第七話 エンゼル・レポート 天使と悪魔の共存報告
「――であるからして、相神先輩は鳳凰院さんの依頼通りに、『善行部』で制御している状態にあります。これで報告はいいかな?」
僕は、かの裁判所、もとい生活指導室に鳳凰院さんと二人でいる。彼女のような美人と密室で二人きりというのは、健全な男子高校生なら色めき立つシチュエーションなのだろうが、残念ながら僕の脊髄が発しているのは警報だけだ。
蛇に睨まれたカエル――祈流に言うのであれば鳳凰に睨まれた悪魔といったところだろうか。そんな状況で先日の依頼の報告をしているのだ。そういった感情は毛ほども生まれない。
鳳凰院さんは羽のように美しい金色の髪の毛をふわりとかき上げる。
「……わかりました。詳細は後程、部室を確認するとして、みっちゃ――……、相神巳架を手なずけた、という点は評価しましょう。」
「過大評価にならなければいいけども。……鳳凰院さん、用が済んだのなら失礼するよ。積読を消化したいんだ」
「いいえ、まだ用事は済んでいないわ。『善行部』の活動内容だけども、不明瞭な点が多いからこちらで色々と調整させてもらったわ。これが主な活動内容よ」
鳳凰院さんから二枚の紙を受け取る。善行部活動内容と書かれた紙と部活動の宣伝ポスターにはこのように書かれていた。
困ったことがあれば『善行部』へ!学園での悩み、個人の悩みでも解決します!
ポスターの丸々とした文字は、おそらく祈のものであるだろう。まったくもって頭が痛くなる。
「……鳳凰院さん、僕はいつから飼育員から何でも屋に転職したんだい?」
「あら、不満かしら。代わりにしっかりと手続きをしてあげたのよ、それぐらい大目に見てもらえないかしら?それにあなたの彼女はノリノリだったわ」
「天音さんは彼女じゃないよ。世の中の『彼女』という言葉の定義に対して失礼だ。僕はただのクラスメイトっていう関係だ」
「そう、でもしっかりと活動はお願いね。彼女の平穏を守りたいのであればね……」
やれやれと肩をすくませ、僕は深いため息をついて、部屋を後にした。
廊下を歩きながら、手元のポスターを眺める。『学園での悩み、個人の悩みでも解決します!』 この丸っこい文字の背後で、祈がどれほど目を輝かせながらマジックを握っていたかが手に取るように分かった。
そしてそれを『許可』という名の印章で補強した鳳凰院さんの、悪戯あるいは計算に満ちた微笑みも。
「……あのお嬢様方は、僕の平穏を燃料にして、学園という名の劇場を回すつもりなんだろうか」
部室の扉を開ける。そこには、案の定、期待に胸を膨らませて羽をカサつかせている『天使』と、優雅にカップの縁をなぞっている『悪魔』がいた。
「アクマくん、お帰りなさい! 鳳凰院さんから聞きましたか? ついに、ついに私たちの『善行』が公式なものとして認められたんですよ!」
「ああ、認められたね。認められた結果、僕たちの部室の扉に『トラブル大歓迎』という名の巨大な標的が描かれたわけだ」
僕は鳳凰院さんから預かった『活動内容』の書類を机に放り投げた。
「ふん、何でも屋とは。地獄の王たる私を、そんな下俗な雑務に従事させるつもりかしら?」
相神先輩が、不満げに髑髏のシュガーポットから砂糖を二つ、紅茶に落とした。
「……文句なら鳳凰院さんに言ってくれ。彼女は、君を『手なずけた』僕への報酬として、この面倒な仕事を押し付けたんだ。断れば即座に廃部――つまり、君のその高価なティーセットも、一分後には粗大ゴミとして校舎の裏に強制送還されることになる」
「なっ……! 雛子のやつ、相変わらず人の急所を突くのが上手いですわね……!」
巳架はぐぬぬと呻き、紅茶を飲み干した。こうして、善意に満ちた天使と、プライドを人質に取られた悪魔、そして巻き込まれた僕による「便利屋」――もとい『善行部』が、実質的な稼働を開始した。
そして。 その「一分後」には、早くもその扉がノックされることになる。鳳凰院さんの手回しか、あるいは祈が休み時間にばら撒いたであろうビラのおかげか。
「失礼。ここ、本当にどんな悩みでも解決してくれるって聞いてね。……おや、みっちゃん、こんなところにたむろっていたのか」
ドアを開いたのは、少し不健康そうな、ぼさぼさのロングヘアの女子生徒……であるだろう。断定ができないのは彼女の恰好がぶかぶかのジャケットにサンダルという、鳳凰院雛子が見たら即刻怒られるであろう姿であったからでもある。
ただ、『みっちゃん』という言葉から、おそらくはそこで「げっ」と一言発して僕の影に隠れるように逃げた、相神先輩の知人なのだろう。
「はい!その通りです!どんな悩みも奇麗さっぱり浄化します!」
元気よく、手を上げ依頼人に宣言する祈。初めての依頼人というところで嬉しいのだろう、ピコピコと羽がはためいている。
椅子へと案内されて座ってもらうが、後ろでしがみつかれている情けない地獄の王を前へと引きずり出す。
「相神先輩。知り合いのようですし、ここは先輩を立てるということでどうぞ前へ」
「いやよ、知らないわ。そんな女!下僕であるあなたか、そこの安売り天使が相手しなさい!」
「そんなひどいなみっちゃん。私のことを知らないなんて、あの日の約束は嘘だったの?」
わざとらしく目元に手を当て、えーんえーんと棒読みで言う。そんな三文芝居に騙されるほど人類は愚かではない……と断言したかったが、僕の隣には人類を超越した純真すぎる個体がいた。――天音祈である。
