第四話 エンゼル・ケージ 管理と言う名の舞台装置
鳳凰院雛子という外敵から平穏を取り戻すことに成功したのだが、長くは続かなかった。平穏と言うのは長く続かないからこそ、素晴らしいものに感じるのかもしれない。そんな平穏を噛みしめていた僕の前に、彼女――天音祈はいつもの安っぽい天使の恰好で現れた。
「アクマくん!お待たせしました。今日から私たちの新生活の始まりですよ!」
「……。新生活?もしかして君の羽が本物の羽毛に生え変わる手術でも受けることにしたのかい?それとも、ついに僕を地獄に連行する決心がついたのかな」
「違います!部活動ですよ、部・活・動!」
祈は、『部活動申請書』を僕の机にたたきつけた。そこには、丸みを帯びた彼女の字で『善行部』という、これ以上なく胡散臭い名称が踊っていた。
「……善行部。あまりに直球すぎて、詐欺集団のフロント企業みたいな名前だね。却下だ。僕は帰宅部と言う名の、自分自身の平穏を守るための聖域に所属しているんだ。今更、君と一緒に行儀よくボランティア活動に勤しむつもりはないよ」
「そういうと思って、ちゃんとアクマくんの分は提出済みです!はい、これ!」
彼女が差し出したのは、すでに承認印が押された受理済みの紙。そこにあるのは、見覚えのある、そして二度と見たくなかった高潔な署名。――風紀委員長、鳳凰雛子。
「……なるほど。鳳凰院さんの入れ知恵か」
僕は、窓の外で優雅に校内を見回っているであろう鳳凰院雛子の姿を幻視した。彼女は手に負えない祈と、それを理屈で守る僕(不純物)を、野放しにするほど甘くはなかったわけだ。部活動』という名の檻に閉じ込め、学園の管理下に置く。そうすれば、彼女の『秩序』を汚すことなく、僕たちを監視できる。
「鳳凰院さんが言っていました。『秩序を乱す異物は、秩序の一部として組み込んでしまえばいい』って!さすが鳳凰院さん、話がわかります!」
「……。それは君が認められたんじゃなくて、君が『飼育対象』になったってことなんだけどね」
僕は深いため息をついた。平穏というのは、手放すのは一瞬だが、取り戻すには一生かかるものらしい。鳳凰院雛子のてのひらの上で転がされている事実に、僕はあきらめにも似た境地に達しながら、カバンを肩にかけなおした。
「それで、部室はどこなんだい。せめて日当たりのいい、昼寝に適した場所であることを祈るよ」
「もちろん! 鳳凰院さんが特別に貸してくれた、屋上の近くの『あの部屋』です!」
予想はしていた。たった二人、しかも厄介払いとして島送りにされた、僕たちに与える部屋は僻地と言っても過言ではないものであった。学園の備品の机や椅子が室内の大半を占めており、埃っぽく空気も悪い。
どうやら部活動の一番最初は大掃除からになりそうだった。彼女はがっかりでもしているだろうかと思ったが、目をキラキラと輝かせていた。
「わぁ、アクマくん。私たちの部室ですよ!部室!」
「そうだね。確かに、書類に書かれている部屋はここになるから、形式上ここは部室ってことになるね」
「……掃除、からだろうね。まずは。天使の仕事は清らかな場所でなければ行えない、なんて制約がもしあるなら、君は今すぐにでも退部届を書くべきだよ」
「何を言っているのですがアクマくん! 天使は汚れを清めるのも仕事なのです!さあ、この『魔窟』を私たちの聖域へと浄化しましょう!」
「浄化っていうか、ただの雑巾がけなんだけどね」
僕は備品の山をかき分け、窓を開けた。数か月、あるいは数年も開けられていなかったであろう窓は、悲鳴のような音を立てて外の世界へと口を開く。流れ込んできた夕方の風は、室内の埃を舞い上げ、祈が慌てて羽を抑えてせき込んだ。
「……それで、鳳凰院さんはこの部屋を貸す――『部活動』を行うにあたって、何か条件を出さなかったのかい?あの人が、ただの善意で部屋を与えるなんで、僕にはどうしても思えないんだけど」
「そういえば、これを渡しておくようにって言われていました。」
祈がポケットから取り出したのは、一枚の封筒。そこには、まるで印刷されたかのように美しい鳳凰院雛子の筆跡で、『善行部 部活動を行うにあたっての指示書』と記されていた。
「指示書……。もはや部活動じゃなくて、風紀委員の下請け業者じゃないか」
「でもでも、部活動を行えるんですよ!アクマくん!」
祈が期待に胸を膨らませて封を開ける。 中に入っていたのは、簡潔な指示だった。
『部活動をするにあたって以下を守ること。守れなかった場合、審議を行い、最悪廃部とする。
・活動に当たり他者への迷惑となる行動を行わないこと
・月に1度活動報告書を記し、提出すること』
要するに、目に余ることをやるな、やったことは報告しろ、と言うことだ。
「……目に余ることをやるな、やったことは報告しろ。要するに、僕を君の『お目付け役』に任命したわけだね。鳳凰院さんは。もし君が暴走したら、真っ先に掃除されるのは僕だ。実に効率的で、実に残酷なロジックだよ」
「暴走だなんて、失礼な! 私は天使として、この学園をより善き場所に導くだけです!」
祈は、埃っぽい部室の中央で、胸を張ってポーズを決めた。その背中のプラスチックの羽が、開け放たれた窓から差し込む夕日を反射して、ほんの一瞬だけ、本当に神聖なもののように輝いて見えた――ような気がした。
「……ま、とりあえず雑巾がけから始めようか。報告書の第一項目が『部室の掃除中に熱中症で倒れた』じゃ、鳳凰院さんに笑われるからね」
「そうですね! 清掃という名の、最初のクエストです!」
僕はバケツに水を汲みに行くために、部室を出た。廊下からは、部活動に励む他の生徒たちの声が聞こえてくる。
まさか自分が、その喧騒に一部に組み込まれることになるとは思わなかった。
「とりあえず、今日の善行はこれで勘弁してもらえるかな」
僕は今日何度目かわからないため息を吐き出し、古びた蛇口を捻った。
錆びた水が透明に変わるまでの間、僕はこれから始まるであろう、騒がしくて不条理な『善行』の日々に、少しだけ覚悟を決めた。




