたので……はじめまして、チサ殿」
「ち?」
ハッとして、首筋に手を伸ばすけれどそこには何もなかった。噛まれた傷さえも……。
「……貴女のような方が花嫁になって来ていただけるのならば願ってもありません。正直、美味しそうでもない婦人と話をするのは億劫で、数年絶食していたくらいなんですよ」
「ぜ、ぜっしょく?」
数年……それで、生きていけるものなのだろうか?
いや、そもそも――コレハ、ナンノ、ハナシ?
「ええ。そのせいで本来より年をとってしまって、まあ侯爵としては貫禄がつきましたけど」
にっこり、と目の前で笑った彼は心ときめくほどの美しい青年だった。クラクラする。あ、貧血?
「チサ、貴女の血は本当に美味しかった。処女の血は珍味で格別なんですよ? ああ、でもいつかは奪ってしまうから期間限定のレアモノですね」
遠く聞こえた侯爵の低音の声は心地いいのに……ふと聞き捨てならない言葉を耳にした、気がした。
巷で噂の「吸血鬼」って、彼のことなのかしら?
それより、処女って血でバレるの?
期間限定、それは狙うべきよね。心躍るもの! でも、べつにわたしは守ってたワケじゃないのよっとかイロイロ考えているうちにチサは意識を失った。
*** ***
……次に目を覚ました時、チサが見たのは見覚えのないベッドの 立派な 天蓋だった。
(ココは、ドコ?)
そう思うものの、寝心地のいい布団の中でまどろむのは人生の中で一、二を争う至福のひとときだと思う。半開きの瞼を擦りこすり、ふたたび夢路に旅立とうとした。二度寝は誰もが一度はしたいと願うかけがいのない贅沢である。
「あ。寝ちゃうんだ?」
ふと、すぐ上から万人の夢を妨げる声が 楽しそうに 弾んで注がれた。
「ごめん。怒らないで、我が花嫁」
チュッ、と頬に何か柔らかな感触が触れて、ペロリと舐められる。
寝起きの不機嫌な目を向ければ、陽の光の中で彼はチサを包むように寝台にのしかかり、「食べていい?」と極上の笑顔で――それは、幸せそうに訊いてきた。
読んでいただいてありがとうございます。中途半端感は否めませんが、続きは年齢制限描写が際どくなるので(たぶん)、構成を練りたいなあと思っています。
とりあえずの短編投稿です、ご了承ください。