転生したら三両の値札がついた 前編
22/11/06 長いので二つに分けました。また冒頭部分を加筆しております。
「いい加減にしろ‼」
——うるさいな。
突然の怒鳴り声に、オレの意識が浮上した。まだ重たい瞼を抉じ開けると、知らない初老の男性が唾を飛ばして激しく怒っていた。
「充悟、そいつはもういい。下がらせろ」
今度は喜助の声だ。丁度オレの真ん前で丸椅子に座っている。次いで「あいよ」と気の抜けた返事が聞こえる。充悟の声だ。
「何をする!? 私にこんなことしていいと――!? 」
充悟は怒鳴り散らすおじさんの前に立ち、手に持っていた棍棒を男性の太腿を軽く当てた。その目は「次叫んだら殺す」と言わんばかりに冷たく光っていた。
「怖いよ……母ちゃん……ひっぐ……うう……」
今度は小さな子供のすすり泣く声だった。
子供もいるのか、と思ったと同時に、誰か慰めるなりしろよ、と横を向く。
ジャリジャリと音がした。何だと音の出所を探していると、白くむっちりした太腿が目に入った。頭がフリーズする。けれど眼はその柔らかなラインをなぞるように上へ上へと登っていく。
(あ、あの時の)
そのボディの持ち主はオレが川から引き上げた女だった。意識が戻ったらしい。良かった。
しかし、女の顔を見たときに同時に目に入ったものがあった。木枷だ。二枚の板で首と両手首を挟み、板の両端から鎖が伸び、壁面へと繋がっていた。
同じものがオレの首と手首にも。頭の中に幾つもの「?」が浮かんだ。
女がオレに怪訝な視線を向けて胸を隠すように身を捩った時だった。
「あら、起きたのね」
艶めかしい声だった。声がした方向に目を向けると、木製の格子の向こうから和風ドレスに身を包んだ妙齢の女性が、煙管を吹かしながら睥睨していた。
不意に女性が瞼を下ろし、次に目を開けると、その視線は隣に立っていた大悟郎へと移った。
「駄目じゃないの、伯父様。あんなに混ざってちゃ、売れるものも売れないわ。一体どんな運び方をしたのかしら?」
ふぅ、と苺生クリームのように甘ったるい煙を大悟郎の顔面に吹きかける。しかし大悟郎は気を悪くした様子もなく、寧ろ「そうは言うがなぁ、紫苑」と腕を組み、一度爪先に視線を落とした。
大悟郎が続ける。
「誰が森の浅瀬に牛鬼が出ると思うんだ?」
「あーあ、伯父様の口から言い訳なんて聞きたくなかったわ。何があっても良いように対策する、それが私の伯父様よ? それに牛鬼の目撃情報は上がっていたじゃない」
「それを駆け出しちゃんの見間違いだと結論付けたのはどこの誰だったかなー?」
「ふぅん、あたしせいだって言いたいのね? はぁ、いいわ」
紫苑がわざとらしくため息をついて、「貴方」と煙管をオレに向けた。即座に格子の中で待機していた喜助がオレに嵌められた木枷を鷲掴み、有無を言わさず立ち上がらせた。
「の、隣の娘を頂くわ。お幾らかしら?」
一瞬、喜助の目が痙攣した。しかし何事もなかったように木枷から手を放し、腰に付けた鍵で隣の枷を外した。「出ろ」と喜助に命令されたその娘が、身を縮こまらせ牢を出ていく。その間紫苑が大悟郎に値切り交渉を持ちかけていた。
「28両、これ以上は負けん」
「妥当ね。いいわ、それで買いましょう。……ただ」
と紫苑は視線を足許に彷徨わせ、ギュッと煙管を握りなおして真っ直ぐに大悟郎を見つめた。
「ただ一つ言わせて。森に牛鬼の痕跡は疎か参級以上の物の怪すら居なかったわ」
「否、済まん。さっきは嫌な言い方をしたが、お前を疑ってたわけじゃない。寮には報告を上げたが、牛鬼だと思って調査したら、アレには気付けん」
「そう……そうよね。でも、……ごめんなさい。嫌な態度だったわ」
「詳しい話は式契約を終えてからだ。付いて来い」
「ええ、分かったわ。貴方もいらっしゃい」
と、紫苑と大悟郎はあの娘を引き連れて何処かへ出て行った。そして入れ替わるように別の男がやってきた。オレと同い年か少し年下の、野球部の主将を務めていそうな丸刈りで精悍な顔つきの青年だった。彼は牢の前までやってくると、「お久しぶりです。喜助さん、充悟さん。ご無沙汰しております」と腰をきっちり45度曲げてお辞儀した。それに喜助が「おう」と短く返し、充悟は嬉しそうに青年の肩を叩きに牢を出て行った。
「最近どうよ?」充悟が青年のジョリジョリの頭を撫で上げる。
「はい、ぼちぼちです」と青年は撫でられた頭を押さえて苦笑い。
「ぼちぼちじゃ分かんねえよ。進級できそうなのか?」今度は背中を叩く。
「いえ、まだ先そうです」と青年。へこへこ頭を下げる。
