02:チュートリアル
「出迎えご苦労!」
四輪駆動労働車は労働力を燃料とする鋼鉄の乗り物だ。主に神の山不二から遠く離れた地で労働局員が移動のため使用する。その昔、話には聞いたことがあった北上だが、現物を見るのは初めてだったので、まじまじと観察してから労働車から降りてきた男に視線を移した。
ねずみ色を基調とした労働局の制服がはち切れんばかりの巨漢。誰の目にも明らかな醜い男だったが、全身から立ち昇るような自信が溢れており、その自信に後押しされるように背筋は伸び、高々と胸を張っていた。
「お前だな! 掃き溜めを脱走したニートは!?」
「うるさいな……」
北上は眉間にしわを寄せて呟いた。男には聞こえなかったようで、
「返事なし、と。これだからニートは」
やれやれ、といった様子で肩をすくめてみせた。
「いや待て。なんでお前ひとりなんだ?」
四、五人のニートが脱走したという報告だったことを思い出す。続く総力をあげてこれに対処すべし、という連絡は都合よく忘れてしまっていた。
「みんな後ろにいる」
男は目を凝らして北上の後方400メートルのところに人影らしきものを確認した。
「お前もひとりか?」
「楽しみは独り占めしたい性分でね」
「それは困る」
「あ?」
「ちょっと待て」
北上は胸ポケットから四つ折りの紙を一枚取り出し、丁寧に展開した。
「第一陣は、一級を筆頭にした二級三級で構成される、20人から50人程度の部隊。と、書いてある」
「……話が見えねーな」
四つに折り畳んで胸ポケットにしまってから、男の目を見た。
「私がひとりでそれらを倒して、今後の計画に支障はないとキングに判断してもらう計画だった」
困った困ったと呟きながら、北上はうろうろと歩き回る。男は巨体を揺らし、わなわなと震えていた。
「つまりなんだ、俺じゃ役不足ってことか……?」
「そうなる」
「二級労働者、大熊寺田吾だぞ!?」
大熊寺は制服の左胸に施された金の二本線を誇示するように見せつけた。
「え、二級? 一級ですらないのか……」
北上の顔に露骨な不満が現れた。そして、思い出したように吹き出した。
「へんな名前」
「クソニートがァ!」
大熊寺は腰に下げた金属製の筒を手に取ると、自身の労働力を流し込んだ。鋭く高い音を伴い、一瞬にして光り輝く労働力の刀身が出現した。
反労働者制圧用携行武器――通称、労働剣。全ての労働局員に支給されるニート制圧用の武器だ。一般的に労働力の体外操作は高度な技術が必要とされ、労働剣のような媒介無しで剣を創るとなるとロスが大きい上、並みの技術では形も出力も安定しない。そこで開発されたのが労働剣だ。これは労働力を流し込むだけで一定の出力を保った剣を創り出すことができる優れものである。
「お前は俺の誇りを傷付けた!」
「二級程度で誇るな、恥ずかしい」
「名前の方だ! クソがッ、泣いて謝っても今さらおせーぞ!」
大熊寺は逸る気持ちを抑えて舌なめずりした。
「ニート狩り……! ニートバースト以来だ……!」
大熊寺田吾は二級労働者で、第八反労働者収容所を管理監督する監視所の代理所長だ。こうして単独で行動しているのは堂々と職権を乱用して、他の局員に待機を命じているからである。その立場まで彼を押し上げたのは、10年前の厄災、ニートバーストだった。
当時26歳の大熊寺は高い志と熱い思いをもつ将来有望な若者だった。恵まれた体格と精悍な顔つきで、独身ということもあり、女性労働局員の話題にちらほらあがることもあった。
大日本労働局の一局員として職務を全うしていたある日、反労働者――ニートの反労働力が爆発的に増加し、自我を失って労働者を襲う現象、ニートバーストが起きた。
当時の大日本労働帝国には結構数のニートが暮らしていた。自身の子がニートであることを隠していたり、正式な手続きを踏まずに捨てられたニートたちが集落をつくって暮らしていたのだ。
そのニートたちが手当たり次第に労働者を襲った。労働力換算で一級から三級だといわれている。一般の労働者に太刀打ちできる相手ではなかった。破壊の限りを尽くして蹂躙するその様は、100年前に掃き溜めの王が起こした死の行進を思い起こさせた。
事態の収取をはかるため、大日本労働局が打ち出した策は広域殲滅――ニートを見つけ次第殺せというものだった。
