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第二話 エアポケット・ガール 透明な彼女を補足する三つの方法

 夏休みデビュー、高校生デビュー。それらに共通しているのは「自分をより派手に、より強く見せたい」という上昇志向の顕れだ。だが、天音祈(あまね いのり)のそれは、上昇というよりは『次元の変更』に近い。


 ……改めてデビュー前の彼女の姿を思い出してみよう。

 不思議なことに、クラスメイトとしての彼女の記憶は、古いカセットテープの上書き録画のようにノイズまみれだ。確か、席は今の窓際ではなく、もっと教室の中央寄りの、誰の視線も通過していくような『エアポケット』のような場所だった気がする。


 髪型も、今のような吊り下げられたツインテールではなく、ただ重力に従って垂れさがっていただけの普通の黒髪。声を聞いた記憶もない。出席確認の時に「はい」と、消え入りそうな吐息を漏らしていただけだった。

 もしも彼女がクラスの中心的人物であったなら、この天使の恰好もパフォーマンスの1つとして消化されていただろう。


 だが、現実は違った。彼女が教室に入ってきた瞬間、凍り付いたのは空気ではなく、クラス全員の認識だった。誰も彼女を笑えなかった。 なぜなら、誰も『以前の彼女』を正確に定義できなかったから。

 正体不明の幽霊が、突然プラスチックの羽を背負って実体化したような――そんな、薄気味の悪い誕生に、みんな戸惑っていたのだ。


「……アクマくん。私の過去について、何か不純な考察を巡らせていませんか?」


 思考の隙間に、祈の鈴を転がすような、それでいてどこか芝居がかった声が割り込んできた。


「……。いや、君の『前の姿』が思い出せないのは、僕の記憶力が悪魔的に欠如しているせいなのか、それとも君が本当に天使だったのかを考えていただけだよ。」


「なっ…、私は正真正銘『天使』です!そりゃあ以前はその現世をしのぶ仮の姿でして、あなたという悪魔がいる以上、こうして真の姿を現したのです!」


 彼女は自信満々に笑うがその瞳の奥には、以前の「誰からも見られていなかった自分」に戻ることへの、切実な恐怖が隠れているようにも見えた。


「……真の姿ね。もしそれが本当だとしたら、君の真の姿は案外、セロハンテープとワイヤーで構成されているのかもね」


 僕は彼女のツインテールと、その隙間に覗く『天使の輪』を固定する透明なカチューシャを指差した。


「そ、それは現代日本に適合するためのデバイスです!天使の輪をそのまま出すと電波法とかそういうのに引っかかるんですよ!」


「それはチューナーか何かなのかな…。それよりも世間の目を気にしたほうがいいと思うけどね」


「世間の目など善行を行うことの弊害などにはなりません。さあ、今日も善行クエストを始めて行きましょう!」


「始めるのはいいけども、とりあえずこれでも食べて少し話をしないか」


 昨日言われていたポテチをカバンから取り出す。味については何も言われていないため家にあったものを持ってきた。


「わぁ、これがアクマくんの好きな……。こほん。お供えとしてこれは頂いておきます。」


「話をしようって言っているんだ、少し付き合ってくれないかな。ポテチでも食べながらさ。」


 そそくさとポテチをカバンにしまおうとする彼女の手を止める


「で、ですが、校内でお菓子を食べるというのは悪いことですよ。」


「悪魔の話を聞いてあげるのも、天使的には善行にはならないかな。」


 僕がそういうと彼女は袋を手に持ったまま動きを止め、それから


「……。確かに、迷える悪魔の告解に耳を傾けるのも天使の義務ですからね」


 と、もっともらしい理屈を述べて僕の隣の席に座った。


 教室に、ポテチの袋が開く軽快な音が響く。


「……ねえ天音さん。あの日――GW前のあの日さ。僕が『天使みたいな子がタイプ』なんて適当なことを言ったのを、もしかして聞いていたのかい?」


 ポテチを口に運ぼうとしていた彼女の指が、ピタリと止まった。西日に照らされた彼女の横顔は、あけに溶けていく。


「……。気が付いていたのですか。悪魔のくせに、人の心を読むなんて反則です。」


「心を読むことなんてできないよ。ただ、僕のような人間が君のような天使に付きまとわれる『合理的な理由』を考えたら、それしか思い当たらなかっただけだよ。あんな言葉、君が拾い上げるような価値なんてないのに。」


「価値を決めるのは自分自身です。」


 彼女は、ポテチを一口かじると、少しだけ勇気を振り絞るように真っ直ぐに僕の方へ向く。


「誰も私を見ていなかった。……私自身も、自分の形がよくわからなくなっていた時に、アクマくんだけが『天使がいい』って言ったんです。だから私は、自分でもどうかしていると思いながら……天使になれば、あなたにだけは見てもらえると思ったから……」


「……。そんな必死にならなくても、三センチ横によってくれれば僕はちゃんと君を見ていたよ。黒板と一緒にね。」


「それはただ『視界に入っている』だけです!私は、ちゃんと認識して欲しいって言っているんですよ!」


 彼女はぷいと顔を背けた。背中の羽が、カサリと不器用に震える。その振動は、怒りと言うよりは、ようやく誰かに自分の『存在』を触れてもらえたことに対する、安堵の震えに見えた。


「……わかったよ。ポテチも用意するし、善行もやろう。だから、あんまり激しく動かないでくれ。埃が舞うのも、君の羽が折れるのも、僕の平穏には実害がありすぎる。」


「約束ですよ。アクマくん。もし破ったら、天罰を下しますからね!」


 夕暮れの教室。『悪行』を共謀するみたいに、僕たちは二人でポテチを分け合った。

 かつて教室で空気であった少女は、今、プラスチックの安っぽい光を纏いながら、確かに僕の隣で呼吸をしてる。


 彼女は最後の一口を放り込むと、立ち上がりカバンを手にする。


「今日の善行は『アクマくんの告解を聞く』で完了です。また、明日も頑張りましょう!」


 そういってそそくさと教室から去っていった。


「……天使みたいな子、か。言葉ってのは、本当に取り扱い注意だな」


 一人残された教室で僕は呟く。

 どうやら彼女が『以前の自分』を恐れなくなるまで、僕はもう少しだけ、この『自称・天使』の付き添いを続けてやることにした。


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