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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
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7.スズリヨ 避けられぬ戦い

 スズリヨはこの期に及んで、己が敵の奸計に陥ったことを理解した。


 ーーまさかドラミーネどのが、骸竜と通じていたとは


 この精神の動揺は、時と共にますますはっきりとしてゆくことは有っても、薄らいでゆくことは無かった。


 ーー姉さんはドラミーネどのに信頼を寄せていた。ドラミーネどのの翻心を知ったら……きっと傷つくだろうな


『ドラミーネどの』


 何故? と問い掛けようとして、思いとどまる。


 これまで、スズリヨはドラミーネに敬意を払ってきたつもりだし、ドラミーネはスズリヨに愛想よく接してくれていた。


 親しい仲では無かったけれど、嫌悪されているとは思わなかった。


 ドラミーネは心に鍵をかけていたのだ。その真意を、スズリヨは見抜けなかった。


 ドラミーネがスズリヨに本心を打ち明けくれるとは思えない。打ち明けてくれたところで何の解決にもならないだろう。


 スズリヨは頭を振り、真白の鷹の目をひたと見据えた。


 背反したドラミーネと怖めず臆せずと向き合うことは、スズリヨにとって勇気が必要なことだった。しかし、敵前で萎縮していては命取りになる。そして、この場合の命は、スズリヨだけの命とは限らない。


 何を言われても毅然としていようと決意して、スズリヨはドラミーネに問う。


『姉さんは?』

『彼の言った通り、アンリヨは無事よ。あたしの可愛い教え子だもの。酷い目に合わせるわけないじゃない。あんたのことだって、取って食いはしないから、そうびくびくしないでよ』

『びくびくなんてしていない』

『あら、まぁ! ひとの話を遮るなんて不躾な娘。お里が知れるわね!』


 眉をひそめたドラミーネに揶揄されて、スズリヨは反射的に口を噤む。ドラミーネが冷笑した。


『素直ね。そうよ、それで良い。甘ったれのお子様は、大人の言い付け通りにすれば良いの。その可愛いお頭じゃ、ろくに考えられないでしょうから』


 ドラミーネの嘲笑がぷつんと途切れる。スズリヨは目を瞪る。真白の羽を散らして、鷹は地面に落ちた。


 目にも止まらぬ手刀が真白の鷹の首を折ったのだ。


『スズリヨを侮辱するな』


 鷹に一瞥もくれず、ルルヴルグは言い捨てる。スズリヨは戸惑う。ルルヴルグとドラミーネは結託しているのではなかったのか。

 首の捻れた真白の鷹は嘴を打ち鳴らし、ドラミーネは哄笑する。


『あんた、獣姦愛好家の母親から、受けた恩義は水に流せと教わったわけ? 後先考えないお間抜けちゃんを誘き出してあげたのは誰? それを追いかけて来たお邪魔虫を明後日の方角に誘導してあげたのは誰? 誰なの? あたしがちゃんとお膳立てしておいたから、あんたは大好きなスズリヨと感動の再会を果たせたのよ。受けた恩を覚えていられないなんて、半端者の知性は犬畜生にも劣るのかしら?』

『お邪魔虫? それは、わたしの部下達のことか? 彼等に何をした!?』


 スズリヨは横から口を挟んだ。心無い言葉でルルヴルグを貶めるドラミーネを諌めなければという義憤は、部下の危機を匂わせる言葉によって吹き飛ばされていた。


 スズリヨは、姉に危険が迫っていると言うドラミーネの言葉をちらりとも疑わず、脇目も振らずに真白の鷹を追いかけた。隊長が突然、戦線を離脱すれば、部下がその後を追って来ていても不思議ではないのに。スズリヨは部下をかえりみなかった。


 真白の鷹の目に瞬膜がちらちらと過る。ドラミーネはうんざりと溜め息をついた。


『ひとの話はちゃんと聞きなさい。明後日の方向に誘導したと言ったのよ。今頃、夢幻を追いかけているでしょうね。無事なのかって? さぁ、どうかしら。夢幻に惑っている間に、うっかり足を踏み外して谷底に転落していたとしても、そんなのあたしの知ったことじゃない。可愛らしく小首を傾げたら、誰でも、何でも教えてくれると思った? お生憎様。甘ったれないで頂戴』


 スズリヨは手綱を右に引き足を入れ、素早く馬を旋回させた。急ぎ来た道を引き返し、ドラミーネの幻術に惑う部下達を探し出さなければ、手遅れになる。


 ーーこうなったら、包囲網を突破するしかない!


