第十話:知らないくせに
ウォッチ生活、三ヶ月目。
コロちゃんの提案で、今日のウォッチはお休み。
どこで何するの予定は立てず、二人で思い思いに過ごすことになった。
というのも、わたしから教えられることが、いよいよ無くなってきたのだ。
教えることが無くなると、イコール、わたしはお役御免になる。
コロちゃん自身そのつもりで、最後くらいはと、好きに思い出を作る機会を設けてくれたんだろう。
今日を含めた、週末の三日間。
寂しいなどと惜しんでいる暇はない。
お役御免じゃなく、鹿島立ち。
不本意だった肩の荷を、ようやく下ろせる時が来た。
別れた後の、再会する前の、ただのわたしの日常に戻るだけだ。
いっそこのまま、コロちゃんには不完全でいてもらいたいなんて。
間違っても、思ってはいけないんだ。
「(───"今、終わったよ"……。)」
勤務終わり。
コロちゃんと晩酌する用のお酒とおつまみを買って、ついでに映画のDVDでも借りていこうかな。
帰り支度を進める傍らコロちゃんにメッセージを送ると、間髪入れずに返信があった。
"こっちもそろそろ出られそう"、とのこと。
なにかと残業させられがちなコロちゃんが、定時に上がらせてもらえるとは珍しい。
「(あれ、二人とも定時で上がれるなら……?)」
先にいろいろ買い込んで準備して、コロちゃんまだかなーって、家で待つつもりだったけど。
コロちゃんも同じタイミングで出られるなら、一緒に買い物して、一緒に帰れるじゃん。
善は急げと、迎えに行きたい旨をコロちゃんに伝える。
コロちゃんはまた間髪入れずに、いいよと快諾してくれた。
そういえば、コロちゃんの今の職場って、行くの初めてだ。
「───デッッッカ……。」
電車を一本乗り継ぎ、歩くこと数分。
それはそれはイマドキの、バカアホマヌケは立ち入り禁止な雰囲気漂うオフィスビルに到着した。
スマホに表示されている住所も、テナントサインに表記されている社名も、情報に同じ。
ここが、コロちゃんの職場で確かのようだ。
「(こんなデカいビルに事務所構えるってことは、結構な企業だよね。
同じ大学出ても、わたしなんかとは違うもんだぁ。)」
到着した旨を再度、コロちゃんにメッセージする。
しかし、待てど暮らせど、コロちゃんからの返信はなく。
コロちゃん本人が姿を現す気配もなかった。
「(なんか、やな予感する。)」
何かあったのかな。
このまま外で待ってた方がいいかな。
しばらく二の足を踏んだわたしは、ビルの中に思いきって入ってみることにした。
「あの、すみません。」
「はい、どうされました?」
「部外者なんですけど、ここで人を待たせてもらうことは可能ですか?」
「エントランスまででしたら、自由に見てもらって大丈夫ですよ。」
「ありがとうございます。」
受付のお姉さんに断った上で、スマホ片手にエントランスを散策する。
「(いない……。)」
さすがは定時。
"そろそろ出られそう"なのは、コロちゃんだけじゃなかったらしい。
軽い足取りで、我先にと正面玄関を抜ける人。
片隅に立って、誰かと待ち合わせをしてるっぽい人。
たくさんの人がエレベーターを降りてきては、エントランスに留まったり出ていったりしていく。
残念ながら、その中にコロちゃんの姿はない。
「(トイレ探すフリでなんとか……。)」
許された範囲内だから、地続きだから。
受付のお姉さんに内心で言い訳をして、エントランスの更に奥へと足を進めていく。
「───もういいですか。」
廊下の曲がり角に差し掛かったところで、ふとコロちゃんに似た声が聞こえた。
立ち止まって、発信源に耳を澄ませてみる。
「さっきから、やけに急いでんね。このあと楽しい用事でもあんの?」
「彼氏とデートとか?」
「別に、そんなんじゃないです。」
やっぱり、コロちゃんの声だ。
男性の二人組と話している。
けど、なにやら様子がおかしい。
この先は喫煙室で人気もないし、まさか、男二人がかりでコロちゃんに言い寄ってるんじゃ。
曲がり角から恐る恐る顔を覗かせてみると、コロちゃん達は喫煙室前に集まっていた。
男二人はわたし達より少し年上くらいで、彼らと対峙するコロちゃんはバッグを胸に抱えていた。
「"別に別に"ってさぁ。
俺らも別に、いじめようとか思ってんじゃないんだよ?
