49.ドルエルベニ 「ドルエルベニの矜持とバジッゾヨの身命を天秤にかけて」
ドルエルベニはルルヴルグと連れ立って、ドルエルベニの移動式住居へ向かう。バジッゾヨとは、ルルヴルグの移動式住居の前で別れた。
ドルエルベニと話しがしたい、とルルヴルグが言えば、ルルヴルグの希望を優先するは必定である。
軍団長の誘いを、先約があるので断る、などと言う選択肢は存在しない。
とは言え、これ幸いとドルエルベニとの約束を解消したバジッゾヨに、晴れ晴れとした顔で見送られると、ドルエルベニの苛立ちは募った。
ーーそもやそも、ドルエルベニの不忠を疑う素振りを見せておきながら、ルルヴルグとドルエルベニをふたりきりにするのは、矛盾しているだろうが
もしも、バジッゾヨがあからさまにドルエルベニの不忠を疑ったら、徒では済まなかった。バジッゾヨに制裁を加えることが、ルルヴルグの反対で叶わないなら、ドルエルベニはバジッゾヨに決闘を申し込む。
そうなれば、ルルヴルグはきっと、バジッゾヨを叱責し、ドルエルベニに対する謝罪を命ずるだろう。それで今度のことは一切水に流して和解するよう、ドルエルベニを説き伏せるだろう。
ーーとどのつまり、ルルヴルグは、ドルエルベニの矜持とバジッゾヨの身命を天秤にかけて、後者をとるということ
暗澹たる思いに沈んでいると、先を行くルルヴルグが歩みを止める。気が付けば、ドルエルベニの移動式住居に到着していた。
ルルヴルグは扉の横に立ち、ドルエルベニを振り返る。ドルエルベニがルルヴルグを招き入れるのを待っている。
軍団長であるルルヴルグは、配下にあるドルエルベニの移動式住居に無断で立ち入ることが出来る。それでもルルヴルグは、ドルエルベニに招き入れるられるのを、こうして律儀に待つのだ。
ーールルヴルグ本人は、ドルエルベニに敬意を表しているつもりなのだろう。ルエルベニがどう思おうが、ルルヴルグの預かり知らぬところだ
ドルエルベニは移動式住居の扉を開く。開いたままにしてルルヴルグを中に通す。
皮を被ったままの灯葡萄の実が照らす仄暗い屋内を、ルルヴルグは物珍しそうに見回した。その様子を見遣り、ドルエルベニは思う。
ーールルヴルグがドルエルベニの移動式住居を訪れるのは、いつ以来か、何年ぶりか。定かではないが、ドルエルベニの記憶より、ルルヴルグのそれは朧気に霞んでいるのだろう
それはそれとして。さしあたり、奴隷の死骸を食料貯蔵庫に保管しなければならない。明日の朝にでも、小分けにして、稲妻の餌にするつもりだ。
ドルエルベニはルルヴルグに断りを入れ、了承を得てから、食料貯蔵庫へ向かった。
死骸を貯蔵庫に吊るし、移動式住居に戻ると、ルルヴルグは支柱の前に佇んでいた。背伸びをして、右手を伸ばし、房形の灯葡萄の実を弄っている。
ルルヴルグは幼い頃、灯葡萄の外果皮を剥がすのが好きで、目に入る灯葡萄の実を片っ端から丸裸にしていた。ルルヴルグが悪戯で灯葡萄を浪費するので、困り果てたヴルグテッダは、灯葡萄をルルヴルグの手の届かない高い所に隠した。お気に入りの玩具を取り上げられたルルヴルグは、すっかり臍を曲げて、それからしばらく、ヴルグテッダを困らせていた。
ーーこの年齢になって、幼稚な悪戯をするとは思わない……思いたくないが
念の為にルルヴルグから目を逸らさず、後ろ手に扉を閉める。木製の丸椅子に腰掛けるよう、ルルヴルグに勧めた。
ルルヴルグが着席するのを見届けてから、食卓を挟んで向かいの席に腰掛ける。ルルヴルグの身長は骸竜の大人の中で最も低く、座高は小人並に低い。席に着くと、まるで本物の小人のようになる。
食卓の片隅には、小人の拳大の、石彫の雛馬がちょこんと乗っている。ルルヴルグはそれに目を留めた。伸び上がり、石彫の頭をちょんと突く。そして首を傾げた。
「これは、ドルエルベニのものか?」
「まさか」
ドルエルベニはすぐさま否定した。
「小人の玩具だ」
子持ちでもないのに、大の男が小人の玩具を所有している訳が無い。ルルヴルグは尤もな言い分だ、と首肯したものの、腑に落ちないようだ。背を丸め、食卓に顎をのせて、小首を傾げる。
「それはそうだが……誰かに貰った、とか? あり得るのではないか? ドルエルベニは小人たちの憧れだから」
見え透いた世辞を言うものだと呆れたのもつかの間。ルルヴルグには、小人たちの話を聞く機会があるのかもしれない、と思い直す。暇を見つけては、玩具を作って、小人たちに配っていると噂されているらしい。
ーー言われてみれば……小人達は、スモフの優勝者に憧憬するものだったか
ドルエルベニは、骸竜ナームジ・スモフにて十回連続優勝、殿堂入りを果たした聖なる竜の化身である。しかし、ドルエルベニはそれを失念しがちであった。聖なる竜の化身としての自覚が足りないと、しばしば父に呆れられている。
聖なる竜の化身の称号を獲得して以来、ドルエルベニの試合出場回数はめっきりと減った。試合から遠ざかれば、競技者の自覚も薄れようものだ。
