第八話 アイデア・ロスト あるいは悪魔の黒歴史と創作の苦しみ
「それじゃあ、さっそく話をしようか。今回描こうとしているのはラブコメ。天使の女の子と悪魔の男の子が互いを好きあっているが言い出せない。禁断の恋みたいな、ね」
わざとらしく、僕たちのほうを見る戸々先輩に対して、祈はワクワクを隠せないようで前のめりになって聞いている。
戸々先輩はノートを取り出し、さらさらっと僕と祈の絵を描き始めた。
「まあ、大体のアイデア部分というのは出てはいるのだが、何せ初めてラブコメを描こうとしていて肝心な部分が忘れてしまってね。そこを思いつく、思い出す手伝いをしてもらいたいというところかな」
「そうなんだね。でも、僕たちの姿で漫画を描くのは肖像権の侵害ということでやめてもらえるかな」
「肖像権? 固いことを言わないでおくれよ阿久真くん。君たちのその、不自然極まりない『共存』は、創作意欲という名のガソリンを注ぐには絶好のビジュアルなんだ。……ほら、隣のルシファー様なんて、今にも火を噴きそうな顔をしているじゃないか」
「当たり前ですわ! 戸々、あなた! 私の崇高な姿をそんな軟弱なラブコメの種にするなんて、万死に値しますわよ!」
巳架先輩がテーブルを叩いて立ち上がるが、戸々先輩は慣れた手つきでペンを走らせ、ノートの上に瞬く間に「ツンデレ気味な悪魔(サキュバス仕様)」を描き上げた。
「まあまあ。それで、祈ちゃん。君なら分かるだろう? この『天使と悪魔』という使い古された、しかし永遠のテーマに欠けている、たった一つの『スパイス』。それこそが、私がど忘れしてしまったアイデアなんだ」
「スパイス、ですか……。愛! ですよね! 二人が手を取り合って、種族の壁を乗り越えて、最後には世界を祝福で満たすような、そんな愛の奇跡ですよね!」
祈が鼻息も荒く、背中の羽をパタパタと鳴らす。
「却下。それはスパイスじゃなくて、ただの甘すぎる砂糖菓子だ。……戸々さん、君が描こうとしているのは、もっとこう、理屈に合わない『矛盾』のことじゃないのか? ラブコメの本質は、好き合っている二人が結ばれないための『言い訳』をどう作るかにあるんだから」
「流石だね阿久真くん。話が早い。……そう、私が忘れてしまったのは『障害』だ。天使と悪魔が、なぜ『好き』の一言が言えないのか。単なる種族の違い以上の、もっと個人的で、もっと残酷な『理由』があったはずなんだけど……」
「残酷な理由……。たとえば、どちらかが告白した瞬間に、相手が『消滅』する呪いがかかっている、とかかしら?」
巳架先輩が、どこか楽しげに、それでいて禍々しい提案を投げ入れる。
「残念だけど、それじゃあラブコメにはならない。60ページの間で解けるような呪いなんでスパイスにもならないさ。設定(呪い)で解決してしまったら、それはファンタジーであってラブコメじゃない。キャラクターの『内面』が生み出す、もっと滑稽で、もっと救いようのない理由じゃなきゃ」
戸々先輩はそう言って、僕と祈(そしてノートの中のサキュバス化した巳架先輩)を交互に見つめる。
「例えばさ……。天使の女の子は、好きになった瞬間に相手を『浄化』しちゃうとかどうだろうか? 好きになればなるほど、相手の悪魔としての個性が消えて、ただの『良い人』になる。それは彼女にとって、愛する人を殺すのと同義だ」
「ひどいです! 好きになったら相手が自分色に染まるなんて、それは素敵なことじゃないですか!」
祈が真っ赤になって抗議するが、戸々先輩は首を振る。
「違うよ祈ちゃん。悪魔が悪魔でなくなることは、悪魔にとっての死だ。……みっちゃんだって、ただの『真面目な女子高生』に戻されたら屈辱でしょう?」
「……。なっ 私は地獄の王、浄化されて消えるような安い魂は持っていませんわ!ですが、ただの人間に戻されるなど、屈辱以外の何物でもありませんわ!」
巳架先輩は鼻息荒く反論するが、その耳は少しだけ弱り切ったように垂れている。どうやら戸々先輩の「浄化=死」という理屈には、思い当たる節があるらしい。
「愛がそのまま攻撃力に変換される矛盾か。面白いとは思う……でも、それだと悪魔側が一方的に被害者だ。均衡が取れていない」
僕はノートに矢印を加える。
「悪魔側にも理由が必要だ。例えば、悪魔が『好き』と言い受け入れた瞬間に、天使を『堕天』させてしまう。そうなれば彼女は天界を追われ、これまでの彼女じゃいられなくなる。……とか。愛が芽生えるたびに、彼女の天使らしい側面が失われて行ってしまう。これなら、告白できない理由としては現実的だろ?」