 スズリヨは焦燥にかられるまま、ルルヴルグに背を向けた。その瞬間、馬体が大きく揺れ、馬上のスズリヨに衝撃がはしる。ルルヴルグの大剣が、馬の後ろ足を一刀両断したのだ。閃光の如き一撃は、愛馬に脚を失ったことをすぐには気付かせなかった。駆け出そうとして、あれ? と不思議そうに瞬いた愛馬の黒瞳を、スズリヨは忘れられない。


『精彩を欠いたな、スズリヨ。お主らしくもない』


 ルルヴルグの苦言に愛馬の苦鳴が重なる。スズリヨは咄嗟に鐙から足を外し、馬上から飛び降りた。


 着地と同時に臨戦態勢に入らなければならないことを、頭では理解していた。しかし、どうと倒れ込んだ愛馬の、涙に濡れた瞳を見ると堪らなくなり、スズリヨは愛馬のもとへ駆け寄る。


 鮮血を浴びながら傍らに跪き、佩刀で苦しむ愛馬の首を斬った。脚を失った愛馬はもう助からない。スズリヨの為にこれ以上、苦しませるのは忍びない。


 ーーわたしは、なんて惨いことを……。嗚呼、もう、滅茶苦茶だ


 鉤爪の撤退の意味を、もっとよく考えるべきだった。

 姉の危機をスズリヨにだけ告げるドラミーネの思惑を、もっとよく考えるべきだった。

 姉の救援に駆け付けるにしても、残される部下達なことを、もっとよく考えるべきだった。

 スズリヨはルルヴルグの力量と気性を知っていた。万全を期する彼に背を向ければどうなるか、もっとよく考えるべきだった。


 スズリヨの落ち度をあげればきりがない。スズリヨのせいで愛馬は悶死し、部下達は生死の境を彷徨っている。


 口惜しさと慚愧の念が、痛烈にスズリヨの心を締めつける。感傷に浸る暇はないと、萎える手足を叱咤して立ち上がった。


 ルルヴルグは仕掛けて来ない。スズリヨが立ち直るまで、待つつもりらしい。


 ーールルヴルグどのは情け深い御方だ。わたしが無謀浅慮をしでかさず、ルルヴルグどのと一騎討ちに臨んでいたなら……たとえわたしが敗れたとしても、この子は死なずに済んだかもしれない


 ドラミーネは嗤う。スズリヨの心の動揺を見透かしている。


『あらまぁ、お嬢ちゃん。しょんぼりしちゃって、可哀想。お馬さんが死んじゃって、悲しいの? お優しいこと。どうしてお馬さんが死んじゃったのか、わかる? それはね、あんたがバカだから。あんたの部下達もそう。あたしに惑わされて死ぬんじゃない。あんたがバカだから殺されるのよ』


 それはけだし至言であった。愛馬を死に追いやったのは、紛れもなく愚かなスズリヨだ。悲しみと罪の意識に胸が張り裂けそうになりながら、スズリヨは顔を上げる。


『……部下達は死なせない』


 いつまでも俯いていられない。今からでも遅くないと信じて、最善を尽くさなければ。


 ドラミーネはルルヴルグの顰蹙を買い、地に堕ちた鷹は今にも踏みつぶされようとしている。スズリヨは『待たれよ』と言い、前に一歩踏み出した。


『ドラミーネどの。貴殿がわたしを恨み、その恨みを晴らそうとしているのなら、どうか再考を願いたい。皇帝陛下は私怨により復讐した者は皆、誅殺すると宣言された。貴殿が私怨にはしり事を起こしたのであれば、死刑は免れぬ。しかし、今この場で矛を収め部下を解放して頂けるなら、わたしは此度の事を忘れようと思う』


