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01:掃き溜めの王、地に降り立つ

「神の山不二。腹が立つほどに聳え立っていやがる」


 西日を浴びて黄金色に輝く神の山不二を眺め、少年は目尻を尖らせた。標高7552メートル。裾野まで含めた面積は2400平方キロメートルに及ぶその山はまさに神の名を冠するに相応しい。一面のハゲ野原に聳え立つ唯一にして至高の存在だ。


「しかし許してやる。何せ、もうすぐ俺のものになるのだ。貴様の不遜なその態度も相応しいものになろう」


 少年の口の端に笑みが刻まれた。黒鉄の兜をかぶった山頂部――大日本労働帝国の舵取りを担う中央労働局の総本山に視点を合わせる。


「さて、大日本労働帝国。覚悟はいいか? 侵略の時間だ。これより天と地が逆転する。ニートは天に昇り、労働者は地に堕ちる。すべてをひっくり返してみせるぞ。この掃き溜めの王――キングがな!」


 キングと名乗った少年は大日本労働帝国を相手に啖呵を切った。しかし少年は、最初からずっと少女の脇に抱えられていた。


「西郷、降ろせ! 恰好がつかないだろう!」


 手足をばたつかせて抵抗の意思を示すが、西郷と呼ばれた背の高い少女は全く意に介さない。だからおとなしく現状に甘えていたのだということをキングは思い出した。


 少女は汗ばんだ肌とシャツの間を吹き抜ける風の心地を楽しみながら、ルビーをはめ込んだような切れ長の瞳で神の山不二を見ていた。


「いやぁ、絶景絶景。これだけでも地上に出た甲斐があるってもんよ」

「……どうせすぐに見飽きる」

「浪漫がわかんねーヤツだな」

「浪漫で腹が膨れるか。さっさと降ろせ」

「はいよー」


 西郷はキングを軽く放り投げた。キングは空中できりもみ回転を披露したのち、地面と抱擁を交わした。その様子を見て西郷は「へへっ」と笑った。


 西郷さあやはしなやかなラインを描く長身が特徴的な明朗快活な少女である。シャツにホットパンツ、スニーカーというラフな格好だ。太陽を溶かして染めあげたような紅い髪は頭の高い位置でひとつに束ねている。それでも腰まで届く長さであることと、太くてうねる癖毛のため、尋常でないボリュームがある。浅黒く艶の良い肌は健康であることの証明だ。事実、彼女は生まれてから一度も体調を崩したことがない。キングよりひとつ年上の17歳だ。


「さあや! あまりキングをいじめるな」

「おーこわ。ママのお出ましだ」


 黒髪の少女はキングに駆け寄って、手を差し伸べた。


「キング、無事か? ママだぞ」

「無事だがお前はママではない」


 ぶう、と少女は唇を突き出した。キングは少女の手を取ることなく立ち上がり、黒いロングコートについた土を払った。


「せっかくの一張羅が台無しだ」


 今日この日のために大事にとっておいたものなので、土を払う手にも熱が入る。キングは地上で恥ずかしい思いをしないようにと、脱走を共にした他のメンバーにも綺麗な格好をするよう指示している。キングはインナーもズボンも、コンプレックスである小さめな背丈をごまかすためにちょっとだけ底上げしたブーツも、頭のてっぺんからつま先まで全身を黒に統一した。


 キングは体を捻って見回して、払い残しがないことを確認すると、黒髪の少女に向き合った。


「北上。目は慣れたか」

「なんとかなった。キングは?」

「ばか言え。眼球がパンパンで今にも破裂しそうだ」


 キングたちニートは長年の地下生活で視力が極端に衰えている。光に対して過敏になっていて、行燈のような優しい明かりならともかく、直射日光は天敵に等しい。目から入った太陽光が針の形になって、眼球内を暴れまわるような痛みが生じるのだ。