小人達が聖なる竜の化身の試合を観戦する機会は、年に一度の、骸竜ナームジ・スモフの頂上決戦のみである。それで小人達の憧れと言われても、ドルエルベニにはぴんとこない。
ーーいかん。思考が逸れた
ドルエルベニは頭を振って、とりとめのない思考を振り払う。それから、食卓を指でとんとんと叩き、ルルヴルグの疑問に答えた。
「それはシャンヴィーの忘れ物だ。今朝、ドゥムス・マムナリューカと共に来訪して、ここで暫く、一人遊びをしていた」
シャンヴィーは四六時中、叔母であるマムナリューカにべったりなので、マムナリューカの行く所には何処でも付いて行きたがる。マムナリューカもマムナリューカで姪を溺愛しており、狩りに出掛ける時を除き、何処に行くにも連れて行く。
これまで幾度となく、マムナリューカとシャンヴィーはふたりそろって、ドルエルベニの移動式住居を訪れた。シャンヴィーはいつも、一人遊びをしながら、マムナリューカの用事が終わるのを待っている。今朝も、友人から貰ったと言う玩具を抱えて席に着き、大人しくしていた。
ルルヴルグは石彫の頭を指先で撫でながら、ドルエルベニを上目遣いに見て、ニヤニヤ笑う。
「ほう。ドゥムス・マムナリューカが直々に、ドルエルベニを労いにいらした、と」
「……獲物のお裾分けに預かった。それだけだ」
「ほうほう。獲物のお裾分け。ドルエルベニだけ、特別に」
ルルヴルグは訳知り顔してうなずく。今にも「惚気話か、ご馳走様」とか言いそうにしているのを遮って、ドルエルベニは言った。
「ドゥムス・マムナリューカは、純粋に他意なく、ドルエルベニの身を案じてくれるのだ。ドルエルベニが平素、粗食をしていると思い込んでいる。母が、ドルエルベニは不精者だと、女達に触れ回るせいだ。邪推は控えて頂きたい」
感情に激しているような語気ではない、極めて静かな言葉に、明らかな非難を込めた。軍団長に対して、不敬な物言いであることは承知の上である。それでも、マムナリューカとの仲を揶揄されるのは、我慢ならない。
あれは忘れもしない。六年前、ニヴィリューオウから「マムナリューカはドルエルベニを好ましく想っている」と告げられ、求愛するよう勧められた。ドルエルベニはその勧めを断り、その話は立ち消えになった。
ニヴィリューオウがマムナリューカにそのことを伝えたかどうか、知る由もない。そもそも、ニヴィリューオウが仲人役を務めることを、マムナリューカが承知していたかどうかも怪しい。
マムナリューカは思慮深く、慎み深い女だ。いくら仲の良い兄が相手であっても、想い人との仲を取り持って欲しいと強請るとは思えない。
ニヴィリューオウは可愛い妹を意中の男と番わせてやりたい一心で、仲人役を買って出たのだろう。マムナリューカに憎からず想われていると知れば、ドルエルベニは歓喜を胸に漲らせ、伏してマムナリューカに愛を乞うと、ニヴィリューオウは確信していたのだろう。
しかし、ニヴィリューオウの思惑は外れた。
このことがマムナリューカに知れたなら、ニヴィリューオウはもう、マムナリューカに合わせる顔がないと思うに違いない。
だから、きっと、マムナリューカは何も知らないのだ。何も知らないまま、ドルエルベニに心を寄せてくれている。もしかしたら、マムナリューカの想いは恋心と呼んで差し支えないのかもしれない。
そうだとしたら、マムナリューカは決して報われない恋をしている。
マムナリューカがどんなに真心を込めて尽くしてくれようと、ドルエルベニはマムナリューカの番には成り得ないのに。
せめて気を持たせるような態度はとるまいと気を付けている。そうでなくとも、ドルエルベニは自他ともに認める、度し難い朴念仁だ。そんなドルエルベニが、努めて素っ気なく接するのだから、それはもう、冷淡なあしらいにすら感じられるかもしれない。
それでも、マムナリューカは変わらず、ドルエルベニに親切にしてくれるのである。
マムナリューカは心から優しい女だ。彼女の真心を軽んずる輩は、誰であっても許せない。
それが、ドルエルベニが女と番えない原因であるルルヴルグであれば、なおのこと。
ドルエルベニが真顔で否定すると、ルルヴルグはふと真顔になって、ドルエルベニに尋ねた。
「何故、そうも頑なにドゥムス・マムナリューカの好意を突っ撥ねる? ドルエルベニとて、ドゥムス・マムナリューカを憎からず思うのだろう?」
この不躾な問い掛けには閉口した。ルルヴルグが軍団長でなければ、その細首をきゅっと締めて黙らせてやりたかった。
時の流れさえ妨げるような沈黙が、ふたりに重くのしかかる。ドルエルベニはルルヴルグを睨み、ルルヴルグはドルエルベニの目を見据えている。視線の鍔迫り合いが膠着する。やがて、ルルヴルグが沈黙を破った。
「もしも、ドルエルベニが、ルルヴルグをさしおいて番を得られぬと、ルルヴルグに遠慮しているのなら……その心遣いは、もう、必要無い」
ルルヴルグは居住まいを正すと、ちょっと目を伏せた。それから、口唇だけで微笑みを表して、言った。
「ルルヴルグは生涯の番を得た」




