ポケットいっぱいのアイラブユー
夏の高原。
「この木なんの木」と歌いたくなるような大きな木の陰で、拓実と並んで涼を取る。
草の上に寝そべった拓実の横で、夏希は高い梢を仰いだ。
枝の隙間に夏の空が見えていて、ゆっくり首を動かしてみると、白い陽射しが枝の模様にきらきらと瞬いた。
視線を下ろし、寝ている拓実を眺めた。
仰向いた拓実の顔の真ん中で、形のよい鼻がツンと上を向いている。
拓実が気持ちよさそうに寝息をたてるたび、シャツの胸が上下していた。
さざ波のようにやって来た夏風が、拓実の髪に触れて揺らした。
拓実の髪で遊ぶ妖精たちの姿が見えるようだ。
この俺に断りもなく拓実の髪に触れるなんて、その要領の良さに少し嫉妬する。
俺だって触りたいのにと夏希は思った。
拓実の髪、俺も撫でたらおかしいかな。
周りの目を気にしながら、そんなことを悪戯っぽく考えてみた。
何年か前なら、やっていたかもしれない。
けれど、その頃よりは大人になった今、状況に応じてブレーキも掛けられるように成長した。
髪を撫でることはできないけれど、そのかわり、じっと寝顔を観察した。
拓実の寝顔なんてもう何度も見てるのに、いくら見ても見飽きないのはなぜだろう。
拓実がよく、飼っている犬のことを、あいつのことはどれだけ見てても飽きないと話す。
それと同じなのかな――夏希はこっそり笑った。
草の上で眠る拓実に、風がまたどこからか吹いてくる。
なんとなく、その寝顔に呟きたくなって、唇をひらいた。
「拓実、好き」
拓実、好き――
口にするたび、この胸のポケットがいっぱいに膨らむ気がする。
嬉しいような恥ずかしいような、そしてちょっと切ないような……
そんな思いが溢れそうになり、いつも慌ててしまう。
どうしよう、困ったな。ここから逃げ出したい――
そうやって戸惑うたびにポケットを押さえるのだけれど、また何度でも言いたくなるから不思議だった。
「好き」
するとそのとき、眠っていたはずの拓実の口元が不意に歪んで、拓実が吹き出した。
はっとして黙った夏希の前で、拓実がそろりと目をあける。
拓実は寝転んだまま、にやりと笑った。
「そりゃどうも」
夏希の顔がみるみる赤くなる。
寝顔にそっと好きだなんて、そんな恥ずかしい独り言を聞かれてしまうなんて。
「なんだ拓実、起きてたの」
可能な限り平静を装って、そうたずねる。
「うん。はじめはほんとに寝てたけど」
「そっか」
夏希は素知らぬ顔でやり過ごそうとするけれど、なにせ心臓がドキドキと騒がしい。
拓実は相変わらず寝転んだまま、そんな夏希をうれしそうに見上げていた。
「夏希ってさ、ときどきほんとに可愛いよね」
拓実がじっと見てくるが、あくまでスルーする。
夏希は手元にはえていた細い草を一本引き抜き、意味もなく、ねじったり結んだりした。
「ね、なっちゃん?」
「その顔やめろ」
「え、俺ヘンな顔してる?」
拓実は片手で自分の頬を触りながら、「うれしくて、つい」と言って笑った。
夏希が持つ一本の草には二つ、三つと結び目ができていく。
目を合わせようとしない夏希を、拓実はそれでも楽しそうに眺め、話を続けた。
「もちろん夏希は可愛いだけじゃなくて、かっこいいトコもいっぱいあるけどな」
「無理しなくていいよ」
「無理なんかしてないよ」
「男のくせに、やることが乙女だと思っただろ」
「思ってないって」
拓実は微笑み、草の上で姿勢を変えて、頭上の枝葉を見上げた。
拓実の瞳に小さな木漏れ日が映った。
「まあ、可愛くても、かっこよくても……」
そして再び夏希のほうを見て、その横顔に言った。
「どんな夏希も好きだよ、俺は」
好きだよ――
どんな夏希も、変わらずに俺は――
拓実がそんなことを口にするたび、この胸のポケットが弾けそうになって、慌てて手を当てる。
「俺がぞっこんだってこと、内緒だぞ」
茶目っ気のある声に夏希が拓実を見ると、拓実は人差し指を唇の前に立てた。
「誰にも言うなよ」
それから意味ありげに少し笑って、こう付け加えた。
「夏希の独り言も秘密にしといてあげるから」
憎らしいその顔に向かって、夏希は持っていた草を投げた。
「バカたく!」
それだけ言い捨て、立ち上がって木陰から飛び出した。
太陽光線が眩しく目を射し、世界がハレーションを起こす。
「夏希!」
背中で拓実の呼ぶ声が聞こえたけれど、振り返らずに草の上を駆けた。
それを拓実が追いかけてくる。
夏希、と名前を呼びながら。
「待てよ、夏希!」
拓実に名前を呼ばれるたび、この胸はいっぱいになる。
嬉しくて恥ずかしくて、そしてちょっと切なくて胸がいっぱいになる。
どうしよう、困ったな。ここから逃げ出したい。
零れそうなたくさんの思いに戸惑うけれど、だけどそれでも――
「夏希、待ってったら!」
何度でも呼ばれたい。
君にも触らせてみせたい、このいっぱいに膨らんだ、君への思いが溢れる胸のポケットを。
夏草の上を駆けながら、背中に拓実を感じていた。
振り返らなくてもわかる。
ほら、今――
「よっし、つかまえた!」
君が追いついた。