大熊寺は帝国の対応に疑問を抱きながらも出動し、ひとりのニートが次々に労働者を襲っている現場に遭遇した。決意は揺らいでいたが、国民を守るという使命が彼を突き動かした。ニートの意識を自分に向けて、労働剣を構えて正対した。飢えた獣のような品のない猛攻を凌ぎきり、隙を逃さず致命の一撃を浴びせた。心臓の左心室に位置する労働力や反労働力の源である魂魄を貫いたのだ。
初めて行う命のやり取りに大熊寺は高揚し、多幸感をおぼえた。その日はニートを、闘争を求めて大日本労働帝国を駆けまわった。
そうして大熊寺は狂った。
50を超えるニートを掃討した大熊寺は労働局から表彰され、今の地位を得た。彼が処分したニートのほとんどが年端もいかない子供だった。
ニートバーストは発生したその日に終息した。発生原因は今も不明。10年前のこの厄災を機に、ニートは厳しく管理されることになる。
「イイコト教えてやるよ。労働者とニートには魂魄ってのがあってな、ちょうどここだ」
大熊寺は親指で自身の胸の中央をつついた。
「知っている。そこを潰せば死人同然になるんだろう」
「惜しい! 潰したときの感触が気持ちいーんだ。これがイイコト」
大熊寺はいつでも取り出せる位置においていた記憶を辿って、快楽に身を震わせた。
「覚えておこう。ついでにもう一つ、屠殺という言葉の意味を教えてくれ」
「屠殺?」
突然のことに面食らった大熊寺だが、すぐに余裕が顔に出た。
「知ってどうすんだよ」
「いいから答えろ」
北上はすでに意味を知っている。それでも何か間違いがあるのではないか、と期待しているのだった。
「ひとつは家畜を食うために殺すって意味で使われる言葉だったかな。それから……」
大熊寺はわざとらしく考え込んでから、べろべろばあの要領で、北上に下卑た顔を見せた。
「お前たちニートを殺処分するときに使う言葉だよ!」
今度は北上が記憶を辿る番だった。
『君のお兄さんはね、屠殺されるんだよ』
労働局員は防毒マスクの中で笑顔を浮かべた。北上は疑いもせずに上機嫌になった。その日以来帰ってこない兄を待ち続けているうちに、本当の意味と深い絶望を知った。
「そうか。私たちは人ではないか」
北上は反労働力――ニート力を手のひらから放出し、刀の形に留めた。鍔がない抜き身の刀は、北上がイメージする力の象徴だ。労働力の対極に位置するその力は、闇より黒く光り輝いていた。
「ニート力を媒介無しで!?」
大熊寺は目を見開くが、
「どうせ見せかけだろ……!」
言い聞かせるように呟いた。
「来い、豚。屠殺の時間だ」
切っ先を向けられた大熊寺は、声にならない叫びとともに地面を蹴った。一足で北上を間合いに捉えて横薙ぎの一閃を振るう。黒と白の刀身が衝突してモノクロの火花が散り、それをブラインドにして北上の側背に回った大熊寺は、魂魄目がけてとどめの一撃を放った。しかし労働剣は虚空を貫く。
「二級労働者。この程度か」
後ろからの声に大熊寺は前に飛び転がった。ひどく残念そうな顔で立っていたのは北上だ。
「こっからが本番だ……!」
驚きを苦労して飲み込んだ大熊寺の額には大粒の脂汗が浮かんでいた。
労働者は労働力の体内操作によって身体機能を強化する。大熊寺の巨体に似合わぬ身のこなしはまさしくこれによるものだ。当然北上もこれを使う。ただ、北上の場合、体内を巡っているのは労働力ではなく、ニート力だということだ。
労働力とニート力の本質は同じである。プラスの労働力とマイナスの労働力という考え方が直感で理解しやすいだろうか。二つの力は決して交わらず、力の大きさに比例した反発を引き起こす。大熊寺の労働剣と北上のニート刀が衝突したときに弾けたのはこのためだ。
大熊寺は大きく息を吐いて冷静さを幾分取り戻すことに成功した。
大熊寺は第八反労働者監視所の代理所長という立場から、掃き溜めには労働力換算で四級以下のニートしかいないことを知っている。労働力換算で三級以上のニートは屠殺処分されるからだ。月に一度の定期調査で掃き溜め内のニートを全員調査し、立場上結果に目を通してから判を押している。このところ異常はなかったはずだ。
だが、目の前のニートは軽く見積もっても二級以上。調査を担当した労働局員がサボタージュでも決め込んだのか、このニートは調査を掻い潜るすべを持つのか、と考えたところで思考を止めた。
そんなことは後でいい。コイツをどうにかしないと。
一対一で行われる労働者とニートの戦いにおいて勝敗をわける要素は大きく三つある。
一つ目は労働力の高さ。子供が大人に喧嘩で勝てないように、四級相当のニートが一級労働者を負かすことはない。これはもうそういうものだ。労働力が高いから強いのだ。しかし労働力が僅差の場合はその限りではない。二つ目の要素で逆転の芽は生まれる。
