第八話:恥と外聞、背くらべ
「腰折ってごめん。続けて。」
気を取り直して、わたしとコロちゃんは背筋を伸ばした。
すると二つ隣の席のグループが、急に大笑いした。
せっかく取り直した気を乱されたわたし達は、件の笑いが静まるまで、ソイラテとカプチーノをちびちび飲んだ。
「私ね、正式に女になってから、彼氏できたの。」
「お。」
「期間はバラバラだけど、計3人。」
「お、押忍。」
彼氏。
まさか色恋沙汰が本題だったとは。
そっち方面では身構えていなかったせいで、空手家みたいな返事をしてしまった。
「その三人とは、三人とも、私が元男性ってことを打ち明けて、お付き合いを始めたの。」
「うん。」
「男も女もどっちもアリだって人がいれば、男は無理だけど今が女ならアリって人もいた。
どっちのタイプの人も、私が元男性ってことを踏まえた上で、女として接してくれた。」
「うん。」
"だけど"、と区切ったコロちゃんの唇は、いつの間にか白くなっていた。
「私、としては、純粋に、自分は女で、そうなれたし、いられてると、思ってたの。」
「うん。」
「だけど、彼らにはそうじゃなかったみたいで。」
「うん。」
「付き合ってる内に、本物の女だったらもっと、ああでこうでって、できないことを責められたり、やってほしいことを強要されたりするようになって。」
「うん?」
「最終的には、やっぱり本物の女の方がいいとか、だったら男同士の方が良かったとか言われて、結局三人ともにフられちゃった。」
「は?」
なんだそれ。
元は男性だって踏まえた上で付き合ったんじゃないの?
生まれついての女性と比べたら、多少の差異があるくらい承知してたんじゃないの?
なに、本物と違うって。なに本物って。
なんでそんなこと、よりによって本人に言うの。
「ちょっ、ちょと、ちょっと待って。」
「うん。」
「えと、ん?
その三人、とは、ちなみに何処で知り合ったの?」
「最初のバイの人が、そっち界隈のSNSを通じて知り合った人で……。」
「LGBT界隈?」
「そう。
残り二人はナンパされたのと、知り合いの知り合いみたいな、紹介してもらった感じで。」
「コロちゃんからアプローチしたって人は?」
「一応はみんな、向こうから……。」
「元男性っていうのは、アプローチされる前に伝えてあったの?された後に伝えたの?」
「さすがに、ナンパの時は後になっちゃったけど……。
他二人は、前もって伝えてあったよ。」
「なのにフられるの?
それでもいいって向こうから言い寄ってきたくせに思ってたのと違うって?
てか本物ってなに?」
すっかり血が上った頭から、次へ次へと疑問が溢れてくる。
後回しにする予定だった突っ込みが、やめられない止まらない。
「そこ。」
「あ?」
「それ。本題の本題。」
コロちゃんのサーモンピンクのネイルが、テーブルの中央を二回叩く。
「やっぱり、性自認はどうあれ、ずっと男で生きてきたわけだから……。
私が思う女性像と、生まれつきの女性が思う女性像とじゃ、ギャップがあるっていうか……。」
「理想と現実?」
「私は、私の思う理想の女性に、自分がなろうとして。でも、それが違うって否定されて。
じゃあ、本物の女ってなんなのって、自分に何が足りないのって、むしろやり過ぎなのかも自分じゃ分かんなくて、ドツボに嵌まっちゃって……。」
本物の女と違う。
元カレ三人衆とやらが放った暴言の真意を、わたしは問うまでもなかった。
論点をすり替えたんだ。
あれをして欲しい、これをしないで欲しいと、自分の要求ばかり主張するのは格好悪いから、コロちゃんの方に問題があるみたいな言い方をしたんだ。
ただでさえ引け目負い目のあるコロちゃんを黙らせるために、コロちゃんにとって一番痛いところを突いたんだ。
「だから、知りたいの。
世の女性は、なにが当たり前で生きてるのか。」
コロちゃんもコロちゃんで、理想の女性像に捕われてしまったんだろう。
女の人っていうのは、髪が長くて、スカートを履いて、足を広げて座ったりしない。
今のコロちゃん自身が、正にそれを体現しているように。
でもね、コロちゃん。
先天的でも後天的でも関係ないよ。
本物らしい女なんて、この世のどこにもいないよ。
わたしだって、スカートは履いても、髪は長くないよ。
「わたしに、教えてほしいってこと?」
「虫がいいのは───。
……なにもかも全部、すごく勝手なお願いだってのは、本当に、思うけど。
正直、他に頼れる人がいないの。」
「教えるって言っても、どうやって?」
「できれば、生活を見せてほしい。」
「わたしが普段、どういう風に過ごしてるかを、えっと、密着?したいってこと?」
「そう。」
お母さんがいるじゃん。
お姉さんだっているじゃん。
カミングアウト出来てるなら、身内に頼んだ方が絶対いいじゃん。
喉元まで出かかった反論を、口内に溜まった二酸化炭素に包んで飲み込む。
「(ずっと、ひとりで。)」
真っ先に身内に頼まないのは、頼めないからだ。
いくら理解があるとはいえ、息子が娘になって、弟が妹になって、戸惑わないわけがない。
お母さんとお姉さんの戸惑いを、当事者のコロちゃんが感じなかったわけがない。
「わたしは、女らしい女でも、平均的な女でもないよ。」
「いいよ。」
その点、わたしは初カノにして元カノだ。
三人の彼氏に加えて彼女はいなかったなら、暫定でわたしが唯一の彼女だった女だ。
わたしは、コロちゃんと縁ある女の中で、最もコロちゃんに詳しいだろう。
女友達の誰よりコロちゃんの弱さを、お母さんよりお姉さんよりコロちゃんの強さを見ただろう。
コロちゃんの戯れ相手に、わたし以上の適役はいないだろう。
「コロちゃんの欲しいものは、わたしには出せないかもしれないよ。」
「いいよ。」
教えるってことは、隠さないってことだ。
好かれたいと装ってきた皮が剥がされ、嫌われたくないと繕ってきた嘘が暴かれるってことだ。
本当はわたしが、すごくしょーもないやつだって、隅々までバレちゃうってことだ。
「知らなきゃ良かったって、後悔して、嫌になっちゃうかもしんないよ。」
「いいよ。」
「本当に?」
「いいよ。」
耐えられるのか、わたしに。
会って話をする約束だけでも、寿命の削れたわたしに。
「わかった。」
かつて愛した人に、恥も外聞も晒すだけの覚悟が、あるか。
「───じゃ、さっそく。ここ出たらご飯食べいこ。」
「うん。なに食べる?」
「牛丼。」
「え?」
「女は黙って牛丼。」
元カレ三人衆に告ぐ。
お前たちが唾を吐いた、
あの山口葉月を、
この門戸六花が、
最高にダサくて、
イカす女にしてみせる。