 ドラミーネが国家転覆をはかりゴルドランに与したのならば打つ手は無い。しかし、スズリヨを憎悪するドラミーネが、思い余って道を踏み外したと言うのなら、まだ打つ手はある筈だ。


『私怨にとらわれるばかりが正道ではなかろう。眼を広い世の中に見開いてください。さもなくば、わたしも見過ごせない』


 幾何かの沈黙を経て、ドラミーネは言った。


『いちいち癪に障る女ね』


 真白な為に鷹は目玉をぎょろりと動かしてスズリヨを見上げる。スズリヨは真白の鷹の目を通してドラミーネを見詰めた。真白の鷹はけたたましく嘴を鳴らす。


『そんな目で見ないでよ。生き生きとした炎が絶えず燃えているような、その魅力的な二つの目玉を、抉り出して踏み潰してやりたくなるから』


 スズリヨは息を呑む。さやが種を内包するように、ドラミーネの嘲笑は悪意を孕んでいた。スズリヨを責めて責めて、ぐうの音もでないまでに責め苛まなければドラミーネの憎悪はおさまらないだろう。


 ーードラミーネどのは何故、それ程までにわたしを憎む?


 心当たりがあったなら、混乱と焦燥に踏み荒らされた心の中に、伝えるべき言葉を見つけられたかもしれないけれど。


 沈黙するスズリヨを睥睨し、ドラミーネはせせら笑う。


『お嬢ちゃん、あんたって、妬んで見ても憎んで見ても、とっても良い子ね。出来ることなら、むくつけき獣人達が寄って集って高潔な女騎士を凌辱するって愉快な状況を、じっくり見物したいところなんだけど』


 ドラミーネはうっそりと嘆息する。ドラミーネの冷たい視線に晒されながら、スズリヨは内心の動揺を押し隠そうと必死だった。


『あんたの崇拝者は、愛しの戦女神様に自分以外の男が触れるなんてとんでもないって断固拒否するの。おたのしみをひとり占めにするなんて、狭量な男よね。まぁ、今回は半端者の軍団長さんに花を持たせてあげるわ。また今度、遊びましょうね』

『次は無い』


 ルルヴルグは千切って投げるように言う。ドラミーネの高笑いは妙に浮き上って、神経に障った。


『それはどうかしら? こう言う、芯が強くて、慈悲深くて、気味が悪いくらい善意に満ち溢れた、作り物みたいな女。面白味がないから、どうせすぐに飽きるわよ。それに引き替え、姉のアンリヨは素敵よ。自己本意で我が儘で、他人を思いやる優しさが欠落している。冷酷で無慈悲な女。運命の女神のように』

『口を慎まれよ! 姉さんを侮辱するのは赦さぬぞ!』


 スズリヨは憤慨した。スズリヨ自身であれば、何を言われても構わない。しかし、姉を悪く言われるのは我慢ならない。


『侮辱? そう。あんたにとっては、そうなんでしょうね。バカな娘。やっぱりあんた、その半獣にめちゃくちゃにされて、壊れちゃいなさい。それが、あんた自身のためでもある』

『話が長い』


 ルルヴルグは真白の鷹の頭を踏みつけた。踏みにじられながら、ドラミーネは嗤っている。


『まぁ、酷い! お嬢ちゃん、あんたも隅に置けないわね。男として不能を疑われる筋金入りの堅物を、こんなに夢中にさせるなんて。似た者同士、割れ鍋に綴じ蓋ってやつ? でもね、貴女のやり方って、ちょっとお粗末だわ。この男は狂おしい恋をして、戦士の矜持ってやつを忘れてしまった。あたしみたいな女狐の手を取るくらいだもの。余程、切羽詰まっているのね。その気になった男を焦らすのは、あたしも大好きな遊びだけど、この手の男はおすすめしないわ。後が怖いから』


