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野獣の花嫁  作者: 銀ねも
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5.スズリヨ 幸福な時、過ぎし日の夢

 あれは、人喰らう森の畔の戦いでイリアネスがゴルドランに勝利した、その夜のこと。


 ルルヴルグとの一騎討ちで負傷したスズリヨを心配した姉は、スズリヨの介抱を夜通しすると言い通した。そこまでする必要は無いとスズリヨが言っても、軍医が言っても、ジュラリオ王子が言っても、頑として承知しなかった。


 姉があまりに強情なのでジュラリオ王子は根負けした。ジュラリオ王子の計らいで、姉とスズリヨは同じ幕舎で休むことになった。


 スズリヨは、目に見えて草臥れた姉を煩わせるのは心苦しいと思いながら、それ以上に、姉と一晩中一緒にいられることが嬉しくて、子供のようにはしゃいでいた。


 姉が魔法使学舎に入舎して以来、姉妹ふたり枕を並べる機会はめっきり少なくなった。姉に甘えてはいけないと自分自身を律するも、甘えん坊の末っ子は未だスズリヨの心の中に潜んでおり、姉に甘やかされると、ひょっこり顔を覗かせてしまう。


 姉に「安静にして、もう寝なさい」と窘められても


 ーーせっかく姉さんを独り占めに出来る夜なのに、早々に眠ってしまうなんてもったいない


 そう思うと、眠れない。


 姉はあの手この手でスズリヨをあやして寝かし付けようと腐心していたけれど、いつまで経ってもスズリヨの目がぱっちりとしているものだから、とうとう諦めた。




「殿下と先生の仰る通り。こんなに元気なんだから、介抱は必要無かったな」




 心配して損した、と言って、スズリヨの隣に仰臥する。

 介抱は不要とわかっても、添い寝はしてくれるらしい。



 ーー姉さんはわたしに甘いなぁ




 スズリヨは毛布に隠れてくすくす笑った。


 姉は蝋燭の灯りで魔法書を読んでいる。スズリヨの四方山話を上の空で聞いていた。それが面白くなくて、スズリヨは頬を膨れ面になる。


 どうにかして、姉の気を引きたい。そのとき、スズリヨの頭の中にとある考えが閃いた。



「見て、姉さん、見て」


「なに?」


 読書に没頭する姉の生返事にもめげすに、スズリヨは組み合わせた両手を灯りの前に翳す。ぴんと張られた帆布の上に、不格好な狼があらわれた。手影絵遊びである。


 姉の視線の向く先が、綴られた文字列から、スズリヨの両手にうつる。スズリヨはしてやったりとにんまりする。両手で作った狼の鼻面で、目をぱちぱちさせる姉の左頬を小突いた。




「狼。どう?」


「どうって?」


「うまくなった?」


「全然うまくなってない」


「えー……」




 スズリヨがしょんぼりすると、姉は噴き出した。




「その顔! スズはちっとも変わらないな」




 変わらない。その言葉は変わりたいと切望するスズリヨの心に突き刺さる。姉は何も悪くない。スズリヨの心が弱いせいだ。


 姉は変わった。大人になった。けれど、くすくす笑う綺麗な横顔には、幸福なこどもの頃の面影がある。


 スズリヨはこどもの頃にそうしたように、姉におねだりをする。




「姉さん、あれやって、あれ」


「あれ?」


「わかってるくせに」




 こどもの頃、姉妹は狸寝入りで両親の目を欺いては、真夜中に明かりを灯して影絵遊びをした。器用な姉は手影絵遊びも上手く、目まぐるしく変わる多彩な手影絵はまるで魔法のようで、スズリヨは夢中になった。


 姉は魔法書を閉じて枕元に置いた。両手を合わせて指を組むと、瞬く間に、兎のかたちが出来上がる。帆布の上で、兎が跳ねた。



「はいはい、兎。ぴょんぴょん」




 スズリヨは歓声をあげる。兎の手影絵はスズリヨの一番のお気に入りだった。不器用なスズリヨは兎のかたちを上手につくれないので、手影絵遊びをするときは、兎をやって見せて、といつも姉にせがむ。


