第十一話:普通ほど特別なものはない
予定した通り、"コロちゃんと一緒に帰る"は達成された。
しかし、"コロちゃんと一緒に買い物をする"は達成されなかった。
なんなら、"コロちゃんと二人で思い思いに過ごす"自体が頓挫した。
改めるまでもなく、わたしのせいだ。
「───うう、うええ。」
「あらら、また波きちゃった。」
あの後、わたしはコロちゃんに、男たちは騒ぎを聞き付けた警備員さんに、それぞれ取り押さえられた。
聴取はわたし達と男達とで分けて行われ、わたし達には"塚原さん"というご婦人が付いた。
「ごめんね、ほんとにごめんね、」
「もう何度も聞いたってば。」
いくら男たちの言動がお粗末でも、いきなり掴み掛かっていい理由にはならない。
最悪、警察沙汰になるかもしれないと、わたしは覚悟していた。
ところが塚原さんは、通報しないどころか、怒りも呆れもしなかった。
わたしの言い分に黙って耳を傾け、こんな大事に発展させてすまないと、逆に頭を下げてくれた。
「でも、わたしのせいでまた、今の会社にも居られなくなったりしたら───」
「大丈夫だって。
なんとかするって、塚原さんも約束してくれたでしょ。」
「でも、でも。
コロちゃん我慢してたのに、部外者のわたしがイノシシみたいに突っ込んだりして───」
「私は助かったし、嬉しかったよ。
それに、トロちゃんは部外者じゃないよ。」
男たちは、セクハラ・パワハラの常習犯だった。
彼らの被害に遭ったとされる女性社員は、同じ部署内でも複数名に上るという。
にも拘わらず、今まではあまり問題視されてこなかった。
わたしが掴み掛かったほうの男が役員の息子だとかで、決定的な証拠がない限りは厳罰に処せないと。
いわゆる忖度が発動して、被害者は泣き寝入りを余儀なくされていたらしい。
「でも───」
「"でも"禁止。ね?
むしろトロちゃんのおかげで、やっとお縄にしてやれたんだから。
大手柄。ね?」
「う、」
「スマホ、手帳型のケースで良かったね。」
「うううううう、」
「お願いだから泣きやんで~。」
そして今回。
わたしの起こした騒ぎが、決定的な証拠となった。
おかげで現行犯にしてやれたと、塚原さんは申し訳なさそうに、誇らしそうに笑っていた。
「───収まった?」
「やっとこ……。」
とはいえ、わたしが暴走してしまった事実は変わらない。
こうして自宅に帰ってこられた今も、自己嫌悪で胸がいっぱい。
足元には、使用済み鼻水ティッシュがいっぱい。
「目、だいぶ腫れちゃったね。」
「ん……。」
「今さら遅いかもだけど、冷やした方がいいかもね。」
「む……。」
「座ってて。キッチン借りるね。」
わたしをソファーに残して、コロちゃんがキッチンに立つ。
わたしは鼻水ティッシュをゴミ箱に放り込み、コロちゃんの後ろ姿を眺めた。
「これ、こないだのコロッケの残りじゃない。
さすがにもう捨てなきゃ駄目だよ。」
「すいません……。」
「ペットボトルも、また一口だけ残してる。
どうせ飲まないでしょ、まとめて捨てちゃうよ。」
「すいません……。」
割と平気そう、だな。
わたしがコロちゃんの立場だったら、ショックで物も言えない状況だろうに。
悲劇のヒロインを気取るでも、空元気を出すでもなく。
何事もなかったように、いつも通りに。
強いな。
やっぱり、わたしなんかとは違うんだな。
「───まずは水分補給。と、冷やす用の保冷剤ね。
私のハンカチだけど、洗濯してあるから、我慢してね。」
「ありがとう。」
ソファーに戻ってきたコロちゃんは、水の入ったコップと、ハンカチに包まれた保冷剤をわたしに手渡した。
わたしが水をコップ半分ほどまで飲むと、隣に座ったコロちゃんも自分のコップで水を一口飲んだ。
「お腹すいたね。」
「うん。」
「用意するの面倒になっちゃったし、ピザでも取ろうか。」
「そうだね。」
"こってりが良いかな、さっぱりが良いかな"。
妙に大きな声で、コロちゃんが呟く。
独り言なのか、質問なのか。
たぶん、深くはない両方の意味で。
「今日、みたいなことさ。前からあったんだよね……?」
ぽつり。
ピザに関する返事を保留にして、わたしは普通に小さな声で呟いた。
独り言と、質問と、どっちに取られてもいいように。
「うん。」
コロちゃんは、わたしが質問をしたほうに返事をした。
わたしは、空になったコップをテーブルに置いた。
「それって、今の会社入ってから?」
「え?」
「前いた会社でも、結構そういうの、あったりしたの?」
