第五話 エンゼル・エージェント 天使と悪魔の代理戦争
重い足取りで、校舎の端にある『善行部』の扉の前までたどり着く。もちろん隣には、安っぽい天使の彼女――天音祈も一緒だ。
「今日から『善行部』の活動スタートですよ!アクマくん!」
ピコピコと言う擬音が幻聴として聞こえてきそうなほど、ご機嫌な彼女と一緒に扉を開ける。
「――あら、随分と怠惰なご登場ね。まったく、こんな奴は『部活動』として認められるのに、 私の崇高なる活動は認められないというのは腹立たしいですわね。」
部室のど真ん中に椅子を置きそこに座っていた少女は僕たちに向けて言い放つ。
彼女は隣にいる祈とは対照的に全てを飲み込みそうな、漆黒のフリル、闇を編み上げたようなレースに身を包んでいた。特筆すべきは、その頭に生えた禍々しい角と、意思を持つように揺れる尻尾だった。
「……ええと。失礼だけど、どちら様かな。ここは鳳凰院さんから正式に許可を得た『善行部』の部室なんだけど。不法占拠なら、今すぐ風紀委員長を呼んでくるけど」
「ふん、雛子の名前を出せば私が怯むとでも?残念だけどそうはいかないわ。大体、納得がいかないのですわ。私が申請した『暗黒サバト部』は『公序良俗に反する』だの『角の先端が他者の眼球を損なう恐れがある』だのくだらない理由で却下しておきながら、なぜこんな、安っぽいプラスチックの羽を付けた女の部活が受理されますの?」
「……『暗黒サバト部』。却下した鳳凰院さんの判断は、この学園始まって以来の英断だと思うよ」
僕はため息をついた。なるほど、状況は理解した。目の前にいる彼女は、自分も属性全開の部活動を立ち上げようとして、鳳凰院雛子という巨大な壁に跳ね返されたのだ。そして、その矛先が、なぜか受理されてしまった僕たちの『善行部』に向いたわけだ。
「納得できませんわ!ですから決めました。私、このルシファーが今日からこの部を乗っ取ります。そして、ここを『暗黒サバト部』の拠点にして差し上げますわ!」
ああ、これは、祈同様に、話が通じなさそうなタイプだ。
「の、乗っ取り!?ひどいです!ここは私とアクマくんが、大掃除して勝ち取った聖域なのに!一緒に『善行部』として活動するのであれば共有できるじゃないですか!」
祈がカサカサと羽を震わせて抗議するが、彼女は鼻で笑う。
「ふん。聖域だか何だか知りませんが、力の差を見せつけて差し上げますわ。大体、あなたのような『善意』だけで動く天使が、『おままごと』ごときで浄化できるとお思いで?雛子も言ってましたわ。
『もしその部屋を自由に使いたいのなら、天音さんたちを叩き潰して実力行使で奪いなさい』って」
「……。あの金髪のお嬢様、やっぱり煽って楽しんでいるな」
おそらく鳳凰院さん本人はそんな言い方はしていないだろうが――
鳳凰院雛子は、彼女の不満を解消させつつ、僕たちに新たな試練を与えることで、一石二鳥を狙ったのだ。秩序を乱す異物同士を戦わせ、共倒れさせる。あるいは、一つの檻に入れて管理する。
「いいですか、アクマくん。あなたは名前こそ相応しいですが、しょせんは人間。…今日から私の、一番弟子の死霊として使い倒して差し上げますから、光栄に思いなさい。」
「死霊扱いは流石に労働基準法に触れると思うんだけど……。それで?鳳凰院さんは、乗っ取りを黙認する代わりに、何か条件を出さなかったかい?」
「……。チッ、天使のしもべのくせに鋭いですわね。」
彼女がポケットから取り出したのは、一枚の封筒。封筒は開封されておらず、前にも見た、美しい鳳凰院雛子の筆跡で『善行部への最初の依頼』と書かれていた。
開封されていないのは、彼女が本当に堕天した、傍若無人な『ルシファー』ではないのだと伺える。
彼女に一瞬躊躇があったが、封筒を僕に渡した。封筒の中の手紙にはこのように書かれていた。
「善行部への最初の依頼として、彼女、相神巳架の更生もしくは制御をお願いするわ。失敗したら、もちろん『善行部』の存在意義はなしと判断します。」
「……更生、もしくは制御。あのお嬢様は、僕たちを猛獣使いか、あるいは保健所の職員か何かだと思っているのかな」
僕は手紙を読み上げ、深いため息をつく。この部室を維持したければ、目の前で不遜にふんぞり返っている自称『ルシファー』を、『善行部』という名の檻に適切に収容しなければならないわけだ。
「な、なんですって!?雛子、私を依頼の『対象』にしたというの!?この私、地獄の王を更生させるなんて、不敬にもほどがありますわ!」
彼女――相神巳架は顔を真っ赤にして立ち上がった。怒りというよりかは、鳳凰院雛子に『子供』扱いされたことへの、気恥ずかしさと反発が見え隠れする。
「……なるほど。相神先輩。あなたはここに来たのは乗っ取りのためかもしれないけど、鳳凰院さんからすれば、あなたはただの『手に負えない迷える子羊』……いや、迷える子ヤギさん扱いだ」
「ヤ、ヤギではありませんわ!悪魔の角です!」
「どっちでもいいよ。……天音さん、聞いたかい。今回の『善行』のターゲットは、そこに座っている自称・悪魔だ。彼女を僕たちの管理下に置くことができれば、僕たちの勝利だ。」
祈は一瞬ポカンとしていたが、すぐに表情を輝かせた。
「……!つまり、アクマを改心させて天使の仲間にする、と言うことですね!これこそ、天使としての真骨頂!最高難易度のクエストです!」
「話を聞きなさい、低級天使!誰が仲間に――」
「さあ、ルシファーさん。まずはそのトゲトゲした態度を浄化するところから始めましょう。アクマくん、お掃除の続きです! ルシファーさんも一緒に雑巾を持ってください!」
「なっ……私に雑巾がけをしろと!? 呪いますわよ! 本気で呪い殺して差し上げますわ!」
阿久真という名の人間、天使(自称)の少女、そして更生対象の悪魔(自称)の先輩。埃っぽい部室で、バケツの水を巡る不毛な争いが始まる。
「……。平穏っていうのは、やっぱり辞書の中にしか存在しない概念だったみたいだね」
僕は、蛇口から出始めた透明な水を見つめながら、これから始まる『天使と悪魔の板挟み』な日々に、二度目の、そしてより深い覚悟を決めた。




