小鳥は静かに寄る
喪失から4年後
焚き火はぱち、と乾いた小枝を弾いた。
火の色は血のように赤く、夜風に揺れ、黒猫めいた男の影を長く伸ばす。
片腕で木剣を磨き、紫煙のようなため息を吐く男の前に──
まだ背も伸びきらぬ子供が、星の粒を抱えたような瞳で笑って言う。
「黒猫さん、暇なんでお話しませんか!
こう…生きる術とか!」
声は無邪気で、夜の静寂を破るほど澄んでいた。
黒猫の男は動かない。焚き火のひかりに照らされる横顔は、沈んだ湖のように冷ややかで。
けれど、ほんの一瞬、彼の瞳に揺れが走った。
幼い声は、かつての陽だまりの声を知らずに真っ直ぐ届いたからだ。
男は淡く笑った。
笑ったというより、口角が疲れたようにわずかに持ち上がっただけだが──
その変化は炎よりも確かだった。
「…生きる術、だと?」
「そうです!だって黒猫さん、生き残ったんでしょう?
なら、生き方を知ってるってことじゃないですか!」
まっすぐで、愚かで、眩しい。
焚き火の橙に照らされたその瞳は、死んだはずの未来を信じていた。
黒猫は、手の中の木剣をゆっくり置いた。
硬い声が、灰を踏むように低く響く。
「…生きるとは、罰だ。
奪われたまま歩くことだ。」
子供は瞬きをした。理解が追いつかず、それでも笑う。
「じゃあ、一緒に罰を受けましょうよ!
小鳥が話聞きますし、寂しかったら焚き火増やします!
ほら!火、綺麗ですよ!」
その無邪気な言葉は刃にも癒しにもなり得た。
黒猫の胸を貫いた槍の記憶が、熱く疼く。
喉の奥が、久しぶりに乾く。
──左手が、焚き火へ伸びた。
炎を撫でる熱は、生の痛みだった。
彼は目を閉じ、ただ静かに言う。
「……なら、聞け。
俺の語るのは、生き残った者だけが知る地獄だ。」
「うん!聞きます!めっちゃ聞きます!」
子供は丸太に腰掛け、膝を抱え、わくわくと火に目を輝かせる。
黒猫は炎を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
夜は静かに、ふたりを包む。
一人の喪失と、一人の無垢が交差する焚き火の前
黒猫は、生き残った意味を語り始める。
焚べられた薪は、ひときわ明るい火の粉を散らす。
風が笑うように木々を揺らし、橙の明滅が黒猫の頬に影を刻む。
子供の言葉は、あっけらかんとしていて──
それでいて、どこか深く踏み込んでいた。
「生きることが奪うことなのは、当たり前では?
ほら!ご飯とか!
でも、黒猫さんはそういう軽さの話じゃないんですよね?」
男の瞼が一度だけ細く伏せられる。
焚火に照らされた影が、眉間の皺の奥へ沈む。
「その重さは黒猫さん自身が、言ってもいいって本当に思える相手に
言える日が来るといいですね!
小鳥は話の半分しか理解できませんでした!」
幼い声は無邪気で、ひたむきで、逃げ道を作らない。
薪が爆ぜ、火の粉が夜空に散った。まるで魂の破片のように。
黒猫は喉の奥で低く笑った。
それは嘲笑ではなく──あまりにも久しい、乾いた微笑だった。
「……半分、理解した。
それで十分だ。」
火の向こうに座る子供の顔は、期待にも興奮にも似た色で染まっている。
黒猫は続ける。
「重さを知るには、まだお前は軽い。
だが、軽い者にしか運べないものもある。」
ゆっくりと焚き火に視線を落とす。
火が揺れ、燃える木が崩れ落ちるように、彼の声も崩れていった。
「俺は重すぎて、何も届けられなかった。
生き残ったくせに──救えなかった。」
頬をかすめる焚火の熱は、涙の代わりのように赤い。
それでも子供は笑って言う。
「じゃあ黒猫さん!私が運ぶの手伝います!」
黒猫は目を見開く。
驚愕でも、拒絶でもなく──
胸の奥で崩れた何かの音だった。
炎が2人の間で揺れる。
過去と未来の狭間で、言葉が生まれる寸前の沈黙があった。
焚き火の音が一瞬だけ止まったように感じられた。
風が草を撫で、夜の匂いがふたりのあいだに落ちる。
小鳥──無邪気で、ひたむきで、未来の形を恐れない声。
黒猫はその言葉を飲み込みきれず、胸の奥でゆっくり転がすように噛みしめた。
<…だって、黒猫さん
生き残ったんですよね?>
その一言は、刃ではなく羽の重み。
傷口に触れるのに、痛みより温度を残す。
火の赤が黒猫の瞳に映りこみ、細い息が漏れた。
「生き残った……ああ、そうだ。
生き残らされた、のかもしれんがな。」
かすれた声で言いながらも、小鳥の瞳を正面から見返す。
その幼い瞳は揺るがなかった。迷いの影すらない。
「ひだまりの人が望んだ“いつかきっと”を未来に運べるんですよ?