 帆布の上で、歪な狼が端正な兎に躍りかかる。




「可愛い兎だ、食べちゃうぞ! ガオー!」


「さもしい狼め、返り討ちだ」



 小さな兎に蹴られた大きな狼は、引っくり返って悲鳴を上げる。




「ぎゃーっ、やられたー!」


「スズ、うるさい。しーっ」



 姉は大笑いするスズリヨの唇に人差し指を押し当てる。スズリヨを黙らせるとき、姉は昔からこうする。




「こんな夜更けに大声で騒ぐな。周りの迷惑になるだろう。ただでもスズの声はよく通るんだから」


「うぅ……姉さんに叱られた」


「スズが騒ぐからだ。ほら、そろそろ寝なさい」




 スズリヨは姉に叱られて悄気返る。姉は寝返りを打ちスズリヨと向き合い「スズ、おいで」と言う。蜜に誘われる羽虫のように、スズリヨは姉の懐に潜り込む。姉はまるで慈愛の女神のように微笑み、スズリヨを抱く。




 ーー姉さんはわたしを甘やかすようになった。父さんと母さんが生きていた頃は、もっと厳しかったのに



 両親を亡くして間もないスズリヨは、夜な夜な悪夢に魘されては、姉に泣きついた。嫌な顔ひとつせずスズリヨを慰めてくれる姉はまるで在りし日の優しい母のようで、スズリヨは姉の薄い胸に顔を埋めながら母を偲んだ。


 幼い頃のスズリヨは、いつも母の背に隠れてもじもじしているようなこどもだった。そんな妹を歯痒くて見ていられなかったのだろう。姉はスズリヨの手を引いて、何処へ行くにも連れ歩いた。


 内気なスズリヨは、同じ年頃のこども達に馴染めず、弱虫だと馬鹿にされて、いじめられた。姉はスズリヨを庇っていじめっ子達と取っ組み合いの喧嘩をしては、怖がって泣きじゃくるスズリヨを叱った。




『スズの弱虫! そんなんじゃ、生きていけないよ! 父さんも母さんも姉さんも、ずっと一緒にはいられないんだからね! いつかお別れするんだよ! そうしたら、もう、誰もスズのこと守ってあげられないんだよ! 強くなりな、スズ! 自分のことは自分で守れるようにならなきゃ!』


『えー……そんなのやだよぉ……姉さん、スズとずっと一緒にいてよぉ……』


『また泣く! そんなんだからバカにされるんだってば! もー! 泣かないの! スズ! 泣いちゃダメ! 大人になって、一人立ちしたら、私たちは別々の人生を歩むことになるんだからね! ひとりで、強く生きられるようにならなきゃダメなんだからね!』




 女は成人すると、生まれ育った地を離れて一人立ちする。それがシルヴァスのしきたりである。シルヴァスが亡国とならなければ、姉妹はしきたりに従い、それぞれの人生を歩んでいただろう。




 ーー姉さんは、弱くて頼りない妹を守るために、世の辛酸をなめた。強くならなきゃ。もっと強くならなきゃ。これからは、わたしが姉さんを守る


 思い出の中の姉は、小さな拳を振り回して、甘えるな! と怒っている。


 目の前にいる姉はスズリヨの髪を撫でて、甘やかしながら、夢に夢見るように微笑んだ。




「スズ」


「なぁに、姉さん?」


「これからも、ずっと一緒にいようね」


「もちろん」




 姉は微笑み、スズリヨをぎゅっと抱きしめる。姉の胸に頬を寄せ、スズリヨは目をとじる。




 ーー一緒にいるよ、姉さん。わたしひとりでは、強く生きられないかもしれないけれど。姉さんと一緒なら、わたしは強く生きるから。わたしはこの生涯をかけて、姉さんを守るから




 愛しい姉に抱きしめられ、愛しい姉を抱きしめた。あの夜が、恋しくて堪らない。




 スズリヨは目を開ける。スズリヨの額に額を寄せて、スズリヨの寝顔を眺め、スズリヨの目覚めを見届けたのは、姉ではなかった。





「ようやく目覚めたか。待ち兼ねたぞ」

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