「……堕天。愛すること自体が、相手の翼を毟り取る加害行為になるわけか。それは、いい。実に醜悪で、美しくて、救いがないラブコメだ」
戸々先輩のペンが、これまでにない速度でノートの上を踊る。 『愛による抹殺』と『愛による堕落』。
ノートに書き殴られたその物々しい単語は、もはや恋愛漫画のプロットというより、神学論争か何かの戦略図に見えた。
「それですよ、戸々先輩! 好きだからこそ近づけない、触れたら壊してしまう……。うう、なんて切ないんでしょう! 浄化してしまいたいくらいの愛、素敵です!」
祈が感動のあまり鼻を啜り、なぜか自分の背中のプラスチックの羽を慈しむように撫でている。
「ふん、堕天ですって? 悪魔の側からすれば、そんなものは同胞が増えるだけで万々歳ですわ。……ですが、張り合いがなくなるのは、少しだけ、ほんの少しだけ寂しさもありますわ」
巳架先輩も、腕を組んで納得したように頷く。どうやら二人とも、僕が提示した「残酷な均衡」の中に、自分たちの「属性」の真実味を見出したらしい。
「決まったよ。ありがとう、阿久真くん。これなら描ける。……愛とは相互理解ではなく、相互破壊である――そんな一文から始まる、最悪のラブコメがね」
戸々先輩は満足げにノートを閉じ、ジャケットを羽織り直した。その瞳からは先ほどまでの退屈が消え、創作の熱に浮かされたような鋭い光が宿っている。
「……役に立てたのなら何よりだ。それで、報酬の話だけど」
「ああ、忘れてないよ。約束通り、これを渡そう」
そういってポケットから、一枚の紙と写真を渡される。
そこに写っていたのは、今よりも少し幼い巳架先輩であった。ただ、服装は今の漆黒のゴスロリスタイルではなく、天使のような純白のドレスを着て満面の笑みを浮かべていたのである。
「わあああああああああ!何を見ているのおぉぉぉぉ!!」
写真に気が付いた巳架先輩に写真を思いっきりとられる。確かに、今の彼女からしたら黒歴史なのかもしれない。
「あ、そんなぁ。すごく素敵な恰好なのに……ね?アクマくん」
祈も写真を見ていたらしく、彼女らしい反応をしている。しかし、もし巳架先輩があの恰好のままであったら、祈が偽天使である感じがより一層強まるだろうが言わずに肯定だけしておく。
「待ちなさい! 待ちやがれですわ戸々おぉぉぉぉ!!」
巳架先輩が、文字通り「火を噴くような」形相で戸々先輩に飛びかかる。 しかし、戸々先輩はサンダルとは思えない身軽さでそれをかわし、部室の扉へと手をかけた。
「待てって言われて待つ奴はいないよ。阿久真くん、写真はまたほしくなったら漫画研究会に来てくれればコピーをあげるからね」
「戸々ぉぉぉぉぉ!! 殺してやりますわ! 地獄の業火で消し炭にしてやりますわ!!」
嵐のような咆哮を残し、巳架先輩は戸々先輩を追って廊下へと飛び出していった。 後に残されたのは、静まり返った部室と、残念そうにしている祈。そして、ようやく静寂を取り戻した僕だ。
「……。アクマくん、結局、ルシファーさんの『秘められた過去』はなんだったんですか?」
写真は取られてしまったが、紙が残っていたので確認してみる。そこにはこう記されていた。
一、相神巳架は中学時代、写真の恰好で自らを大天使ミカエルと名乗り、愛と平和を伝える活動を行っていた。
二、美化コンクールで表彰されたことがある。
三、成績優秀で生徒会副会長を務めていた。会長は雛子
「まあ、彼女にとっては黒歴史、でいいのかな」
見る人から見れば華やかな中学時代の内容であり、黒歴史というには程遠いかもしれない。だが今の巳架先輩にとっては黒歴史ということなのだろう。
「というか黒歴史ノートっていうから、巳架先輩が書いたのかと思ったけど戸々先輩が記録したものってことだったのか」
がっくりと肩を落とした僕に対して祈は目を輝かせていた。
「ルシファーさんはやっぱりいい人だったのですね!何らかの理由で堕天してしまったのであれば、浄化して救済してあげないとですね、アクマくん」
なにやらとても恐ろしいことを言ったような気がしたのだが、聞かなかったことにした。
一ミリも善行をした自覚はないが、少なくとも「漫画家のスランプ」という学園の不平穏は一つ、解消された……ということにしておこう。
時計の針が、普段よりも少しだけ重く、それでいて確かな一歩を刻んだような気がした。
後日、祈には戸々先輩から漫画をもらったらしく、満足そうな笑顔を浮かべていた。