今ならこの小鳥と一緒に何処までも届けますよ?」
黒猫の喉が震えた。
笑いかけたのか、泣きかけたのか、判別できない微妙な表情で。
「小鳥。
それは俺が持って行けなかった未来だ。」
火に照らされた黒い髪が風で揺れ、爛れた過去の影が一瞬だけ薄まる。
「俺は重かった。
重すぎた。
あの日、太陽みたいなあいつを曇らせたのも、多分──俺だ。」
けれど、小鳥の声は追い打ちでも否定でもなく、未来をまじないのように描く。
「小鳥はですね、“いつかきっと”に向かって
明日翼をはためかせて飛べる日を夢見るんです。
昨日、今日と飛べなくても、羽ばたく練習をして、
遠く遠くまで飛ぶのかな?って、想像しました!」
──未来は、誰かが見ていれば消えない。
黒猫の胸に、燻っていた灰の底で小さな火種が息をした。
それはまだ弱く、触れれば消えるほど脆い。
だが、確かに灯った。
黒猫はゆっくりと目を向ける
焚き火の向こう、小鳥の方へ。
(……運べるだろうか)
小さく、だが確かに笑った。
泣き笑いにも似た、長い冬の先でようやく溶けた雪の顔で。
「その翼が疲れたら、俺が背負う。
重さを運べるのは……お前だけじゃない。」
夜空の上で、星がひとつだけ瞬いた。
まるで誰かが「聞いてるよ」と告げるように。
「それにしても、黒猫さんは優しいですね??噂とは大違いです!小鳥は猫に追い払われるかと思って戦々恐々と話しかけました!」
「なんだその噂…」
「小鳥が聞いたのは無慈悲で、笑わず、泣かず、冷徹で…まぁ、とにかく怖い感じですね!」
焚き火がぱちりと弾ける。
火花が一瞬、星のように宙へ上がって消えた。
小鳥は薪をひっくり返しながら、遠慮のかけらもなく笑っている。
黒猫はというと──目を細め、どこか呆れたような、しかし完全には否定できない顔。
「……それは大体あってる。」
素直な認め方が余計に面白いのか、小鳥は肩を揺らして笑った。
「えっ、じゃあ黒猫さん!怖いんですか?
でも今はこんなに優しいんですよ?どうして噂と違うんですか?」
黒猫は焚き火に手をかざし、影が頬を切り取った横顔に落ちる。
瞳の奥、氷のような夜と燃え残った記憶が交錯している。
「優しいんじゃない。
ただ……今は、お前の声がうるさくて沈まなかっただけだ。」
「褒めてます?それ?」
「褒めてるだろう。」
小鳥は目を瞬かせ──次の瞬間ぱあっと花が咲いたように笑う。
焚き火の明かりに照らされ、頬がほんのりと朱を差したようだ。
「黒猫さんに褒められた!今日の焚き火はご馳走ですね!!」
「お前の胃袋は単純だな。」
「黒猫さんもですよ?人から見た“怖さ”なんて、知らない間に優しさの裏返しになってるじゃないですか。
泣かないのも、笑わないのも──傷つきたくないからじゃないですか?」
黒猫の指が止まる。
微かな呼吸音だけが夜気に溶ける。
小鳥はゆっくり、言葉を焚き火へ投げ入れるように続けた。
「怖い人はね、自分が壊れる音を聞きたくないだけなんですよ。
だから固くて冷たい鎧を着るんです。
でも中身は、案外あったかい。」
小鳥は薪をひとつ置き、火がまた高く揺らめいた。
「黒猫さんは、優しい。
噂なんて、ただ影だけを見た人の言葉ですよ。」
静かに振り返る黒猫の瞳には、もう氷の色は薄かった。
「……お前みたいなのがいるから、影にも灯りが差すんだろうな。」
「それじゃあ、小鳥の仕事は──照らすことですね!」
「違う。照らすだけじゃ足りない。」
黒猫は焚き火越しにゆっくりと目を細める。
「影ごと抱いて、離れるな。」
夜風がふたりの間を通り抜け、星が燃え尽きた火のように瞬いた。
噂の黒猫は、本当は孤独に凍えていたのかもしれない。
だが今、焚き火のそばには小さな翼がいる。
逃げない、怯えない、無邪気に手を伸ばす。
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