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2 過去の傷、心の痛み

※いじめ、パワハラのシーンがあります 

2月のある日。冷たい雨が降っていた。

厨房の片隅、マナは洗い場で口金を洗っていた。


それは、吉村シェフが使っていた大事な道具のひとつだった。


忙しさに追われるなか、

うっかり排水ネットの中に落としてしまい、


気づかぬままゴミ袋にまとめてしまった。


それから3日後——

「お前が無くしたのか!!」


怒鳴り声とともに、マナは呼び出された。

吉村シェフの顔は怒りに染まり、言葉よりもその目が怖かった。


「す、すみません……」

涙が頬をつたってこぼれ落ちていく。




声は震え、手の力が抜けていく。


「女だからって泣いて許されると思うなよ!」


白衣の襟を掴まれたマナ

マナの身体がぐらつく


「ついて来い!」


「すみません!すみません……」


誰も止めなかった

他のスタッフも静かに視線をそらし

それぞれの作業に戻る


これが厨房の日常だった。



冷たい雨のなか、屋上にある外のゴミ捨て場へと引きずられるように連れて行かれた。



「全部調べろ! 見つかるまで帰ってくんな!!」


怒鳴り声が、灰色の空に突き刺さる。



手を真っ赤にしながら、次々とゴミ袋を開けていった。


腐った食材、濡れた紙、雑巾、液体の染みた空きパック……


悪臭が鼻を刺し、吐き気が込み上げる。

それでも彼女は、必死に探し続けた。



寒さはどんどん強くなっていった。

指先の感覚がすこしずつ失われていく。


「ない……ないよ……。どうしよう、どうしよう……」


「——痛っ!」


缶詰の切れ端で指先を切った。


滲む血が、雨に濡れてさらに広がっていく。

腕を伝って、ぽたり、ぽたりと地面に落ちた。


寒さで、心も身体も震えていた。

(パティシエって……なんで、こんなに辛いの……?)


涙が、にじんだ。

雨と混じって、頬を伝って落ちていく。


(泣いたら……また怒られる。止まって、止まって……止まってよ……)


泣き声を押し殺すように唇を噛みしめながら、


ふと気づくと頬を触れたのは水ではなかった


白いかたまり


いつの間にか雪に変わっていた。

吐く息が白く広がる



マナはすべての袋を開けて確かめた。

——けれど、口金はどこにもなかった。



マナは空を見上げた

東京の夜景の光の中、雪がふわふわと舞っていた。


世界は静かで綺麗だった。

でも景色が遠く感じるほど心は冷えていた。



夜中の1時を過ぎ、

恐るおそる厨房に戻ると——



電気はすでに消え、

吉村シェフを含め、誰もいなかった。



温度の残らない厨房。


床に浮かぶ自分の靴音だけが、むなしく響く。


「……ああ、もう無理だ……」


夢見ていた華やかな世界は、こんなはずじゃなかった。


ケーキが好きだった。



あのころのきらきらした気持ちを、壊された。


この夜を境に、

マナは、パティシエの仕事を辞める決意をした。





次回へ続く

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