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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
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9.スズリヨ 虜囚(とりこ)1

 ***




 深い回想は浅い夢のようだった。




 そうだ。ルルヴルグに敗れたスズリヨは、血を失い、意識を失い。気が付けば寝台の上に思うように動かない身体を横たえていて。こうして、ルルヴルグに組み敷かれている。




 髪を手櫛で梳られる感覚がある。先刻、顔や首を撫で擦られたときも、こそばゆい感覚があった。




 ところが、脛の痛みは感じない。




 ルルヴルグに両脛を斬られた。ルルヴルグの大剣が斬った、もしくは断ち割った刀傷から鮮血が噴出し、その血溜まりに沈んだ。投げ出された形の脚の両脛がざっくり斬られて、白い骨が覗いていた。




 どのくらい、眠っていたかはわからない。それにしても、あれ程の深傷を負ったのだ。全く痛まないのはおかしい。




 ーー痛む筈なのに痛まない。身体を自由に動かせない。麻酔の作用か?




 目覚めた場所がイリアネスの医療施設であれば、そうだ。重傷者として治療を受けているのだろう。




 しかし、スズリヨの目の前にいるのは、ルルヴルグである。即ち、ここは敵地だ。




 だからこそ、腑に落ちない。




 ーーわたしは捕虜にされたのか?




 皆殺しの骸竜族が敗者を首にせず捕虜にするなど、聞いたことがない。まして敗者に治療を施すならなおの事だ。そもそも、骸竜族は薬や毒の類いを嫌うのではないか。




 スズリヨは思案に暮れる。すると、がっしりした腕が伸びてきて、黒曜石のような爪のある指がスズリヨの顎をつかんだ。




 ーー目を逸らしてはいけない。目を逸らせば、ルルヴルグどのの敵ではなくなる。そうなれば、ただの獲物だ




 ルルヴルグは怯え逃げ惑う獲物を嬲り殺しにするような、残虐な男でも、卑劣な戦士でもない。彼なら獲物は一刀両断して仕留める。ルルヴルグは弱者に興味を抱かない。




 ーーこうして命拾いしたからには、生き延びる為に最善を尽くす




 スズリヨはルルヴルグの手を振り払わず、怖ず臆せず、ルルヴルグの瞳を真っ直ぐに見据える。そんなスズリヨと見つめ合い、ルルヴルグは小首を傾げた。




「どうした? まさか、このルルヴルグを忘れたとは言うまいな」


「骸竜の戦士、鉤爪の軍団長、ルルヴルグどのであろう」


「いかにも。我らは二度、戦場で対峙し、骨身を削り合い、流血を交えた。覚えているな?」


「一度目は人喰らう森の畔の戦い、二度目は虚の谷の戦い」




 スズリヨが淀みのない弁舌で答えると、ルルヴルグは満足そうに首肯いた。




「記憶は正確、発音は明瞭。程よく毒が抜けたようだ。薬師は良い仕事をした。望み通りの褒美をとらせよう」




 毒と聞いて、スズリヨは瞠目する。




「骸竜族は毒や薬の類を嫌うと聞いたが」




 ルルヴルグはこっくりとうなずく。




「いかにも。毒に恃み、薬に縋るなど惰弱の極み。惰弱は戦士の恥であり、恥辱を受けるは犬死するより辛い。このことが露見すれば、ルルヴルグは恥知らずの謗りを免れぬ。しかし、精霊夢(セレム)使いのスズリヨよ。お主を我が物とするためなら、どんな手段を(つく)してさえも悔いはない。おぞましき邪道に手を染めるも已む無し」




 ルルヴルグはスズリヨの冷えた頬に右手を添えて微笑する。言葉を失うスズリヨに、ルルヴルグは問い掛ける。




「何故、お主は敗れたと思う?」


「……貴殿は、優れた戦士であられる。一度は敗れ、奮起されたのだろう。さらに強くなられた。それなればこそ、わたしは貴殿に完敗したのだ」




 凍える何かが胸に閊ている。その息苦しさに気付かないふりをして、スズリヨは答えた。ルルヴルグは器用に片眉を上げ、笑う。




 寝台に左肘をつき、顔を傾けると、スズリヨの耳許に口唇を寄せて囁いた。




「お主らしい、素直な答えだ。確かにそれもあろう。しかし、そればかりではない。お主に敗れ、捨て置かれた後。ルルヴルグはお主のことばかり考えていた。寝ても覚めても、絶えずお主のことを想っていた。それなればこそ、ルルヴルグはお主を討ち破ったのだ」




