第44話 見届けた覚悟の先
「しかし問題はこれからです。王子の婚約者を、オリアーヌ嬢からアペール嬢へ変更しなければなりません」
お父様の了解を得ると、ミュンヒ先生は早速、次の話題を切り出した。そう、まさにここが本題だからだ。
「そうだな。まずは貴族派を説得しなければ、話は始まらない。アペール男爵をこちら側へ引き入れるにしても、反対されては難しいだろう」
「カスタニエ公爵のおっしゃる通りです。だから私も、公王様の説得から始めたいと思っています」
「ん? 貴殿は確か、中立派ではなかったか? いつ、王権派になったのだ」
そういえば、ミュンヒ先生の貴族としての立場を、明確には聞いたことがない。仮に王権派だったとしても、私たちの婚約には支障がなかったからだろう。それはシルヴィ嬢もまた、同じ。だから乙女ゲームでも、設定集に書かれていなかったのだ。
「今も昔も、我が家門は中立派ですよ。ただ、今は学園で、王子の監視もとい監督係を仰せつかっているため、公王様に進言し易いのです」
「なるほどな。王権派ではエミリアン王子を称賛し、貴族派だと貶し兼ねない。正確な報告を望んだ結果、貴殿に白羽の矢が立った、というわけか」
「初めはいい迷惑だと思いましたが、結果的に引き受けて良かったと思っています」
通りで、と私は内心、頷いた。いくら私の相談に乗り、恋人役を買って出てくれたとはいえ、エミリアン王子への対応が悪すぎる、と思っていたのだ。まさか、イヤイヤ引き受けていたとは……これはさすがに乙女ゲームの設定集にも書けないだろう。
ミュンヒ先生は攻略対象者だけど、最初から印象が悪いのだ。それをさらに悪くするなんて……うん。難しいと思う。
そんな風に物思いに耽っていると、突然、肩を掴まれた。
「私はこのまま結婚せずに、学園に骨を埋める覚悟をしていたものですから。そしたらどうでしょう。まさかこの年で、伴侶にしたいと思える人物に出会えるとは」
「伴侶って……じゃなくて、そんな卑下されるような年齢だとは思えませんが」
「しかしだな。オリアーヌ嬢の立場と年齢を考えると……難しいだろう」
年齢はともかく立場、というと公爵令嬢のことを言っているのだろうか。確かに公爵令嬢なら、下級貴族は難しいけれど、王族から上級貴族に至るまで、選びたい放題である。
その中には、エミリアン王子のように、年齢の近い令息たちは山のようにいる。あえて八歳も年上の男性を選ぶことはない、とミュンヒ先生は言っているのだ。
「まぁ! ふふふっ。まだそのようなことを、気にしていらっしゃったのですか?」
「当然だろう。残念だが、カスタニエ公爵家からすれば、王子を蹴ってまで、我が家門と婚姻関係を結ぶメリットはない」
「それはどうだろうか。権力に固執する、厳格な父親像というのも悪くはないが、貴族派の筆頭にいるのも、少々疲れてきてな。ここは娘の恋愛結婚に理解がある、寛大な父親像という印象にすり替えて、休むのもいいか、と思ってきているところだ」
「父上!」
ジスランはやはり反対なのか、非難の声を上げる。しかしお父様の表情は、穏やかなままだった。
「お前を見ているとな。貴族派を引っ張っていけるとは思えんのだよ」
「そ、そんなことは……」
「では、国と家門、そして私を前にした時、優先するのはどれですか?」
「オリアーヌに決まっているだろう!」
迷う素振りもなく返答する姿に、私とお父様はため息を吐いた。つまり、お父様が懸念しているのは、このことを言っているのだ。
何をするにしても、私を基準にされては、貴族派を率いていくことなど……無理な話である。
「カスタニエ公爵。心中お察しいたします」
「分かってくれるか、ミュンヒ侯爵。貴殿が相手ならば、この愚息が手を回しても、大丈夫だと思ったのだ」
「なるほど。オリアーヌ嬢を王子の婚約者にした原因は……そういうことでしたか」
カスタニエ公爵家の嫡男であるジスランが手を出せない存在。それは王族しかいない。あとはお父様のおっしゃる通り、ミュンヒ先生のような、性格に難が……いや癖のある人物くらいだろう。
おそらく、そこを心配していたから、すぐに認めてくれなかったのだ。しかし実際にジスランを退けている姿を見て、考え方を変えてくれたらしい。
「では、私たちの関係をお認めになってくださる、ということですか?」
「先ほどのミュンヒ侯爵の姿を見てな。お前に同情したわけではないことが分かったからだ」
「さすがですね、カスタニエ公爵。そこを見抜いておいでだったとは。キッカケはそうですね。オリアーヌ嬢からの相談でしたが、今は違います。誰にも渡したくないくらい、オリアーヌ嬢を愛しています」
「っ!」
思わず横にいるミュンヒ先生の顔を見た。エミリアン王子との婚約解消ばかりに気を取られていたばかりに、肝心のミュンヒ先生からの愛の告白を、受けたことがなかったことに気づいたのだ。
ほしい、とは言われたことがあったけれど、ストレートに「愛している」とは言われたことがない。「好き」だとも……。
それなのに、ここで!? という不意打ちに私は狼狽えてしまった。いや、正確には感情のコントロールをできなくなっていたのだ。
すると肩に置かれていた手が、背中に回り、気がつくと抱きしめられていた。そればかりか、ミュンヒ先生は立ち上がり、その勢いを使って私の膝の裏を持ち上げてしまったのだ。
「申し訳ありません。少しばかり、お時間をいただけないでしょうか」
「いや、その必要はない。確認したいところは確認し終えたのでな。あとは書面でのやり取りで十分だろう。今日はこのままここに泊っていっても構わんし、オリアーヌを連れて行っても構わない」
「ち、父上! それはさすがに……」
「確かに。婚約前の令嬢を連れて帰るわけにはいきませんので、部屋を用意していただけると助かります」
「ふむ。では客間に案内させよう。勿論、バラデュール卿にも別の客間を用意させるから、安心してくれたまえ」
「ありがとうございます!」
フィデルの元気のいい声が聞こえてきたが、その前の出来事と会話に、私の頭はパンク寸前で、それどころではなかった。
ミュンヒ先生はどうして私を横抱きにしているの? どうしてお父様はあんなことをおっしゃるの?
誰かこの状況を説明……ううん、止めてーーー!




