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うふふふ
陽光が部屋を満たす頃、シュバルツはまだ半分寝ぼけながらも、義手の状態を確認する。
魔力を蓄えた義手は、昨夜の熱の余韻で微かに赤みを帯びている。
シュバルツは額に手を当て、深呼吸をひとつ。
「…今日も痛ぇな」
義手の魔石と神経の代わりに働く魔力回路は、まだ完全に体に馴染んでいない。
軽く屈伸させ、指を開閉するだけで、肉体の奥に引っ張られるような幻痛が走る。
だが、昨日よりはわずかに慣れている――痛みを感じながらも、動かせる範囲が広がっていた。
義手の熱は、波みたいに来る。
ずっとじゃない。
でも、忘れた頃に、じわっと芯から焼ける。
シュバルツはゆっくりとベルトを締め直し、義手を布で覆った。
里の冬は冷たい。だからこそ、この熱は目立つ。
「……調子に乗るなよ」
誰に言うでもなく、低く呟く。
義手は返事をしない。
ただ、魔石が微かに脈打つ。
外に出ると、朝の空気は澄んでいて、羽音が遠くから聞こえた。
雛鳥たちの声だ。
広場の端に立つと、いつものように子どもたちが集まってくる。
距離は一定。
触れない。
でも、離れない。
一人の小さな雛が、じっと義手を見ていた。
目が合う。
「……あついの?」
唐突な質問。
シュバルツは一瞬、言葉に詰まる。
「あぁ。たまにな」
それだけ答える。
雛は少し考えてから、自分の羽を広げてみせる。
朝日に当たって、白い羽がきらっと光る。
「ぼくもね、羽、あつくなるよ。
いっぱい飛んだあと」
シュバルツは、義手を見下ろしたまま黙る。
雛は続ける。
「でもね、あついって、生きてるってことだよね?」
その言葉に、義手の熱が一瞬、和らいだ気がした。
気のせいだ。
そう思っても、否定はできなかった。
「……そうかもな」
短い返事。
それでも、雛は満足そうに頷いて、他の子のところへ走っていった。
シュバルツはその背を目で追い、義手を軽く握る。
まだ痛い。
まだ熱い。
まだ完全には自分のものじゃない。
それでも――
守るために動く分には、十分だ。
陽光の中で、黒い義手は静かに赤みを引かせていく。
今日もまた、馴染む一日が始まる。
その後、二人は食堂へ向かう。
シュバルツは義手をゆっくりと動かしながら、骨や関節に無理がないか確認する。
シエルは小鳥のように元気に歩き、朝食の匂いに目を輝かせる。
食卓に着くと、焼きたてのパンとスープ、少しの果物が並んでいた。
シュバルツは義手でスプーンを握る感覚を確認しつつ、慎重に口元まで運ぶ。
魔力による微細な動きの補助は、まだ完璧ではないが、日常動作には支障がない程度に安定していた。
「…食えるな」
小さく呟き、パンをかじる。
シエルは笑いながら、自分の分を手早く取り分け、シュバルツの隣で嬉しそうに食べる。
「ねぇ、黒猫さん、昨日の夢怖かった?」
小さな声に、シュバルツは少し顔をしかめるが、返答は穏やかだ。
「…まあ、悪夢だ。だが、もう落ち着いてる」
食後、シュバルツは義手の最終調整に取りかかる。
魔力回路の微調整、関節の固さや滑り、指先の感覚
一つ一つ確認し、必要なら小さく魔力を流し込み、内部の熱を安定させる。
「よし、これで午前中は持つな」
シエルはそんなシュバルツを横目で見つつ、無意識に手を義手に触れ、軽く温もりを感じる。
兵舎で見せたあの冷たい黒猫ではなく、家でだけ見せる、柔らかい彼の一面。
シュバルツ自身も、痛みと戦いながら、守るべき者の隣でほんの少し安堵していた。
食堂を出る頃には、朝の喧騒が里に満ちていた。
羽音、足音、木の扉が開く音。
それらが混じり合って、穏やかな生活の音になる。
シュバルツは外に出て、もう一度だけ義手を動かす。
指を一本ずつ折り、伸ばし、手首を回す。
内部の魔力は安定しているが、奥に残る鈍い痛みは消えない。
「……上出来だ」
誰に聞かせるでもなく言う。
戦場基準なら、十分すぎる。
シエルはその横で、背中の翼を軽く揺らしながら空を見上げていた。
朝の光を受けて、羽が透ける。
「今日はね、訓練なんだ。
ちゃんと飛ぶ練習」
少し誇らしげな声。
シュバルツは頷くだけだ。
「無理はするな」 「うん。でも、ちゃんとやる」
その返事に、少しだけ口元が緩む。
ほんの一瞬。
本人は気づいていない。
里の端へ向かう途中、子供が1人、昨日より距離が近い。
義手を怖がる子ではない。
じっとシュバルツの顔を見上げる。
そして、ぽつり。
「……黒いお兄ちゃん、笑った?」
空気が止まる。
シュバルツは瞬きを一つ。
自分の頬に手を当てることはしない。
ただ、低く返す。
「気のせいだ」
