灰色の世界
ぐおおぉおぉおおおおおお――――――
その声は野獣の断末魔だろうか、苦悶に満ちた凄まじい雄叫びがどこかから聞こえて目が覚めた。雄叫びはビリビリと体中に響き渡り、その残響でしばらくの間体が痺れていた。だけど、消えゆく残響の中で僕は自覚した。残響と痺れが最後まで残っていたのは僕の喉元。叫んでいたのは、僕自身だった。悪夢から醒めたような困惑の中で思い出す、さっきのビルから落っこちたあれは夢なんかじゃない。間違いなく現実だ。僕が落ちたビルは二十階はあっただろうか。あの高さから落ちたのなら叫ぶ間もなく絶命するはずだ。それでも今、僕は生きてここにいて、そして確かに叫んだんだ。
なけなしの記憶の中で最後に見たのは真っ赤に染まる空だったが、視界はさらに色を変えて、今は薄暗い部屋の灰色の天井になっていた。ビルから落ちた記憶は鮮明で、ついさっきの出来事だと感じるけど、ここがビルの足元の地面ではないことは明らかだ。どれだけ時間がたったのだろうか。
視覚はある。聴覚もあった。背中に冷たく固い何かの感触がある。体を大の字にして寝転がっているようだが、手も足も動かない。縛りつけられて身動きがとれないのではなくて、筋肉に力を入れることができなくて指先ひとつピクリとも動かせない。身じろぎ一つできない状態だ。
いや、そもそも手や足はまだ胴体につながっているのだろうか。手足が動かせないのではなくて、もうそんなものはないなんてことは……我ながら恐ろしい想像にそれを確認するのが怖かったが、躊躇していても仕方がない。腕があるのか確かめようと、思い切って横を向こうとした。しかし、首も同じく動かない。それどころか眼球も動かせない。視界は定点カメラの映像のように、相変わらず灰色の天井の一点を見つめたままだ。
ここは何処なんだろう、病院なのだろうか。奇跡的に一命をとりとめたのか。もしかして僕は植物状態というやつで意識だけが回復して体が動かないのか。
だったら医者はどうやって僕の意識が回復したことに気づくんだろう。実際、今意識はあるのに誰かが声を掛ける様子もない。「気がつきましたかー」とか「聞こえますかー」とか声を掛けられても、眼球すら動かせないんだから何一つ問い掛けに反応できない。僕に意識があることが伝えられなかったら、僕は死んでいるとして扱われるのか? まさかこのまま火葬されたりしないよな。意識があるし触覚もあるんだよ。怖い、怖いよ。
いや、よく考えたら、さっき僕は叫んでいた。あれで病院の人は気づくだろう。そうだ、声だけは出せるのかもしれない。そう思い、もう一度声を出そうとしたけど、叫び声どころか小さなうめき声すら出せなかった。
なんてことだ。ため息すら出せないとは。悪い夢であってほしいと願った。一度目を閉じて、もう一度目を開いたら、夢から覚めて何事もなかった日常の風景に戻るのではないかと期待した。だけど、それを試すことはできなかった。目を閉じることすらできなかったのだ。違う、目を閉じられないんじゃない。なんとなくわかる。そもそもこの目には、瞼がないのだ。
どういうことだろう。体はある様な、無いような、意識だけの存在みたいじゃないか。意識だけの存在、それって……嫌な考えがまたも頭をよぎった。さっきから悪い想像しかしていない。この嫌な予感をきっかけに、僕は一つの絶望的事実に気づいてしまった。ああ、なんてことだ……さっきから僕は……息をしていない。呼吸をしていないが苦しくはない。いよいよまずい。手足がないことよりも更に更に深刻な事態。認めたくない。認めたくはないが、僕はもしかしたら……
ユーレイなのではないだろうか。




