第十三話:3文字の呪文
「───入るよー?」
「………ドゾー。」
"ガチャ"。
ドアの開く音、閉まる音。
「すぐ済むから。」
"ペタペタ"は、裸足でバスマットを歩く音。
"スリスリ"は、充てがっていたタオルを外す音。
"サラサラ"は、控えめな勢いのシャワーが、ゆっくりと流れていく音。
「そんなそっぽ向かなくても。」
「ダッテ……。」
リビングにいた時は、あくまで精神的に、だったかもしれない。
ここでは加えて物理的に、嫌というほど鮮明に聞こえてしまう。
コロちゃんの声も、コロちゃんから発せられる音も。
嫌というほど鮮明で、妙に扇情的に感じられる。
「お邪魔しても?」
「……ドゾー。」
「ふふ、さっきとおんなじ。おとなり失礼しまーす。」
一言断ったコロちゃんが、わたしの隣に来る。
狭いバスタブの中で、成人女性が二人。
逃げ場は殆どないけれど、わたしは出来る限り、コロちゃんから距離をとった。
「こっち、向いてくれないの?」
「ダッテ……。」
「"だってだって"ばっかり。直視したくない?」
「したくないてか、しちゃいけないような……。」
「いけなかったら誘ってないよ。」
コロちゃんとお風呂に入るのは、今回が初めてじゃない。
男性だった頃も、女性になってからも、機会はあった。
ただ、女性になってからの機会は、先日の一度だけ。
それも、広くて大きい、他のお客さんもいる大衆浴場でだ。
同じ裸の付き合いといえど、浴場と浴室では随分な差がある。
今回が初めてじゃないからと開き直るには、意味合いが違いすぎるのだ。
「というか、見てほしい。だから誘った。」
「み、てほしいって、なんで。」
「そのまんまだよ。
今の私を、ちゃんと、見てほしい。」
どうしても、とコロちゃんが食い下がる。
なんでもする、と大見得を切った手前、わたしはそれを無下にできない。
渋々と、コロちゃんと向かい合う。
そこにはコロちゃんの姿があって、コロちゃんの輪郭が湯に浮かんでいた。
「どう?」
白い肌、華奢な肩、お椀型に膨らんだ胸。
とても、綺麗だ。
もともとの美形も相俟って、まるでお人形さんだ。
「きれい。すごく。」
「具体的に?」
「具体的……。
まず、肌が綺麗。陶器みたいな、ゆで卵みたいな。」
「それから?」
「体も……。
ほっそりしてるけど引き締まってて、ザ・モデル体型って感じ。」
「うん。」
「肌も体型も、元から綺麗で、モデル顔負けだったけど、更に磨きがかかってる。
並の努力ではこうならないし、保てない。
スタンディングオベーションもの。」
「"オベーションもの"。」
わたしの拙い称賛に、コロちゃんはくすくすと笑った。
その割に、あんまり嬉しそうではなかった。
「正直ね、いま褒めてくれたとこ、ぜんぶ自覚してる。」
「おお……。」
「でもそれは、こんなのは、後付けでどうとでも出来る。
肌も体型も、努力次第で綺麗になれるし、性器に至っては完全に作り物。」
「それは……、」
「なのに足りない。
ぱっと見は完璧なのに、ぱっと見ただけじゃ分かりにくい致命的な欠陥が、私にはある。
なんだと思う?子供が産める産めないの前提以外で。」
強いて言うなら、妊娠が叶わないことか。
と思ったら、先んじて候補を封じられてしまった。
わたしは分からないと降参した。
「性的な魅力がないことだよ。」
「え、あるでしょ十分。」
「美醜と魅力は必ずしもイコールじゃないよ。
さっき、第一声に君が、綺麗だって言ったのが良い証拠。
それって悪く言えば、綺麗なだけってことなんだよ。」
説明されても、わたしは今いちピンと来なかった。
コロちゃんは例として、わたしを指差した。
「トロちゃんはある。性的な魅力。」
「乳の質量?」
「それもだけど、もっと全体的な、こう……。
包容力っていうのかな。下心を抜きにしても、思わず触りたくなるような、そんな魅力。」
「母性?」
「も、あるかもしれない。
そういうのがさ、羨ましくて、憧れで。
女の人の好きなとこだなって、この前まで思ってたの。」
"でも違った"。
そう言ってコロちゃんは、自分の顔に湯を引っ掛けた。
「この三ヶ月、トロちゃんと過ごしてみて分かった。
トロちゃんって実は結構ズボラだし、ガサツだし、馬鹿だし変だ。」
「す、すいません。」
「なのに、ちっとも不快じゃない。」
「え?」
「ズボラでガサツで、馬鹿で変なのに、それが面白くって、楽しくて。
付き合ってた頃の可愛い君は、作った君で。
僕のために作ってくれてたんだってのが、また嬉しくて。」
引っ掛けた湯か、垂れた汗か、溢れた涙か。
透明な雫が、コロちゃんの頬を伝う。
「そういうの全部引っくるめて、これが魅力ってことなんだって。
やっと分かって、気付いた。
僕が憧れてたのは、女の人じゃなくて、君なんだってこと。
僕が、君に、触りたかったんだってこと。」
瞳に帯びた熱で、涙だと分かった。
気付いたらわたしも、もらい泣きをしていた。
「なんでもしてくれるってやつ、まだ有効?」
「はぇ?」
「まだお願いしたいことあるんだけど、いい?」
「い───、よ。いいよ。なに?」
このままだと逆上せてしまいそうだ。
鼻をすすり、涙をぬぐい、二人ともに水分の節約をする。
「トロちゃんのおかげで、色んなこと学ばせてもらった。
前より女らしさみたいなの、分かった気するし、ちょっとは身に付いた気もする。」
「ちょっとじゃないよ。もう教えることないよ。」
「そう。もう教わることないの。
もう、一緒にいる理由、なくなっちゃったの。」
「うん。」
「でも私、これで終わりにしたくないの。」
コロちゃんがこちらににじり寄ってくる。
わたしは反射的に後ずさろうとして、バスタブの壁に阻まれた。
「本当の、今のトロちゃんを知って私、本当の、今の私、また、好きになっちゃったの。」
「どゆことれす?」
「好きだ。」
コロちゃんの素の唇が、たった三文字の呪文を唱える。
追い詰められたわたしは、そのたった三文字でトドメを刺された。
「好きなんだ、君が。
昔も今も、やっぱり、何度でも、好きだ。
君じゃなきゃ、駄目なんだ。」
ああ、予感がする。
女性になりたいんだと告白された、あの日と同じ。
人生が変わる。
この先の未来が大きく動く、分岐点に今、立っている。
そんな予感がする。
「これからも、友達とかじゃなくて、君を。
六花を、好きでいさせて、ほしいんだ。」
実は強情だってことを、初めて知った。
意外と臆病だってことを、初めて知った。
本気の泣き顔は子供みたいだってとこを、初めて見た。
「わたしも」
カワイイわたしは作り物のわたしだったんだと、あなたが気付いたように。
カッコイイあなたも作り物のあなただったんだと、わたしも気付いた。
「わたしも、この時間が永遠に続けばいいって、思ってた。」
コロちゃん。
わたしを、好きになってくれますか。
男でも女でもなく、ただの門戸六花を、欲しいと思ってくれますか。
「一緒にいたい。
わたしも、ずっと好きだよ。」
餞を贈らなくて、いいですか。