「なら良い式を見つけないとな」充悟が顎をしゃくって牢の中を指した。
「はい。何でもかなりの上物が入ったそうで。それもかなり訳アリ価格で買うなら今だと」
オレのことだ。
「耳が早いな」と喜助。
「ええ、ヤスさんがビール片手に叫んでおりました」
「ほう、かん太もまだ働いてるってぇのに、あの野郎」と喜助の目が怪しく光り、「顕嵐、その訳アリがどいつか分かるか? 当てたらうんと割引してやるよ」
「ホントですか?! よぉし、絶対当ててやりますよ」
顕嵐が気合いの籠った目でオレ達、ナムチを一人一人見ていく。
オレは(いや直ぐ分かるだろ)と、木枷を嵌められているのも忘れて、牛鬼の鎌足に突き刺された自分の胸を見ようとした。顎が枷に引っ掛かり、鎖が音を立てる。
「分かりました。一番左です」
顕嵐のドヤ顔と喜助の非難の眼差しが向けられる。「あの、これは」と言い募ろうとしたオレの言葉を遮って、喜助はオレを立ち上がらせた。その時、「傷は消した」と小声で呟いて、顕嵐を振り返る。
「約束は約束だ。半額にしてやる」しかしその顔に悲痛な色はない。
顕嵐は「よっしゃ!」と拳を突き上げ、いそいそと財布と取り出し始めた。
「それでお幾らですか?」
「26両5匁だ」
「高ぁ"ー!! 俺の年収軽く超えてるじゃないですか!?」
顕嵐のリアクションに充悟が爆笑し、喜助も僅かに声を上げて笑った。
「お前も早くナムチを見極める目を養わねえと、他の店行ったらボラれるぞ」
そう言いながら充悟は牢に戻り、一人のナムチの枷を外して外に連れ出した。顕嵐が野球部主将なら、彼はサッカー部のエースと言った風貌だ。
「いいですよ。俺、ここでしか買わないって決めてるんで。お幾らですか?」
再び財布を取り出し、チャリチャリと小銭を数える顕嵐に「コイツは」と充悟がナムチのスペックについて語り始めた。
「漆-捌で回収したナムチだ。年はお前と同じ19。筋肉量も丁度いい。お前の動き付いていけるだけの体力もあるだろう」
次いで、喜助が会話のバトンを受け取り、選ぶコツを伝授する。
「いいか、駆け出しの『式』に最も重要なのは身体能力だ。濾過性能やら憑鬼能力やらはもっと勘と術を磨いてから悩め」
「早い話、安くて若い男を買っとけってことだな!」
充悟がまとめた丁度その時、恐らく応接間だろう、そこの扉が開いて大悟郎が戻ってきた。瞬間、顕嵐が腰を折った。今度は90度だ。
「おう、顕嵐。む、少しは成長したみたいだな」
顕嵐の堅苦しい挨拶を受け取った大悟郎が隣にナムチを見て褒めたが、すかさず、充悟に勧めてもらったものだと訂正した。その正直な態度に気を良くした充悟が大悟郎に割引を申し入れ、大悟郎は鷹揚に頷いた。
そして、再び大悟郎が二人の青年を伴って応接間へ消えていった。
その後も、オレの前には幾人も人間がやってきた。
一人は朝母という研究者然としたメガネの男。高校生くらいの男児を買って行った。
また一人は麦という変わった名字の少女。この世のすべてに絶望したような顔の中年男性を選んだ。二人の背中はまるで親子のような身長差で応接間に消えた。
また一人は充悟に「ぬぅちゃん」と呼ばれるボーイッシュな少女。何度も絡みに行く充悟をコテンパンに投げ飛ばして、目が完全に病んでる少女に即決していた。
もちろん、全員が全員ナムチを連れて行ったわけでない。どちらかとオレ目当てで冷やかしに来ている風だった。
その冷やかし客と大悟たちをやり取りを聞いて、オレは自分の希少性を知った。
その価値、53両。
この値段を聞いた客たちの反応は「高い」と怒る者、「もう一声」と粘る者、「安い」と驚くもの、「なるほど」と納得する者、十人十色であった。
そして半数のナムチが売れていき、残り六人となった。
オレは、ペットショップで売れ残った仔犬の気持ちってこんなんだろうな、と思っていた。と同時に殺処分という言葉が脳裏に浮かび、ブワッと汗が噴き出た。
横目で売れ残った面々を見る。アラフォー、アラフィフのおじさんおばさんと、小さな男の子、そしてオレ。喜助の言葉が本当なら、次に売れるのは確実にオレだ。だって、この中で一番運動神経がある自信があるから。
バタン、と扉の開く音がした。応接間じゃない。コツコツとヒールが床を叩く音がする。「おう」と笑みを浮かべる大悟郎に続いて、疲れたように胡坐をかいていた喜助と充悟が起立して顕嵐のように腰を折った。
「「久しゅうごぜぇます。江弥華姐さん」」
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