7 新しい厨房
車のハンドルを握りながら、マナはそわそわしていた。
(昨日、“また明日ここに来てくれるか?”って言われたけど…… 時間とか、連絡先とか、何にも聞いてない……)
(9時くらいに着けばいいのかな? 持ち物って、白衣と黒ズボンとコックシューズだけでよかったんだよね……?)
シートベルトのあたりが、緊張で少し苦しかった。
お店に到着すると、正面のショーウィンドウは暗い。
けれど、奥の厨房側の窓からは、明かりがもれていた。
(よかった……電気、ついてる)
小さく安堵の息をついて、マナは店の裏側へまわった。
勝手口の前で、そっとノックする。
「すみません、昨日お会いした……瀬川です」
「おっ、来てくれた。入って」
中から聞こえた声に、思わず背筋が伸びる。
「よろしくお願いしますっ」
深くお辞儀をすると、厨房の空気がすっと鼻先をかすめた。
甘さと鉄の匂い——久しぶりの“現場の匂い”だった。
厨房は、12畳ほどの広さだろうか。
昨日はショーケース越しにしか見えなかった奥の方。
冷凍庫、冷蔵庫、ステンレス製の棚……
そこにずらりと並ぶ道具たちは、どれも手入れが行き届いていて、しっかり整っていた。
「白衣と靴、持ってきた?」
「はい、専門学校のときの白衣を持ってきました」
「ならよかった。今日はそれでお願いしようか。 着替えは……冷凍庫の横にある扉、そこが更衣室になってる。荷物は適当に置いていいし、貴重品はロッカーに入れて」
「わかりましたっ!」
「……そんなに緊張しなくていいよ」
そう言われても、
白衣に袖を通すのは、あのホテルを辞めて以来だった。
違う厨房でも、やっぱり少し、足がすくむ。
更衣室のドアを開けると、
一畳ほどの小さな空間。
ハロウィンのかぼちゃや、クリスマスのリースがしまわれていて、飾りの下から小さなロッカーが覗いていた。
ロッカーは財布がニつ入るくらいのサイズ。
きゅっと鍵を閉め、白衣に腕を通す。
一つひとつ、ボタンをしっかり留めていく。
壁に掛かった小さな鏡で、髪にほこりがついていないかを確認する。
厨房に戻ると、まずは手洗い。
肘まで泡立ててよく洗い、ペーパーで水分を拭き取る。
アルコール消毒を済ませて、ようやく準備が整った。
「お待たせしました。よろしくお願いします」
マナがもう一度、深く頭を下げると
「じゃあ……今日はお店休みだから、一緒に厨房の道具の手入れするか?」
「道具の……手入れですか?」
「いちばん大事なことだから。最初に、ちゃんと教える」
松永の声は穏やかで、でもまっすぐだった。
すこし緊張がほどけて、
マナは静かに「はい」と頷いた。
次回へ続く