「そうか。破裂しないよう祈ってる」

「クソみたいな気休めはやめろ」


 北上と呼ばれた少女は西郷に向き合った。


「さあやは?」

「アタシの目は特別だかんな。なんともなかったぜ」

「よかった」

「姫は? 無理してんじゃねーの?」

「今は平気。痛みを感じた瞬間視力を切ったから。でもそのまま繋ぎなおしただけだとまた痛い思いをするだろう? だから入ってくる光を調節しながら繋いだ」

「すげーじゃん。なんの話?」

「目の話で盛りあがっているつもりだが?」


 二人とも訳が分からなくなって、同時に首をかしげた。


 北上姫子は肩口で切り揃えられた黒絹のような髪と、しみひとつない白磁の肌を持つ美しい少女だ。ぱっちりした目には星空を閉じ込めたような瞳を宿しており、見る人に思わず吸い込まれるような印象を与える。白いブレザーとスカートを着用しているが、これは帝国の高等学校に通う女生徒が着用する制服である。掃き溜めに送られる物資に紛れ込んでいたものだ。キングと同じ16歳ということもあり、ニートであることを除けば、上流階級の令嬢に見られるだろう。


「東と南野はどうした」

「死んだよ。かわいそうにな」


 キングの問いに西郷が応える。視線も向けず親指で指し示した先には滑稽な姿で固まる少女が二人。小さく丸まってぴくりとも動かない少女と、両手で目を塞いで太陽に向かって大口を開け、やはりぴくりとも動かずに突っ立っている少女だ。二人は地上に出てひとしきり喚き散らしたあと、このように固まってしまったのだ。


 キングは呆れたようにため息をついて、脳内にある直近の計画表から彼女らの名前にバツ印をつけた。


「どうやら迎えがきたようだ」


 黄金色に輝く神の山不二を背景に、もうもうと土煙を巻き上げて、何かが猛スピードで近づいていた。


「想定よりもだいぶ遅い。労働局の連中を買いかぶりすぎたか。手早く済ませよ、北上。計画に変更はなしだ」

「承知した」


 北上はぐっと伸びをして、その場で軽い柔軟を始めた。


「何かあったら合図を」

「どうせ何もない」

「死んでからでは遅いぞ」

「私はそう簡単に死なん」


 キングはこめかみのあたりを無意識にかいた。こういうのは苦手なんだが、心の中でそう呟いた。


「万が一、なんてことは俺も思っていない。その上で俺がいる。西郷も、東も、南野もいる。あまり気張るなという話だ」

 キングは北上の背中をぽんと叩いて、

「気楽にいけ」


すると北上は、ばね仕掛けの人形のように跳ね起きた。顔は興奮に上気し、口角は鋭いV字を描いていた。


「よおーし! 期待して待っていろ!」


ふんすふんすと鼻息荒く、大股で歩いていった。


「俺は気楽にいけと言った……」


 キングにはもはや、水面を跳ねる魚のようにステップを踏む北上の背中を見届けることしかできなかった。


「たらしが」

「なんだって?」

「なんでもねー。心配でしょうがないって顔してんぞ」


西郷がにやけ面でキングの顔を覗き込んで言った。キングはその視線から逃げるようにして目をそらした。


「アタシ、こっそり付いてこーか?」

「それでは意味がない。北上が労働者相手にどこまでやれるか知りたいのだ」

「雑魚キャラに姫がやられるようなことがあればって話か」

「ああ。一級、ましてや二級の労働者相手に苦戦するようなら、ニートに未来はないと判断する」

「そん時は、おとなしく掃き溜めに帰る。そういう計画だよな」


 キングは静かに頷いた。


「しかしまあ、北上にも言ったように、負けることなど万に一つもないだろう。これは単なる確認作業に過ぎないのだ」

「ふーん」


 西郷は鼻を鳴らして、ばれないように笑った。言葉とは裏腹に、キングが心配そうな顔をしていたからだった。


「ところでさ。どうするよ、アレ」


 視線の先にはあられもない恰好の少女が二人。キングは目を閉じてかぶりを振った。


「……いざとなったらお前が運べ」


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