31話『小鹿ブレイク』
「は、小鹿が脱走した?」
「そう、そうらしいんだよね。今は園内でどこすか暴れまわっているらしいよっ。因みに私と先輩は脱走した小鹿が追いかけてきたので全力で逃げてきました☆」
「☆じゃない。全然☆じゃない。……というかなんで小鹿が脱走するんだよ」
動揺している緋色坂から事情を聞く。
そこで小鹿が逃げた経緯について話してもらった。どうやら、元々小鹿は小さなフェンスに囲われているだけで特に格子の檻とかに入れられている訳ではないそうで。
今回は運が悪かったのか、一番人気の小鹿『バルバトス』がそのフェンスを飛び越えて脱出してしまったらしい。
おかしいだろ。
なんで小鹿がジャンプして乗り越えられる大きさのフェンスなんだ。
そうツッコミたくなるが、杜撰な管理の結果なのか。それともバルバトスがスゲぇだけなのか分からないので言いはしない。
もしかすると、普通の小鹿とは一線を画す力を『バルバトス』は持ってるかもしれないし?? 名前からして明らかに強そうだし。
なんやねん。バルバトスって、悪魔かよ。
彼女から話を聞き終える頃には、辺りの客もその話題で持ち切りなのかわんさか騒ぎ立てている。辺りを見渡すと同時に、園内アナウンスが響いた。
『ドキドキランド動物園へお越しのお客様へ連絡です。先程、東エリアにて小鹿が脱走しました。もし小鹿を見つけたら出来るだけ刺激しないようにゆっくりと離れて下さい。また、発見した場合は近くのスタッフへお伝え下さい』
なんて音が聞こえてくる。
一応、小鹿だし攻撃力は低いのだろう。
流石に小鹿一匹が脱走しただけで園内にいる客全員を外に追い出すみたいなマネはしないっぽい。
いやまぁ、当然か。
「それにしても、小鹿が脱走とは……レアなシチュエーションだな」
「おうおう、そうだな! 我が弟も嬉しいだろ? SSRだぞ」
背後に立つ創作部の顧問『三野響』と俺の姉である『氷室檸檬』は相も変わらずからかう様に話を続けている。
うるさいなこの大人達。
「オレは別にこんなレアシチュエーション望んでないんだけどな」
誰にも聞こえないであろう程度の声量で、そう呟いた。
はてさて、これからどうするんだろうか。
取り敢えず、隣にいる逢瀬に話しかけてみる。
「まぁ俺たちには関係ないな。確か小鹿は東エリアにいるヤツなんだろ? なら大丈夫だろう。俺たちは普通に動物を鑑賞しよう」
「そう、……ね?」
「ん。どうした」
「いいや、なんでもないわ」
それにしても、もう昼なのだ。腹が減ってくるのは自然の摂理。自身の腹は意思に反してぐぅと音を鳴らす。空腹を伝える合図が響くと、ぷくくと笑いを堪えながら彼女がコチラを向いて言ってくる。
「ぷっ、…………お腹減ってるのね、氷室クン?」
「悪いかよ。オレの今朝は忙しくて朝食を食べる暇なんて用意されていなかったんだよ」
「時間は用意するもんじゃなくて、自ら切り開くモノよ? それは言い訳に過ぎないし、貴方の時間管理が下手なだけ。それだけじゃない?」
「うぐ、お前は本当にああ言えばこう言うな」
これにはぐうの音も出ない。
いや、ぐうの音ぐらいは出てるけどさ。
それ以外はてんでダメだ。
「でも確かにお腹は減ったよねっ、私もそうだもんっ」
「ほら逢瀬さん。緋色坂様もそう言ってるぞ?」
「うちはうち、よそはよそよ」
……なんかもう、よく分かんないッピ。
もうどうでもよくなってしまった。
というか腹が減った。とにかく何か食いたい。
「はぁ、っそんな事はどうでもいいんだ。なぁ逢瀬、この動物園には飯屋はないのか?」
「んー、一応あるけれど……高いわよ?」
「ちょっと見せてくれ」
逢瀬がその場で広げた動物園の入園時に貰ったガイドブックを、横から覗く。そこには、『鹿フェ』とかいう所が西エリアにあると記載されていて。どうやら鹿肉などの料理を扱っているらしい。
……それにしてもカフェの名前。鹿と、カフェを掛けているのだろうが寒いな。
「うげ、鹿肉のステーキ二百グラムで、2300円て。高すぎるな。……それに鹿肉は癖が強いと聞いてるし、腹は減っているが食べたいという気持ちにはならない。な」
「でも氷室クン、鹿肉って案外美味しいのよ。匂いがキツいやつもあるけれど、ちゃんと血抜きなどの処理を上手にやっておけばそんな事もないからね」
「ふーん。って、そんな事言っているけれど逢瀬は食べた事あるのか?」
「一度だけど、も」
コイツは経験者だったのか。
鹿肉。逢瀬の意見が本当ならば、確かに絶品なのかもしれない。だがそれを考慮してもこの値段設定は勇気ありすぎだし。なにより彼女の舌がバグってるだけという可能性も十分にあり得る。
それを鑑みれば……ハイリスクローリターン。
賭ける価値、無し。
だな。
「まぁやっぱり高すぎるし、オレは園内を出てから後でスーパーかどっかで安売りのお惣菜を買う事にする」
「そう。別にそれは氷室クンの勝手だし、私が何か言う事はないわ」
そう話は決着するのだが、俺の腹は我慢という言葉を知らない。再びぐうと、自身の腹を震源として音が辺りに響いた。
それどころか、腹がへりすぎて────目の前に鹿が見えている。
腹がへっていて、おかしな幻覚を見ているのだろう。
その幻覚は凄い生き生きとしている。
なんかこっちを見たり、歩いたり、他の方を向いたり、かなり挙動不審な鹿である。
どんだけ食いしん坊だったのだろうか、オレは。
────────って、え?