「忘れるなんてひどいですよ、ルシファーさん。はっ、まさか、悪魔に魂を売り渡してしまった結果記憶が失われたのでしょうか」
「違うわよ!この女は、その……、私の暗黒の歴史を最も不適切な形で保持している……いわば『禁忌の記録者』ですのよ!」
「つまり、昔の恥ずかしい失敗談を握られている幼馴染か何かだろう。いいからみっちゃ……相神先輩も座ってください。後ろにしがみつかれると爪が刺さって痛いので」
「その名前で呼ぶな!私は地獄の王ルシファーだといっているでしょ!」
バシンと僕の背中を叩き、隣に座る。奇しくもまた、天使と悪魔に挟まれる形となる。というか僕が話を聞く流れなのだろうか、六つの瞳がこちらをじっと見つめる。
六つの瞳が僕を射抜く。左からは『善意の期待』、右からは『他力本願な憤怒』、そして正面からは――底知れない『虚無に近い退屈』。 この視線のパフェのような盛り合わせを、僕という凡俗な胃袋が消化しきれるはずもない。
「……はあ。ええと、とりあえず、あなたの名前を聞いてもいいかな。それと、『悩み』について手短に話してもらえるかな」
彼女はぼさぼさの髪を適当にかき上げ、眠たげな視線を僕の顔に固定した。
「君たちに合わせるなら『トート』、ごめんごめんふざけてはいないよ。私のことは戸々と呼んでくれ。それで悩みというのは簡単さ、なくしものを探して欲しいんだ」
「なくしもの……こんなところよりも落とし物を保管しているところに行った方が建設的じゃないかな」
「そんなこと言っちゃだめですよ、アクマくん。せっかく私たちを頼ってくれているのですから探しましょう!」
「アクマの言う通り、こんな依頼は却下ですわ。さあ、戸々。おとなしく第七回収区画で一人で探すといいわ」
二対一、民主主義に則るなら、彼女の依頼を受ける必然性はない、祈には悪いがこういう依頼を受けてしまうと、やれ宿題をやってほしい、やれ代わりに掃除をして欲しいだの雑務が舞い込んできてしまう。
彼女にも申し訳ないが、帰ってもらおうとしたところ、とんでもないことを言われてしまう。
「なくしものといってもものではないんだ」
「謎々なら、間に合っている。もったいぶらずに話してくれ」
「おい、アクマ。さっさと帰ってもらえ。私が言うのもなんだがあいつは相当厄介な奴よ」
ルシファーが僕の耳元で囁く。しかし、彼女はそれを気にせずに続ける
「漫画のアイデアをなくしてしまってね。よかったらアイデアだしの手伝いをしてほしいってことさ」
なるほど。ルシファーが珍しく本能的な危機感を露わにした理由が、ようやく分かった気がした。落とし物センターに行くよりは建設的かもしれないが、精神衛生上は最悪の依頼だ。
「……。漫画の、アイデア」
「ああ。私はこれでも、細々と漫画を描いていてね。……でも、新作の肝心な部分がどうしても思い出せないんだ。脳細胞のどこかに置き忘れてきたのは確かなんだけど」
「戸々、あなた。またそんな不確かなものを他人に押し付けて……! だいたい、あなたの描く漫画はいつも救いがないというか、構成が支離滅裂というか、私の『ルシファー』としての美学を真っ向から否定するようなものばかりではありませんの!」
「酷いな、みっちゃん。あれでも読者からは『悪魔的だ』って評判なんだよ。……ほら、本物の悪魔もそう言ってることだし」
「私は肯定的な意味で言ったのではありませんわ!」
ギャアギャアと騒ぎ出すルシファーと戸々。 その隣で、祈がキラキラと目を輝かせながら、僕の腕を掴んだ。
「漫画! 素敵です、アクマくん! 私たちのこれまでの『善行』が、いつか一冊の聖典――じゃなくて、単行本になる日が来るんですね!」
「……天音さん、あまり期待しすぎないように。……戸々さん、一応確認するけど、僕たちがアイデアを出したところで、君が『これじゃない』と言えば、その瞬間に僕たちの努力は灰燼に帰すわけだ。そんな、ゴールポストが自由に動くような依頼を、僕が受けると思うかい?」
僕は突き放すように言ったが、戸々さんはどこ吹く風で、ぶかぶかのジャケットから一冊のネームノートを取り出した。
「大丈夫さ。私の脳内には『欠けたパズル』の形だけは残っている。ピースが嵌まれば、すぐに分かる。……もし手伝ってくれるなら、みっちゃんの『中学時代の黒歴史ノート』の内容を三つ、開示してもいいよ」
「……っ!? あなた、何を交渉材料にしていますのよ!」
相神先輩が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「……。面白い。相神先輩を制御するための『カード』が増えるなら、僕としても断る理由はないな。……いいだろう。その、無くしたアイデアとやらを、僕たちが『再構築』してあげようじゃないか」
「アクマくん!? まさかの黒歴史ノートに釣られたんですか!?」
「失礼な。これは『部室の平穏を守るための戦略的投資』だよ。……さて、戸々さん。まずは、その思い出せない新作の、分かっている範囲のあらすじを聞かせてもらおうか」
天使は「感動の結末」を、悪魔は「凄惨な破滅」を。そして僕は「合理的な解決」を。
こうして、善行部の初仕事は、一人の少女の脳内で行方不明になった『物語』を捜索する、という奇妙なものになった。