 ルルヴルグは真白の鷹を踏み潰す。ぶちん、と骨肉を断ち切る音がして、ドラミーネの声は聞こえなくなった。


 ーードラミーネどのは、本陣にいらっしゃるのか? ドラミーネどのは姉さんを傷つけないと仰ったが、信じられるか? 姉さんにこのことを報せたい……しかし、どうすれば


 スズリヨとルルヴルグの視線が合う。駄目で元々、とスズリヨは口を開く。


『一騎討ちならば受けて立つ。だから、今は道を開けてわたしを通してくれないか。部下達の無事を確かめたら必ず戻る』

『ならぬ』


 ルルヴルグはスズリヨの頼みをすげなく断った。


 ーー無理もないか


 ルルヴルグにとって、一度彼を打ち負かしたスズリヨは、得難い好敵手なのだ。好敵手との再戦の機会をみすみす手放すのは惜しいだろう。

 決着をつけることを放棄して彼に背を向けたスズリヨに対するルルヴルグの不信は、根深いものであるようだ。


『お主がこの一騎討ちに全身全霊をかけて臨むならば、鉤爪の戦士達に手出しはさせぬ。部下を救いたくば、ルルヴルグに打ち勝て』


 ーールルヴルグどのが約束を違えることはないだろう。ならば、やるしかない


 スズリヨは顎を引き、大身槍を構える。ルルヴルグは満足気に首肯する。不敵な笑みに綻ばせていた口許を引き締めて、言った。


『お主の愛馬は終の戦場に招かれた。馬が無ければ不便であろう。ルルヴルグが死ねば、ルルヴルグの愛馬はスズリヨにくれてやる。風の如く駆ける駿馬だ』


 ルルヴルグが口笛を吹くと、葉陰より一頭の『馬』が進み出た。骸竜の『馬』は、大きな嘴と光沢を帯びる青みがかった灰色の羽毛をもつ鳥脚獣である。骸竜の戦士に見合う巨躯を誇り、その体高はスズリヨの背丈より高い。万歳をすれば、首に手が届くだろうか。


 ルルヴルグの愛馬は立派な羽冠を風に靡かせて、悠然とルルヴルグに歩み寄り、彼の傍らに控える。ルルヴルグが手を伸ばすと、彼の愛馬はすっと頭を垂れる。愛馬の嘴を撫でてやりながら、ルルヴルグは言う。


『此奴の名はショルヒと言う。ショルヒ、ルルヴルグが敗れれば、このスズリヨがショルヒの新たな主となる。よく仕えるのだぞ』

『ショルヒ……獣吼で風を意味する言葉か』


 不思議そうに首を傾げるルルヴルグの掌に嘴を擦りつける彼の愛馬に目を向けて、愛馬の亡骸に目を落とす。スズリヨはぽつりと呟いた。


『風、この子と同じ名だ』


 ルルヴルグは目を丸くする。そして破顔一笑した。


『愉快な一致だ! 我等は気が合うな』


 ルルヴルグは朗笑する。心を惹き付けられる、否、心を吸い込まれてしまいそうな笑顔だった。


 ーー美しい御方だ


 矜持、心ばえ、剣の技、容貌、立ち姿。彼の有様は凛として、スズリヨは全く憧憬してしまう。


 ルルヴルグは微笑み、スズリヨに剣を向けた。まるで、手を差し伸べるかのように。


『精霊夢使いのスズリヨ。ルルヴルグは全身全霊をかけてお主を倒す。くれぐれも死んでくれるなよ』


 それは意外な言葉だった。ルルヴルグは命を賭ける真剣勝負を望んでいるとばかり思っていたのに。


『一騎討ちの相手に死ぬな、だと?  一体、どういう了見だ?』


 怪訝な面持ちで疑問を口にするスズリヨを、ルルヴルグは凝視する。不穏な風に靡く髪の一本も逃さぬ執拗さ。スズリヨの頭の天辺から爪先まで、視線を這わせて、ルルヴルグは唇を舐める。


『先の一騎討ちにおいて、スズリヨは勝ち、ルルヴルグは約束を果たした。次はお主の番だ、スズリヨ。此度の一騎討ちではルルヴルグが勝つ。スズリヨは約束を果たせ。ただし、終の戦場ではなくこの現世にて』


 ルルヴルグの目に浮かんでいるものを見たとき、スズリヨはぞくりとした。


 そこにあるのは、強者との闘争とその先の勝利を望む、戦士の炎ではない。


 じっとりと、ねっとりとした情念の絡んだ、おぞましい焔だった。

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