骸骨の記憶(1)
空中に浮かんで待つ魔王の背後には清々しい青空が広がっている。地上には陽の光を受けて輝く緑の木々が茂り、清らかな水を湛えた小川が流れている。ここは魔界だと魔王が言っていたが、僕がイメージする魔界は紫の空に覆われた暗闇にとげとげしいイバラが茂り、ドロリとした血の色の池であぶくが弾けているような世界だ。目の前の光景はこんなイメージには程遠く、多分僕が住んでいたはずのごく普通の世界と何一つ変わらない。
魔王は空中で腕を組みながら、トカゲが這うように壁を登ってくるアカツキを物憂げな表情で見つめていた。
「そうか、飛べないんだったな」
魔王は事もなげにそう言ったけど、飛べるのが普通なの?この世界じゃ。魔王の言葉はアカツキが飛べないことを知っていたような口ぶりだ。
アカツキは屋上に着くと、ただその場に佇み微動だにしない。空中から眺めていた魔王は静かに屋上に降り立つと、アカツキに向き直り語り掛けた。
「アカツキ、あの戦いを覚えているか」
魔王は同意を求めるように、それが当然であるかのように、ニヤリと片方の口角を上げた。あの戦いが何を指すのか分からないけど、彼らにだけ分かり合える何かがあるのだろう。
「いえ、戦った記憶はありません」
とんだ肩透かしに、魔王は腕を組んだままガクッと左に傾いた。
「ええ、ほんとに?結構な激闘だったよ。忘れちゃったの?」
「記憶がないので、忘れたのか知らないのか判断できません」
アカツキは淡々と素っ気なく答える。
「もしかして戦ったこと以外のことも全然なんにも覚えてないの」
「はい、ここで目覚めてからが記憶の全てです」
アカツキの言葉に僕はハッとした。そういえば、僕も以前のことは覚えていない。たった一つ覚えているのは死ぬ直前の記憶。でもこの記憶があるからこそ、僕にも「以前」が存在するはずだと思えるんだ。落下しながら見上げたビルにいた少女。誰かも分からないけど、その記憶の中で少女は何かを叫んでいた。きっとそれは僕の名前なんじゃないだろうか。でも、僕はもう自分の名前も思い出せない。
「俺のことも覚えてない?」
「今しがた覚えました」
魔王は明らかにアカツキと過去に面識があるようだが、アカツキは魔王を覚えていない。魔王の仏頂面を見る限り、ことさらそれが不満のようだ。久々に再会した幼馴染が自分のことを覚えていない的な。我ながら、骸骨と角生やした魔王が並ぶ絵面で、よくもまあ幼馴染とか連想したもんだ。こんなどうでもいいラブコメネタを思い出すよりも、自分のことについて思い出したいんだけど。
「お前、俺と戦ったんだよ。んで、俺が勝った」
勝ったのとこだけ魔王は胸を張って言った。そこは重要らしい。
「……」
記憶にないからか、アカツキは何も話さない。
「アカツキって名前は憶えてたじゃねえか」
「体験以外の基本情報は保持しています」
「あの戦いだけじゃなくって、もう、何もかも、昔の体験は記憶がないってことか」
「過去に体験があったと仮定して、その通りです」
魔王は口を半開きにして何も言えずにいる。
「……まあいい、お前の記憶がないのは分かった。だったら俺の知る限りのお前の過去を話してやるよ」
「……」
問いかけでないと徹底して無反応のようだ。表情もないから聞こえてないのかと思ってしまう。魔王も僕と同じこと考えたのか、コミュニケーションの指導が入った。
「それと、相槌くらい打てよ。会話しにくくてかなわねえ」
「はい」
即座にアカツキは相槌を打って返したが相変わらず素っ気ない。できるなら最初からやれとでも言いたげに、魔王は目を剥いてアカツキの顔を覗きこんでいる。しかし、骸骨が表情を変えるでもなく、これ以上の反応はあきらめて話の続きを始めることにしたようだ。魔王はどっかと胡坐をかいて座り込み、「お前も座れ」とアカツキを促す。正座するのかと思ったが、アカツキが胡坐をかいて応じると、大仰に咳ばらいをして魔王は語りだした。
「かつて俺ら魔族は人間どもの世界に攻め入った。お前は人間どもが作った戦闘サイボーグで、人間どもの切り札と呼べる最強戦力だった。お前は強く、我らも苦戦を強いられた。われら魔族は力を合わせ、お前の装備をはぎ取っていった。剣を奪い、翼をもぎ取り、皮を剥ぎ、最終的にお前は今の姿になった。お前最初は金髪で羽生えてて、見た目天使だったんだぞ。皮を剥いだらそんなになっちゃてさ。それでみんなお前のこと骸の天使って呼んでんだ」