でも、子どもは首を振る。
「ううん。
ちょっとだけ、やさしい顔だった」
それだけ言って、羽をばたつかせて走り去った。
残されたシュバルツは、その場で一瞬だけ立ち止まる。
義手が、微かに熱を帯びる。
さっきまでとは違う、痛みを伴わない熱。
「……厄介だな」
そう呟きながら、歩き出す。
シエルは少し後ろから、その背中を見ていた。
黒くて、強くて、無骨で。
でも――里の中で、少しずつ輪郭が柔らいでいく背中。
訓練場に着くころには、シュバルツの義手の熱は落ち着いていた。
代わりに、胸の奥に、慣れない感覚が残っている。
守るだけじゃ足りない。
そう気づいてしまった大人は、もう後戻りできない。
朝の里は、まだ薄い霜が石畳に残っている。
シュバルツは義手を調整しながら歩く。義手の重さや魔力の感覚はもう完全には消えていないけれど、日常の動作なら少しずつ慣れが出てきた。義手の先端で草の茎を軽く弾く程度なら、もはや痛みはない。
シエルは朝食の後、しきりにシュバルツの後ろをついて回る。
「小鳥、今日も一緒か…」
シュバルツは無言で肩越しに視線を送るが、口元がわずかに緩む。普段は無表情な顔に、ほんの一瞬だけ柔らかさが滲む瞬間だ。
巡回の途中、里の子どもたちが井戸端に集まる。
小さな手がシュバルツの足元にじゃれつき、ついて歩く。シュバルツは目を細め、義手があたらないようにそっと腕を曲げる。ぎこちなくも丁寧なその動きに、子どもたちは興味津々だが、怪我の心配はない。
日常の訓練場では、シエルが羽ばたきの練習をする。シュバルツは遠くから見守るだけ。
しかし義手の出力を少しずつ調整しながら、剣や盾の持ち方、歩行時の体の重心を確認する様子は、無言の指導のようにも見える。
訓練の合間、シュバルツは義手の微妙な動きを確かめながら、時折表情を曇らせる。
痛みではなく――魔石の微かな意思が、彼に問いかけるような感覚。
「まだ頼れるか…?」
義手は静かに応答しているかのように光を揺らす。
日常と義手の慣れ具合、子どもたちとの触れ合いが同時に描かれることで、シュバルツの表情や内面の変化が自然に見えてくる。
訓練場の端で、雛鳥たちは地面に座り込んでいた。
飛ぶ練習をしているシエルを見るでもなく、視線はほとんど、黒い大人に向いている。
あの人は、ずっと立っている。
動かないのに、いなくならない。
先生たちは声を出すし、親たちは手を出す。
でも、あの人は見てるだけ。
それが、なんだか不思議だった。
雛鳥のひとりが、小声で言う。
「ねぇ……黒い人さ、怒らないよね」
「うん」
「笑わないけど」
「でも、ちゃんと見てる」
転びそうになった子がいれば、いつの間にか近くにいる。
声はかけない。
触るのも、ほんの一瞬だけ。
それでも、倒れない。
シュバルツは訓練場を一周し、足を止める。
義手の内部で、魔力がわずかに脈打つ。
嫌な感じじゃない。
昔の戦場で感じていた“暴れる力”とも違う。
「……静かだな」
呟くと、義手の魔石がかすかに光を返す。
応えているのか、ただの反応かは分からない。
だが、制御は効いている。
視線を上げると、雛鳥と目が合った。
じっと、まっすぐ見てくる。
「……なんだ」
低い声。
雛鳥は一瞬びくっとするが、逃げない。
「えっと……」
少し考えてから、言う。
「黒いお兄ちゃん、ずっと起きてる?」
その問いに、シュバルツは少しだけ目を細める。
即答しない。
「……寝てる時もある」
「ふーん」
納得したような、していないような顔。
雛鳥はそれ以上何も言わず、また地面に戻る。
その背中を見送りながら、シュバルツは自分の口元に違和感を覚える。
指で触れるほどではない。
だが、確かに――
「……」
また、緩んでいる。
自覚した瞬間、少しだけ眉を寄せる。
戦場では、こんな顔は死に直結した。
だが、ここでは誰も剣を抜かない。
血の匂いもしない。
シエルが羽ばたきを終え、息を切らして戻ってくる。
「どうだった?」
「……前より、安定してる」
それだけ。
でも、シエルは嬉しそうに笑う。
「今、お兄ちゃん…笑った?」
シュバルツの背中は、その声を聞いていない。
いや、聞いているが、振り返らない。
義手が、また少しだけ温度を上げる。
痛みはない。
ただ、熱がそこにある。
守る場所がある。
見られている場所がある。
それだけで、人はこんなにも不器用になるのかと――
シュバルツは、まだ知らないふりをして歩き出した。
裁縫係(若手)「はい?俺の義指ですか?ぁー皮に穴を開けるハンマーを、こう、えい!ってやられました、はい。」
親方「あいつはもうここに帰ってこねぇよ、拙い技術で人を傷つけるやつは要らねぇ」