あれ。これって、本物じゃね?
「なぁおい、あそこにいるヤツってさ」
「あそこって、何もない……ってあれは鹿ね」
「ああ、鹿だな」
「完璧な鹿、にしてか見えないわね。というか首に名札つけてるわね」
「そうだな。何て書いてあるんだろうか。……ばる、ばとす?」
一秒後。全てを理解した自分は思わず大きな声で叫びそうになってしまい……それをギリギリで口を己の手で塞ぐ事で阻止する。
あんな本物っぽい幻覚がいるわけない。あの鹿は、紛れもなく脱走した鹿。間違いない。そうである。
「あっ、あのすいませんー。あそこにいる鹿って」
その後、俺は密かに近くにいた従業員に伝えるのだった。
◇◇◇
空が蒼い。
背中はむずがゆい。
黄昏の風は、心地よくぬるくて心地良い。
……その極楽浄土のあまり、嘆息が漏れそうだ。
「ふぅ、疲れたな」
「そう? 貴方ちょっと体力なさすぎじゃない」
「へいへい、そうだなそうだな」
「ちゃんと聞いてる? もし聞いてないならば、あの小鹿と共に檻にでも入る?」
「ごめんて」
あの後、職員によって捕獲された小鹿は脱走しないように小さな仮檻の様なモノに閉じ込められてしまったそうだ。可哀想だが、仕方がない。少なくとも、これでまた脱走して公道などに出て車に轢かれるよりはマシだろう。
「じゃあもうそろそろ暗くなってきたし帰ろっか」
「うーん。この課外活動で学んだ事が何一つとして無いような気がしてきたわ……」
「大丈夫だよ、逢瀬ちゃん。みんなそうだから」
「そ、そうね」
今更不安になっていた逢瀬の不安に対して先輩はなだめの声を掛けている。事実そうだが、言葉としてしっかり言われると何か悲しいモノがあるな。
収穫無しとか、到底自慢出来る事じゃない。
スマートフォンで時刻を確認すると、五時半を表示していた。中々時間が過ぎるというのは早いものだな。
課外活動として学びがあったかどうかを問われたら答えるのは難しいだろうが、土曜日の思い出としては良い感じになった気がしなくもない。
俺たち創作部の今日の活動はやっと終わり、動物園を出ようとする。
その寸前。
ふと立ち止まった。
「姉さん。あんたにだけ話したい事がある。みんなは先に行っていてくれ」
「え、私に用事ぃ? あんたが私に話したい事とか、珍しいね」
「そうかもな。でもその要因をつくったのは……いや、なんでもない。取り敢えず、あまり聞かれたくないプライベートな情報なんだ。先に行っていてくれ」
何度か促すと、先に創作部のメンバーは外に出ていった。出る直前、三野は何か訳ありの目線でコチラを見ていたが、考えてもどういう意味だからは分からないので止めておく。
今はそれよりも、目の前にいる人間に対する質問の方が大切だ。
「なぁ、姉さん」
「なになに? もしかして、れもんちゃん好きですぅ! って? だめだめ、弟と姉との恋愛事情とか。ラブコメじゃないんだから」
「────」
「……はいはい、分かってるよ」
沈黙を貫き通してしていると、檸檬は幾度か俺を一瞥した後に口を動かし始める。逢魔が時。夕暮れの暁が俺たち二人を照らす。
地面は陽光が反射して、紅いと錯覚するほど強い日差しになっている。
だが夜風気味の風があるのか。
生温い風が俺たちを包み、冷やしてくれた。
手で頭を軽く掻きつつ、彼女の瞳の奥を見る。
「姉さん。氷室檸檬。……これはオレの純粋な感想なんだけれども。あんたという存在を、オレは完璧に理解出来ないんだ」
「はは、そりゃあ姉ですからね。謎あってこそ! っていうか?」
「そうだろうな。そうじゃなきゃ、おかしい。で、早速本題に入るんだが」
日が沈む間際。
自身の胸に秘めていた疑問を口にする。
「なんで姉さんは、オレを創作部に入れさせたんだ──?」