「……ちゃんと話してなかった、か。」
コロちゃんも、飲みかけのコップをテーブルに置く。
三ヶ月間守られた暗黙の了解が、破られる。
「もう、予想ついてると思うけど。
前の会社辞めた理由も、それなんだよね。」
前にお勤めだった会社で、コロちゃんはある程度まで、自分のセクシャリティを公表していた。
トラブルに巻き込まれたら対処してもらうため、そもそものトラブル発生を防ぐために。
もちろん社員全員ではなく、上層部や人事に携わる人間に限って。
公表する内容も、戸籍等の必要事項に絞ってだ。
それが、結果として悪手だった。
どこからかコロちゃんの個人情報が漏れてしまい、入社半年に満たずして、コロちゃんのセクシャリティは周知となった。
更に良くないことに、公表範囲を限定したのが、平社員の反発を招いた。
"犯罪者でもなしに、有り体を通達すれば良かったではないか"。
"元男性と知っていたなら、もっと距離感を弁えて接したのに"。
コロちゃんは、特別待遇を求めていなかった。
みんなと同じ仕事をして、みんなと同じ給金をもらう。
並の生活基準を維持できれば、それ以上を望まなかった。
それさえもを、周りは許さなかった。
自分たちより楽をしているくせに、自分たちと同等の扱いを受けるのは納得いかないだの。
自分たちは交ぜてもらえない女性専用のコミュニティーに、あいつだけ出入りを許されているのが気に食わないだのと。
事の発端となった上層部も収拾に努めず、燃料を追加。
そういうプライベートな話は本人に聞いてくれと、全ての責任をコロちゃんになすり付けた。
幸い、露骨に虐められることはなかった。
みんな酷いよねと、寄り添ってくれる味方も中にはいた。
所詮は、やっかみに過ぎなかったのかもしれない。
放っておけば、自然と収まる事態だったかもしれない。
だとしても、コロちゃんは傷付いた。
収まるのを待てないくらい、限界を越えていた。
あの忍耐強いコロちゃんが、たった一年で参ってしまうほどだ。
よっぽどだったのが、ありありと目に浮かぶ。
「仕事自体には差し障りないって言っても、居心地も雰囲気も悪いしで、仕事どころじゃなくってさ。
いっそ辞めちゃおうか、転職するならどこがいいかって悩んでた時に、さっきの。
塚原さんがね、声かけてくれて。」
「あ、前から知り合いだったんだ?」
「うん。
塚原さんもちょうど、別の会社に移る時期だったから、良かったら貴女も一緒に来る?って。」
「捨てる神あれば拾う神ありと。」
「言い得て妙だね。」
転機はすぐに訪れた。
先程、わたし達の聴取に付いてくれた塚原未知さん。
彼女は前の会社でもコロちゃんの上司で、入社当時からコロちゃんを支えてくれた恩人だった。
そんな塚原さんが、槍の雨に降られるコロちゃんを見過ごすはずはなく。
もし会社を辞めるつもりなら、私と一緒に出ていかないかと誘ってくれた。
進退をどうしようか、コロちゃんが悩んでいた矢先のことだ。
"昨年から引き抜きを持ち掛けられていて、受けた場合には、そちらで重要なポストが待っている。"
"古巣への恩義ゆえに長らく躊躇っていたが、今回の件で躊躇う理由がなくなった。"
"貴女さえ良ければ、私と来てくれないか。
新天地で、私の右腕になってくれないか。"
最も信頼できる人が、転職先を斡旋してくれる。
まさに"鴨が葱を背負って来た"好条件に、コロちゃんは飛び付いた。
その僅か一ヶ月後。
コロちゃんと塚原さんは、前の会社を揃って退社。
新天地、すなわち今の会社へと移籍した。
過去の教訓を生かして、こちらではコロちゃんのセクシャリティを分け隔てなく公表。
前の会社と比べて働きやすくなった反面、絡んでくる輩も顕著になったというわけだ。
「どうりで、ただの上司・部下の雰囲気じゃないと思った。」
「前いた会社でも、塚原さんが率先して戦って、守ってくれたからね。
こんな言い方すると失礼だけど、私にとっては第二のお母さんみたいな感じ。」
「いい関係だね。
新しいとこまで連れてくくらいだし、塚原さんこそ、そーとーコロちゃん好きなんじゃない?」
「もう一枠ねじ込むの大変だったとは言ってた。」
「やっぱそうだって。」
なるほどな。
塚原さんの申し訳なさそうな、誇らしそうな笑顔は、こういう背景があったからなんだな。
謎が解けてスッキリして、でもまだモヤモヤが残って、手放しに喜べない。
せめて四面楚歌でなかったのは良い。
良いこと、なんだけど。