むしろ困ったことあんなら、助けになってやりたいなーって。」
「今の時代、エルジービーティーだってちゃんと人権あんだしね?」
「言い慣れてない感やば。」
「るせ。」
この三ヶ月間。
コロちゃんの仕事についても、たびたび触れてきた。
前の職場は、色々あって辞めてしまったこと。
今の職場でも、たまに変な人に絡まれたりすること。
"色々あった"の色々と、"変な人"がどう変なのか、詳しくは知らない。
コロちゃんから明かすことはなく、わたしも掘り下げなかった。
ただ、色々も、変な人も。
コロちゃんのセクシャリティに関わることは、暗黙の了解だった。
「人を待たせてますので、お話があるなら、また今度に───」
「なんだ、やっぱ用事あるんじゃん。」
「彼氏じゃないなら誰?友達?」
「そうです。」
「男?」
「……女性です。」
「えー、女の友達?」
わたしは想像した。
セクシャルマイノリティと呼ばれる人たちを、差別して迫害する人たちを。
男性から女性になったコロちゃんが受けてきたであろう、誹謗と中傷の数々を。
「それって昔からの友達?最近できた友達?」
「その子は事情知ってんの?」
「あ、もしかしてお仲間だったりする?」
「元男か、体は今も男だけど、心は女?的な。」
「そういうのってさぁ、どっから女自称していいもんなの?」
「言ったもん勝ちじゃね?」
「じゃあ俺も乙女趣味っぽいとこあるからオンナー。」
「やめろって、失礼じゃん。」
きっと、気持ち悪いとかって馬鹿にされて、如何わしいとかって疎外にされた。
男とも女とも、どっちつかずだからって、男にも女にも、どっちの輪にも入れてもらえなかった。
「けどマジな話、そういう事情ある人と対等に付き合うとか無理ゲーじゃね?
俺も友達の一人ゲイって分かってからは、ちょっと疎遠なったし。ゲーだけに。」
「うーわ、クソサイテー野郎だ。」
「差別とかじゃなくてさ。
やっぱお互い、見てるもん違うし、生きてる世界も違うわけだし?
だったら適度に距離置いたほうが無難かな、と思ったんだよ。」
「オレは周りにいねーから、なんとも。」
ここへ来るな、どこへも行くな。
遠ざけて縛られて、腫れ物扱いの飼い殺しを強いられる。
当事者のリアルをよく知らないわたしは、そんな風に想像していた。
「その点、葉月ちゃんはさ、どう折り合いつけてんの?」
「女友達も男友達も、葉月ちゃんにとってはある意味、どっちも異性で同性なわけでしょ?」
「今でも時たま、男の本能出ちゃったり?」
「女同士って体でも、変な空気になっちゃったり?」
これは。こんなものは。
過去に見た、どのドキュメンタリーにもSNSの投稿にも、例がない。
少なくとも、わたしのイメージには、ない。
「ぶっちゃけさ、セックスってどうやるの?」
なんか、思ってたのと、違う。
「トロちゃん、」
気が付くと、わたしの体は動いていた。
「は?なに?」
「誰だコイツ───」
ずかずかと大股で男たちに詰め寄っていく。
男たちの喚く声が聞こえて、コロちゃんの驚く顔も目に入ったけど、抑えられなかった。
「おまえなんか!!」
手前にいたほうの男に掴みかかり、男の胸板を平手と拳で繰り返し叩く。
「おまえなんか!なんも知らんくせに!!」
元は血だったものが、目と鼻の両方から滴り落ちる。
風邪なんかの炎症と違って、目から落ちる分も鼻から落ちる分も、さらさらと水っぽい。
水っぽくて、熱くて冷たくて、ちょっとしょっぱい。
「なんも知らんで、なんも知ろうとせんくせに!!」
適切な言葉は出ない。
そもそも主語がない。前後がない。
何に対して何を訴えたいのか、文脈だけじゃ、てんで分からない。
「なんにも……っ。
わかんないくせに、勝手なことばっか言わんでよ!!!」
何も分からないくせに。
それは、自分自身に向けた怒りだったのかもしれない。




