第七話:嘘を通した5年間
「女性になった、って、一口に言っても。
具体的に、どの範囲がそうなった、っていうか。
なんて、言ったらいいのかな、」
「全部だよ。」
念のため声を潜めるわたしに、コロちゃんは敢えてハキハキと答えた。
「ぜんぶ……。っていうのは?」
「言葉の通り。
性別適合手術を受けて、戸籍を変えて……。
今は、アフターケアなんかを続けながら、表向き女として生活してる。」
「やれることは全部やった、ってこと?」
「必要最低限ね。」
性別適合ってことは、上も下もか。
下もってことは、男性だった当時に備わっていたものは、跡形もなくなったのか。
パッと浮かんだ想像図があまりに不躾で、邪念を払うためカプチーノをもう一口飲む。
「戸籍変えたんなら当然、名前も変えたんだよね?
なんて名前になったの?」
「"葉月"。
葉っぱの葉に、お月様で、葉月。」
「葉月……。
いい名前だけど、由来とかはあるの?」
「私が生まれる前にね、男だったら五郎、女だったら葉月にしよう、って言ってたんだって。」
「え。ご両親?」
「そう。お互いに、一番好きな俳優さん・女優さんの名前だって。
大した思い入れはないみたいだけど、せっかくならね。生みの親に名付けてもらおうと思って。」
「えっと……。」
「もちろん驚いてたよ。母親に至っては、泣いてた。
でも泣いたっていうのは、受け入れられなくて、じゃなくて。
そこまで真剣に悩んでたのに、気付かなくてごめん、って意味らしい。」
「………。」
「驚いたのもそう。
もともと女の子っぽい部分があったから、もしかしたらこの子はゲイかもしれないって、二人とも覚悟してたって。
で、いざ蓋あけてみたら、女の子っぽいじゃなくて、なりたいってことだったから、そっちかーって。」
二度目の名付けも親で、カミングアウトで泣かれて。
かなり要約されているが、コロちゃんにとって怒涛の五年間だったようだ。
「(知らないことばっかりだ。)」
無事に女になれて良かったね。
理解のあるご両親で良かったね。
言えない。わたしには言えない。
コロちゃんにとって、何が良くて幸せなことかは、コロちゃんにしか分からない。
「山口葉月、か。
判明したからには、わたしも"葉月さん"って呼ばないとだね。」
「"コロちゃん"でいいよ。」
「え?」
「さっきも、呼んでくれたの嬉しかった。
君さえ良ければ、変わらずそう呼んでほしい。」
「……わかった。」
「こっちこそ、"門戸さん"って改めた方がいい?」
「………"トロ"でいいよ。」
「わかった。トロちゃん。」
ただひとつ確かなのは、ふと覗く笑みに混じりけがないこと。
幸福より不幸が勝っているわけではなさそうで、そこは安心していいかもしれない。
「他には?聞きたいこと。」
「うーん……。
色々ある、けど。一個ずつ、ってなると……。」
「纏まんない?」
「うん……。
だから、今度はコロちゃんが話して。
ざっくりでいいから。話したくないことは、話さなくていいから。
この五年、どう過ごしてきたのか、聞きたい。」
"そうだね"、と一拍置いてから、今度はコロちゃんが話し始めた。
「在学中は、君も知っての通りだけど。
君にカムした直ぐ後には、もう色々と準備してたんだ。水面下で。」
「手術とか、戸籍のこととか?」
「そう。両親にカムしたのも、その時。
今まで踏ん切りつかなかったのは、やっぱり、君の存在があったからだから。」
「………。」
「まあ、君のこと抜きにしても、あれ以上我慢できるものじゃなかったし……。
逆を言うと、学生の間は男でいようって決めてたから、どっちみちタイミングだったというか……。」
「うん。」
「あ……、ごめん。
君のせいみたいな言い方になっちゃったね。違うからね。」
「うん。」
わたしさえ居なければ、もっと早い段階で、"色々"を進められたんじゃないか。
男として彼氏としての、無駄な時間も労力も、費やさずに済んだんじゃないか。
あくまで自分で決めたことだと、コロちゃんは言うけれど。
一度は考えるのを止めた可能性がまた、わたしの胸をじくじくと刺した。
「卒業後は、東京のほう引っ越して……。」
「わお、トーキョー。」
「アルバイトしながら手術受けて、戸籍変えて……。」
「ん?
あれ、ごめん。アルバイトって?」
「実は、在学中には就職しなかったんだ。
男として入社してきたやつが、途中で女になったら混乱させるだろうし。
内定だけ先にもらって、女になるまで待ってくださいも、さすがに都合良すぎるなって思って。
わざわざ東京行ったのも、腕のいいお医者さんがいるって話だったから。」
「なるほど……。
そういや、みんなスーツ着て就職活動してた中で、一人だけフラフラしてたもんね。」
「そうそう。
今更バンドマンにでもなる気かって、みんなから迫られたよ。」
「真面目一徹の優等生が、就職せずに上京ってなったら、わたしでもそう思うかも。」
「だよね。」
みんなからバンドマン呼ばわりされたという、当時のコロちゃん。
わたしは目に浮かぶようで笑い、コロちゃんは記憶が蘇って笑った。
そういえば、今日笑うの、初めてだ。
わたしも、生理的にって意味ではコロちゃんも。
「"色々"がぜんぶ済んだのが、卒業してから一年ちょいの、23の時ね。」
「一年ちょいで完全に女になれたの?」
「まさか。あくまで土台が出来たってだけ。
そこからも、女としての生活に慣れるために、やることいっぱいで、もう一年使って……。
24の時に、アルバイトやめて就職した。」
「東京で?」
「そう。」
「それは最初から女として?」
「そうしたかったけど……。
後からバレて追求されるの嫌だったから、上の人たちには、元男性って伝えたよ。」
「てことは───」
「それ以外の人たちには、普通に女として振る舞ってたかな。」
「おー。」
順風満帆とはいかないまでも、コロちゃん曰く"土台作り"は、本人の計画した通りに進んだようだ。
「その後は?順調に今日まで?」
「だったら良かったんだけどね。」
「なにかあったの?」
「東京で就職したはしたんだけど、割とすぐね。色々あって辞めちゃって。」
「えっ。」
計画通りは、あくまで土台作りまで。
会社を辞めた、って結構な大事なのに、申し開きしないのが逆に不穏だ。
「だから、今勤めてる会社は別。
いつかは地元帰ってこれたらなーとも思ってたし、あれかな?怪我の巧名?」
「えっ。」
「ん?」
「会社辞め───、あ?てか地元?」
「そうだよ。」
「うそだ。大学出たっきり、一度も見掛けなかった。」
「そりゃあ見た目ぜんぜん違うからね。」
「わたしが気付かなかっただけで、すれ違ったりしてた……?」
「してたしてた。」
しかも、地元に戻ってたとか。
そんなこと、ご家族以外に誰も知らなかった。
誰か一人でも知ってたら、噂になって、わたしの耳にも入ったはずだ。
すごすぎる。
五郎の未来と、葉月の過去。
両者が一本の線で繋がらないよう、青春時代を共にした学友をさえ、置き去りにするなんて。
何食わぬ顔で、別人を名乗っているなんて。
「(ずっと、ひとりで、)」
すごすぎる。
悲しいほどに、天晴れである。
「ごめんね。
突っ込みどころは満載だろうけど、ここからなんだ。本題。」
確かに突っ込みどころは満載だけど、やめておこう。
まずは、全容を明らかにすることに集中しよう。