二つ目は労働力操作の練度。体内操作による身体機能活性と、対外操作による労働力の行使は、日々の研鑽と経験がものをいう。経験が少ない一級労働者と、二級相当の手練れのニートが戦った場合、ニートに軍配があがる可能性は十分にある。だが等級の差は容易に詰められるものではない。雑な労働力の放出でもまともにくらえば低い等級の者には致命傷となりうるのだ。では大物狩りは成しえないのか。そんなことはない。三つ目の要素で完全な下剋上を決めることができる。
三つ目は特殊技能。神に選ばれし者のみが持つことが許された特別な能力だ。人によって発現する能力は様々で、同じ時代に同じ特殊技能を持つ者は現れないとされている。過去には三級相当のニートが一級労働者を倒した事例も存在する切り札だ。
大熊寺も特殊技能を持つ労働者のひとりだ。10年前の厄災ニートバーストを生き延びたのも、この力で窮地を切り拓いたからだ。
大熊寺は目の前のニートを一級相当と仮定。自身が挑戦者の立場であることを胸に刻み、労働剣を構えて鋭い目で北上を見据えた。慢心も余裕もなく、初めてニートと正対したあのときと同じ目をしていた。当時の使命は思い出せないでいるが、胸の奥で燻っているのだった。
「次で決めるぜ」
「そうだといいな」
大熊寺は跳躍した。10メートルほど跳び上がったところで落下が始まり、労働剣を上段に構える。
北上はニート刀を両手で握り頭の上で構えた。正面から受けるつもりである。キングに色良い報告をするために完全な勝利を求めたのだ。
大熊寺は100キロをゆうに超す全体重を乗せ、労働剣を振りぬいた。受け止めた北上の頭上で白と黒の刀身が炸裂して、モノクロの火花が滝のように降り注ぐ。
「両手を使ったな!」
大熊寺は反発する力に負けないようにうまく体重を乗せ続ける。そして大きく息を吸って、空気で満たした肺に自身の労働力を混ぜ込んだ。
『俺の勝ちだッ!』
拡声器を通したような鋭く波打つ声が北上の体を貫いた。大熊寺は刀身の反発を利用して距離をとり、防御姿勢のまま動かない北上を見て勝利を確信した。口の端に笑みを浮かべて悠然と近づいた。
「俺の特殊技能、大声! 労働力をまとった声は労働器官を伝い人体を破壊する。死にやしねーけどこの距離で喰らったんだ。そりゃ気ぃ失うわな。鼓膜も逝ったか? って、もう聞こえちゃいねーか」
「悪い。聞いてなかった」
大熊寺の視界から北上が消える。次に視認したときには、北上は低い姿勢でニート刀の切っ先を大熊寺の胸に向けていた。
「まっ――」
稲妻の走るが如く黒き一閃。大熊寺の魂魄を正確に貫いた。北上がニート刀を引き抜くと、その箇所から多量の労働力が勢いよく溢れ出た。
「耳栓……?」
北上の耳からじわりとニート力が抜ける。茫然自失の大熊寺は思ったことをそのまま口にした。
北上は大熊寺の特殊技能が発動した瞬間、ニート力の体内操作で鼓膜の機能をオフにしていた。掃き溜めを出た際、太陽に目が焼かれそうになったときに、ニート力の体内操作で視神経を一時的に切断した経験が生きたのだった。
とはいえ、そんな芸当彼女以外の誰にもできない。
北上姫子は10年前の厄災ニートバーストで正気を保っていた唯一のニートだ。厄災の影響で跳ね上がった自身のニート力を完全に制御してみせた、ニート力操作の天才である。
そんな北上でも大熊寺の特殊技能を無視することはできなかった。労働器官を攻撃されたことによる一時的な全身マヒを引き起こしていたのだ。いくらニート力操作の天才といえど、ニート力の通り道を塞がれては手も足も出ない。大熊寺の敗因は気絶と断定して慢心したことだ。すぐさま北上の懐に潜り込み、魂魄を破壊すべく動いていれば、別の結末になっていたかもしれない。
大熊寺は虚ろな目で自身の胸から溢れ出す労働力をかき集めていた。しかし労働力は両手をすり抜けるばかり。その動きは緩慢になっていって、やがて膝からくず折れた。
「掃き溜めに沈め」
大熊寺は巨体を揺らして地面に倒れ込んだ。
労働力やニート力は人体を通り抜ける素粒子のようなものだ。体を貫いたといっても、肉体に損傷はない。魂魄を失っただけで死ぬわけではないのだ。長い昏睡の末、労働力を持たないただの人間として第二の人生を送ることになる。
大熊寺にとっては恥辱の日々になるだろう。労働力がすべてのこの世界では、死人も同然なのだから。
「うそつき」
北上は手のひらに残る不快な感触を拭い去るように拳を握った。