 甘く蕩けるような囁きが熱い吐息と一緒になって、スズリヨの耳孔に吹き込まれる。悪寒が背中をぞくぞくと這い上がり、肌が粟立つ。スズリヨは首を竦めた。




「ルルヴルグどの、くすぐったい」




 舌足らずな抗議は、こどもがむずがるかのようだった。ルルヴルグは腹を抱えて大いに笑う。




 ルルヴルグが身を捩ると、革鎧にびっしり縫い付けた玉虫色の小片が擦れ合い、シャラシャラと音を鳴らす。




 ルルヴルグは玉虫色の魚鱗甲を装着していた。装いを凝らすことを好まない骸竜族の戦士にしては、華美な鎧である。




 ルルヴルグはスズリヨの顔を覗き込む。スズリヨの目が魚鱗甲に釘付けになっていることに気が付いたらしい。




「気になるか?」




 ルルヴルグの人差し指が玉虫色の小片を弾くと、七色の光が踊る。




 スズリヨは頭を振った。ルルヴルグが毒を用いたのは、万が一にも、スズリヨが自決するのを防ぐためだろう。なぜ、そこまでして己を生け捕りにしたのか。何よりもそれが知りたかった。




 ルルヴルグは駄々をこねる幼子をあやすように、スズリヨの頭を撫でる。




「そう言うな。ルルヴルグの自慢話に付き合え」




 ルルヴルグは上体を起こし、両腕をひろげて、魚鱗鎧を見せびらかした。




「逆鱗甲だ。新たな月が生まれて死ぬまでの間、森に籠り『竜の落とし子』の逆鱗を集めて作った。首領に希い、特別に許しを得たのだ。いささか骨が折れたが、ルルヴルグは成し遂げた。祝言を挙げるからには、とびきりの盛装をして花嫁を迎えたいからな」




 逆鱗とは恐獣『竜の落とし子』の八十一枚の鱗のうち顎の下にあって一枚だけ逆さに生える鱗のことだ。人喰らう森の奥深くに棲まう竜の落とし子は、恐獣のなかでも、特に獰猛で危険な存在である。


 竜の落とし子は逆鱗を剥がされると命を落とす。つまり、ルルヴルグは夥しい数の逆鱗を集めるために、夥しい数の竜の落とし子を狩ったのだ。それも、禁足地である人喰らう森で狩りをする特別な許しを得て、たったひとりで。



 逆鱗の入手は至難の業であり、逆鱗は『世界の宝』として重宝される。



 それを、こうも惜しげも無くふんだんにあしらうのだから、ルルヴルグの逆鱗甲は国宝級の逸品と言えるだろう。




 ルルヴルグは胸を張り、彼が手ずから拵えたと言う逆鱗甲の美々しさを誇る。途方もない価値がある逆鱗甲を身に纏い、平然としている。岩のような拳でどんと胸を叩く仕種は無造作で、逆鱗甲を傷付けないよう、配慮している様子はない。逆鱗甲のもつ宝飾品としての価値には、まるで興味が無いのだろう。ルルヴルグにとってこの逆鱗甲は、彼の強さを誇示するためにあるのだ。




 ーー祝言を挙げる、だと? ルルヴルグどのは妻を娶るのか。だったら、なんだ。祝宴でわたしを饗されるおつもりか?




 骸竜に限らず、ゴルドランの多くは人を喰らう。ルルヴルグがスズリヨを祝宴を彩る一皿に仕立てようと考えても、不思議ではない。


 人が狩りで仕留めた獲物を周囲に振る舞い己の手腕を誇示するように。




 ーー生け捕りに拘るのは、生きたまま喰らう為?




 極東の島国には、踊り食いと言う、魚を生きたまま喰らう風習があるとか。ひょっとしたら、骸竜にも似たような風習があるのかもしれない。




 スズリヨは小さく呻いた。スズリヨは大勢の人を、大勢のゴルドランを殺した。だから、スズリヨもきっといつか、誰かに殺される。それは覚悟している。しかし。




 ーーだからと言って、生きたまま喰われるのは真っ平御免だ!




 ルルヴルグは機嫌よく、うきうきしているように見えた。余程、妻を娶る日を楽しみにしていたのだろう。もしかしたら、骸竜の首領はルルヴルグの結婚に『ルルヴルグが一騎討ちでスズリヨを打ち負かすことが出来たなら、ふたりの結婚を赦す』と、条件をつけたのかもしれない。




 ーールルヴルグどのは先程、わたしの様子を見て『程よく毒が抜けた』と言った。時間が経つにつれて、徐々に毒が抜ける。ならば、何とかして、時間を稼がなければ




「派手な装飾は好かぬか?」




 沈思黙考をするスズリヨに、ルルヴルグが的外れの質問をする。




 ーーわたしの好悪の情など、訊いてどうする?




 訝しみながらも、スズリヨはルルヴルグの質問に答える。




「よくお似合いだが」




 実際、逆鱗が放つ玉虫色の燐光は、ルルヴルグの凛然たる才気に満ちた勇姿を艶かしく彩り、際立たせている。




 スズリヨの答えを聞いたルルヴルグは破顔一笑する。




「良かった。お主の為の盛装だ。気に入らないと言われたらどうしようかと、正直、不安だった」



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