59 名古屋のケーキ屋訪問
ケーキを仕上げ終わった
「そういえば来週、昔働いてた名古屋のケーキ屋が2号店出すんだ。
観葉植物でも持って顔出そうと思ってるんだけど……一緒に行くか?」
「……はい、楽しみです」
「俺の車で行くけど、店集合でもいいか?」
「車、大丈夫です。一緒に乗せてください」
当日。
店の前で待っていた松永は、いつもとは違うシンプルな私服姿。
帽子がないぶん、前髪が下りていて、どこか雰囲気がやわらかい。
「……今日は前髪、下ろしてるんですね」
「……ああ。いつも帽子被ってるからな、自然に上がるんだ」
「なんか……若く見えます。20代後半くらい」
「それは無理だろ」
照れたように笑うその顔が、珍しくやさしかった。
車に乗ると、内装は整っていて、すっきりとした空気。
(前は鉄板に頭をぶつけてそれどころじゃなかったけど……綺麗にしてある)
松永の運転は静かで丁寧で、
助手席にいると、自然に肩の力が抜けていった。
「名古屋のお店って、どうやって見つけたんですか?」
「専門学校から紹介されてな。オープン前の新店舗って聞いて、運試しに飛び込んだ感じ。
……でも、8年も働くとは思ってなかった」
「そんなに長く?」
「斎藤シェフが、わりと任せてくれる人で、新しいことにも柔軟だし、後輩たちもいい奴ばかりだった」
───
名古屋の店舗に着くと、店先は色とりどりの花でいっぱいだった。
なかには、花が抜かれて“隙間”になっているスタンドもある。
「……知ってるか? 開店祝いの花から一輪抜いて持ってく文化、愛知くらいなんだぞ」
「そうなんですか?
すぐ花が減る方が“商売繁盛”だと思ってました」
「他県でやると怒られるから、注意な」
「……気をつけます」
「だから俺は、観葉植物にしてる。根があって残るからな」
「“幸福の木”……大きいですね」
───
そこへ、ぽっちゃりした白衣の男性が、笑顔でお客さんに頭を下げていた。
「斎藤シェフ……お久しぶりです。
2号店の開店、おめでとうございます」
大きな観葉植物を手渡すと、斎藤シェフは笑いながら受け取った。
「わぁ、ありがとう! 来てくれてうれしいよ。
うちのスタッフ達、松永くんが来るって朝からソワソワしててさ」
──
案内された勝手口の奥では、スポンジが焼きあがる甘い香り。
厨房は少しバタついていたけれど、その空気が活気に満ちていて、どこか懐かしかった。
斎藤シェフがタオルで額の汗をぬぐいながら、笑う。
「ごめんね……松永君。せっかく来てくれたのにバタバタで……トラブルもいろいろあってさ。
でも、今日乗り切れば、あとは何とかなる。
オープンが落ち着いたら、コーヒーでも飲みながらゆっくり話そう」
「いえいえ、オープニングは忙しいの知っていますから」
松永は笑っていた。
斎藤も笑って言った。
「うん、ありがと。ほんと、また遊びにおいで」
勝手口を開けた瞬間、
明るい声がいくつも重なった。
「わぁ!松永さんだ!」「お久しぶりです!」「松永さーん!」
スタッフが五、六人、弾むように集まってくる。
マナは少し圧倒されながら、一歩だけ後ろに下がった。
「みんな、久しぶりだな。元気してるか?」
「元気です!」
「相変わらずかっこいいですねー!」
(……松永さん、人気者なんだな)
ひとりの女性スタッフがちらりとマナの方を見て尋ねた。
「松永さん、その方は?」
「今一緒に働いてる、瀬川さんだよ」
一瞬、空気が止まった。
……なぜか、沈黙。
「ええーー!? 松永さん、ひとりでやるって言ってたのに!」
「そうですよー、私ついて行きたかったのに!」
「そうそう! ちゃんと説明してよー!」
「いやいや……みんな辞めたら、俺が斎藤シェフに怒られるって」
スタッフたちがわいわい盛り上がり、マナは少し居心地悪そうに苦笑する。
(……なんか視線が痛い)
そこへ、細身の男性がスッとやって来る。
「こらこら、寄りすぎ。松永が困ってるだろ。
それとケーキの追加、入ったぞー。仕事戻りな」
「はーい!」
「松永さん、今度飲みに行きましょうー!」
そう言い残して、スタッフたちは散っていった。
次回へ続く




